第148話 そう言えばお前もいたな…クリス…

「う~~~ん」


 俺は玄関から本館の外に出て、ぐぅっと身体を伸ばし、先程の辛気臭い話で強張った身体を解そうとする。


「イチロー様、朝のトレーニングですか?」


 そんな言葉が背中から掛かったので、振り返って見ると、槍を抱えたフィッツの姿があった。


「いや、トレーニングというか、気分転換だな、フィッツこそ、そんな槍を抱えてどうするんだ? トレーニングか?」


「それもありますが、私もここで住まわせてもらいますので、その…イチロー様のお城を守る門番の仕事でもしようかと思いまして…」


 フィッツは俺がべアールから攫ってきたようなもので、そんなに気を使わなくてもよいのだが、それではフィッツが落ち着かないというのなら、させてみてもよいか。

 まぁ、一般人からすれば、スケルトンやヴァンパイアのいる城なので侵入しようとする輩はいないと思うが…


「あぁ、それではフィッツに門番を任せるよ、だが、手に負えない問題が発生した時は、すぐに応援を呼ぶか、俺に相談するんだぞ」


「わかりましたっ! イチロー様!」


 そう言って、フィッツは可愛い笑顔で敬礼して城門へと向かう。


 その辺りのおっさん門番なら失っても惜しくはないが、フィッツを失うのは惜しい、しかもまだ味見をしていない。だから、無理をさせないように言葉をかけておく。


 そうして城門に向かうフィッツの背中を眺めていると、その目的地である城門に一人の人影が現れる。


 フィッツもその姿に気が付いたようで、槍を片手に城門の人物へと駆けていく。


「こんな朝っぱらから誰が来たんだ?」


 俺はそんな事を口にしながら、屈伸運動を続ける。すると、その人物と言葉を交わしていたフィッツがこちらに向かって駆けてくる。


「イチローさまぁ~」


 確かに俺は困ったことが有ったら相談しろと言ったが、フィッツも流石に3分も経たない間に俺への相談は体裁が悪いのであろう。フィッツは困り顔をしながら声を上げる。


「どうした? フィッツ?」


 駆けてくるフィッツに大声で返す。


「こ、こちらの方が…自分こそが本当の門番だと仰って…」


「本物の門番?」


 俺はフィッツの言っている事の意味が分からず首を傾げる。すると、城門に現れた不審者がこちらに駆け出してきた。


「イィィーチィィィ-ロォォォーどぉぉのぉぉぉ~!!!」


 腰にぶら下げたウサギの死体に、脇に抱えた小鹿の死体、そして聞き覚えのある声…


「お、お前…ク、クリスかぁ!?」


 物凄い勢いで駆けてくるクリスの姿に、外敵だと思って槍を構えそうになったフィッツであるが、俺がその外敵と思われる人物の名前を呼んだ事で、クリスと俺の間に視線を交互の移しながら困惑しているようだ。


「ど、どういう事だ!! イチロー殿!!」


「お、おま…本当にクリスなのか…」


 何日も狩りをしていたのか、小汚い身なりに、獲物の死体を抱え、垢で黒くなったクリスは、肩で息をしながら、フィッツのとなりで大の字になって立ち尽くす。


「わ、私という門番がいるというのに、どうしてこんな小娘の門番を雇うのだ!!」


 そう言ってクリスは取り乱しながらフィッツを指差す。


「いや、お前が門番って…」


 俺が帰った時どころか、今、この瞬間まで、門番の仕事なんてしてなかったじゃねぇか…


「も、もしかして…私を首にするというのか!?」


 そう言って、悲壮な顔をしながら、震える足取りで俺に近寄ってくる。


「首にするも何も…だた住み着いている…」


「直すからっ!!」


 俺の言葉の途中で、クリスが俺の服を掴んでしがみ付いてくる。


「わ、私に悪いところがあるなら直すから!! 全部、直すから捨てないでくれ!!!」


「ちょっ!! おまっ! なんで恋人に捨てられる女みたいなセリフいってんだよっ!!」


 しかも、俺にしがみ付くクリスから、猛烈な獣臭さが漂ってくる。こいつ、また野生化しかかっていたのかよっ!!


「な、直すだけでだめなら…なんでも…なんでもするから! 捨てないでくれ!!」


 ごめん…さっき、『なんでもする』って言われたいと思っていたが…こんなに嬉しくない『なんでもする』って初めてだわ…言われたくない…


「分かった!! 分かった!!! なんでもするんだ!? だから、俺から離れろ!!」


 口では言わないが、マジで鼻が曲がりそうなぐらいに獣臭い…


「私を捨てないのか? これからも私は門番を続けていいのか?」


 俺の言葉にクリスは安心したのか、漸く俺を解放する。しかし、クリスに門番と言う言葉の定義がどんなものなのか、一度問い質したい…


「そうだ…その代わり、なんでもするんだな?」


「あぁ、門番を続けられるなら、なんでもする!」


 クリスはふんと自信ありげに答える。


「じゃあ…」


 俺はそう言いながら、建物を指差す。


「風呂行ってこい…いますぐに風呂だ!!」


「風呂? ……はっ!!」


 クリスは何かに思い至ったらしく、頬を染めながら自分の身体を両手で抱え、俺から身を逸らすように身体を捻る。


「だだだだめだぞ!! いくら門番を続けさせる交換条件とはいえ、身体を許す訳には…」


「ちげーよっ!! お前、ただひたすら獣くせーんだよ!!」


「は?」


 俺の言葉にクリスは目を丸くする。


「黙っていようかと思っていたが、お前…滅茶苦茶、獣臭いんだよ!! さっさと風呂行って、その獣臭さを洗い流してこい!! マジ鼻が曲がりそうなんだよ!!」


「けっ、獣臭いとはなんだ!! 曲がりなりにも私は乙女なんだぞ!! そんな獣臭い訳がないであろう!! なっ、そこの少女よ」


 そう言ってクリスがフィッツに視線を向けると、視線を向けられたフィッツはえっ!?と驚いた顔をして、どう答えようかと口をパクパクとさせた後、クリスから視線を外すように俯いて口を噤む。


「えっ…臭い…のか?…」


 恐らく徐々に獣臭さに慣れてしまって、自分の獣臭さに気が付かなくなってしまったのであろう。


 クリスは再び確認するように俺に向き直る。すると、建物の中からアソシエの声が響いてくる。


「イチロー!! 部屋の方に捜しに行ったけど、こんな所にいたのね!!」


 そして、玄関が開かれてアソシエが姿を現す。


「アソシエ殿!!」


「くさっ!!」


 クリスがアソシエに縋って、獣臭さを否定してもらおうと手を伸ばした瞬間、アソシエがクリスの獣臭さに身を捩る。


「ちょっと!クリス! ここしばらく見ないと思っていたら獣臭すぎるわよ!! 近寄らないで!!」


 クリスはアソシエに伸ばそうとしていた手を降ろして握り締め、顔を真っ赤にしながら、身体をプルプルと震わせる。


 これでクリスも漸く自分が獣臭いという事を自覚したようだな…


「えぇっと、クリス…」


 俺は羞恥にプルプルと身体を震わせて佇むクリスに声をかける。


「フィッツを門番にしたのは、別にお前を首にするからではない… 逆に門番という仕事が重要だから人員を増やしただけのことだ」


 俺の言葉にクリスの耳がピクリと動く。


「だから、お前が先輩となってフィッツに色々と教えてやってくれないか?」


 こうでも言っておかないと、またいつぞやの様に、クリスが引き籠って地縛霊のようになって面倒臭い…


「ははは、そう言う事だったのか! イチロー殿!」


 先程までの羞恥はどこへやら、クリスは門番を続けられることと、自分の下に部下が付けられた事で、煽てられた豚が木に登る様に機嫌を直す。


「先程は済まなかったね、少女よ!」


 そう言ってクリスはフィッツに向き直り、その手を取って上下に大きく振りながら握手をする。


「い、いえ…」


 クリスに手を握られたフィッツは、強張った笑顔を作る。


「私がこの城の門番長のクリス・ロル・ゾンコミクだ」


 そう名乗って、クリスはフィッツの肩を叩く。いつのまに門番長なんて役職ができたんだ?


「困ったことがあれば、なんでも私に相談するとよい!」


 そう言いながら、クリスは馴れ馴れしくフィッツの肩を抱く。そのフィッツの顔を見ると、必死に平静を装いながら、臭いがしないように口で息をしている。


 クリス…フィッツが今現在、臭いで困っているから解放してやってくれ…


「では、私は狩りで掻いた汗を風呂場で流してくるから、後で色々と話をしよう!」


 クリスはそう言うと、フィッツを解放して、高笑いをしながら上機嫌に風呂場に向かっていった。


「えっと…フィッツ…」


「あっ、は、はい…イ、イチロー様」


 取り残されたフィッツは、臭いでえずきそうになるのを堪えながら答える。


「門番の仕事はもうちょっと後でいいから、フィッツも風呂行ってクリスに付けられた獣臭さを落としてこい…」


「わ、わかりましたっ!」


 俺の言葉にフィッツは遠慮もなく建物の中へと駆け出していく。我慢していたけど、相当臭かっただろうな…


  

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