第120話 サイリスの憂鬱

 私が食堂での朝食を終えたところに、夜の警戒を担当していたものが報告にやってくる。


「サイリス様、昨晩の警戒についてですが、これといった異常は特にございませんでした!」


衛兵は直立して私に報告する。


「そうか、ご苦労様です。では、朝食を採って休んでください」


「はい!」


 衛兵は再び敬礼して、朝食の給仕の列に並びに行く。私は食堂を後にして、自室へと向かう。ここの本部の中で唯一安らげる場所だ。


 私は自室に入ると、ティーセットのある場所に向かい、ポットにカップ二杯分の水を入れ、温度計を入れて、魔力式の加熱器を作動させる。これは私が持つただ一つの財産だと言っていい品だ。下級貴族の三男として生まれた私に、お茶好きだった祖母がプレゼントしてくれた唯一の宝物である。


 この品のいいところは火を使わず、また火力も調整しやすいので、温度管理が重要なお茶を入れるには便利な品である。温度計が指し示す温度が、お茶に対して適温になったようなので、ティーサーバーに一杯分のお茶の葉を入れ、ティーカップとティーサーバそれぞれにお湯を注ぐ。


 次に、私はティーセットの隣に置いてある小箱に手を伸ばし、蝶の翅の様な金属飾りを回していく。そして、その蓋を開けると。素朴で穏やかな音楽が流れ始める。この品は私の上司であった団長の遺品である。あの様な愚直な男がこのような可愛らしい品を持っている事が不思議であるが、もしかしたら、私と同じような事情があったのかもしれないな。この戦役が終われば、遺族に返さなければならないのが惜しい品だな。


「よし、そろそろだな」


 私は最初のサビの部分が終わったところで、ティーカップのお湯をポットに戻し、ティーサーバーからティーカップにお茶を注ぐ。うん、今日も上出来だ。お茶の香りが辺りに広がる。


 私はティーカップを手に持ち、椅子に向かい深々と腰を降ろし、お茶を一口含む。口内にお茶の味わいと、鼻腔にお茶の香りが同時に広がっていく。あぁ、この瞬間だけが私にとって生きる事の至福の時である。今を取り巻く現状や、これから立ち込める暗い未来の事を忘れさせてくれる。


 私は一口目で至福の時を味わったので、そして、私は二口目を口に含み、現状やこれからの事を考える。


 昨日の認定勇者のイチロー殿との話し合いで、イチロー殿が話が分かる人物であることが分かったのは、私にとって好材料だ。ハニバルの様にここの防衛だけを考え、自分の権力の基盤を失う事を恐れているだけの人物とは異なり、ある程度の大局的な物の見方をできる人物だと思われる。


 勇者という存在は心強い存在ではあるが、軍隊の群れとして統計的に結果を予測しやすいものとは異なり、個人の感情や意思によって、その結果がブレ易い勇者は扱いに困ることが多い。だから、私にとっては扱いにくい存在であるだ。


 イチロー殿の仲間はオークや狼、ドラゴンとヴァンパイアの娘と不安要素が多い存在であったが、その思想は柔軟で、ちゃんと人類よりの思考であったので助かった。もし、これで危険思想の持ち主であれば、排除の選択肢も考えねばならなかっただろう。


 最初はウリクリのマイティー女王が何故、援軍を送らず、あのような勇者の一団を送ってきたのか、疑問であったが、ある程度は期待できそうな存在であることが分かった。後は、イチロー殿達を使いながらどの様に戦況をひっくり返すのか、ということが私の双肩に掛かっていると言う訳だ。


 気が重い話であるが、イチロー殿が話の分かる人物であるという好材料があるので、以前に比べ状況は好転している。さてと、戦略を考えるか…


 私がこれから戦略を練ろうと、周辺地図を広げたところで、部屋の前の廊下がドタドタと騒がしくなる。これから施策を巡らせるところなのに邪魔な騒音だ。


「サイリス様! サイリス様!!!」


廊下をドタドタするどころか、私の部屋の扉が激しく叩かれる。


「どうした! 騒がしい!」


私は椅子から立ち上がり、扉を開く。そこで私は驚愕のあまり目を丸くする。


そこには肩で息をする、取り乱した状態の地下牢の警護をする衛兵の姿があった。


「何故! お前がここに来ている!!! 地下牢の警護はどうしたのだ!!!」


 私は荒げた声で衛兵に問い質す。こやつがここにいるという事はもしかして、あの敵将が地下牢から逃げ出したのか!? ここは我々人類側の本部だぞ! そんな事になれば、我々の本部は壊滅し、もう組織的な抵抗は出来なくなる!


「ゆ、勇者様が… 勇者様が!!!」


「勇者様!? イチロー殿のことか!? イチロー殿がどうされたのだ!! 重傷でも負われたのか!?」


 私は昨日、確かにイチロー殿に地下牢の入室許可を与えた。もしかして、イチロー殿が地下室に向かい、敵将から害をなされたのか!? もし、イチロー殿にもしもの事があれば、今後の戦略が立ち行かなくなるし、ウリクリとの関係も穏やかでなくなる! 


「い、いえ! 勇者様が…あいつを…あいつを地下牢から連れ出されましたぁ!!!」


「なん…だと…!?」


私は想定外の言葉に驚愕し、頭が困惑する。


「一体、どういう事なのだ! もっと詳細に報告しろ!」


「は、はい! 勇者様が一人で地下牢に来られて、しばらく一人で入られた後に、扉を開けろと言われたので、開けてみたら、勇者殿が、あいつを抱きかかえて出てこられたので…」


 なんだと! 抱きかかえて出て来ただと!? 昨日、話をした時点では明確な人類側の意思を持った会話をされていた。しかし、それは出まかせで、やはり、魔族側、やつらの言葉に共感したというのか!?


 これはマズイ… かなりマズイ! ただでさえ、あいつが暴れたら我々の様な一般人では太刀打ち出来ないであろう。それに勇者が加われば、我々ではもはやどうしようもできない!


「イチロー殿はその後、どこに向かわれたのだ!!」


「は、はい! 恐らく自室の方へと…」


「分かった! 非常事態の鐘を鳴らせ!!! あと、屈強な者を集めるぞ! そして、イチロー殿の部屋へと向かう!」


「はい! 分かりました!」


 ここの本部全体だけでなく街全体に非常事態を告げる鐘の音が鳴り響き、全てが慌ただしく混乱しながら動き始める。そして、私の所に各部署の屈強な兵が集まってくる。


「これから勇者イチロー殿部屋へと向かう! そこには敵の将軍がいると思われる!」


私の言葉に、急な招集で困惑していた兵たちの顔が強張っていく。


「万が一の時は、ここにいる我々で敵将を押しとどめ、その間に皆を退避させなければならい! 皆の奮闘にここの全市民の命が掛かっているものと思え!」


「「「おう!!!」」」


兵たちはそれぞれ武器を硬く握りしめて答える。皆、命を失う覚悟を決めた男の顔だ。


「では、いくぞ!!」


私が先頭に立ち、イチロー殿の部屋へと向かう。皆、一歩一歩踏みしめる様に足を進める。


「ん? なんだ? この辺りは雰囲気が違うな?」


 イチロー殿の部屋に近づくたびに、本部の様子が変わってくる。男たちばかりで、清掃もせず小汚かった屋内が清掃され、管理されている様子になってくる。


「はい! この辺りは勇者様の配下であるスケルトンが昼夜を問わず清掃を続けているので、清潔に保たれております!」


 兵の一人が答える。戦時下での本部の清掃とは、こんな事に人手を使うなら別な事に回してもらいたいものだ。


「見えてきました! あの部屋です!!」


兵の一人が声をあげる。


「分かった! まず、私が中に入る! もし、私に何かあった時は、お前たちが押しとどめ、他の者が逃げ出す時間を作ってくれ!」


 これは、私が面会許可を出した責任なのである。自分の失態は自分で責任を取らなければならない…


私は扉の前で、大きく息を吸い、呼吸を整える。そして、一拍置いた後、扉をノックして声をあげる。


「私はサイリスだ! イチロー殿にお会いしたい!!」


 いきなり突入して、不意打ちを食らわせるやり方もあるが、私の中の間違いであって欲しいという願いが扉をノックさせた。兵たちは私の声を合図に、それぞれ武器を握りしめて構える。


「あっ はい! 少々お待ちくださいっ!」


 私の覚悟とは裏腹に、可愛らしい声が中から聞こえ、扉が開かれる。そこにはきょとんとした顔のフィッツの姿があった。


「ど、どうされましたか?」


 私はたどたどしく聞いてくるフィッツを押しのける様に、部屋の中に一歩進み、部屋の中を見渡す。


 部屋の中は、他の部屋とは異なり綺麗に清掃されており、中の人物は、私を戸惑いながら見上げるフィッツ、椅子の上にちょこんと座る黒っぽい姿の幼女、そして、ベッドの上にメイドの膝を枕にして気持ちよく横たわるイチロー殿の姿があった。


 やはり、警護をしていた衛兵の見間違いであったのであろう、疲れていて見間違いを起こしたのであれば、警護のローテーションも検討しなければ… だがしかし、そこで何か言いようのない違和感を感じて、私は再び、イチロー殿の姿を見直した。


「えっ!? そ、そんな!! まさか!?」


私はイチロー殿を膝で枕をするメイドの姿を二度見した。


「あ、ありえない! そんな馬鹿な!?」


驚愕の声をあげる私に、メイドは私に向き直り、その黒い瞳を向ける。


「キング・イチロー様がおやすみです、お静かに」


 黒目だけの瞳、表情の無いデスマスクの様な顔であったはずなのに、微笑を浮かべながら私に警告してくるメイド服姿の敵将の姿がそこにあった。





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