第22話 賢者イチロー

「ポチよ、あの小高い丘に行ってくれるか?」


ポチの上に乗るシュリは、眼下のポチにそう告げる。


「わう!」


 ポチは一吠えで返事をすると、繁みの中を駆け抜け、小高い丘の上へ駆けあがる。丘に上がったポチとシュリは、夕闇がくれる空に溶け込み、シュリは丘から遥か遠くを見渡す。


「やはり、一日掛けた追跡も限界の様じゃな… 遠くの一峠越えたところで、炊飯の煙が上がっておる。これなら大丈夫そうじゃな…」


 昨日の夜からの逃走劇は一日近く続いた。流石に人間や生きた馬ではこのあたりが限界であろう。スケルトンホースを使うシュリ達の馬車から大きく離れた所で、休憩を兼ねた野営をしているようだ。


「ポチ、皆の所へもどるぞ」


「わう!」


シュリがそう告げるとポチは皆が待つ馬車へと駆けて行った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「只今じゃ、皆の衆」


馬車の扉を開けて、シュリとポチの姿が現れる。


「あっシュリの姉さん。お疲れさんでやす」


「シュリ、お疲れ」


カズオとカローラが、偵察から帰ってきたシュリに労いの言葉をかける。


「すいやせんね、シュリの姉さんに任せっぱなしで」


カズオがエプロンで手を拭いながら、謙った顔で述べる。


「いや、かまわん。お主では、足が遅いし、カローラはまだ日が昇っておる、ポチだけでは何があったか喋れんし、わらわが行かねばならんじゃろ。役割分担じゃ」


 シュリはそう言いながら、馬車の入口で、繁みの中を掛けた時についた細かい葉を払い落す。


「そう言って頂けやすと助かりやす。夕飯は逃走しておりやしたので、簡単なホットサンドしかございませんが、どうぞ召し上がってくんなまし」


「シュリ、ホットサンド。おいしいよ」


 カズオがシュリにホットサンドの乗った皿を差し出し、シュリが口にソースをつけたままそう述べる。


「そうか、ホットサンドか… して、主様の様子はどうじゃ…」


シュリがそう訊ねると二人の顔が曇る。


「そうか… 主様の様子は変らずか…」


シュリはそう言うと目を伏せる。


「へい、あっしが声をかけても、どこか虚ろな様子で、溜息をつくだけで…」


「私がゲームしようと言っても、優しい顔して微笑むばかりで…」


カズオとカローラも表情を暗く曇らせながらそう告げる。


「どうしたと言うのじゃ…主様は… あれから魂が抜けたというか、毒気が抜けたというか… なんだか、聖人か欲のない老人のようになってしもた…」


シュリは悲し気な顔をしながら拳を握り締める。


「今は引き離しておるが、王国軍から追われていると言うのに、わらわたちはどうすれば良いのじゃ…」


苦悩の表情を浮かべるシュリの肩に、カズオが手を乗せる。


「シュリの姉さん… とりあえず、座って飯食って、あったかい物でも飲んでくだせい… 腹減って冷えていちゃ碌な考えが浮かびやせんぜ」


「気をかけさせてすまぬのぅ…カズオよ…頂くとするか…」


 シュリはカズオに促されてソファーに座り、あまり気の進まない様子で、ホットサンドを口にし始める。それを見届けたカズオが炊事場で温かい飲み物を入れてきて、シュリの前に置き、自分もカローラとならんでシュリの前のソファーに腰を下ろす。


「しかし、どうしたもんですかねぇ~ 旦那は矢傷も何も受けてないっていうのに…」


「イチロー様は魔法でも受けたのかしら?」


カズオとカローラ、二人の言葉にシュリは食べ物を一度下ろす。


「分からん…わらわも一緒に馬車の上で、追手と応戦しとったが、主様が追手から何かされた様子はなかった」


「旦那は魔法がお得意そうですから、精神をやられるって事はなさそうですし…」


頭を捻って考えるカズオに、シュリは差し出された飲み物を一度口に含む。


「そもそも、主様がああなったのは、追手を完全に撒いて、逃げ切ってからだからのう…」


温かいものを口にしたシュリは、腹の奥をほっこりさせて言う。


「あっ」


そこへ、唐突にカローラが声をあげる。


「どうかしたのか?カローラ」


シュリはカローラに視線を移す。


「私、聞いたことがある!」


「聞いた事とは?」


鼻息を荒くするカローラにシュリが訊ねる。


「なんでも、人間には『賢者時間』というものがあるそうです」


「なんですか?カローラ嬢。その『賢者時間』というのは?」


カズオも隣のカローラに向き直って訊ねる。


「そ、その私の聞いた話だと、人間の男は、その…性交をしたあと、毒気が抜けて、まるで全てを悟りきった賢者の様になるとかで…」


カローラは自分で言っていて、少し恥ずかしいのかどもりながら口にする。


「なんじゃそれは!? 交尾で毒気が抜けて、悟って賢者になるじゃと? そもそも、主様は交尾など… あっ!」


カローラの説明に、ソファーから腰を上げ声を張り上げるシュリであったが、途中で何やら思い当たる。


「そうか… 主様は、王国の姫に夜這いを掛けたと申されておったが… 未遂ではなく、完遂しておったのか… 道理で王国軍の追手が激しいはずじゃ…」


気落ちしたシュリは、再び力無くソファーに腰を下ろし、空になったカップの底を眺める。


「旦那は、王国の姫様相手だろうと容赦しませんね…」


カズオは乾いた笑いをしながらそう述べる。


「して、カローラよ。その『賢者時間』と言うのはいつまで続くのじゃ?」


シュリは気を取り直して、カローラに視線を向ける。


「さぁ?私も城の者たちが話しているのを聞いただけだから…ホノカ、ナギサ、貴方達は知ってる?」


 カローラに訊ねられた二人の骨メイドは、一瞬固まった後、炊事場に行って、何か温かい飲み物を入れてくる。


「わぁい! ココアだぁ! 私、ココア大好き!」


 ココアを渡されたカローラは、自分が二人に訊ねていたことも忘れて、大満足な顔をしてココアを味わう。


「お主ら二人、ちとカローラを甘やかし過ぎではないか…それにこやつは今はこの様な身形でも、元は大人じゃぞ? 少しは大人の話もじゃなぁ…」


 そう言うシュリに二人の骨メイドは、一度互いの顔を見合わせた後、両腕で大きくバツ印をつくる。


「はぁ~もうよい… まぁ、恐らくであろうが、そう長くは続かんであろう…長く続いたのであれば、人の世に争いなど起きぬからな…」


シュリは溜息を付いた後、空になったカップを弄びながら、そう述べる。


 その時、上の寝台から物音が響き、梯子を使って誰か降りてくる。そこにはイチローの姿があった。


「あ、主様…」


「やぁ、みんな、僕の事で心配をかけたね…」


イチローは清々しく爽やかな笑顔で、皆にそう述べる。


「だ、旦那ぁ! もう大丈夫なんですかい!?」


カズオが普段とは少し…いやかなり違う様子のイチローに声を掛ける。


「カズオ君にも迷惑をかけたね。ホットサンド美味しかったよ…いつもありがとう」


「君!?」


カズオがイチローの君付けに驚きの声をあげる。


「カローラちゃん、この前はごめんね。大人げない勝ち方をしちゃって、今度は楽しいデュエルをしようか」


次にイチローはカローラに向き直り、キラキライケメンフェイスでそう述べる。


「わぁい! イチロー様! 私、イチロー様だぁい好き!」


カローラは感極まって、イチローの足に抱きつく。


「シュリ…」


イチローはカローラの頭を撫でながら、シュリに慈愛に満ちた顔で向き直る。


「あ、主様…」


シュリはイチローの変りように戸惑いながら呟く。


「いつも酷い事をして、ごめんね…シュリ… でも、それは君が僕に奉仕してくれている事が、気恥ずかしくて、辛くあたってしまうんだ…許してくれるかい?」


 いつも辛くあたられているシュリにイチローの慈愛に満ちた言葉と表情が、乙女心に突き刺さる。


「主様…わらわの事をそんなに気をかけてくれていたなんて…」


シュリは瞳を潤ませながら口にする。


「ありがとう…シュリ…」


「あるじさまぁ~!!」


シュリも感極まってイチローの腹に抱きつく。


「いい子だ…シュリ…」


そう言ってイチローは優しくシュリの頭を撫でる。


「次に、ポチ。さぁおいで、いつものワシワシしてあげるよ」


イチローは二人の頭を撫でながら、ポチに向き直る。


「うぅぅぅぅ!!! わう!わう!」


しかし、ポチは毛を逆立てて警戒しながら、イチローに向かって吠える。


「どうしたんだい?ポチ。いつものようにおいでよ」


ポチの反応にイチローはイケメン爽やかフェイスを少し曇らせる。


「わう! わう!」


「どうしたんだろう…そんなに警戒して… まぁ良い…みんな、追手に疲れただろう? 今日は僕が見張りをするから、みんなはゆっくりとお休み…」


イチローはまるで聖母の様に皆に告げる。


「あぁ、なんという慈悲深くてお優しい主様じゃ… このままずっと、この主様であれば良いのに…」


こうして、追手に疲れていた皆は、イチローの慈愛に満たされながら安らかに眠りについた…


◇◆◇◆◇◆◇◆◇



そして、次の日の朝…


「おい! カズオ! てめぇ、俺の飯にはクリキノコ入れるなっていってんだろぉ!!! おめぇのケツに刺されてぇのか!!」


「ひぃぃぃ!! お許し下さい! 旦那ぁ!! あっしのケツはパンに操を立てておりやすので、そ、そんな二本なんて、無理でやすぅ!!」


イチローの怒声にカズオは顔を青くしてケツを隠しながら謝る。


「カローラ! お前、まだ泣いてんのかよ! バカみたいに自分のファンデッキばかり使っていて俺に勝てる訳ねぇだろうが!」


イチローはテーブルの向かいでぐずるカローラに怒鳴り声を飛ばす。


「うぇぇ… イチロー様… 私、イチロー様…嫌い…」


カローラはハラハラと涙を流しながら、スカートの裾を握り締める。


「そうだ! シュリ!」


イチローは思い出したかの様に、シュリに向き直る。


「えっ!? わらわまで!?」


突然のイチローの声にシュリは身じろぐ。


「おめぇ! ポチに何教えてんだよ!! おめーのせいで、みんなの前で恥かいただろうが!!」


「そ、それは、ポ、ポチが…」


言い訳をするシュリの前にポチが現れる。


「わう!」


「あぁ! ポチ! 昨日はどうしたんだよぉ~ポチ… よーしよしよし! いい子だ! ポチは悪くないぞぉ~! いい子だ よしよし! おっと、ポチ、ケツ向けながらずり寄ってくんな」


昨日のポチとは打って変わって、じゃれつくポチにイチローはワシワシする。


「贔屓じゃ! 贔屓じゃ主様!!」


シュリはプンプンになりながら、主であるイチローに批難の声をあげる。


「うるせぇ! ガタガタ抜かすとポチの前に、お前に犬のしつけすんぞぉ!!」


「ぐぬぬ…」


容赦ないイチローの言葉にシュリは押し黙る。


「それより、さっさと馬車をだせ! 追いつかれるぞ!!」


「へ、へい! 分かりやした旦那!」


突然、襲い掛かるイチローの言葉に、カズオは慌てて御者台に乗り、馬車を走らせる。


「あぁ、なんと短い春であった事よ…」


こうして元に戻ったイチローと共に皆の逃走劇は続くのであった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


※一応、書いておきますが、姫様とは無理やりではありませんよ


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