【第1章:舞台】

 N県K市、山あいにあるその一帯は避暑地として有名で、数多くの別荘やペンションが山のところどころに建てられている。

 その海抜の高さにもかかわらず、駅には高速鉄道が通っており市内に入ること自体は容易である。また駅前にはアウトレットモールもあり、まさに山あいのリゾート地といった風情である。

「それにしたって、行くのが大変だわね。」

 まよるが愚痴る。

 K市の中心であるK駅からすでに車で30分以上走っている。別荘地からもかなり外れており、周囲は完全に山林の様相を呈していた。

「まあこうやってハイヤーを用意してくれてるんだから楽といえば楽だけど、コンビニすら行けそうにないのはつらーい。」

 あさひの言うとおり、周囲はコンビニどころか別荘などの住居すら見当たらず、まさに陸の孤島であった。

 初夏の晴れた某日、あさひとまよるの2人は招待状に従い、K駅に昼過ぎ到着した。ニイニイゼミのジーーーっという鳴き声の中、そこには「あさよる探偵事務所様」という札のかかった黒いハイヤーが配車されており、それに乗って現在に至るのであった。


「あっ、見えた!」

 まよるが指をさす。

『目的地周辺です。音声案内を終了いたします。』

 無機質なカーナビの音声が到着を伝える。

 長い一本道の終点は大きな門を備えた洋館であった。全体としては左右対称のバロック調建築であり、エントランスホールであろう建物中央の区画は手前に少し飛び出て数段の石段と美しいアーチ状の屋根を備えている。そのアーチから左右にまっすぐと建物が延びており、概ね横長の長方形の建造物であると見て取れる。1つの階ごとの天井の高さは一般的な住居より大きいが、窓の数から見て2階ないし3階建てだろう。庭を含めてよく手入れをされているが、建物自体は年代物であるように見える。

「わー、思ってたよりそれっぽい!」

 あさひが感嘆する。まよるも口をぽかんと開けながら館を見つめている。


 門から敷地に入り、入り口手前の石段の前でハイヤーは止まった。

「ご利用ありがとうございました。お荷物降ろし致しますね。」

 2人の会話を邪魔しないようにか、運転中は無口であった壮年の運転手が運転席からトランクとドアを開けて言う。

「「ありがとうございます!」」

 2人はお礼を言いつつ、運転手を手伝って荷物を降ろした。

「あー、ここ電波入らないんだ。Wi-Fiあるかなー? 帰りどうしよう?」

 あさひがスマホを見ながら独りごちる。

「お帰りの分もハイヤーの予約がされているとお聞きしております。お帰りの日にまたこちらまでお迎えにあがりますのでご安心ください。」

 聞きつけた運転手がバタン、とトランクを締めながら丁寧に説明をした。

「わーお、いたれりつくせり。」

 少しふざけた口調のまよるをあさひが肘で小突くと、運転手は人の良さそうな顔で微笑んだ。

「それでは良い一日を。」

「「ありがとうございましたー。」」

 ハイヤーが走り去っていき、2人と館だけが残された。セミの声だけがあたりに響いている。


 2人は荷物を抱え、数段の石段を登る。標高ゆえか日差しはあるものの涼しく、過ごしやすい気候だ。

 手入れはされてるもののやはり建物は古く、一般家庭にあるようなインターホンは玄関のドアには見当たらない。装飾のついた鋳鉄製らしきドアノッカーがついているだけだ。

「ごめんくださーい!」

 あさひが大声で呼びかけながらドアノッカーをコンコン、と2度叩いた。

 真昼の日差しだけが2人を照らす。誰も出てこない。

「…おかしいわね?」

 まよるが首を傾げドアノッカーに手を伸ばそうとした途端、ガチャリとドアが開き緑色の髪をした少しつり目の青年が顔を覗かせた。

「あ! 本日はお招きいただき―――。」

「あー、いや、余も招かれた側であるからして…。」

 あさひの挨拶を遮り、青年はバツが悪そうに右手で自分の首の後ろを擦りながら言った。


「立ち話もなんであるので、諸君も入りたまえ。とは言っても余の家ではないのだが…。」

 青年は2人が通りやすいように大きくドアを開けた。

 外から見た印象よりエントランスホールは開けており、2階まで吹き抜けになって開放感があった。正面には横幅の広い階段があり、それが奥側で二股に分かれてどうやら2階に続いているようだ。玄関側の窓から日差しが差し込み、天井から吊るされたシャンデリアがそれを反射して煌めいている。洋風建築らしく靴を脱ぐスペースはなく、緑髪の青年も靴を履いたままの状態だ。

 エントランスホールに入ると、すぐ右手に小ぶりなキャビネットがあり、その上に何かが書かれた数枚の紙片が装飾の彫られたおもりを上にして置かれていた。

「あ、それであるが、どうやら部屋割りが書かれているようであるので1人1枚取るといいのである。」

 青年がキャビネットを指差して言う。

「ありがとうございます。どれどれ…?」

 まよるが青年に会釈をしつつ、紙を手に取ろうとする。しかし、おもりの装飾を見てハッと手を止める。

「あさひ、これ…。」

「うん、便箋の封と同じマークだね。」

 左上に三匹の獅子が配置されている十字の書かれた盾。招待主はこの印章に何かこだわりがあるのかもしれない、と思いながらあさひは部屋割りの紙を手にとった。2人の分で紙は最後だった。


 部屋割りの図によるとこの建物は2階建てで正面に見える大きな階段から2階に上がれるらしい。1階の一番右奥にあさひの部屋があり、その隣がまよるの部屋のようだ。

「『お部屋にお荷物を置く前に、最初に私からご挨拶をさせていただきたく思います。皆様が揃われるまで、エントランス右手の大ホールにておくつろぎください。 白夜モリアーティ』」

「というわけで、皆の者はそこで諸君を待っていたのである。」

 部屋割りの紙に書かれた文章を読み上げたあさひに対して青年が右手を伸ばした先には、ホールのソファにまばらに腰掛けた人々がいた。ある人はこちらを軽く伺い、ある人は別の客と会話し、ある人はスマホを手に持っている。

 その数は7人。緑髪の青年、あさひとまよるを合わせて合計10人が屋敷に招待されたようであった。白夜モリアーティと名乗る何者かによって。

 何の目的かは未だ分からないまま―――。

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