3–2 自分ノ心ハ、

「護りたい人、ねぇ……」


 唐突に、今日の昼間にノーラに言われた言葉が蘇ってきて、赫ノ助はぼやく。自分自身にこれ以上何を望むというのだろうか、ただ国家に、陣営に尽くし使われる身の一兵だ。成長したところでどうせ待っているものは分かりきっている。

 そんな事を口にすれば、憤慨した直に確実に一発は入れられるんだろうな……などと思いながら、彼はそのまま基地内に飛散した砲弾の破片の回収にいそいそと向かっていた。


 陸軍部第4中隊の訓練グラウンドは、他所の中隊に割り当てられたものより少しだけ広く、コンクリも頑丈なものが使用されている。にも関わらず、週に一度に近いペースで何かしらの設備が壊れるのは、並ぶ上層部の渋すぎる表情とセットでもう隊員の特性上お約束のようなものだ。

 今日も、砲弾を拳で弾くという規格外の荒技を平然とやってのけた……まるで見た目もアメコミのヒーローかヴィラン(筋肉枠)のような見た目をした中隊長の、謂わば後始末に向かっているのだが。


 副隊長は呆れ顔でボヤいていたが、これもまた自身の能力で近隣住民や基地内の人員に一人も怪我人がいない事を瞬時に察知しての緩い応対であろう。もし事が事ならあの冷静で口数少ない副隊長がキレていただろうと思うと、赫ノ助としてはそちらの方が想像するだけでも背筋が凍る思いだ。


 足が速い、そして細いが別に筋力がないわけではないので、こういった時の回収で一足先に落下したポイントへと走るのは主に赫ノ助の役割であった。


(えっと……副隊長が割り出したポイントの中で、一番基地外に出そうで危ないやつは……っと)


 基地をぐるりと囲む高い柵と、人が乗り越えられないように張り巡らされた有刺鉄線。

 今や第13師団、ひいては第4中隊の名も知られて久しい。お陰で基地の近隣に近づく一般住民などほぼいないらしいが、もしその柵を超えた飛来物があったとして誰かに害を与えてしまう可能性がないとは言えない。故にいち早く状況を確認し、回収し迅速にフォローに回るまでが、中隊に所属する者の役目だ。

 国防は外からの攻撃を防ぐだけにあらず、それは赫ノ助自身も重々承知していることだ。


「あ、あれ——?」


 瓦礫を視認し、可能であればそのまま持ち帰る——それだけのはずだった。

 思わず零してしまった声に、そこにいた誰かがハッとして自分の方を見たのがわかる。


「すみません、連合軍第13師団の者です。この近くに訓練中、飛来物が落下いたしまして。危険ですので一旦……」


 人当たりの良いであろう表情を浮かべ、そう口にして。赫ノ助は思わず口ごもる。

 フェンスを掴み、空を見上げるようにして。女性が一人泣いていたのだ。


「あっ、ごめんなさい」


 咄嗟に、泣いていたことを悟られまいと顔を伏せる動作に目を奪われた。


「い、いえ。俺の方こそすみません」


 あの……それと、よかったら。そう言って、いつも訓練服のポケットに入れているガーゼ製のハンカチを差し出す。不恰好な機能性重視のものではあるが、この際あるに越したことはない。


「いえ、大丈夫です。お気遣いいただいてありがとうございます」


 そう、手を軽く振り、自身のポシェットから女性は綺麗な刺繍の入ったハンカチを一つ取り出し、目元を拭う。

 北欧や欧州の人間の歳はなかなかにしてわからないが、恐らく自分よりも歳上のはずだ。そのまま風に流されてしまいそうな軽やかな声に、なぜだか赫ノ助は胸が締め付けられるような気持ちになる。


「家族がね、軍にいるの。頑張り屋さんで、なかなか連絡も寄越さなくて」

「ああ、それは心配になりますよね」


 不安そうなまま見つめる赫ノ助の表情に何か感じたのか、女性は少し微笑みそう切り出した。


「空軍部……ですか?」

「ええ」


 口数の少ない人なのだろうか。それともやはり、今しがた出会ったばかりの隊員にそんなに話すこともないのだろうか。そんな考えを巡らせつつ、赫ノ助はフェンス越しの彼女に再び声をかける。ここは滑走路の着陸ポイントがしっかり見渡せる、物思いに耽る相手がいるとしたらそれは空軍部だろうというのが赫ノ助の読みであった。


「あ、あの。もしよかったらそのご家族の方に何か言伝でも? 俺、空軍部に知り合いがいるので、どなたか探せるかもしれません」

「……優しいんですね」


 そう伏し目がちに微笑まれ、何故だか不思議な気持ちになる。

 もっと話していたいような、何かをしてあげたいような。


「だって、お姉さん、泣いてたから——」


 言って、しまったと思った。もっと考えて気の利いた言葉でも口にすればよかったのに、どうしてだか先に言葉が溢れてしまう。慌てて何か取り繕おうと口をモゴモゴさせた赫ノ助を見て、今度はふふっと女性の口から笑みがこぼれた。

 あっ——かわいい。思わずそれが表情に出てしまったのか、目を丸くした赫ノ助を見て女性はふわりと笑って目を合わせてくれた。


「家族もそうだけど……大切な、大切な人がいたの。今でもついここに来ちゃう、赤い翼の飛行機が——その人の乗った機体が、もしかしたら帰ってくるんじゃないかって。そう思っていたら、まだ……ついね」


 ああそうか。赫ノ助は内心少しだけへこんでいる自分を叱咤しながら考えを巡らせる。空をメインに守り、主戦場とする空軍部。中でも、そのパイロットは墜ちればほとんどの人員が還らぬ人となってしまう。訓練中の事故でさえ命を落とす例だってあるのに、直みたいな人間の側にいると感覚がバグってしまいがちだ。

 きっと彼女の待ち人は——そうして空から還らぬ者となってしまったのだろう。フェンス越しの距離感がどうしてだかもどかしい。泣かないでください、そう強く言えたらいいのに、なぜだかそう強く思ってしまう自分に驚く。


「やだ。こんな話をして、ごめんなさいね。貴方が聞き上手だから、ついつい喋ってしまっちゃって」

「そんなことないです。その……上手いこと俺言えないんですけど、そういう気持ちの時って誰かが隣にいるだけでも、ちょっとは楽になったりしませんか。だからその……」


 あっ、でも任務の邪魔をしちゃったかしら。そう呟く彼女に首を振って返す。

 踵を返そうとする彼女の金色の髪がふわりと揺れ、サボンの優しい香りがした。もう少し話していたい、そう思ったがいつもなら回るはずの軽口がどうにもこうにも出てこない。


「あ、あのっ」


 勇気を出して喉から搾り出した声は、あろうことか若干裏返ってしまった。反射で顔が熱くなるのを感じながら、こちらを振り返り小首を傾げた彼女の目をまっすぐに見つめる。


「お名前……伺ってもいいですか」


 あーバカ、そうじゃねぇだろ赫ノ助。なんかもっと上手い具合に会話つなげろよ。盛大に心の中でツッコミを入れたが、出た言葉が引っ込むことはない。


「フリューリンク」

「えっ?」

「皆はフィリィって呼ぶわ。祖国の言葉で『春』って意味なんだけど、呼びづらいでしょう」


 ふふふっと口元を隠して笑う姿は、ああなるほど春風を思い起こさせるようなそんな可憐な印象をこちらに与えた。


「えっと、俺——」


 何か言おうとして、遠くから他の隊員の声が聞こえてきたことに気づく。


「そうだわ。お仕事の邪魔して本当にごめんなさい。ありがとう、ちょっとだけ今日は気持ちがスッとしたわ」


 じゃあまた。他の人間がやってくる前にといそいそとその場を離れようとする彼女にそう手を振られて、間抜けにもフェンス越しに手を振りかえす。


「あっ、ま、また!」


 そうじゃねぇだろ俺! 再び内心盛大に突っ込み、自分の不甲斐なさに座り込みたくもなったが、近づいてくる人の気配にすんでのところで踏みとどまる。なんだか……彼女の姿を他の隊員には見せたくなかった。

 やばい、めっちゃ綺麗な人だった。頭の中でぐるぐると考えつつ、声のする方へ走る。街の警護へ駆り出される時も、あんな人を見たことは今までなかった。……言い訳をすれば、警護中に正直女性の見た目なんてまじまじと見ることなんて無いからなのもあるのだろうが。

 金髪と、優しい声と——そして今まで見たことのない紫色の綺麗な瞳。


「やべ、俺名乗ってすらいねーじゃん」


 マジでカッコ悪すぎた。そう思いながらも、来た時よりも軽やかな足取りで声のする方へ走る。


 ——この日飛散した欠片は、全て基地内で回収された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る