第三部

3−1 思索スル秋、

「オラァ立て!! 戦場で倒れ込むことはイコール死だとその頭に叩き込んどけ!」


 十月、スオミのヘルシングフォシュにある連合軍第13師団の基地。その陸軍部の基礎訓練の場では、一切の甘えも許さぬ檄が飛んでいた。


 ハイポート(小銃を胸の前に抱えて走る訓練)15km、それが終わってグラウンドに倒れ込むことすら許されない。憎々しげに見上げたところで、目の前に立つ教官役の日ノ元出身の曹長は、倍以上の重量があるガトリングガンを担いで同じ訓練をしているのだから、ぐうの音も出ないというものだ。


「なんだその目は貴様ァ! 総員、銃を背に担いだまま腕立て百回!!!」


 ハキハキとした怒声に「うっひゃー相変わらず容赦ねぇよ弘先輩」と、陸軍部に所属する新谷赫ノ助は隠れて舌を出していた。

 元は同じく日ノ元帝国陸軍、実績で言えば大〜中隊長レベルの人物である不破弘は、現在この北欧の地で飛行部隊へと所属している。祖国からの避難民を引き連れての連合軍入りだが、このどう考えたって不思議な配属の変更は、彼の溺愛する妹が飛行部隊所属だからであろうと赫ノ助はふんでいる……のだが。

 どういったわけか、彼の指導での基礎訓練は結果から見れば非常に効率的で(上層部からの)評判も良く、こうして教官役として度々陸軍部へと出張ってくることも多い。


 腕立ての回数が二桁になってしばらくすると、急にひゅうっと冷気が流れ込んできたのを感じ「おや?」と赫ノ助は風上へと視線を移す。その先に居たものを見て、慌てて彼は腕立ての体勢から立ち上がった。


「すいません不破曹長! ハユハ伍長が潰れました! 医務室へ運んでも構いませんでしょうか?」

「そ、そうか。連れて行け」


 普段であれば怒声が飛ぶところだが、弘含めその場にいた全員から「ああ……」と納得のようなため息が漏れた。


「おい、スロ、しっかりしろって」

「……」


 腕立てをしようとした体勢のまま、地面に潰れてまるで雪だるまのようになっているのは、同じ部隊の狙撃手スロ・ハユハである。


「どうしたんだよスロ……。お前、今まで訓練出たことなかったじゃん」

「ぼく……つよく、ならなきゃ」


 ほんの少し頭頂部に雪が積もったその姿は、一見ギャグかよと突っ込みたくなるところだったが、つとめて冷静に赫ノ助はその身体を抱き起こして肩に担ぎ上げる。


「十分強いよ、スロは。自分の役割をしっかりわかってるし」


 無言は、「そうじゃない」の意なのだろう。歳が近くとも、戦場に行けば一介の兵でしかない赫ノ助と違い、目立たないポジションとはいえ恐らくそのスコアは隊一であろうスロだ。何を今更そんな焦って苦手な基礎訓練に参加しようというのだろうか。


(やっぱ、直なんだろうなぁ)


「それじゃダメなのか」と問いたい気持ちは、すんでのところで口を引き結んで堪えた。歩きながら脳裏に浮かんでくるのは、共にこの国へとやってきた同期であり先程の教官役であった不破弘の妹、不破直の姿である。

 小さく、自分達とは性別すら違う彼女は。それでいて誰よりも意志が強くて真っ直ぐだ。そのど直球さに感化され、つい自分らしくない行動を取ってしまうことも、学生時代からしばしばだった。

 家柄でもない、兄の強さを傘に着ているわけでもない、女性的な魅力で媚びているわけでもない。ただ彼女は己の決して折れぬ意志とたゆまぬ努力のもと、我が信ずる先を言葉として発する。

 その力というのだろうか、えもいわれぬ求心力とでもいうのだろうか。

 多くの仲間達は——もちろん自分含めて。どうしようもなくそれを見守りたくなり、隣を走っていたくなる。ほっとけない、とはまた違う、人を惹きつけ「ついていこう」ではなく、考える間も無くその懐に引っ張り込まれてしまうあの感覚は……彼女にしかない魅力なのであろう。

 うまく言い表せないが、そういう奴なのだ、不破直という人間は。


 それが——きっと自分は羨ましいのだとは思う。

 身長にも容姿にも、能力にも、友にも——遠い昔には家庭にだって恵まれていた。勉強も、スポーツも、割となんでもソツなくこなせる方で。

 けれど自分には直のように「全力で生き抜く」事に関してだけは、どうにも後ろ向きで消極的であった。


(だって、アツくなったところでさ。全部失くしちゃったら、その時間も労力も全部が無駄なわけじゃん?)


 自分は陽の光の当たるヒーローではない、指揮官たる存在になり得るような人物像でもない。そんなのは、ああいう持っている人間・・・・・・・にこそ向いている役割で、そういう人間だからこそ周りを包み込んで物凄い力を引き出せる存在にいずれなるんだということも……重々承知している。

 直という存在が隣にいて、日々が目まぐるしく明るくすぎて。そんな学生生活はもう終わったのだ。今度は彼女は、自分の居るべき場所でその光を遺憾なく発揮している。そして、この軍の垣根を越えた存在にまでその影響をもたらしているのだ。


 羨ましい、とは思う。でも——。


(俺には無理だよ。あんなに心が折れないくらい強い信念もないし。心が折れない程度に、適度にいるのが一番)


 基礎訓練だってそうだ。一度だけ、直に「なんで一番で走り抜かんのや」と不服そうな表情で言われた事がある。


「別に。買い被りすぎだって、俺江草先輩より早く走れねーもん」

「違う。なして抜こうとすらせんのや、とウチは聞いとる」

「そんなまたぁ」


 ヘラヘラと、笑いながら誤魔化した。それ以上、友は食い下がってはこなかったけれど。


(嫌なんだよ、俺が一人で突っ走る勇気もないのに。期待されたって、俺は結局何にも救えないんだしさ)


 だから——無難に成績も悪くない、目立たない二番手が一番いい。

 一生懸命、必死に。無我夢中に全力を出すのは……怖いから。

 

 この時も、誰より早くスロの異変に気づいたのは、普段からの目配り故か。本人の言うように「サボれてラッキー」が本音なのか。

 当たり障りのない二番をキープしておくのがどれほど凄い事なのか、赫ノ助自身は実は気づいていない。




***




「って事があってさぁ。あ、別にスロは具合悪くなったとかじゃなくて、潰れてただけなんだけどね」


 どちらかといえば事務官や整備官等の後方支援部の隊員の多い午後の食堂で、そうのんびり呟きながら赫ノ助は目の前にある『本日のカレー』をスプーンですくっては口に運んでいた。


「んだよ、白いの。自分が狙撃手だってこと忘れてんじゃねーの? 毎日毎日あんな脳みそ筋肉ダルマみたいな野郎に囲まれてちゃーよ」

「いやぁ、多分ほら。こないだのカルヤラの輸送機撃墜の時にさ、泳げなかったり……色々スロなりに気にしてるんだって」


 はぁ? だの何だの、口悪くこちらを睨んでいるのは、同じテーブルで食事をしているバスク・アインホルンである。特徴のある真っ赤な義眼でわかるように、電動車椅子に乗っているその全身はほぼ機械化されており、身体の成長自体は十代のままストップしている少年だ。

 立場上はこの師団の監視下に置かれている捕虜だが、現在は自分自身では武器すら取れぬ状態にあり、また彼の機械化された身体の整備の担当やリハビリを陸軍部所属の人員が任されているため、その繋がりでよく話すようになっていた。

 バスクもまた、赫ノ助の同期である不破直にこちら側へ引っ張り込まれるようにして、生きる道を選び……やってきてしまった経緯があったりする。今や、共通の友人のいる知人……のような立場だ。


「ていうか。アンタ訓練終わったのはわかるけど、いつもこっちに来てていいの? 部隊は?」

「うん、大丈夫ー。なんつーか、ほら。俺ちょっとまだ第4に居づらいしさ。飯も落ち着いて食いたいし」

「ハブられてんじゃん」

「違うってー。俺なんか苦手なの、いや、ほら凄いよ皆。尊敬もしてる。でも、何つーかさ、ほら、激アツじゃんあの人達……」

「はいはい、アンタが直と違ってビビりで、なかなかあの輪に入りきれない奴ってのは重々承知の上よ」


 目の前に座る女性隊員は、そう呆れたように呟きながら、同じようにカレーを口に運んでいる。先ほどまでは、その真横に並んでいるボウルに盛られたカレーを隣に座るバスクに食べさせていたので、一見すれば二人前を平らげているようにも見えなくはない。


「ていうかさー、いっつも疑問なんだけど。おんなじ部屋にいて、あんだけ仲良くって、スナオとは何もなかったの?」

「何も……って?」

「いや、ほらぁ。恋愛とかさぁ」

「……なると思う? 直だぜ?」


 今度はこちらが心底呆れた表情を返す番だった。

 しかし、女性隊員——同じく直の友人であり、バスクの整備官でもあるノーラ・ヴァロは、それにも負けずに「何言ってんの」と強気な言葉を返してくる。


「カク、スナオのことさりげなく自慢する口調でいつも喋ってるの、全然自覚ない?」

「いやぁ、アイツは確かにすごいんだけど。そうじゃなくってさぁ」


 はぁーと盛大にため息をついて、赫ノ助はスプーンを降ろす。ノーラとしては、もし無自覚なら焚き付けてやろうという魂胆での発言だったのだが、どうしたことか。その表情を窺う限り、これは本当に見立てが違ったらしい。


「なんつーか、友達って一番大事じゃん。直と蒼一はさ、向こうがどう思ってるかは知らないけど……もうなんていうか、兄弟? うん、そんな感じ、めっちゃ大事すぎてそういう好き飛び越えてる」

「え、何なのアンタ。チャラそうに見えるのに」

「うん、何つーの、ほら。カワイイ女の子とはお近づきになりたいんだけどね」


 そう言いながら、こんな食堂の隅っこで一人の整備官と機械少年と共にカレーをつついているとは、一体どういったことか。

 誰か食事にでも誘えば、九割前後の高確率でイケるだろうに。そう暗に視線で訴えながら、ノーラはもう一口パクリとカレーを口に入れた。


「だって勿体無いじゃん、あんないい友達をさ、そんな目で見れないよ」


 その女友達の部分に、しれっとノーラを含めていることに気づいていないのか。言いながら机に突っ伏しそうになる赫ノ助は、実のところ男所帯の飢えた男達の会話についていけなくて避難してきている部分もある。

 むさ苦しい、いかにもな陸上の戦車部隊の中で、アジア人離れした少し細身の長身と色素の薄い髪と瞳、ちょっとだけ甘いマスクは、この弱気な一面さえなければ正直ごまんと釣れる女性隊員はいるであろうに。

 内心そう思いながら、ノーラはバスクと目を合わせてはやれやれと肩を落とす仕草をした。


「アンタさ、今までの彼女に言われた言葉、当ててあげよっか?」

「えっ、何?」

「「なんか違った」あと「私と友達、どっちが大事なの?」じゃない? あってる?」

「すげー、何、俺そんな感じに見えるの」

「もう丸わかり、バレバレよ」


 はいはい、とノーラは別段赫ノ助のペースに合わせるまでもなく、さっさと自分の分の食事を食べ進めている。

 女性隊員ながら男女共に交流の幅広い彼女は、こういうところは割とさっぱりしている。だからこそ、直とも仲良くなり、おかげで赫ノ助がこうして繋がって、自身の逃げ場のようにやって来れるというのもあるのだが。


「アンタ、確かに優しいけど弱虫なのよ。今の時代、女子の方がしたたかよ。優しいだけの男は顔が良くってもちょっとねー」

「ううっ、さすが北欧の女は歯に衣着せませんね……」

「はい、じゃあアタシ食べ終わったし行くね」

「えーっ、ノーラちょっと冷たくない?」


 しれっと女友達枠に連ねといて、その言い草は何なのか。

 別に部隊が落ち着かないことも、繊細な所も理解はしているつもりだし、ぶっちゃけ豪快なクセに人の事はよく見ている大佐に「アイツはしばらく落ち着かんだろうから、話でも聞いてやってくれ」と頼まれている部分もある。こうやって昼食を一緒にとる事だって、やぶさかじゃない。だけど——。


「カク、アンタも護りたい人なり何なり、つくった方が成長するのかもねー」


 アラヤ伍長はノーラとよく一緒にいるよね。そんな噂が一人歩きされたら、後々動きづらいのは赫ノ助自身だ。正直バスクはいつも一緒だし、たまにここにスロが加わる事だってあるのに。女性というのはどうにも噂話が好きらしい。

「また明日ぁ」と告げて、トレーを片づける為に立ち上がればそれ以上は食い下がってはこない。


「アイツ、なんであんな感じなんだろな」


 すぐ後ろを電動車椅子で着いてきているバスクが、少し小さな声でノーラに語りかける。


「そうなのよね、能力値だけ見れば凄い逸材なのに。メンタルのブレが……」

「そうじゃねーよ」


 強い反論の口調に、ノーラはその大きな目を更に丸くして振り返った。


「何が?」

「アイツ、自分がどこにも「絶対に必要とされないように」振る舞ってる感じがする……」

「ふぅん」


 こういう事には、きっとバスクの方が感覚が近いのだろう。しかし考えたところで、実際のところは赫ノ助自身の問題だ。

 きっと暴き出せば彼の殻を破るきっかけにはなるだろうが、何かが隠され——踏み込んではいけない領域にも感じて。


 ノーラはいつの間にかトレーを返して自分達とは反対側の通路へと歩き出していた赫ノ助の背を一瞥して、車椅子のグリップを持ち、研究室の方へと歩き出すのだった。

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