閑話 照り焼き
※ KAC2022 お題 : 焼き鳥 に間に合わなかった番外編を加筆修正しております。
あの兄にして、この父あり——!!!
『
「父さんこそ」
遠く離れた祖国にいる実の父親とは、月に一度か二度、画面上で会話をするのみだ。自分ももう二十八を過ぎたところだし、十代の頃から学校や軍務で家を離れていることは多々あった。今更、別に父が恋しいなどとさほど思うことはない。
弘の父は祖国では同じ軍に所属する大幹部。言うなれば陸軍の総括をするようなトップである。その父に倣いエリート街道をまっしぐら! と誰もが思った長男坊は「俺、指揮官やるより一分一秒でも戦場に立って自分がやれることをしたい」と出世コースは早々に離脱し、身一つで戦場を駆け抜けた叩き上げだ。
その弘は今、遠く離れた北欧の地に、民間人の避難輸送という名目の元、自身も半移住生活である。
軍部で会えば父と子の顔など一切見せぬ鬼のような上官だが、こうして近況報告をするようになってから、昔のような表情を見せることもある父がなんだかこそばゆい。
「今夜は焼き鳥?」
『ああ、たまにはいいかと思ってな』
『もう〜そんな事言って、貴方会談のあとでも飲んでるでしょう?』
母のお小言と共に、画面上の父の手元に少しゆがんだ焼き物のカップが置かれた。
確か、妹が中学生の時に授業で作ったものだったはずだ。高級な食器やグラスなどいくらでも持てるはずの父が、未だにこのカップを晩酌に使うのを見て「血は争えないのかもなー」などと弘は他人事のように思う。
『ところで弘、
「直は今ね、大好きな分隊長と一緒に訓練中。もう二人の世界って感じ」
予想通りの問いかけにふて腐れたように返せば、画面の向こうから豪快な笑い声が聞こえた。
「なんだよぉ、だってさ、俺じゃお荷物なんだ。特にあの二人の戦闘機の訓練なんて」
『だから陸軍に入れとあれほど』
「それは断る」
『お前も頑固だな』
「父さん、だって……直が可愛いんだ」
画面の向こうの父が、呆れたように串についたままの肉をもしゃりと頬張っている。豪快ながらも、貫禄のある口髭に一切タレがつかないように食べる姿はまあ一国の軍部の代表としても非常に品が良く、そういうところも内心尊敬はしている。
いっぱしの軍人として、兄の心配を他所に圧倒的な戦力の一つとして自分の居場所を部隊に確立している妹については、色々と本音が溢れそうな弘は話題を変えようと試みる。
「いいなぁ、
『照り焼き、は日ノ元の素晴らしい味の文化だからな。よし、今度真空パックでも送ってやろう、皆で食べなさい』
「ああ、そう言えば。前に送ってくれた甘味もありがとう。部隊の皆で美味しくいただいたよ。直も凄く喜んでた」
『そうかそうか、ちなみに直はどれが一番好きだったか? どんな反応をしていた? また送ってやろう』
ニコニコと酒を飲み始めた父に、弘ははぁとため息をつく。
「いや、それが。直なんてもう嬉しそうにさ、いの一番に分隊長に団子をあーんしに」
昔は一番に「お兄ちゃんにあげるー」だったのになぁとぼやく弘の耳に、何かがひしゃげるような音が響いた。
めきょっ。
『なん……だと?』
画面越しの父は、カップは握りつぶさず焼き鳥の串だけを器用に折っていた。
『直ちゃんが。ウチの直ちゃんが男に、それも上官にあーんだと? 弘、その……分隊長とやらは強いのか?』
「うーん、まぁ。俺と同じくらい」
『……会わせなさい』
「は?」
画面の向こうでは母が「もう貴方、室温が上がっていますよ。お花が枯れちゃうじゃない」などとのんびりのたまっていて、この人じゃないと父さんと結婚なんかしなかっただろうなぁと再び他人事のように思う。
「いや、急に何言って」
『直が選んだ男だろう? 父として面通ししておく必要があると感じたのだが』
で? 今彼は訓練中か? 有無を言わさぬ父の言葉に、弘は肩を落としつつも端末を持って小隊室を後にするのだった。
***
ルードルマンは内心冷や汗をかいていた。
飛行訓練から戻ってみれば、同分隊の弘が必死の形相で端末を持って待ち伏せていたのだ。聞けば、彼の妹であり自分の部下である直を預かる身として、父親が話したいと画面の向こうで言って聞かないという。
「おおっ、父上! 私もお話ししたいです!」
隣では元気に小さな部下兼バディの不破直が声を上げているが、こちらとしては「そうか、貴様でも父が恋しいのか」なんて微笑む余裕もなく、正直言えば気が気ではない。
なにせ彼女の父は同盟国でもある東国、日ノ元帝国の陸軍大将、謂わば国家を代表する大幹部である。息子である弘の強さを見れば、父がどれほどのものかは想像に難くない。
自分がこれまでに直を散々ブン殴った件については弁明の余地もないが、それで国家間の歪にでも発展すれば一大事だ。眉間のシワをガードナーに指摘され、深呼吸をし、もはや尋問に赴く面持ちで彼は弘の手元にある端末上の御仁と対面することになった。
「お初にお目にかかりますフワ大将閣下。スカンディナヴィア諸島連合軍第13師団第8中隊所属、ヴォルケ・ウルフリッヒ・ルードルマンです。階級は少尉で、ご子息のヒロシ曹長及び、ご息女の」
『なんだ、魔王と言う割には前置きが長ったらしいな、真面目かね?』
その声音に、腹の底に何か抑え込んでいるのを即座に感じ取り、その圧力に咄嗟に目を伏せかけたものの、ルードルマンは敬礼している背筋をさらに伸ばす。
「……失礼いたしました。然し、初対面でありますからご挨拶をと」
『ほう……私に挨拶をしたいと言うのかねキミは。しかも正装ではなく飛行服でか』
「はい! その通りであります! 服装については、訓練後の火急の呼び出しと判断し、飛行服のままで参りました。ご無礼をお詫びいたします」
なんだこれはイヤに絡まれてないか……とも思いつつ、長年の軍隊生活で染み付いてきた即答イエスオアノーで返すルードルマン。
カタリ、と画面の向こうで音がした。
『挨拶! 挨拶だと! 貴様よくもいけしゃあしゃあと』
『……あら、貴方。せっかく入れたお茶が溢れてしまいますよ』
何故だか立ち上がった不破大将の後ろに地獄の業火が視えたような気もしたが……。おそらく兄妹の母親だろう、女性の声に反応して一旦それが鎮火されたらしい。
『ごほん、すまない。冷静な話といこうではないかルードルマンくん』
「はっ」
『敬礼をとけ。俺はキミと男と男の話をしてるんだ』
「……?」
確かに会話はしてるし自分も大将も男ではある。いまいち話の流れが掴めずにいるものの、ルードルマンは言われるがまま敬礼を解いた。
『単刀直入に言おう。キミはウチの直をどう思っている?』
「優秀な部下です」
『建前はよろしい。先ほど言ったろう、男と男の話だと。今は私はただの直の父親だ』
「……自分にはなくてはならない存在と思っております。むしろ、フワ二等軍曹なしでは不完全に近いかと」
なんだこれは、尋問じゃないか。
流石に大将との会話ということで待機室で皆の前で話すわけにもいかず、小隊室へときたものの。デスクの向こう側に座るハートマンの肩がこれ見よがしに震えていて、なんだか癪に触る。
優秀な部下、という発言にそう返されてはしっかりと言葉を選んで褒める必要があるのだろう、そう思って返した発言に何故か変な空気感を醸し出されてしまい戸惑う。
画面の向こうから、やけに重いため息が聞こえ、ルードルマンは即座に意識を呼び戻した。
『そうか……。キミ、直の隣に立つ覚悟はできているのかね?』
「覚悟など、とうにできております。なければ側には置きません」
んぐっ、とハートマンが机に突っ伏しながら変な声を出した。
なんだ? 覚悟がなければ部下の命を預かってまで爆撃なんぞしないというのに。俺はおかしいことは言ってないはずだ。
そう一人で納得したものの、小隊長デスクに座るバルクホーンをちらりと横目で窺えば、何故か彼まで頭を抱えている。後ろを振り返ることはできないが、ガードナーや弘も固まっているのだろうか……あまりにも静かすぎる。
『どんな困難があろうとも、直を守り抜けると誓えるか』
「軍人という立場上、お約束はできませんが、自分のできうること全てかけてでも」
『誓えないのか?』
「自分が死ぬようなことがあれば、その時は彼女も一緒かもしれません。しかし自分が生きている限りは、全身全霊をかけて守りたいと思っております」
『んんんっ……ちなみにキミ、まさか娘に手を出したりは』
「……言い訳はしません。それについてはどんな責任でも取るつもりです」
『な、なんだと!? もうそこまで!』
ブハッ! とハートマンが堪えきれずに噴き出すのが見えた。バルクホーンに至っては完全に机に突っ伏してしまっている。なんだ、何がおかしい。仕方ないだろ、殴ったことがあるのは事実でしかない。
何事かと深刻な表情で考え込んでいる大将を画面越しに見つめる。なんだか疲れてきた……。守るとか守らんとか、この家族は全体的にどうも熱すぎるんじゃないだろうか。
「もう父上! 少尉どのが困っておるでしょう!」
「おい、貴様、上官の話に割って入るなと常々っ……!!」
ぷりぷりと頰を膨らませた直が唐突に割って入ってきて、すんでのところでルードルマンは握った拳骨を下ろす。仮にも陸軍大将との会話中とはいえ、父親の目の前で鉄拳制裁を喰らわせては、これまでの会話に注いだ気遣いが無駄になってしまう。せめて処分があるのなら自分一人で済ませたい。
躊躇した隙をつき、直がぐいとルードルマンを押しのけて端末の前に躍り出た。
「少尉どのは私がお護りするんです! そう誓ったのです! 私が墜ちようとも必ずや少尉どのの命は」
「だからっ! それは許さんと言っただろうが!」
「ああっ!? 自分は死ぬときはとか言っておきながらなんです? 言ったでしょう、ずっとお側を飛びますと」
「アホか! あれはものの例えだ! 俺が墜ちて貴様より先に死んでたまるか」
「言いましたね? 言いましたねー? 絶対ですよ、約束ですよ? 嘘ついたら針を千本飲まねばならんのですよっ」
「貴様こそ! 次に自分の命を投げ出すような戦法を選ぶことは絶対に許さんぞ。俺を護るという名目なぞ言語道断だ」
ごほんっ、という咳払いの音で我に返る。
しまった。顔面をぐいぐい押しのけられながらの会話で、色々と口走ってしまったのを思い出してルードルマンは固まる。
『直は、キミと話すときにそんなに生き生きとしているんだな……』
「……閣下、取り乱してしまい大変申し訳ありません。しかし」
「でしょうっ! だって父上、少尉どのはとても素晴らしいパイロットなのです。一緒に飛べて、こうやって日々を過ごせて、私はとても幸せなのです」
「……だから俺の話を遮るなといつもっ」
「心配は無用ですよ父上っ。そげんプレッシャーかけんでも、兄上もおりますし、何よりこの中隊の皆様は素晴らしい方々ばかりです。戦況は過酷な時もあれど、私は今この状況に満足し励んでおります。ですから父上の方こそお身体に」
『……わかった』
急に厳かな雰囲気になった父に、直も一瞬固まった。
『認めよう。キミが心の内では熱く、うちの娘を大切にしてくれていることはなんとなくだが伝わった。何より、どうもうちの娘がキミの側に居たいらしい』
「は、はぁ……」
一体何を認められたんだろう。軍人としての覚悟だろうか。
いまいち要点の掴めないルードルマンは、ついつい固い返しを忘れて声を洩す。
「俺はっ、認めんっ!!!」
瞬時に部屋の中がサウナのような温度に跳ね上がり、「ちょっとヒロシさんっ!」とハートマンの声が響く。
「父さんが許しても俺が絶対に許さん、うちの可愛い可愛い直をっ、その……あの、およめになん」
『弘、冷静になれ。確かに直は可愛い、それは全肯定するし同意しよう。しかし……あのな、世間一般的に言えば、直ちゃんは……その、ちょーっと男勝りが過ぎるかなぁって』
「で、でもっ……!」
『考えてもみろ。普通に考えて、この子を貰ってくれる男はそうそうおらん。訓練校での武勇伝の数々……デストロイヤーなんて呼ばれる始末、正直お父さんは心配でたまらないんだ! むしろそんな直と一緒にいたいだなんて奇怪な男が、お前と同じくらい強いのなら父さんは』
「ダメです……っ! 俺の宝をそんな急に、しかも手ェ出しただぁ!? 貴様いつのまに! 見損なったぞ!!」
「……なんでだ、お前もその場にいただろう?」
「はぁっ!? 信じられない! まさか分隊部屋で!? このクソ野郎が」
さすがに一触即発の空気を感じ取ってか、全力で振り切った弘の拳を受け止め、バルクホーンが仲裁に入った。
「落ち着け、さすがに笑えなくなってきたんでそろそろいいかな?」
「す、すみません中尉」
『キミは……?』
ハートマンは必死に弘を抑え、直は代わりに拳を受け止めようと飛び出してきたところだった。ガードナーは自分の姿が不破大将に見えていないことをいいことに、肩を震わせて笑っている。
「失礼いたします、フワ大将閣下。自分は彼らの上官のシルト・バルクホーンです。大変申し訳ないのですが、閣下とルードルマンの会話に物凄い食い違いがございますので訂正をさせていただきたく……」
***
『はっはっは!! そうかそうか! いやぁなんという勘違いだ』
「たいっへん! 失礼いたしました!!」
事の顛末——。
つまりはルードルマンは部下として、人としての直の事を答えていたにも関わらず、父の方は娘が上官と付き合っていると勘違いしての問答だったという事で、なんとか誤解も解けその場は収まり、小隊室は爆発炎上せずに済んだところだ。
もう色々といたたまれなくなったルードルマンは下げた頭が上がらないままで、不破大将はその場を収めたバルクホーンの気概に感心しきり。母は母で弘に小言を言いつつも、その弘を抑えに突然登場したハートマンの美しさに驚いているらしい。
「ガードナー、気づいてたか?」
「ええ、もうそれは序盤の序盤に、ね」
「気づいていたのなら早く言え」
下げた頭のまま、隣に佇む補佐に声をかければ、これまたしれっとした口調で返される始末だ。
「いやぁ、私がお話に割って入るわけにいきませんし、どこまで話が飛躍するのかなぁと。それに……一度くらい貴方はヒロシさんにブン殴られとくべきだと思いますよ」
この先のことを考えたらねぇ。そう独り言ちるガードナーの言葉に再び疑問が湧いてきたが、もうそれに対して問いただす気力はルードルマンにはなかった。
渦中の直に関しては、こちらも全く理解してなかったらしく「もう! 父上も兄上も勘違いも甚だしいですぞ!」と少々ご立腹だ。
「シュヴァルべにとって貴方は、そんな無粋な質問されずとも一緒にいたい尊敬する上官らしいですよ。寧ろ大好きな上官になんと失礼な……とお怒りのようです」
「フォローせんでいい……」
危うく鷹が、不破大将の手元にある焼き鳥のように消し炭になるところだったとは、後日軽口を叩いてきたハートマンの談である。
『そのうちキミとは直接会うことになりそうだな』と最後に残して通信を切った部下の父親であり他国の大幹部の言葉を反芻しては、どうかそんな日が来ないことを心の底から願うルードルマンであった。
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