閑話 跳べヒロシ

 番外編に掲載していたパロディものです。

 なぜ彼は地獄の鬼軍曹と呼ばれていたのか……本編の始まる数年前のお話になります。




 ***




 弘は激昂した。必ず、このゲリラ戦を制し、妹の生誕日に間に合わねばならぬと決意した。時差の事はすっかり抜け落ちていた、けれども愛する妹の事に関しては、人一倍に敏感であった。


 弘には戦況がわからぬ。弘は一介の軍人である。

 父は陸軍中将、大幹部。しかし弘は安泰なレールの上を歩く気は毛頭なかった。親のコネは退け、実力のみで訓練高校からの入隊を果たし、昇任し、前線任務に赴いていた。


 きょう未明、日ノ元帝国陸軍軍曹である弘は、分隊長として水際作戦の任を言い渡された。

 野を越え山を越え、海も越えて、豪州との中継地として主要飛行場のあるナンダカンダ島にやってきた。迫り来る合衆国軍より、この地を一秒でも長く死守せよとの命である。

 ふと隣を見れば、憔悴しきった様子で胸ポケットから取り出した写真を眺める部下の姿が。


「どうした? そんな顔をして」

「す、すみません不破ふわ軍曹、つい。こんな圧倒的な兵力差、最後に妻子に会いたいなと思ってしまい」


 上官に見つかれば何を弱気な! それでも帝國軍人か! と鞭打ちにでも合いそうな発言である。しかし弘は微笑み、兵の肩にしっかりとした意志を込めて手を置いた。

 

「心配ない。この作戦を成功させれば、我々は第三陣と交代し本國ほんごくへの帰還命令が出ている。必ずや防衛し、皆で家族の元へ帰ろうではないか」

「不破軍曹……」


 にっこりと力強く微笑む弘。彼もまたその胸ポケットから一枚の写真を出し、眺める。


「お子さんですか?」

「……いや、妹だ。可愛いだろう?」


 写真には少し弘に似て目鼻立ちのはっきりした、おかっぱ頭の小さな女の子が写っている。勝気そうだが、カメラの方を見て笑う表情は存外可愛らしい。


「かわいい、だろう?」

「はっ! はい! 非常に可愛らしい妹さんですね!」


 念を押すように、しっかりとした圧を感じるその言葉に、兵は思わず背筋を伸ばして答えた。


 弘は男盛りの二十二歳。女房はないが、目に入れても痛くないほどに可愛がっている七つ下の妹がいる。

 この妹は誕生日も間近なのである。日ノ元の中学は四年制、秋冬と過ぎれば妹も高校生となり、実家から寮へと移ってしまう。

 前線へ送られる身故、国家防衛のためには致し方ないと思っているが、正直言えば妹の側は一秒たりとも離れたくない。父の言いつけと「あまり目立つことをせずに隊としての行動を」という上層部からのお小言により、分隊長となった今も弘はさほど我を出すことはなかった。


 合衆国軍による砲撃が開始され、帝國軍は予想外の戦力差に苦戦、撤退を余儀なくされる。

 そこで言い渡されたのは洞窟への籠城と、敵軍を引きつけてからの攻撃、更には本国からの空爆を待つというものであった。



「俺たちに囮になって犬死しろと言うんですか!?」


 弘は激怒した。その頰を張ろうとした上官の腕をがしりと掴む。


「幾ら出自がご立派だろうと、今は一兵の身分だ不破、口を慎め」

「命が惜しいわけではありません。ここにいる皆、国の家族の為に闘っています。生きて帰る希望があるにも関わらず、おめおめとこんな捨て鉢な作戦、誰が納得できますか? これじゃあ昔の戦争と何にも変わらない!」

「上層部の決定に口出しをするな、お前一人で何ができると言うのだ! 作戦は明早朝八月一日、時刻は0200マルフタマルマル、夜の闇に紛れて一気に叩け」


 えっ——?


 弘は停止した。


「すみません、本日は七月三十一日でありますでしょうか?」

「……そうだが? どうした不破、恐怖のあまり数字も数えられなくなったか?」

「明日は妹が実家にいる最後の誕生日です! こんなことしちゃいられない!!」


 弘は激昂した。必ず、このゲリラ戦を制し、妹の生誕日に間に合わねばならぬと決意した。


「待て不破! お前一体何を」

「いやもう大人しく一兵でいようと思ったけど無理! 無理無理! こんなのさっさと片付けて俺は帰ります! なんでこの程度で撤退しなきゃいけないんですか! みんなのペースに合わせて一緒にゴール♪ とか俺ほんとは無理なんですよ!」

「……おま、え。一体何……を」

「取り敢えず駆逐してくるんで問題はないはずです、いいでしょう? 一掃しますんで。とにかく帰りの輸送機の手配を頼みます。……あっ、ちなみに日ノ元との時差は」

「二時間です!」


 視線を投げかけられた部下が咄嗟に口を開いた。


「二時間? そりゃいかん、帝國に帰るまでにかかる時間は?」

「……九時間ほどです」


 弘は激怒した。時差の事はすっかり抜け落ちていた、けれども愛する妹の事に関しては、人一倍に敏感であった。


「……作戦開始は数刻後です」


 聞いて、弘は激怒した。


「妹の誕生日に間に合わん、俺は出る」


 弘は、単純な男であった。




 無人島中央の洞窟まで押し戻されていた帝國軍の戦況は、一気に逆転した。

 それはもはや鬼神の如き闘いぶり。両手に手榴弾、全身に巻きつけた手榴弾、巻き上がった粉塵は全て彼の周りで炎を纏った石飛礫いしつぶてとなり、銃弾さながら敵兵に襲いかかる。辺り一面は火の海と化した。

 ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、向かう銃弾は炎で溶かし、飛んでくる砲撃はグーパンで薙ぐ。

 あまりの恐怖に逃げ惑う敵兵。


「いいかァ貴様ら!!! 俺の大事なモンはァ! 一にすなお、二に直、三四が直で、五に直だぁぁぁぁぁあああああ!!!!」


(……全部、妹じゃねーか!!!)


 直とは、弘の妹の名である。

 敵も味方も近づけないその姿はまさに地獄の閻魔大王。


「敵軍、一斉に撤退を開始!」

「ッシャァァアアアアアアッッ!!!!」


 見事なスタンディング! ただの破壊神! 蹂躙し尽くした大怪獣の咆哮だ!


「不破軍曹! まずいです! 合衆国のB-29が!!」

「なにっ!? 小癪こしゃくな!」


 この島を死守し、殲滅しないと祖国に帰れない!


 一応、弘は責任感のある軍人であった。

 弘は引っこ抜いた。そこにあった大木を。


「どっせぇぇぇぇぇえええい!!!!」


 叫び投擲した。大木を。


「命中しました! B−29炎上! 墜落します!」


 ずォん——。


「えっ? あの、不破ぐんそ、う?」

「ええい! 小賢しいわ! 俺が直接行く!」


 戦火で折れた特に巨大な大木を担ぎ、再び投擲。


「あとは頼んだ! ……説教は帝國にて聞きますので、お先に失礼致しますッッ」


 物凄い勢いで投擲した大木に、飛び乗ると弘は上空彼方へと消えていった。


「……いや、もうなんて報告したらいいんだよアレ」

「自分、早く家族に会って日常を味わいたいです……」


 通信機を手にした部隊員は、空の彼方に響く轟音を唖然とした表情で聞くだけであった。



 投擲した大木で一機、そのまま飛び移りながらグーパンでもう一機。さらに素手でもう一機。

 天下のボー○ング社も真っ青である。


「ハーロォ! 悪いようにはせん! 航路を日ノ元へ向けろ、全速力だ!」


 外装をこじ開け侵入してくるその姿はもはやヴィラン。


 合衆国兵は神に祈った。

 どうか、どうかこの悪夢からお助けください。

 ああ、神よ、どうか……。


「えくすきゅーずみー!!!!??」


 ああ神よ! なんたる仕打ちでしょうか!?

 今日は人生最悪の日だ!!!!


「どうしたの!? 泡なんて吹いちゃって? 大変だねぇ! まあまあ、汝の敵を愛せよって言うじゃない? ちょっくら祖国まで頼むよ、ね?」


 副操縦士が気絶した恐怖の中、操縦士は死の恐怖と闘い続けた。

 乱気流は、彼の叫びをせせら笑うかの如く、ますます激しく躍り狂う。


「大丈夫? 俺手伝うよ?」

「Have you ever manipulated the Superfortress before!?」

「えっ? なんて? とりあえず尾翼もいで爆発させるね!」


 ドォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!!!


 Why Japanese crazy guy——!!!!!!

 


 ロケット噴射の如く、後方で勢いよく爆発し点火した部品。

 その勢いと共に、最大速度はゆうに越え、弘は祖国を目指す。


 なんのこれしきと掻かきわけ掻きわけ、獅子奮迅の弘の姿に、神も恐れをなしたか。はたまた哀れと思ったか、ついに憐愍れんびんを垂れてくれた。

 ……操縦士は安堵の表情で気絶した。


「むっ、いかん。これでは親切にしてくれた彼らが捕虜になってしまうな」


 弘は操縦士と副操縦士、二名のパラシュートを設置し丁寧に機外へと放り出した。うめくような声が、風と共に聞こえた気がする。


 弘は飛んだ、速度を上げて。

 太陽がいずるよりも速く。

 追撃のミサイルよりも速く。

 弘は生まれた時から正直な男であった。

 黒い風になり、全てを吹き飛ばし、弘は飛んだ。


 敵の最先端ミサイルと勘違いした祖国からの迎撃も、全て屠った。


 ああ、何と月の綺麗な夜だろう。


「月が、綺麗だね直」


 ……妹は横には居ない。


 轟々と機体が燃え盛る。

 気がつけば辺りは本当に黒い塊だらけに。


「あっ、やべ」


 はたと目を見開けば、実家がそこにあった。


「土産を何も用意しとらん」


 ……そうじゃない。


 ドォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンッッ!!!

 

 ドガッシャァアアアアアアンンン!!!!!!!



「弘坊ちゃん!?」「ヒロシッッ!?」

「どうしたの弘!?」


 運よく広大な庭に落下し、轟々と燃え盛る残骸の中から火の玉ボーイの如く出てきた嫡男に、両親も使用人も口をあんぐり開け、目をひん剥いている。

 通りの方からは叫び声と、消防車の音も聞こえてきたような気がするが、そんなことは知ったこっちゃない。


「ひろにい! どうしたのです?」


 可愛いかわいい声がする。


「わぁ! お誕生日おめでとうすなお! お兄ちゃん、一目散に帰ってきたよ!」


 駆け寄ってきた妹がピタリ、と止まった。

 あれ? どうして? 抱っこさせてくれないの?

 もう、さすが中学四年生、おませさんだなぁ〜。お兄ちゃん、そんなの気にしないんだから。ほぉら、お兄ちゃんの胸に飛び込んでおいで。


 だけどもしかし、妹はプルプルと震えて一向にこちらへやってこない。

 弘は動揺した。


 一人の使用人が、緋色の外套を弘に捧げた。弘はまごついた。どうしよう、妹が何だか頬を膨らませてぷりぷりしている。かわいい、怒ってもかわいい、でもどうして? 怒らせるようなことは何も……。


 佳き父は、気をきかせて教えてやった。


「弘、お前まっぱだかじゃないか。早くその外套を着なさい、いやそれよりもこの騒ぎは一体全体……」

「わわわっ、ごめん、全然気付かなくって。あとほら、今日は直の誕生日……」


 ぷぅーっと妹の顔がさらに膨れた。

 えっ、何、どうしたの? 俺なんかマズッた? えっ??


弘兄ひろにい、本日は七月三十一日です。無事帰還された事も、会いにきてくれたのもとても嬉しいのですが……そのためにこんな大災害を?」


 地獄の鬼軍曹は、ひどく赤面した。

 時差の事はすっかり抜け落ちていた、けれども愛する妹の事に関しては、人一倍に敏感であった。

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