2−26 坦懐タル空。

 果てのない夜空の中を、ジェットエンジンの音も、プロペラ音もなくその物体は飛翔した。スピードは戦闘機のそれよりも、一番懸念のあったミサイルへの誤認識のそれと比べても、随分と緩やかだ。

 比べても——であって、斜面を滑り降りた勢いそのまま空へと飛び出したのだから当然ある程度のスピードはある。木々も大地も遥か下にあり、傷んだ足でこの距離を走り抜けようと思っていたことが、今や冗談のようにルードルマンには感じられていた。


 眼下にはカルヤラの大地と木々が見え、頭上には雲ひとつない星空。


「きれい……」

「やったなスロ! 今度は万全の体制で観に行こう」

「ん」


 嬉しそうに頷いたスロは小さく、カルヤラの言葉で大地の女神に祈りを捧げた。直もルードルマンも、何と言っているのかはさっぱり理解できなかったが、それでもスロの表情を見ればどんな感情を抱いているのかくらいは流石にわかる。

 仲良くキャッキャと言い合う部下を見て少し肩の力を抜きつつも、周囲の空気の変化は見逃すまいとルードルマンは気を張り続けていた。


 そして、滞空時間が2-3分を過ぎた頃だろうか、遠くから空気を裂くような音が響いてきた。


「やはりな……」


 連邦もバカばかりではないし、自分達の所属する連合軍だって間抜けではない。


 国境付近を飛翔物体が通過していたら哨戒部隊が出るか、迎撃の対空砲が向けられるはずだ。


 ドンッ、ドォオオン!!! という音を立てて、背後から向かってきた地対空ミサイルをルードルマンは振り返りもせずに文字通り地に叩き落とした。


「さすがっ! 少尉どの!」

「シュヴァルべ! 貴様はもう少し大人しくできんのかっ」


 テンション高く声を張り上げる部下は、もう平時のテンションそのものだ。体調を崩して眠りこけていた時の方がまだ数倍可愛らしかったものを、と呆れを含んだ表情で睨めば、満面の笑みが自分の方に向けられていた。


「これだけ目立つんです、連邦の貴重な資源、全てはたき落としてやりましょう」


 立ち上がった直の足を、まだ倒木に座った体勢でいたスロがぎゅっと掴んで固定する。星座観測、遊覧飛行と銘打っておきながら、起きる事態をも予測済みだったというのが……流石と言えば流石だが全くもって可愛くない。


「国境付近でそんな目立つことして……知らんぞ」


 知らんぞ、とは口にしたものの、何をしたいかは明白であった。そもそもコイツは初めて会った時からそうだ、やられっぱなしが好きじゃない性分なのは重々に承知している。

 素っ気ない言い方を心がけているものの、やはり口元が少し緩んでいるのはルードルマン自身も気付いていない。


「おまかせあれっ!!」


 すぅっと息を吸い、天上へとその掌を掲げる。

 雲ひとつない星空だ。その中から誰がこんな恐ろしい鉄槌が振り下ろされると想像しただろうか。


「喰らいやがれ……ッッ!!」


 響く銅鑼の音。視認した全てのミサイル、はるか後方に設置された地対空ミサイルの設置ポイント。スロがのんびり「そこ」と指摘した箇所に、寸分の狂いもなく紫色をした稲光が襲い掛かった。


 申し訳ないと思いつつ、連合軍から発射された迎撃用ミサイルも全てはたき落す。


 瞬間、全ての音が止んだ。

 いや、稲妻の音に全てが掻き消されたというべきだろうか。


「今の一発で、兄上やユカライネン大尉なら我々の生存を察していただけることでしょう」


 にかっと笑うその表情は、自らが選択した命の綱渡りなどまるで気にも止めていないかのようだ。空の中を行くというのは、それだけで直に力を与えているかのようである。


「まったく——っ」


 言いながら、遥か後方から勢いよく飛翔してくる物体ミサイルをルードルマンは視認した瞬間に大地へと墜としていく。


「ふたり、そっくり」


 のんびりと周囲の空を確認しながら、ぼそりとスロがそう呟く。

 あとはもう、単なる遠隔操作の弾頭程度の相手であれば、ノリにノッてしまったこの二人にかかれば造作もないことだった。

 なかなか撃ち落とせない彼らに苛立ったのか、後方からジェットエンジンを搭載した戦闘機の翼が雲を裂く音が響いてくる。国境までは残りあと僅か——。


「シュヴァルべ! いけるか?」

「あたぼうよっっ!!」


 目を爛々と輝かせ、飛翔する倒木の上で二人が構えたその瞬間——。


『ウィーッス。相変わらず仲良しなこった、おふたりさんよォ。取り敢えずフサフサの頭髪を頭蓋骨ごと禿げ上がらせたくなけりゃ、大人しくそこに伏せとくんだな!!』


 通信機もインカムも持ち合わせていないというのに、耳元でそう声がした。


「なっ……!?」咄嗟のことに驚きを隠せない直の襟首を、瞬時に掴んだルードルマンが伏せるように防御の体勢をとる。

 コンマ数秒の差で機銃の掃射が頭上を掠め、後方から炎と爆煙が上がった。爆風に煽られ、自分達も倒木ごと空の中に押し出されていく。


『くけけけっ、連合空軍一の哨戒部隊、ナメんじゃねーっての。ウチのカワイイ後輩ちゃんに銃を向けた罪はでけーかんな』

「ディー曹長!?」


 耳元で響いた特徴ある笑い声に、直が叫び返す。

「顔を上げるなと言われただろうがっっ」とルードルマンの怒鳴り声が響き、再びその顔面を伏せさせられた。依然、周囲には機銃の掃射音と爆音が響いている。


『よぉ、シュヴァルべ〜。元気そうじゃん? とりあえずさぁ、仲良く空漂流してんのマジウケるんだけど。でもあれだな、稲妻ド派手にブチかましてくれたおかげで即発見できたしよぉ』


 軽快に話すその口調とは裏腹に、爆発音が数度響いた。

 察するに、追っ手の戦闘機を味方の哨戒部隊が迎撃したということだろう。耳元で響く声は同じ中隊に所属するランピール(ディー)のもので、彼の異能で会話が成り立っているらしい。


 空の中、戦闘音が消えていく。

 頭を抑えていた手が緩んだのを感じた直は、ゆっくりと目を開けて周囲を見回した。


『よく無事でいた。さっさと帰るぞ、乗れ。心配しすぎたお前らの小隊長の胃に、そろそろ穴が空きそうだ』

「メイヴィス中尉!!!」


 エンジン音とプロペラの回転音。安心する同じ部隊の音が、周囲を取り囲んでいた。

 寄り添うように飛ぶ三機のメッサーシュミット Bf109、そのコクピットの中から語りかける声が再び耳元で響いた。第8中隊の中でも、主に哨戒任務を担うメイヴィスを隊長とする分隊だ。


『各自、それぞれの機体に分かれて乗れ。基地まで帰るぞ』

『小隊長どのぉ〜。ところでルードルマンは誰が乗せます? 狭苦しいんで俺ちょっと嫌っす』

『……とりあえずスロは私の機体に乗れ。万が一があったらユカライネン大佐から鉄拳制裁どころじゃない、最も丁重に運ばねばならん』

『うひぃ〜っ。そっすねー。じゃ、俺シュヴァルべもーらいっ』

『あっ、ヘミずるい! そこは俺がシュヴァルベっしょ!』


 先ほどまでの緊迫した戦闘は一体何だったのか。

 軽やかに飛ぶ戦闘機からは、まるでスピーカーがついているかのように言い合う声が聞こえてくる。騒がしくもあり、だがそれが平穏な束の間の日常に戻れたようで何だかくすぐったい。


「貴様ら、よく頑張ったな」


 落ち着いたルードルマンの声に振り返れば、スロも直も静かに頭を撫でられていた。


「貴方こそ。……本当に感謝いたします」

「ルードルマン少尉、いちばん頑張った。ぼく、知ってる」


 三人それぞれを乗せた戦闘機が、輝くばかりの朝日の中をヘルシングフォシュの基地へと帰り着く。

 メイヴィスはすっかり眠りこけたスロを抱き上げそのまま陸軍本部へと向かい、ディーの戦闘機に同乗したルードルマンは何を道中話したのか、眉間に深々とシワを刻んだ仏頂面で滑走路に降り立ったという。



「兄上っ!!」

「すなおっっ!! よく無事でっ」


 降り立つなり半泣きの表情で震えていた弘の元へ、直は走った。

 今日くらいはいいだろう。中隊の皆の温かい視線の中、両手を広げて待つ兄の胸に勢いそのままに飛び込む。自分が飛びついたくらいでは揺るがない、力強い兄。心配をかけてしまったのだろうか、身体はビクともしないくせに回された腕は少しだけ震えていた。


「よく戻りました」


 ユカライネン大尉に帰還の報告を済ませ、兄妹の再会を気の抜けたように眺めていたルードルマンの目の前に、いつの間にかガードナーが佇んでいる。


「ふん、お前こそ。輸送機が墜ちた時、シュヴァルベが誰よりも心配していたぞ」

「おやおや、その口調だと貴方は何の心配もしなかったと」

「まぁな」


 とん、と予期しない力でガードナーの肩に自分の胸が当たり、抱き寄せられたのだとわかった。


「私は、心配しましたよ」

「何を今更——」

「我が子が戦地に取り残されて、心配しない親はおりません」

「……」

「何より、上官として立派に部下を守られましたね……どう見たって一番ぼろぼろなの、貴方じゃないですか」


 とんとん、と背中をまるで子供をあやすかのように軽く叩かれ、しかしすぐにその身体は離された。


「これは……軍服を新調しないといけませんねぇ」

「まったくだ——」


 心底うんざりした表情で、目の前に立つガードナーを見る。その顔が少し困ったように微笑み、自分を見ていた。

 何を今更。一番薄着でみすぼらしい、ボロ雑巾のようになった自分の姿ならば鏡を見らずとも手に取るようにわかるつもりだ。


 とりあえず、救護室へと向かうか、そう足を踏み出そうとしたその時だ。


「ああ、やっぱり。血が凍って皮膚が衣類に張り付いてますねぇ、皮膚ごとズボンを剥ぐことになりますね」

「え?」

「聞きましたよ、シュヴァルベを抱きかかえて山道を歩ききったんでしょう? おかげで彼女は凍傷の類いも何一つありませんが……貴方のこれはちょっと」

「——は?」



 その後、救護室で皮膚ごとズボンをハサミで切り取られるという最悪な気分の処置を受けたルードルマン。

「来るなバカが!!」と何度も怒鳴るにも関わらず、「自分の責任であります!」とヨードチンキを手にした直が、連日純度百パーセントの善意でルードルマンのズボンを脱がしにかかるのを、中隊の面々は笑いを必死にこらえて見守ることになるのであった——。

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