2−21 類ハ 育テノ親ヲ以テ集マル、

 想定外——という言葉をこの場合は使うべきなのだろうか。


 戦闘哨戒中の敵戦闘機の部隊に遭遇したのならともかく、だ。運良くそこにあつらえたかのように、都合よく対空砲がそこらかしこに設置されていてたまるものか。


「こりゃあ、本当。『キナ臭い』ねぇ……」


 燃え盛る機内と迫り来る地表を眺めながら、弘はうんざりといった表情でそう呟く。鈍いところはとことん鈍いのに、愛する妹はこういうところだけいやに勘が鋭いのだ。


 対空砲の直撃を受け、既に操縦系統がやられていた輸送機は文字通り炎上しながらぐんぐん下降していく。機体に大穴が開いたものの、自身に砲弾が当たりさえしなければ別段彼にとっては何の問題もなく。

 であれば……とまずは生き残った乗組員の安全を確保すべく、できる限りの措置を施し機体が地面に垂直に叩きつけられないよう必死にそれを引き起こした。


「まっ、待ちなさい!!」


 ガードナーの必死の制止も空しく、機内に残っていた兵の大半が祈りの言葉と共にパラシュートでの降下を決行していった。正式な指揮官のいないこの状況下では仕方ないといえば仕方ない判断だが、いやに判断が早いような気もする。

 降下中のパラシュートが機銃の餌食になり、風穴だらけになったそれはボロボロにちぎれ爆風に流されていく。その光景を目の当たりにし、思わず口から零れ落ちそうになった罵声は「死にたくなければ大人しく機内にいろ! 歯ァ食いしばれ!!!」という弘の怒号の下、掻き消された。


 元々弘は飛行兵ではない。ただ、航空機も扱えただけ・・・・・・・・・、だ。それが如何に常軌を逸している事なのか、自身では航空機の操縦が一切できないガードナーしか、この場で理解できる者はいない。

 眼下に見える木々や崖すれすれの位置を、小回りのききにくい輸送機で乱暴にすり抜けていく。尾翼や外装が削れ、剥がれる衝撃が度々機内を襲った。


「いいか! 数秒後に地面にぶつかるぞ! 脱出できるタイミングで機外へ走れ!!!」


 そう叫んだ数秒後、できるだけ接地面を大きくするように傾けられた輸送機は胴体を激しく地面に打ちつけ、ガリガリと削れながら不時着する。


「走れーっ!!!!」


 機外に脱出し、近い岩や木々の陰に一斉に身を伏せる。数拍置いて、激しい掃射音と共に、先ほどまで乗っていた輸送機は大爆発を起こし、激しい炎に包まれた。


「ぐあっ」

「ウァアアアアアッ!!!」


 ダァーンッ! と抜けるようなライフル音が数発。それと共に、近隣に潜んでいた味方の兵がバタバタと倒れ伏していく。


(チッ、こっちの位置は丸わかりってことか。用意のいい事だ)


 ザッと見たところ、ここにいるのは歩兵部隊の一個中隊といったところか。

 辺りは黒い重装備のスーツに身を包んだ連邦の兵に包囲されており、どうやら最初からこうなる事も相手の中では織り込み済みだったのだろう。

 これ見よがしに乗組員の兵ばかりを狙い撃たれ、「出ろ!」という言葉に弘はゆっくりとその場に立ち上がる。

 せめて貴方だけでも、と視線を送ったガードナーは静かに首を振って返す。物陰に隠れている兵を正確に撃ち抜けるような装備を敵は持っているはずだ、しかし立ち上がったガードナーの顔に諦めの色は全く無かった。



 二人の間を分断するように、統率の取れた動きで敵兵は弘とガードナーそれぞれを瞬時に銃を向けたまま包囲した。


獄卒ヘルボーイだな! 銃を置け、今すぐだ!」


 有無を言わさぬ機械的な音声が響くと共に、自分の方に人員が多めに割かれている事に、これは完全に身元が割れていると思った方が良さそうだなと弘は内心苦笑する。


「早くしろ! でなければコイツを撃つ!!」


 ジャキッという音と共に、ガードナーに一斉に銃口が向けられた。「はいはい」と弘は拳銃を囲む敵兵の足元へと放り投げ、両手を振って何も持っていないことをアピールしつつ挙げて見せる。


「ヒロシさん! 私のことは気にせずっ」


 同じく両手を挙げたままの体勢で、ガードナーは気遣うようにそう叫ぶ。

 

「……ええ、気にするつもりは毛頭ありませんよっ」


 被せるようにはなったその言葉に、一瞬たじろいだのは敵兵の方だ。


「き、貴様。悪魔かっ? 味方の命を一瞬の躊躇なく」


 顔色さえ見せないような重装備かつこんな大人数で、たった一人を囲っておきながら何という言い草だろうか。弘は心の底から苦笑した。


「いやいやいや〜、俺は正気だよ。大真面目。さぁて君達、俺が相手で良かったねぇー? 運が良ければ生き残れるけど、あっちはどうかなぁ?」

「……??」


「そうでしょうっ!? ガードナーさん!」


 敵を目の前にし、全身を瞬時に蜂の巣にされ兼ねないほどの殺意の中心にありながら、威風堂々とした佇まいを崩さず笑顔で語りかける弘を見てガードナーは苦笑する。


「……何を仰いますか、貴方ほどではありませんよ?」

「またまた、謙遜しちゃって。今どきどこの軍の軍医がそんな立派なサーベル腰に下げてるっていうんですか。しかも貴方、利き手は右でしょう? わざわざ抜きにくい右にいつも帯刀してるのは、ついうっかり抜かないためじゃないんですかね?」


 相手は無防備に話している、引き金を引きさえすれば一発だ……。それは十二分に理解はしているのに、とてつもなく大きな獲物に睨まれたような腹の底が冷える感覚に連邦の兵は一歩も動けずにいた。


 この均衡が壊れれば、間違いなく誰かが死ぬ——。


 おやおや、とガードナーは穏やかに息をくと、しかし少しばかり楽しそうに笑いながらその左手を自身の軍刀の柄へと降ろしてゆく。

「動くな」敵兵が腹の底に響くような声でそう告げる。


「シュヴァルべやハートマン少尉には、穏やかなおじさんと思っていただけてると思ったんですがねぇ……」

「そりゃ死線をくぐった数が、若者彼らとは違いますから」


 ニィーッと嗤い、弘は爪先でほんの少しだけ地面を抉る。

 土と小石が、少しだけその足元に舞った——。


「動くな! おい貴様らっ! 動くなと言って……」

「おい。連邦のデータベースはザル仕様か? 同じ国でも、樺太での奴らはもっと慎重だったぞ?」

「なっ——」


 瞬間、弘の足元に舞った小さな小石が弾丸となって数人の兵の膝と掌を正確に撃ち抜いた。


「きっ! 貴様ァアアア!!」

「撃てぇぇぇええええっ!!!」


 ダダダダダダダダダダダダッッッ!!!!


 連続した短機関銃サブマシンガンの音より速く、弘は伏せ一挙動で回転し、軍用ブーツの底で地面を抉る。

 土煙が、石ころが、灼熱の炎を纏って轟々と舞い上がった。


「鉛玉など、俺には通じんわ!!!!」


 全ての銃弾を溶かし、鬼の形相で立ち上がった弘に、銃を構えたままの兵はたじろぐ。


「くそっ、抵抗すればコイツを撃つぞ!」

「分断された爆撃機も既に撃墜された、今頃奴らは捕虜だ。大人しくすれば」

「……は?」


 敵兵は、絶対に言ってはいけない言葉を口にした事に気づいていない。


「こんな寒空の下、うちの直が男二人と野外行程だって……?」


 ぶるぶるとその握った拳が震えている。

 ……そうじゃない、ガードナーは誰かの盛大なツッコミを心の底から待ち望んだが、その願いが叶えられる事は遂になかった。


 地獄の業火を纏った獄卒の周囲で、岩が溶け出すほどの高温で空気が揺れる。その尋常ではない様子に、連邦の兵は一言「総員、撃てェ!!!!」と叫んだ。




 耳をつんざくような掃射音と共に、土煙で辺りが覆われる。


 スッと息を短く吸ったガードナーの側で「こいつじゃ人質にはならん、処分しろ!」という声が響く。ジャキッと向けられた重い銃口の音の方角へ、彼はするりと抜いた軍刀を流れるように右手に持ちかえ、一閃した。


「ぐぁああああっっ!!」


 手首から噴水のように血を噴き出し、ゴトリと短機関銃サブマシンガンを落として敵兵がのたうち回る。


「おや、手はまだ生身でしたか? 止血しないと死にますよ?」


(バカな……、防刃防弾の軍用スーツだぞ……)


 シャッとサーベルについた血を振い落とし、いつもはニコニコとしたその目元をガードナーは半月状に見開く。


 クーゲル・ER・エルネストガードナー。彼の目立った特徴といえば、その左頰にある口元にまで及ぶ大きな……十字の刀疵。


 ダイチェラントには、古来より伝統のメンズーアという決闘がある。

 一撃でも刀が擦れば相手の勝利となる、命と誇りを掛けた決闘方法。しかし、この近世ではその危険性から表立っては禁止され、あまり知られてはいない文化である。


 ただの・・・軍医にあんなデカい刀疵があってたまるか。

 見るものが見れば、あの傷は仕方なく負ったものではなく。真正面から誰かの刀と向き合わなければできないもので。


「私はですね……救える命を踏みにじられるのが、大嫌いなんですよ」


 音もなく繰り出した突きで、声を出す間も無く目の前の兵がまた一人、どさりと崩れ落ちる。

 故郷も奪われ、医者という立場なのに、救いたかった友を救えず。絶望の涙を流す数多の兵を見送ってきた。それでも彼は、時にその命を奪い、また時に助け続けなければいけない。


 ならばせめて、と。

 戦場を駆ける、息子のような彼が。

 もう泣かないように、戦わずに笑って当たり前の生活ができる未来を得るためにも。

 私が・・、あの子に戦場で生きられる全てを叩き込んできた・・・・・・・・・・のだから——。



 やれぇええええ!!! と叫んだ連邦の兵の無差別掃射の怒号が、一番呼び覚ましてはいけない者の殺意を、今叩き起こしてしまった。



 決闘開始の合図となる一つの言葉が、その重厚な武器の音を搔き消すように告げられる。


Du bistこの ein dummer Junge馬鹿たれ小僧がっ!!!」


 顔の前でサーベルを構えたガードナーは、まるで彼がいつも補佐をしているその上官さながらの魔王のような顔で恫喝した——。

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