閑話 ウタツグミの啼く夜に

 慌ただしかった八月も、いつの間にやら末に差し掛かる。

 とはいえ軍隊に、それも戦時中の戦闘部隊に所属しているとあれば、少なくともここ十年近く慌ただしくなかった日など無いに等しく。


(……今日はいい夜ねぇ)


 翌日が非番の日は必ずと言っていいほど部下と飲みに行くものだが、明日は午後からの任務。派手にやる気分でもないが少々一人で好きなワインを嗜みたい気分だったメイヴィス・リリーは、消灯前に一人隊舎の屋上で月見酒と洒落込しゃれこんでいた。


 雪国の印象が強いスオミは、夏とはいえ夜は冷え込む。

 暑い中で飲むぬるい酒よりも(ダイチェの人間はなぜあんなぬるいビールを水みたいに飲んでご機嫌になれるんだろう? と常に思う)、キンキンに冷やしたウォッカやジンの方が好きだ。……とはいえ、今手元にあるのはお気に入りの銘柄のベリーワイン。

 頬を撫でるような涼しい風の中、別段周りの目を気にせずとも良いからと、開放的な気分で直接ボトルに口をつけ、ぐびぐびと流し込む。

 生意気な部下には「貴方はワイングラス持ってるだけで絵になるんで」と飲みに行くたびに窘められるが、個人的には酒くらい好きに飲ませろ知ったこっちゃ無いと思っている。

 それでも、一応特殊部隊の小隊長を任されている身の上、自分の態度をその時折で使い分けるのは慣れたもので。


(ああ、なんだか孤独だなぁ)


 冷めた空気の中で月の光が映えていて、気分がすぅーっとするようだ。



「隣、いいか?」

「——ア?」


 ……感傷的になっていたとでもいうのだろうか、全く気配に気づけなかった。


「……別に、許可を求めるような事でも無いだろう」

「ん、そうか。お前にしちゃ珍しく元気がないと思って気を遣ったんだが」


 そう穏やかに微笑みながら、メイヴィスの隣に座ったのは隊内で唯一の同期であるシルト・バルクホーンだ。


「具合は?」

「ああ、おかげさまで。だいぶいいよ」

「……」

「そう睨むなって、さすがに酒は飲まない。ちょっと外の空気に当たりたくなっただけなんだ」


 ダイチェラントの軍部が連合に入ってきてから約十年。ユカライネンが別任務でスカウトしてきたというバルクホーンとは、長らく同じ小隊のパイロットとして並び飛んできた。

 穏やかで堅実な飛び方をするバルクホーンと、派手な切り返しで目立つメイヴィス。ユカライネンはよくもまぁこの二人を部下として並べ、分け隔てなく育てたものだと誰もがいう。

 勿論、性格や戦法に違いはあれど、両者共に腕のいいパイロットであることには変わりない。少しだけ……メイヴィスのキツめの口調と態度に他部隊の人間が閉口することがあるくらいだ。


「どうだ、そっちの小隊は? ディーとダムがだいぶ騒がしそうだけど」

「ま、おかげで退屈はしないよ。他の連中なんて大人しくて可愛いもんだし。そっちこそ、ハートマンにルードルマンでもだいぶ大荷物だと思ったが……日ノ元兄妹まで抱えて騒がしいどころじゃないだろ」

「まぁ……な。なんだかお前にそう羅列されると、改めて胃が痛くなる思いだよ」

「そこで「大変だ」と言わないあたりが本当にバルクホーンらしい」


 素直に褒めたつもりが、意外そうな顔をされた。


「……なんだその顔」

「いや、メイヴィスは俺の事なんて眼中に無くて。何歩も先に行ってると思ってたから」

「階級も任期も同じだろ」

「いや、なんていうか。覚悟とか姿勢の話?」


 ——呆れた。


「お前にはそれが無いというのか」

「そうじゃない。……この間それと似たような事、ハートマンにも言われたな」


 苦笑するその顔を見て、ああコイツも変わったなと思う。

 真面目で堅実、その反面、他を重んじ場を乱さぬようひたすら静かにいるような男だと思っていたが。


「あまり自分を陥とすな、お前を慕っている部下にも失礼な話だ」


 静かに頷くバルクホーンを横目に、ぐびっとワインを煽る。


「まさかお前とお互い小隊長として話す事になるとはな、歳とってみるもんだな」

「ばか、まだまだ張り合ってもらわねば。私達でユカライネン大尉をこれからも支えていくんだぞ」

「はは、相変わらずお前は。ユカライネン大尉の事になると目の色が変わる」


 どきり、とした。見ればバルクホーンは変わらぬ微笑のままこちらを見ている。


「そうだ、俺お前に何かしたか? ほら、貸し借りがどうとか言ってただろ」

「ああ……別に、私が勝手に思ってるだけだから。気にしないでいい」


 話題をこれ以上続けないよう、再びボトルに口をつける。

 そうかぁ、うーんとバルクホーンは一通り記憶を探っている様子だ。


(どうせ面倒見のいいお前の事だ、あんな事で私が救われたなんて思ってないだろうな……)


「あの子供の面倒も見るんだって? しんどくはないのか」

「バスクはもう二十二だ、ハートマンとさほど歳は変わらんよ」

「そういう意味ではなくて……」


 その先の言葉は出てこない。

 気が強いとか言葉責めとか言われる事も多いが、さすがにそれは口にするのも憚られるようで。


「ああ、いいんだ。やっと自分の中で整理がついたから……バスクはバスクだよ。ただ、俺は愛した人が愛した家族をせめて大事にしたいだけなんだ」

「……お人好しというか、損な性分というか」


 はぁーっ、と長めのため息が夜空に溶けていく。

 ボトルも空にしてしまった。

 さすがに明日に支障が出てはいけないので、今日は一本でやめておくか。そう名残惜しそうにワインボトルを見つめる。

 バルクホーンに指摘された通り、少し自分は落ち込んでいたのかもしれない。


「ま、でも整理がついたんだろ。なら良かった、お前は自分の代わりにせめて……と誰でも彼でも救うきらいがあるから」


 月に向けて左手を伸ばす。すると、隣に並ぶようにバルクホーンの右手がピタリとその横についた。

 その掌にある、赤黒い傷痕。

 普段手袋に隠れて見えないそれは、ユカライネンの秘密を知り、尚且つ彼に忠誠を誓い捧げた二人だけの秘密。

 自分の寿命よりも誰かの幸を、人命を優先しようと誓った二人の証——。


「ハートマンが仲間入りしてしまったな……。まったく、とんだ教え子だよ。反省しとけよ、絶対あれはバルクホーンの影響だから」

「すまない……できる事なら奴にはもう二度と、時間を使わせないように俺がしっかり見とくから」

「私達が、だろ」


 メイヴィスの言葉におや? と隣を見れば、呆れたようにその手で小突かれる。


「彼らが……彼らの世代が。自分らしく、その生を全うできるよう。その為に第8中隊は飛ぶのだから」


 あー、誰かのせいで独り呑みが仕事モードになってしまった。そうワザとらしく言いながら立ち上がれば、すまないな、とまた穏やかな微笑みを向けられる。


「今度、非番の時にでも奢るよ。メイヴィスは友人になっても面白そうだ」

「はっ、誰が。でも奢りの誘いには乗ろうかな、中尉殿は普段たいそう節制されてるようだし。私が使ってやらんでもない」


 ひらひらと手を振り、バルクホーンに背を向ける。


「なぁ、メイヴィス!」

「ん?」


 少し大きな声で呼ばれ、思わず振り返る。


「なんで隠してるのか知らんが……素の喋り方の方が可愛いんだから、もっと出してもいいと思うぞ」


 おじさんだけど、相談なら聞くから! そう追い討ちがきて顔が赤くなる。

 これは——酒のせいじゃない。


「ばかっ! そういうのはもっと早く言って!」


 部屋に帰ったらテキーラでも煽って寝よう、そう決めて今度は振り返らずに屋上を後にした。







 男の子らしく、男の子らしく。

 そう育てるのならどうしてメイヴィスなんて女みたいな名前をつけたんだ。

 幼い頃からずっと、周りと自分が違う事に気付いてからはもっと。そう思わずにはいられなかった。


 ——メイヴィスとは、ウタツグミの意。


 春を告げるウタツグミ。

 その美しい歌声は、人々の心に恋心をもたらすと言われている。


 綺麗だと言われた声も、やがて掠れて低くなり。

 人前で喋る事も怖くなった事もある。



「メイヴィス……そうか、だからキミの声は綺麗で誰よりもよく聞こえるんだな。助かったよ」


 そうさらっと言ってのける我が上官は、真の人誑ひとたらしだ。

 だけど、ついていこうと決めたのなら仕方がないじゃないか。


 中隊に所属となって一度だけ。自分の事が嫌になって、ヤケを起こした事がある。

 隊長の隣に並ぶのは華奢で綺麗な女の人。

 どう頑張っても、自分には望めないあの姿。


 酔って前後不覚になるほどだった自分を、背負って帰ってくれたのはバルクホーンだった。

 人前で泣くなんて、自分のプライドが許さなかったのに。

 穏やかといわれる同期は、本当に何も言わず、ただその背中を貸してくれた。


 気持ちは違えど、彼に命を捧げると誓った者同士。


 バルクホーンとなら、失恋話もできるかもしれない。

 酸いも甘いも噛み分けた、中堅軍人同士だ。

 部下達とはまた違った、でも傷の舐め合いでもない、そんな同期。


(よーし、いっちょ私も前に進んでみようかなっ)


 明日は出撃、もしかしたら砲弾のやり取りをするかもしれない。

 いつ墜ちるかもわからない、そんな空。


 ウタツグミはその中を、今日も誰より力強く飛んでやるのだ。

 誰かの愛する明日を守る為に——。

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