2−11 自分自身ヲ 嫌フ心、

『そんなにお喋りな人ではないけど、バスクもきっと大好きになるわ。とても優しくて、かっこいい人なのよ』


 そう話す姉の笑顔は、今までに見たこともないくらいに綺麗だった。

 まどろみの中で少年……バスクは、過去の記憶をまるでアルバムのページをめくるように、断片的に思い出している。


 ——痛い。何かを掴むように手を伸ばそうとして、肩から先の感覚が無いことに気づいた。


 気の狂いそうな痛みが襲い来るのは何度目だろうか。

 眼球を失った時が一番苦しみ、死の淵で何週間も苦しみ続けたなとどこか他人事のように思う。


 いや、痛いなんて感覚自体、本来ならばもう残っていないと思っていた。

 皮膚も、骨も、筋肉も、体の臓器のほとんども。言われるがままに差し出し、兵器となったのに。自暴自棄と言えばそうだ、助けてくれなんて言えなかった、望むことさえ許されなかった。

 姉が死んだのは戦争のせいで、自分のせいで。

 だからバチが当たったのだろう。

 だけど苦しんでほしいとも思ったのだ。姉がいなくなったこの世界の中で、その現実を背負っていくのに一人だけというのが酷く苦しかったから。


 そんな感情すら——。正直忘れていた。

 あの小さい兵士が怒鳴りつけなければ、思い出すこともなかった。

 ただひたすらに世界を憎み、姉を奪った争いを憎み……何もできなかった自分を恨んだ。いつのまにか憎しみに呑まれそれをすげ替えていたのは、自分の弱さだ。


 視界が戻らない中、口を開けようとすれば血の味がした。自分のものなのか、あの時咄嗟に噛んでしまった女のものなのか、もはや判別もつかない。

 ——ふと、そこまで考え。味覚が残っている事が酷く滑稽に感じられた。

 兵器に感情は要るのか、そもそも機械化された軍隊に感情は必要なのか。

 疑えば疑うほどに、何かが迫り来るのを感じる。


 ……気づいてしまった。


 なんということだ、自分はもう後戻りなどできないところまで来ているというのに。

 神は、神とは。意のままに服従し動く、しかし自分が労力をかけ動かす手間の要らない……そんな傀儡かいらいが欲しかったのではないだろうか。

 それならば合点がいく。テクノロジーは自分達の物だと誇り、圧倒的兵力差で奢る新人類派は、その実——もはや人間と呼んでいいのかわからない者達は。


(だって、これ以上繁栄する事なんて……)


(姉ちゃん、どうしよう……。俺、今自分が人間って言っていいのかどうかもわからない。姉ちゃん、姉ちゃん……どうしてだよ、どうして俺なんかを)





「ゔうっ……」


 底なし沼の中をひたすら浮き沈みするような、おぼろげな感覚の中で何時間待っただろう。否——、待っていたわけではなく刻が過ぎていただけのことだ。


「バスク……」


 一日の間に、二度も自分に関係のある人間が重症で。その目覚める場面に立ち会うなんて。最悪の気分だ、とバルクホーンは思う。

 ふと腰を上げようとして、肩にブランケットがかけられている事に気づいた。とにかく一旦寝てくださいと何度も言ってきたハートマンか、ガードナーか……それとも部隊の誰かだろうか。

 辺りを見回したが、今この部屋には自分以外誰も軍の人間はいないようだ。そっとブランケットをたたみ、腰掛けていた椅子に置くと、声の主の横たわっている寝台へと歩み寄る。


「……よぉ」


 かろうじて絞り出すような声で、酸素マスク越しにバスクが語りかけてきた。


「目覚めた時にテメーの顔を一番に見るなんざ、最悪の気分だな」

「……つい先刻、似たような事を言われたばかりだよ」


 力なく少年に笑いかける。笑えているのだろうか、そう思いながらもバルクホーンはバスクから目を逸らさずに立ち尽くしていた。

 最悪の気分だ、とは思ったが安心した事には変わりはない。目覚めてくれてよかったと心の底から思う。この現実に、バスク本人がどう感じるのかは別として、だが。


「嗤えよ、」

「……」

「散々罵倒してきたクセに、なんてザマだ。そう思うだろ? 嗤いたきゃ嗤え」

「笑えないよ」

「チッ……お喋りな奴じゃねーって、姉ちゃんが言ってたけど。ホント張り合いのねー奴だな」

「……本当に、キーサの弟なんだな君は」


 ぷい、と先に目を逸らしたのはバスクの方だ。


「……なんで助けた?」

「それは……」


 何故? 何故かなんて考える余裕もなかった。ただ哀しくて、泣いているように見えたこの子を救いたくて。どうしようもなくて。


「どうしてだろうな。俺がそうしたかったからだよ」

「罪滅ぼしのつもりか?」


「いいや」とバルクホーンは首を横に振る。電子音が響く部屋に、舌打ちの音が交じり、反響した。


「言い訳すらしねぇってか、本当崇高なお人だこった。ああ、なんだよ。右の眼球と……両手両足全部か。その上捕虜、……最悪だな」

「バスク、君は……」


 君はこれからどうしたい? その言葉が出てこない。

 彼の希望を、曲がりなりにも奪ってしまった自分が未来を語るなど。きっとこの小さな兵士のプライドが許さないはずだ。

 それきり口を噤んでしまったバルクホーンの表情を窺うかのように、バスクが顔を傾ける。


「一つ、聞きたい」

「……なんだい?」

「姉ちゃんの事、愛してた?」


 きょろりと黒と赤で染まった球体がバルクホーンを見据える。

 敵意の込もっていないその視線は、純粋にその先を聞きたかった故に出た言葉なのだろうと思わせるような物だった。


愛してる・・・・よ」

「最悪、過去形にすらしねーのかよ」


 心底嫌そうな顔でそう返される。

 むしろバルクホーンとしてはその方が有難いくらいだ。

 最悪、ホント最悪。とブツブツ呟く声が聞こえ、流石にそこまで言われてしまうとはなぁとため息が出た。だが同時についたため息は、バスクの方では少々そのおもむきが違ったらしい。


「お前さ、姉ちゃんの為なら死ねる?」

「……どういう意味だ」


 酸素マスクを外せというバスクに戸惑うものの、「今は死にゃしねーからさっさとやれよ」と言い切られてしまい、渋々従う。

 ピッ、ピッ、ピッ、と規則的な電子音が、嫌に耳についた。


「俺の胴体には超小型の核爆弾が内蔵されてる。威力は核にしちゃ低めだが、この基地ひとつを消し飛ばし更地にするくらいの威力はあるだろう」

「なん……て」

「まぁ聞けって」


 目を見開いたバルクホーンの表情を見るや、満足げに嗤いながらバスクは続ける。


「作動装置については、腕がとれちまったからわかんねぇ。ただお前も見ただろ、神はどこからでもこの身体に干渉できるらしい。つまりだ」

「……」

「俺を生かしたところで、ここに置いたところで、いつかは全員死ぬ運命だ」

「何か方法は?」

「そうこなくっちゃ」


 ニタァ……と、バスクは精一杯虚勢を張るような笑みを浮かべた。


「俺の心臓を撃ち抜け、心臓は丸ごと本物だ、一発で仕留めろ。俺の臓器からの信号が一瞬で停止し切っちまえば、爆弾は起爆装置のない・・・・・・・ただの核廃棄物と同じに成り下がるって寸法さ」

「そんな……っ、それじゃあ君が」


 自身の身体を起爆装置と言い切る発言に悲痛な声を上げるのを聞いて、ますます意地悪そうに嗤いながらバスクは頷く。


「最期の頼みくらいさ、聞いてくれよお義兄にいさん」


 その嗤う唇の端、カチッという小さな音と共に黒い筒がどこからともなく現れた。その小さな筒を口の端で咥えるようにして、彼は言葉を続ける。


「マイクロガンだよ、本当抜け目がねぇよな。四肢をがれても、それでも兵器としての役割は果たせるようになってんだぜ」

「バスク……」


 壊れた人形のようにカタカタと音を立てて嗤いながら、愉快そうな顔をしながら。そんな彼の様子にバルクホーンは唇を噛む。


「いいよ、その顔が見られて結構満足だ。じゃあさ、」


 最期にとっておき——。


 そう呟き、その目を、眼球の落ちた空洞をめいっぱい開きながら。その唇が動き出す。


「俺を生かしてるこの心臓は、姉ちゃんのものなんだよ」

「なんだと……ッ!?」


 はははッ! はははははははははははぁっ!!!

 狂い切ったような、乾いた嗤い声が部屋中にこだまする。


「最低だろ? 最低で最悪な、コレが現実なんだよ!! さぁ、バルクホーン。お前が姉ちゃんの言うように、新人類派の国家が言うように、騎士道に溢れた人物ならよ! 最期の一騎討ちといこうじゃないか! どちらが先に引き金を引いても、そこに横たわるのは死しかねぇってヤツをよぉ!」

「バスク、よせっ。君は」

「でないと俺が今からお前を撃つぜ? さぁどうするよ、下手な動きをしたらズドンだ、早くしねぇと誰か来ちまう。そしたら……間違って俺がそいつを撃っちまうかもしれねーなぁ」

「よせバスク、爆弾についてもなんとかなるはずだ!」

「うるせえっっ!!!」


 悲痛な叫び声に、ハッとバルクホーンの手が止まった。


「わかってくれよ……。わかれよ! 俺達は姉ちゃんを守れなかったモン同士だ。せめて、せめて最期くらい……、兵器じゃなくて姉ちゃんの心臓が止まるその瞬間に死なせてくれよ、だから……ッ」


 そこには、先ほどまでの虚勢を張った殺戮を求めた少年はいなかった。

 ただ静かに——、バスクは泣いていた。


「バスク……」


 そっと手を伸ばし、その小さな身体を抱きしめる。


「すまなかった、本当にすまなかった」

「おせ、ぇよ。遅えんだよ、今さら……今さら謝られたって……っ」

「君を一人では死なせはしないから」


 その涙を拭い、自分の正面を向かせる。

 息を吐き、腰のホルダーから拳銃を引き抜いた。


 心の中でカラカラと乾ききった音がする。

 じわじわと、絶望の忍び寄る気配がした——。


(さぁ、神よ、何がお望みだ。俺の……間違いきった人生は、最期の最後まで奪うことしかできねえ。満足か、これで満足かよ)


 返事が聴こえる事はない。

 しかし少年のその表情に浮かぶ残虐な笑みは、果たして誰のものだったか——。


 真っ直ぐにこちらを向いた銃口の、その引き金にゆっくりと指がかかるのが見えた。ハッと見上げれば、その表情が今にも泣きそうに崩れていて。


(一緒に堕ちてくれるんだな、なんか……)

(こいつが兄ちゃんになる未来も、まぁ悪くなかったかもな……)


 後戻りはできないと、バスクは歯に当たるそのマイクロガンのスイッチに力を込める。



『二人とも、やめて、おねがい』



 懐かしい、ソプラノの声が聴こえたような気がした——。



 ——ダァアーンッッ!!!

 ——パァーンッッ!!


 基地の一角で、銃声が二つ鳴り響いた。

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