2−10 悲シミヲ 解スル心、

「その前にハートマン、貴様に二つ、聞きたいことがある」


 その優れない顔色を一瞥した後、ルードルマンは硬い口調でそう問いかけた。


「……はい、なんでしょう?」

「まず一つ目だ。その話は今、一分一秒でも早く、基地攻撃への迎撃や緊急出撃さながらの様相で身構えて話さなくてはならないものか?」

「……い、いえ。確かに急は要しますが、迎撃のように即座に動くほどでは」


 答える口調にいつもの余裕がない、やはりそうか……とルードルマンは小さくため息をつく。


「では二つ目だ。察するにその話は先ほどの少年兵やバルクホーン中尉に関するものだとは思うが、それは今気絶しているウチの分隊のチビを叩き起こしてでも聞かせるほど性急な話か? ……当事者であるシュヴァルべも、もちろん聞く権利があると俺は判断するが?」

「……いえ。あれほど負担のかかることをやってのけたんです、彼女を起こすのは悪いというか」


 こういう時に、気づかなくてもいい事に気づいてしまう自分は本当に性格が悪い。お前の言う通りだよハートマン。内心苦笑いをしながら、自信なく俯くハートマンに近づくと、その肩をぽんと叩く。


「質問をもう一つ増やそう。こんな時、バルクホーン中尉ならどうする?」


 ハッとした表情で顔を上げたハートマンの目に、少しの光が戻っていた。

 彼は数拍思案するようにフーッと長めに息を吐き、口を開く。


「落ち着け、と。独りで突っ走るなと必ず言います。中尉なら、隊全員の平静さが戻るまでステイの判断をとるはずです」


 静かに頷き、今度は隣の弘へと視線を移す。


「では元日ノ元帝國陸軍少尉殿に問おう。この様な状況の際、貴官はどのような対応をとる?」

「まずは隊全員の休息に努めます。寝ちゃいられない戦況もありますが、このような事態の際は仮眠でも構いません、正常な思考判断ができるようまずは部隊全員に睡眠を命じますね」


 溌剌とそう返す弘と視線を交わし、ニヤリと嗤うとルードルマンはハートマンの方へ向き直った。


「どうやらここにいる将校勢は、不眠不休のズタボロにも関わらずまだ冷静な判断を下せるだけの正気は保っているようだな」


 ハートマン、漸く少尉と呼べるに相応しい判断が下せるようになって来たんじゃないのか——? 揶揄い口調を含んだルードルマンの手が、今度は力強くハートマンの肩に乗せられた。


俺達が・・・、現段階では小隊の明暗を握っていると自覚しろ。だがこちらも、今敬愛する小隊長殿を失うわけにはいかん。何度バルクホーン中尉に助けられてきた事か……、特に俺とお前はな」

「そう、っすね」

「少年兵の言葉が事実だとして、その話が俺達の知るシルト・バルクホーン中尉と実際に共にした戦闘や時間、それを覆すようなものか?」

「いや、ぜーんぜん」

「我が上官殿は貴様や俺の部下と違って思慮深く、口から先に生まれてきたような騒がしさもない。真実とやらはそこにあると思わんか?」


 ハートマンの、その口元にうっすらと笑みが戻る。

 まさか貴方に励まされるとは、大雨でも降りますかね——? そう返すと、何故か凄く嫌そうな顔をされた。


「減らず口が復活して清々したぞ。……あとその言葉は昨日の作戦前にシュヴァルベにも言われたんだがな、」


 そう言うなりあからさまに目線を逸らし「ちなみに今、外は大雨だ」と仏頂面で呟くルードルマンに、思わずハートマンも弘も噴き出した。





***




 昔から、所謂いわゆる血気盛んなタイプではなかった。

 自分でもそれは自覚していたし、運動神経が悪いわけではないがクラスメイトとサッカーをして泥だらけになるよりも、花壇の世話をして汚れている方が存外好きだった。


「綺麗なイーリスね、シルトくんってイーリスみたい」

「うわっ」


 ————彼女が話しかけてきたのはいつの頃だったか。

 五月。紫や黄色、赤にピンクに白、様々な色に咲き乱れたイーリス(アヤメ、又はアイリスとも)。いつものように花壇の花の手入れをしていると、突然ひょっこりと現れたソプラノの声に驚いてひっくり返ってしまった。


「あっ、ごめんなさい。だってイーリスをわざわざ……こんなに色とりどりに育てている男の人って珍しいなと思って」

「……家が花屋だったんだ。野山に生えてるイーリスでも、手入れ次第でこうして大きくいろんな色に育つんだよ」

「ふぅーん」


 薄いブロンドのゆるい癖っ毛を耳にかけながら、水色のまぁるい目で彼女はこちらを覗き込んでいる。


「大丈夫?」と差し出されたその細い手を「汚れるだろう」とやんわり断り、腰を上げる。


 友人達に囲まれていても、常に一歩控えめであるシルト・バルクホーンは別段愛想がないわけではないが目立つ存在というわけでもない。

 そして別に女性嫌いなわけでもないが、付き合った子には「優しすぎて面白くない」と言われ別れを告げられることばかりで、自分には恋愛ごとは向いてないんだろうなと最近は少し引いた目線で友人達の色恋話を聞いているのが常だ。

 ……故に彼らの「あの子可愛いよな」的な話も、気持ち半分で聞いている事が実は多い。

 そう、何が言いたいかというとこの女性に全く見覚えもなければ、話しかけられる理由も、自分の名前を知られている理由すらわからないのだ。


「あの、君は……」

「あれっ、わたし結構シルトくんと講義被ってるんだけどな」


 差し伸べた手を拒絶された事にも、自分を誰なのか認識していないその態度にも、嫌な顔ひとつせずに女性は首を傾げる。


「あー、すまない。俺、講義とかあんまり周りの事見てないから」

「真面目なんだね」


 にっこりと笑う、その女性の意図が全く読めない。

 大学の講義の合間、大抵の仲間達はスポーツに勤しんでいるか、友人や恋人とのおしゃべりに夢中だ。別に友人がいないわけでもないが、花壇の世話をするのはもう日課のようなものになっていて、彼らも別に無理にサッカーやテニスに誘ってくる事はない。そんな中、こんな時間に一人黙々と花の世話をする男に話しかけるなんて、随分と変わった子だなと思った。


「花、好きなの?」

「うん、でもあまり上手に育てられないから、時々こっそり見ていたの」

「そっか……」


 確かに小動物や綺麗な花が好きそうな子には見えた。静かに頷き、再び視線を花壇へと戻す。

 女性が立ち去る気配はなく、すぐそばでこちらの手元を見ている気配がする。なんだか少し居心地が悪い。


「えーっと……」

「あっ、ごめんなさい。でも邪魔しないから見ててもいい?」

「そうじゃ、なくて」


 ふうとため息をつく。自分が主体となって話をするのは、やはりどうも得意ではない。


「スズラン、とかは? 小さいけど結構強い花だし害虫もつかない、育てやすいと思うけど」

「そうなのっ? 白くて小さいし、繊細な花だと思ってた」


 すごいんだね、とほんのり笑うそのソプラノの声が、なんだか鈴の音のようで。


「苗、持って帰る? それともここで育てる?」


 咄嗟に出た提案は、一歩間違えば自分の一人大事にしていたこの時間を失くしかねないものだというのに。

 ————悪くないと思ってしまった。それは言い訳になるだろうか。

 見ているだけじゃなくて、一緒にやれば? なんて。自分らしくもない。


「いいの!?」

「え?」

「わたしも一緒に、やってもいい?」

「いい……けど、」


 食い気味に言うその表情に戸惑いつつも、自然と笑みがこぼれた。

 結構、真っ直ぐなんだな……こんなに、ふんわりした見た目をしているのに。まるで———。


「そうそう、イーリス……シュヴェルト・リリエ。シルトくんってそんな感じだよね」

「……何が?」


 そういえば最初にそう言って話しかけられた事を思い出す。


「騎士のシンボル。だって剣術の授業とか強いし、姿勢もいいのに。シルトくん、ずっとお花のお世話をしているじゃない? まるで花園を守る騎士様みたい」


 ころころと鈴を転がすような声で、彼女は笑う。

 その恥ずかしげもなく夢見がちな事を云う姿が、ますます不思議で。


(君こそ、まるでスズランみたいだけど)


「そういえばごめん、君の名前は……?」

「キーサよ。キーサ・アインホルン、忘れないでよ?」




 シルトくんと呼ぶ声が、"シルト"呼びになるのにはそう時間はかからなかった。

 大学を卒業する時に真っ白なイーリスの花束と指輪を渡した。

 嬉しそうに涙を流した彼女の事を、一生守ろうと決めたのに———。



 キーサの父親は仕事でダイチェラントにやってきていたブリタニア国籍の博士であり、家族は悪化する国内の情勢にブリタニアへの移住を示唆していたという。


「一緒に行こう」とどうして言えなかったのか。

 まだ幼い、歳の離れた弟がいるとも聞いた。家族を思い、葛藤する彼女の気持ちを尊重してあげたいと、そう思った。

 それに、島国であるブリタニアならばダイチェにいるより安全だ。


 既に異能の力があり、空軍への入隊も決まっていた。成績も悪くなかった。

 だからか、初めて身の丈以上の欲が出てしまったのかもしれない。


「俺が戦争を終わらせてくるよ、だから」


 ———帰ってきたら、結婚しよう。


 後悔しても、後悔しても。その若い自分の下した選択が覆ることはない。

 戦闘はチーム戦だ。いくら自分が訓練で他者より優れていたとして、軍隊を、国家を相手取るという事がどういうことか。認識が甘すぎたとしか言いようがない。


 ブリタニアへの移民の護衛任務、予期していなかった戦闘と隣国からの援軍相手に苦戦し、バルクホーンは背後から撃たれ墜落した。


 彼が目覚めた病室で聞いたのは、任務の失敗と半数以上の民間人の虐殺がおこなわれたという報告。

 生存者の中に、アインホルンという姓の者は一人もいなかった。

 




(キーサ、君は俺を恨んでいるだろうか……)


 ピッ、ピッ、と規則的に鳴る電子音。視線の先には、酸素マスクを着けおびただしい量の電子コードを繋がれた少年が眠っている。その掛けられた布の下、手足のあるはずの部分に膨らみはない。


 どうか逃げ延びていてくれと、願っていなかったわけではない。命からがらブリタニアに亡命した民間人もいたと聞く。命があるのなら自分の事は忘れてくれて構わないからと、そう思った。

 しかしその数年後、ブリタニアも新人類派へと鞍替えした事により、僅かな希望すら絶たれてしまう。


 ……あの時、捕虜になっていたのだろうか。

 十年、さぞかし苦しかっただろう。


 同じ時を、バルクホーンは自分をひたすらに律し、部隊の戦果を上げる事を第一として努めてきた。昇任も、小隊長という身分も、結果でしかなく。そこに自分が望んでいたものは何一つ残ってはいない。

 暗い十年間———。しかしそれが孤独であったかと言えば、話は別だ。

 上官であるユカライネンに拾われ、話し相手にはメイヴィスやガードナー、部下にはルードルマンやハートマンという騒がしい問題児もできた。最近では更に騒がしいバケモノのような部下が二名加わったばかりだ。


(この子は、ずっと孤独だった……)


 生きるために自分の心を保つために、その憎しみの矛先は愛する姉を守ってくれなかった自分へと向いたのだろう。置き去りにしたと、そう言われても仕方がない。


 敵のパイロットを救い出しても、仲間を、国民を守っても。

 本当に守りたかった人は帰ってこないというのに。


(刻が、巻き戻ればいいのに————)


 そう思い、すぐにイヤイヤとかぶりを振る。


(そんな事を考えたところで、だ。自分はユカライネン大尉の姿を側で見てきたじゃないか)


 叶ったところで、綻びが生じるかもしれない大きな願いなど、持ってはいけない。ただ、過去の自分の大きな後悔と、目の前の現実に押し潰されそうだった。


 暗い暗い影が、再びバルクホーンの心に忍び寄ってきていた。

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