2−9 一握ノ砂、

 重くのしかかるような空気の中、ルードルマンと弘は隊舎へ向けて並び歩いていた。弘の背には眠る直が背負われている。

 筆舌に尽くし難いほどの凄惨な現場だった。半分以上は機械だとしても、人間がダルマになる様子を正気で見ろと言われても無理だと反射で答えるだろう。

 そこに躊躇いもせずに飛び込んで行ったのはこの一番小さな兵士と、技師官の女性隊員だった。ガードナーの対応も、本職といえばそうだが機敏で的確で。ああいう場面では戦闘に特化した自分達の異能など役に立たない事は承知の上だが、何の気の利いた言葉ひとつ出てこない自分が嫌になる。

 今まではこういう時に頼みの綱でもあったハートマンが、どう見ても一番不調であり、その上誰よりもショックを受けているのははたから見ても明らかで。それにすら何も声をかけられずに、肩を叩いて出てきてしまった自分の不甲斐なさにルードルマンは歯噛みする。


「おい、ヒロシ……」

「ん?」

「ソイツは、いつもそうなのか?」


 その視線はおぶわれたままスヤスヤと寝ている直に向けられる。

 一晩中、バスクの側に待機していたのは一緒だが、常に集中して電流を流し続けていたのは直であり、先ほどの切断手術の際には伝達回路を焼き切るほどに放電を繰り返し、文字通り"電池切れ"を起こして気絶するように倒れ込んでしまった。


「かわいいでしょ」

「……いや、そういう事を言っているわけではないんだが」


 直が寝ている事を確認するように、優しい眼差しを向けた後、困ったように弘は笑う。


「いや、なんていうかさ。ほっとけないでしょこの子、部下としても」

「……それは同意する。いつもいつも、いらんことに首を突っ込んで、そのくせどこまでも真っ直ぐに強い意志をぶつけやがる……。正直、危険だぞ? そいつの真っ直ぐさは」

「ね。いっつもなんだよ。身体は一番小さいのに、誰よりも怖いもの知らずで、自分が納得いかないことには真っ向からぶつかる……初めて挨拶した日もそうだったろ?」


 初っ端から挨拶もそこそこに殴り飛ばした日の事を思い出し、ルードルマンの表情が一気に渋くなる。それを見た弘はクスッと笑った。


「日ノ元にいた時も、こうだったんだ。まだ訓練校上がりたての一兵のクセに、納得いかないとどこまでも上官には突っかかる。そして俺や父の名前は決して使わないんだ……正直ヒヤヒヤしてたよ、俺も父さんも陸軍だからね」

「……」

「仮に、上官の機嫌を損ねて処罰されても、俺達家族じゃ間に合わないって事だよ。幸いな事に、日ノ元じゃ直より飛べる戦闘機パイロットは一人もいなかったし、日々悪化していく戦況の中でひたすら出撃していたそうだから。最後の方は上とぶつかる事なんてほとんど無かったみたいだけど」

「お前、まさかコッチで空軍部に入ったのって……」


「ご名答」弘は再度、困ったように笑った。


「俺の適性がどう見ても陸軍寄りなのは明らかだ。公私混同なのも重々承知してる。でもね、俺にとっちゃ命に代えても惜しくないくらい、かわいいたった一人の妹なんだよ。連合にはユカライネン大尉のような素晴らしいパイロットがいる事は聞いていた。日ノ元じゃ撃墜王とさえ呼ばれたこの子でも、その中じゃ埋もれちゃうんじゃないかと思って。正直、気が気じゃなかったよ。個性が埋もれてしまえば、この子は上官にとってただの目の上のたんこぶになりかねないから……」

「ったく、揃いも揃って貴様らは。自分の事より人の事な兄妹だな」


 口をついて出た舌打ちは、嫌悪感から来るものではない。

 ルードルマンの表情を見てまた弘はこらえきれずに笑う。


「いや、もう。予想以上に直属の上官殿がお人好しでね。隊の皆もいい人ばかりで。本当……感謝してますよ」

「……お人好しが俺の事を指しているんなら、お前も酔狂な奴だな」

「だって、ヴォルケ少尉殿、昇任断ったんでしょ?」

「……」


 その仏頂面が返事の代わりだと受け取った弘は笑いながら話を続ける。


「この子が無茶しながらも生き生きと飛べるのは、貴方がいてくれるおかげですよ。色んな意味で」

「ふん、俺はただ前線に身軽に飛べる分隊長でいるのが性に合っているだけだ」

「そっかぁ……。あ、今なら北海海上戦での言い訳も聞きますけど、兄として」


 その眼差しに若干危険な力強さが加わったのを察知して、ルードルマンはそっぽを向いた。


「中隊の連中が好き勝手からかってるだけだ。そいつの訳の分からん真っ直ぐさとズレた発言は、お前が一番よく知っているだろう」

「ふむ、重症と見ましたが……今はヤキを入れるほどでも無いようですので、今回は見逃しましょう」

「……何を訳の分からん事を、」

「あっ、お願いなんで少尉殿はそのままで。自覚しないでくださいな」


 こちらを制するように片方の掌を向けてきた弘に、意味がわからんとルードルマンは首を捻った。

 少しだけ緩んだ空気にふうと息を吐く。


「今回も、そいつの発言はド正論だったのかもしれん。しかし結果的にバルクホーン中尉含め二人とも命があったから良かったものの、逆上させて何かあったら取り返しがつかなかったぞ」

「……そこを諭して『ハイ』と頷く子だと思いますか? 止められるもんならもう何年も前から止めてますって……」


 よいしょっと直の身体をを背負い直しながら、弘も困ったように返す。

「替わろうか?」というルードルマンの気遣いは秒で断られた。


「許せなかったんでしょう、彼のあの有り様が。痛みや恨みを糧に生きる事がどれだけ悲しい事なのか。死んだ人の想いをキチンと昇華させて、それを背負っても生き抜こうという意志を持とうとする事がどれだけシンドくて大事か。……そういう事にたぶん直は誰よりも敏感だ」

「……ソイツと、ガードナーから聞いた。貴様らは小さい頃一緒に住んでいなかったそうだな。それとも関係が?」


 ウーンと弘はまた困ったように唸る。


「いや、踏み込み過ぎた。言わんでいい」

「あ、いや、そうじゃなくて」


 弘はふうと視線を彷徨わせつつ息を吐いた。


「この子の雷、紫色だったでしょ?」

「ん? ああ、そうだったな……」


 北海の空をつん裂き、空を、海上を襲った紫色の稲妻。まるで龍が襲い来るような鋭く細く尖った光の筋を思い出す。


「あれね、直にしか出せないんですよ。むしろあの日まで、直がその色の稲妻を出せる事すら俺は知らなかった」

「それが……?」

「ちょっと特殊な家系でね。その可能性のあるこの子はずっと一人隔離されて、ひたすら訓練という名目で傷つけられて育った。俺はそんな事全然知らなくてね、たまに会える小さな可愛い妹みたいな女の子くらいにしか思ってなかったんだよ」


 少し暗い翳をその表情の中に落としながらも、弘はぽそぽそと言葉を紡ぐ。


「この子が四つか五つの時かな、ちょっと事故が起きてね。周囲にいた人間が全員死ぬような……酷いもんだったんだ。俺はそれがきっかけで、直が今までどんな環境の中に置かれていたか知った。だから……絶対に側にいて守ろうと決めたんです」

「ああ……」


(幼少期から寝込みを襲われるのは日常茶飯事で——)

(兄上が一緒に寝てくれるようになってからはなくなりましたがね、)


 あの言葉の意味は、きっとそういう事だったのだろうか。そうふと思ってから気づく——。


『自分以外が死に絶える、あんな絶望、もう二度と見たくないよな、忘れたいよな』


 何が"ちょっとだけわかる"、だ。自分も知っていたんじゃないか。ルードルマンは無意識に唇を噛み締めていた。


「強いな、シュヴァ……いや、お前の妹は」

「いえいえ、」


 そう言うと弘はまた困ったような、それでいて優しげな表情で首を横に振る。


「今の直は、この子がそうあろうとして一生懸命努力して強くなった直です。正直、軍人になんてならなくても良かったのに。でもね、俺の中では、いつまでも可愛くて泣き虫な妹なんですよ」


 いつからか、絶対に泣かなくなってしまったんですけどね——。

 そう言う弘はどこか寂しそうにも見える。


「だからでしょう。経緯いきさつは違っても、歪みきった憎しみを原動力に動くあの少年が、許せなかったんだと思います」

「お前が居たからこそ、シュヴァルべはそうならなかったのではないか?」


「えっ」と弘は少し驚いたような、救われたような。そんな泣きそうな表情を一瞬だけ浮かべた。

 視線を前に向けたまま、ルードルマンは言葉を続ける。


「さっきはああ言ったが、俺も好き勝手やってきた身だ。それに第13師団とこの中隊は……、結構自由だ。多少の生意気も無茶も、俺が許そう。何かあれば大事な僚機だ、俺がチビにかかる火の粉ぐらいは弾いてやる——」

「えっと……」

「それくらいの戦果は挙げてきたつもりだが?」


 彼が鷹だとか、魔王だとか、そう云われる所以はここにあるのかもしれない。不遜を不遜だと言わせぬような、絶対的な自信のある眼差しを向けられて弘はそう思う。


 しかし————。


「あ、ごめん。でもお兄ちゃんとしては、そこは譲れない。まずは俺が守りますんで」


 相変わらずな口調に、ルードルマンの表情もついつい緩む。


「だけどもし、俺がお兄ちゃんとしてこの子を守れない時、軍人として動かなければならない時。その時が来たら、」


 どうか頼みますよ————。


 緩急つけて今度は唐突に真剣な眼差しを向けて来た弘に、ルードルマンは迷いなく頷いて返した。


「そっくりだな、本当に」

「えっ?」

「……いや、こっちの話だ」



 まだ何か言いたそうな弘が口を開く前に、タッタッタッと背後から誰か駆け寄る足音がした。なんとなくただならぬ雰囲気を察して、二人は同時に後ろを振り返る。


「あの、ちょっとお時間いいですか?」


 いつになく真剣な面持ちでそこに立って居たのは、ハートマンだった。

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