2−8 汝ノ敵ト 其ノ惡意、

「そう……か」


 全員が息を呑むような反応を隠しきれない中、バルクホーンの声は静かだった。


「キーサは、もう……」

「見りゃあわかんだろ! 弟の俺でさえ十年近く、アチコチ弄くり回されてこの有様だ。何で姉ちゃんを置いていった!? なんでお前だけがそうやってのうのうと生きてやがるんだ!」

「……」

「なんとか言えよ! それとも何にも言葉が出てこ、」

「"すまなかった"……、と謝罪の言葉を返せばキミはそれで気が済むのかい?」

「アァ? 何いってやがんだ」


 静かになった空間に、冷え切った声が響く。


「そうだろう? 謝ったところで、何も元通りにはなりはしない……」


「ンだよ!!!」ひたすらに憎悪だけを撒き散らす叫び声が空間を震わせる。

 対するバルクホーンはいたって冷静……というよりは粛々とそれを受け止め事実を返しているように見えた。


「なん……っンなんだよてめーは!! 何で泣きもしなけりゃ表情一つ変えやしねえンだ!? お前が、お前が、お前が! お前が連れて行ってさえいれば姉ちゃんは……」

「ここで泣き崩れても、キミの感情を逆なでするだけだ」

「フザッ……けんな! 機械の俺よりよっぽど心がねーじゃねえか! なんでお前なんかと……」


 そうじゃない、それはこの約一年間ずっとその下でバルクホーンを見てきたハートマンにも、中隊の皆にもわかっていた。だけど言えない。

 いつも冷静なバルクホーンは。こんなに暗く辛い目をして、感情を押し殺したように話しはしない。彼の言う通り、少年の言う言葉が事実なのであれば……、どんな謝罪の言葉も懺悔の涙も、自分を慰めるものにしかならないとわかっているからだ。


「バスク……、どうしたらキミの怒りが、憎しみが和らぐのか。教えてくれるかい?」


 その静かな声に少年……バスクの表情はますます歪む。

 見た目は十を超えたくらいの年齢に見えるが、先ほどの言葉を聞く限り身体の機械化改造によってその見た目の成長が止まっているのだろう。本来の年齢はもっと上のはずだ。


「ンなもん……」歯を食いしばり怒りの形相を呈していたバスクは、そこで一呼吸置くとゾッとするような冷たい声で告げる。


「今ここで、死んでくれよ。ホラ、あんた軍人だろ? その腰に下げてる拳銃ピストルはオモチャじゃねーんだからサ。使ってくれよ、それ。弾数……八発だっけ? まず両膝に一発ずつ、利き手じゃない方の肘と肩に一発ずつ、それから……」


 だって一発で死んじゃったら虚しいじゃん? とその赤と黒の眼で睨みながら言う。


「自分の身体が手遅れなほどに壊れて、血が抜けて、関節もぐっちゃぐちゃで。死と隣り合わせなのに自分の力じゃ引き金も引けなくなって……そうやって這いずり回ってから死んで欲しいなぁ」


「このっ……」と一歩踏み出そうとしたハートマンをバルクホーンが静かに制した。


「……それで、気がすむのかい?」

「おい、バルクホーン……」


 虚ろなまでに光を失ったその眼で、バルクホーンはバスクをまっすぐに見つめて静かに言う。そのただならぬ空気にユカライネンが割って入った。


「大尉、すみません。これは自分の責任です、この子を……こんなにも傷つけ追い詰めてしまった」

「君はそれで、いいと思っているのかい?」

「……それ以外に償うすべがないのであれば、」


「ちょっとバルクホーン中尉!」「中尉っ!」


 直とハートマンが堪らず声を上げる。


「だからって、そんなのに従うことないでしょ!彼は今捕虜で、ダイチェはもうずっと前から戦禍の中です。貴方がそんな言いなりになったところで……」

「ハートマン、」


 少し傾いだその肩に、上官の優しい手が置かれる。


「いつも言うだろ? 独りで突っ走るなと。……これは、俺が自分を過信して独りで突っ走った、その最悪の結末なんだ」


 無関係な子供まで憎しみの中に放り込む、その責任を取るのも大人の役目だ。そう静かに語るバルクホーンの言葉に、ハートマンは拳を固く握り締めた。


「だから……って」

「お前はまだ何も間違っちゃいない、これからだ。だからどうか俺の小言を……覚えておいてはくれないか?」

「ちょっ」


 引き留めようとしたその手は宙を掴む。

 バルクホーンは腰のホルダーから拳銃を引き抜き、ニィーッと歪な笑みを浮かべる少年の近くへと歩み寄って行った。






「……自分は納得いきません」


 その手を、ツカツカと歩み寄った直がいきなり後ろからガシッと握った。


「……!?」

「お、おい直」「シュヴァルべ……」

「自分はその命を投げ出す決意をした時、貴方に身を削ってまで救っていただきました。中尉が慈愛に満ちた方なのは重々承知です。ですが……だからこそ、これは違うと言いたい」


 真っ黒な瞳はバルクホーンをジッと見つめた後に、「そして……」と強化ガラスの向こうにいる少年を射抜くように見た。


「事情はわかった、しかし納得できん」

「はァ? なんだテメーこのチビ」

「いつまでその虚勢をはるつもりだクソガキ!!」


 後半は怒鳴り声と化した直の声と気迫に、皆の肩がビクリと震える。


「お前が"本当に"憎んでいるのは何だ? ここにいる、顔も知らなかったお前への義理立てすらしようと悔いている姉の婚約者か?」

「だからそう言って、」

「ほざけ!! "本当に"と私は聞いた。お前が一番憎いのは、姉を助けられなかった幼い自分自身ではないのか!? でなければ、何故そこまでして兵士になった? お前が今欲しているのは単なる八つ当たりで、本当に欲しかったものは強い自分自身ではないのかっ」

「うるさい、」

「考えもしなかったか? 何故姉が祖国に残ったか、中尉と一緒に行かなかったか。それはお前がまだガキで」

「うるさいうるさいうるさいうるさい!!!!」

「……お前が真に憎むべきは何だ? 脳みそまで機械に侵されたか」

「うるさいっっっ! お前に何がわかるってんだ! 一人残されて兵器にされたガキの気持ちなんて」

「理解できるから言っている!!!」


 その叫び声と同時に、ぐっと弘が表情を歪ませた。


「お前の気持ちなんぞわからんわ! 私はお前ではない! だがその状況に取り残されたガキがどう思うのかは理解できる、だから納得がいかんのだ」


 バルクホーンの指が引き金から離れたのを確認し、直はバスクへ正面から向き直った。


「短絡的に、安易に、自分の気の済む方法を探していないかお前は? 十年だぞ? 十年かけてなんてことをしたんだ。お前がそんなに慕う姉ならば、その有様は絶対に望んでなど」

「うるっ、さい!!!」


 バキッと強化ガラスに額を叩きつける音が響く。赤々とした血が一筋、ガラスを伝って落ちる。


「じゃあどうしろって云うんだ、どうすればよかったって云うんだ。仮にテメーが俺と同じ境遇だったとして、陣営が違ったんだ! 国が違ったんだ! その違いで、ここまで変わっちまうんだよ! ……お前みたいな恵まれたやつに、はっ……かはっ、」

「……!?」


「あ……れ?」


 驚いたようにその眼を見開いたバスクの口からは、血が溢れ出ていた。


「なン……で……?」


 がくんっ、と視界が一つ暗転した。続いて、感じないはずの痛みが身体に疾る。その灼けつくような痛みにバスクは叫んだ。


「いっ痛い痛い痛い、ぐぁああああああッッ」


 身を捩るとぼとり、と今度は左肩が外れバスクの身体は床に投げ出されていた。


「いけないっ……!!」悲鳴に近い声を上げ、ノーラとバルクホーンが同時に走り寄る。


「どうして……っ」


「おいっ! しっかりしろ!」

「頑張って! なんとかするから!」

「バスク! どうしたバスク!」


 投げ出された身体をすぐに抱き起こした直の腕の中で、ボロボロとバスクの残っていた右腕が指先から崩れ始める。ウッと唇を噛んだ彼は、血が口から噴き出るのも厭わずに絶叫した。


「何故だ! 何故だ神よ! 俺はこんな、こんな……に、あなたに祈りを捧げたのに! ゔうッ、チクショウ! 殺すから! ここにいる奴ら今すぐ殺すからぁああ!!!」


 何度も何度も神の名を呼び、叫び、もがく中で。依然として機械の四肢は崩壊し、ボロボロと千切れ落ちていく。どう見ても、今の彼には誰一人手に掛ける力は残っていなかった。


「ねえ……ちゃん、」


 希望を失った眼と、空虚となった空洞から涙を流し、彼は喘ぐ。

 その更に小さくなっていく身体を、泣きながらバルクホーンが抱きしめた。


「すまない……本当に、本当に」


 ドクンドクンと脈打つ音が、抱きしめた身体越しに伝わってくる。

 異変が起きてすぐに、慌ただしく周囲で動いていたガードナーがガラガラと機材を引いて走ってきた。


「ガードナー! なんとか、なんとかならないか!? まだこの子の心臓は動いているんだ!」

「やれることはやります! ヴァロ二等軍曹! 医療器具持ってきました、メカに関しては貴女の方がお詳しいので力を貸してください。しかしこんなケースは今まで一度も。とにかく、無事な部分から切除……するしか」

「……っ、やってみます! バルクホーン中尉、一度離れて! スナオ、アンタも力を貸してくれる!?」


 叫ぶノーラに、直もほぼ反射で頷く。


「いい? 痛いわよ! どんだけ叫んでもいいから、でも絶対、ぜったい諦めるんじゃないのよ!」


 そっと床に置かれた身体を、ノーラは力づくで抑え込んだ。


「スナオっ! 崩壊が進んでない部分に電流を流して! 回路を焼き切って!」

「……それしかないのか!?」

「やらなきゃこの子が死ぬ!」

「わかった……っ!」


 その会話だけで察したバルクホーンも、バスクの身体を抑え込む。


 



「これが……この戦争?」


 なす術なくその地獄絵図のような情景を見つめ、ハートマンは呟く。

 目は——、背けない。背けちゃいけない。命のやり取りをした相手で、尊い上官を葬ろうとしていた相手だ。


 でも————。


「これじゃあ、誰も救われないじゃないですか。何なんすか、神って……」


 絶叫と電流が迸る中、まるで深淵に放り込まれたかのように、見つめるしか出来ない者達の心は深く深く暗闇の中に墜ちていくような感覚に陥っていた。

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