2−2 翼モトメテ 童子アソブモ、

 六針縫うほど切っていた頭部の傷も塞がり、坊主にしていた頭もベリーショート程度には伸びた。周りの目を見る限り、もう坊主頭にするほどでもないだろう。

 正直最初は警戒していたこの連合軍での生活も、今や直にとっては日常の一部。散々噛みつき合っていた直属の上官は、北海での一件もあり自分を認めてくれたようである。


(いかんな、もっと集中せねば……)


 格闘訓練のインターバル、水を口に含みながら不破ふわすなお二等軍曹は思わず口元が弧を描いたのを感じて眉間に力を入れ直す。

 北海での戦果により、異例のノルゲ王国からの勲章授与。それに伴い一階級の昇任も果たした。どうやら二階級の昇任も示唆されていたようだが、なんだか祖国の慣習的に縁起が悪そうなのと、直属の上官であるルードルマンが何故か自身の昇任を断っていた事もあり、直自身も「身にあまる光栄です」とやんわりと断りを入れていた。


 しかし何より近頃は飛ぶのがとても楽しい。

 通常戦闘機は速すぎる旋回を加えると機体が四散する危険性や、パイロット自身にかかる負荷で意識不明になる可能性が大いにあるのだが、そこは天性の才能とでもいうのだろうか。訓練校時代には教科書を見て勝手にさっさと宙返りや急降下を覚えて実践していた直にとって、そんな不安要素は考えたことすらなく。

 自分の身体を地上で動かすよりも軽快に立ち回れる戦闘機での飛行は、むしろ何よりも幸せなひと時だった。


 基本一対一のドッグファイトを主としてきた祖国での闘いと違い、この北欧の空ではチーム戦。一人でさめざめと頰に当たる空の空気の中を飛ぶのも至福だったが、今は隣や周りに自分と同じかそれ以上のパイロットがいる。それは、ずっと孤独に空を飛び戦闘機や爆撃機をひたすら叩き落としてきた直には新鮮で、時に悔しくもあったがそれ以上に楽しくてたまらない事でもあった。


 そんな直が僚機としてついたのは、同じ分隊の分隊長でもあるヴォルケ・ウルフリッヒ・ルードルマン少尉だ。


 敵国から"鷹"のコードネームで呼ばれているらしいこの上官は、常日頃から好戦的だの滅茶苦茶だの言われている直から見ても、とんでもなく規格外で破壊的なパイロットだった。

 一辺倒に急降下からの爆撃を試みる彼の戦法は、シンプルだがそれ故にパイロットの技量と度胸がモノを言う。そもそも垂直急降下なんて、やろうと思って簡単にできる事ではない。それが飛び抜けて秀でているにも関わらず、誰にも心を寄せず一人で飛び続ける彼に直は最初猛反発した。

 どうして認めてくれないのか、どうして先に戻れと命令されるのか、確かに自分は貴方に比べ非力だ。しかし貴方と同じか、それ以上のスピードで飛ぶ自信があるというのに。


 彼の戦法を、その飛び方を、能力を見た時。直は羨望も嫉妬をも通り越して、この人になら命を懸けていいとすら思った、それに値する素晴らしいパイロットだと。それが僚機である自分の役目だと。

 それでも遠ざけようとする彼と、芯の部分で足並みの揃わないまま迎えた北海での海上戦。直はそこで命を賭して隊を守る決断を下す。

 そこでわかったのは、いつも周りに対し必要以上に言葉を吐かず、一人で飛ぶ決意を遠い昔にしたルードルマンの哀しい過去だった。

 ああなんだ、そうだったのか……邂逅したその記憶と想いの先に見えたもの。

 そして彼が惜しんでくれたこの命は、小隊長であるバルクホーンの命のリミットと引き換えに永らえる事となった。だからもう、直はこの命を一人のものとしては扱わない。


 殴り合って、血を流して、硝煙にまみれた二人がその末に手に入れたのは……なんだったか。

 側から見ればそれは愛情のようでもあり、絆でもあり、信頼関係のようでも友情のようでも、或いは忠誠を誓った者同士のようでもあった——。


 だがしかし、周りの大人達の思いに反して。

 渦中の二名は闘いの事以外には純朴かつ鈍感で。


 ……今日も元気に競い合い、出撃しては空き時間にひたすら身体を鍛えているのであった。





「少尉どの、次は自分と手合わせお願いします」


 聞き慣れてきた少しハスキーなその声に下を見れば、拳にバンテージを巻いた部下が自分の上衣の裾をちょんと引っ張っている。


「構わんが、その……」

「届かんだろう、はナシでお願いします少尉どの」

「……」

「なんでわかった?ですかって?そんなん顔に書いてあるから誰でもわかりますよ」


(そんなんわかるのお前だけだよシュヴァルべ——!!!)


 周りの第8中隊隊員勢が無言で顔を覆う中、渦中の二人はやはりどこ吹く風である。


 北海での海上戦の後、あの無愛想で人付き合いが嫌いなルードルマン少尉が少し柔らかくなった、とは隊内外でもちょっとしたトピックだ。

 ……が。柔らかくなった、話すようになった、とはいえ『戦闘中以外は笑わない』とすら言われていた相変わらずの無愛想仏頂面は他の追随を許さないほどであり、特に階級が下の者や他部隊の者からすれば近づき難いことには全く変わりがない。


 その上彼の率いる四○四分隊の戦果は、人数が増えたことによりこれまで以上にめざましく、しかもどうやら正規の任務ではない出撃回数も増えているようで、誰が屑鉄スクラップにしたかわからない敵戦車の報告の数が圧倒的に増えている。

 連合軍側の兵の負傷者数が圧倒的に減った事で、現状なんのお咎めも追求も苦言もないが、どう考えても戦車砲をくっつけたJu-87 G2シュトゥーカ :通称 大砲鳥カノンフォーゲルなんて専用機が率いる部隊なんて一つしかないわけで。

 それに加えて「はーい出撃してるのウチですよー」と言わんばかりにガードナーの表情が連日若干引き攣っている事で、もう誰も彼もがお察し……というのが現状だ。


 ノーラから話を聞いた女性隊員が話しかけようとするものの、実際のところ出撃!訓練!出撃!風呂!寝る!が日常ルーティンのハイペース分隊長はそんな視線に全く気づくことすらなく。

「あのルードルマンが会話してる」「あっ、ちょっと笑った」と、彼を入隊した十八歳の頃から見ていた第8中隊の上官誰もが日々ちょっとしたニヤニヤを味わっているだけで、結局のところ近しい者にしかその変化は伝わらず、鬼人変人揃いの四○四分隊の名は健在である。




「で、やらんのですか少尉どの」

「ふん、やるからには全力だ。顔腫らして泣くなよシュヴァルべ」

「誰が泣くかよ、一発いいの入れてやりますからね!」

「あっ、じゃあ俺レフリー入りますよ」


 インターバル終了のブザーが鳴り、五分間の組手が始まる。

 格闘訓練の組手は、いわば総合格闘技のスパーリングのようなモノだ。能力を使う事、金的、目潰し、頭突きは禁止、あとは骨さえ折らなければ絞め技をしようが何をしようがオールオーケーの実戦系の訓練である。

 勿論、訓練という名目上、本気で命やダウンを取りにいくわけではないが、安全面を考慮して必ず審判役レフリーが一名立ち会う事になっている。

 訓練場の仕切りの中、十組ずつ行われるため残りの人員は主に観戦役だ。


「はじめっ!」というハートマンの掛け声がかかるや否や、勢いよく先手をとったのは直だ。上背のない分、組まれて潰されれば終わりな直はその身軽さを武器としてくるくると動き続ける。

 中段の蹴りをフェイントにして勢いよく回転し足払い、からの避けられるのを予測しそのまま腕で起き上がる反動を使って上段への飛び蹴り。それすらも躱された直の胴体に、秒でルードルマンの拳が入る。


「当たらんぞ!」「クッソ、まだまだぁ!」


(うわぁ今の飛び蹴り、確実に踵落とし狙ってたっしょ。本当敵に回したくないわぁこの子……)


 二人の攻防を見つつ、内心ハートマンは身震いする。

 一直線に相手の鎖骨を狙った蹴りは、その弓なりの軌道で一瞬それとは判別し難かったが、確実に直が狙っていたのは踵落としだ。

 踵落としとは本来相手の鎖骨を折る技である。鎖骨が折れると人間どうなるか……、まあ確実に折られた方の腕はその後治るまで使い物にならないということだけはお伝えしておこう。


 徐々に乱打戦となってきた二人の攻防に、いつの間にか隊員の視線も集まる。

 それもそのはず、早朝に出撃をしてきたとは思えないほど、二人の動きにキレがありすぎる。


(何より……ガチすぎるんすよねぇこの二人)


 寸止めスパーリングとはなんぞ、とでもいうような、本気でねじ伏せにはいってないものの普通にバカスカ殴り合っている。しかも喜色満面といった表情で。


 リーチの長いルードルマンの懐に入り込みたい直は、その左から繰り出された拳を真正面からデコで受けると、顔面にかぶせ気味のストレートを叩き込む。

 まさに肉を切らせて骨を断つ、を地でいく戦法だが、ゴッッ!!という二人の顔から鳴った鈍い音に周りは一瞬顔をしかめる。


「シュヴァルべ、あれで女なんだよなぁ……」

「まあ確かに打撃に男ほどの重さはないけどな。一体、どう育ったらああなるんだか」

「っていうか、ルードルマンも容赦ないよな、顔面いくんだもんな」

「いや、流石に加減してるだろ。どんだけ体格差あると思ってるんだ?まぁ、顔面は殴ってるけど」

「それより、俺思ったんだけどさ、」


 なんで二人ともあんな楽しそうなんだろう……。


 二人を眺めていた隊の上官達は一斉に頷く。


 顔への打撃の攻防から蹴りを放った直の脚をとり、ルードルマンがぶん投げる。肩から落ちつつも受け身を取り転がった直は、もう一度間合いを図って拳を繰り出した。

 顔面への左のフェイントから一挙動で潜ってそのまま左のボディストレート……、と見せかけて上から被せ気味の右を全力で振る。


 すとんっ——。


「えっ……」

「うわっ、ストップ!ストーップ!!!」


 ガクッと真っ直ぐに膝から落ちた直に、ハートマンが叫んで間に入った。


 一瞬、何が起きたのかわからなかった。

 全身の伝達機能が断たれたかのように、力が抜けて膝をつく。息の仕方を忘れたかのように、思考が停止した。


「……っはぁ、ゲホっ」

「小鳥ちゃん!大丈夫!?聞こえてる?」


 数秒置いて、肺が酸素を取り込むことを思い出したかのように空気を吸えば、一気に汗が噴き出してきた。震える手を床につけることでしか身体を支えられなくなった直を、事態を聞きつけて走ってきたガードナーが起こして背中をさする。


「シュヴァルべ、貴様は身体が小さい分フェイントが多い。今みたいに読まれたら隙をつかれるぞ」

「……っ、」


 歯を食いしばる直にほら、と差し伸べたルードルマンの手を「ちょっと少尉殿っ」と横からひっつかんだのはハートマンだ。そのまま直をガードナーに預ける形で、ハートマンはルードルマンの肩を組み後ろを向かせると、なるべく抑えた声で話しかけた。


「ねぇ、いくら手加減しないっていっても、女の子のレバー打ち抜くって正気ですかっ?」

「……いや、奴は手加減したらキレるじゃないか、それに」


 一応力の加減はしたぞ……?そう本気で眉間にシワを寄せた疑問形のルードルマンに、ハートマンは盛大なため息をついた。


「いいですかっ、貴方と小鳥ちゃんでどんだけ身長体重に差があると思います?加減しなきゃブッ壊れるんだから、そんなんして当然ですっ」

「ん……あぁだから加減はしたと、」

「だーかーらァ!」


 ハートマンは組んだ肩を少し強めに締めつつ睨む。


「小鳥ちゃんがいくら男の子っぽいとはいえ女性です、俺らとは内臓の作りが違うことくらい常識でしょ?腹パンでしかもレバー打ち抜くとかマジでありえないっす」

「……そうなのか?」


 申し訳なさそうな表情を見せるルードルマンに、おや?とハートマンは眉をしかめた。


「ねぇ少尉殿?貴方ってお幾つの時にウイルスに感染したんですっけ……?」

「十四の時だが……」

「噂じゃ数年寝てたって聞きましたけど、起きたのは?」

「十六だ。二年近く目を覚まさなかったらしい」

「……えーっと、じゃあその後訓練校入ったのは?」

「十六だ、」

「卒業して軍に入ったのは?」

「十八だ」

「じゃあ実質、十四歳以降は貴方軍関連の施設から出てないってことですよね?」

「そうなるな……って何なんだお前さっきから」

「失礼ですが少尉殿、貴方ガールフレンドいたことあります?」

「はぁ?なんでそんな、」

「俺は真剣に聞いてます……」


 いつになく目の鋭いハートマンに、うっとルードルマンはたじろぐ。


「いたにはいたが、その、昔……」

「っていうかヤッバ!えっ、なに?それ少尉殿、十四歳くらいで情緒止まってません?あとは戦闘機と訓練とお勉強だったでしょ!?休暇取ってるとこ俺見たことないっすよ!つーか二年寝てたって、実質俺と同い年みたいなモンじゃないすかぁ!」


 畳み掛けるようなハートマンの言葉に、バルクホーン中尉の「お前!その言い方っ!」がルードルマンの脳内で無限再生しそうになりかけたが、どうやら直が自力で起き上がったらしい、急に背後が騒がしくなってきたのに二人は気づく。


「シュヴァルべ、」

「っはぁー、いいの入りましたよ少尉どの。自分もまだまだですなァ、フェイントの入れすぎには注意するので、」

「……すまん、どうやら腹を殴ってはいけなかったらしい」

「は?」


 振り向き歩み寄ると、足を投げ出して床に座り込んでいる直がいた。ハートマンの言葉の真意がわからないままに謝罪するも、直も直で、全くもって意味がわからんというような表情をしている。

 その光景に、ハートマンは再び盛大なため息をついた。


「あーっもう!皆さーん!ここに情緒化石がいまーす!!どうにかしてくださぁーいッ」

「ハートマン!お前なに意味のわからんことを言っているんだ!中断してるとはいえ、訓練中だぞ」

「だって聞いてくださいよバルクホーン中尉!ルードルマン少尉ってマジで化石で、つーかシーラカンスかよってくらいの……」


 あわあわと少し焦りながら、ルードルマンがそちらへ行こうとすると、力強い手にがしりと肩を掴まれた。振り返るとそこにいたのは——。


「ヒロシ?」

「ヴォルケ少尉殿!次は自分と!ガチでやりましょう!」


 直が膝から崩れ落ちた瞬間、手合わせの相手を盛大な一本背負いで投げ捨て、きちんと一本取って切り上げてきたあたりが弘らしい。

 一見とてもいい笑顔だが、それとは真逆で肩を掴んでいる手から伝わる圧力が物凄い。


「兄上っ、ずるいです!いやぁ少尉どのはお強いっ、今度は剣術で自分と手合わせしましょう!次こそ負けんですよ!」

「シュヴァルべ、一旦アナタは休憩してください」

「どなたか!レフリーをやってくれませんか!あぁ、俺は別に時間無制限一本勝負でも構いませんよ少尉殿っ!」

「ずるい!兄上ずるいです、」

「一旦落ち着いてください、好戦的兄妹アグレッシブきょうだい。ルードルマン少尉っ、アナタも思考を放棄しようとしないでください!本当戦闘と業務以外はポンコツじゃないですかっ。……ちなみに数時間後には、我々哨戒任務なんですよ皆さんっ」


 その夜、中隊の上官連中に食事を一緒に、と呼び出されたルードルマンが非常に不機嫌な表情で隊舎に戻り、「柔らかくなったってのはやっぱり噂らしい…」という話が下士官の中でまことしやかに囁かれたという。

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