第二部

2−1 陽ノ日カガヤク朝ナリ、

 北欧はスカンディナヴィア諸島連合、スオミ共和国の大都市ヘルシングフォシュ。

 その一端に位置する連合軍第13師団飛行部隊基地。

 陸軍部隊基地も隣接するその施設は、格納庫に滑走路はもちろんの事、事務的な職務を行う庁舎及び隊員の寝泊まりする隊舎、訓練施設を併設する広大な土地の中にある。


 全部隊の一日の業務スケジュールは緊急出撃でもない限りは週毎にほぼ固定されて出ており、夜間の哨戒等のシフトが組まれていない部隊の一日の始まりはほぼ同時刻。起床ラッパにより始まる。


 ……ただ一つの分隊を除いては。



「起きろ貴様ら! 出撃だッ!!」




 ご機嫌麗しゅう皆様、八月も半ばとなりましたこの青い空の下、いかがお過ごしでしょうか。

 連合軍第13師団の空第8中隊は四○四分隊に所属しております、クーゲル・ER・ガードナー軍曹です。

 ええ、そうなんですよ。この度ですね、わたくし六月の北海での海上戦での戦果により軍曹に昇任いたしまして。


 軍に所属となったのも、元々軍医として招集された際に、ちょっと学生時代のはっちゃけたエピソードだったり、スポーツを嗜む話をアルフレッド……あっ、私の友人なんですけどね。彼に話してしまったがために、いつの間にか引きずり込まれるように、って感じなのですが。

 えっ? 何をはっちゃけたかって? いやぁもう血気盛んだった十九歳の頃の若気の至りですよ。お話しするのもお恥ずかしいくらいの。なので、この頰の刀疵かたなきずでお察しいただけると有難いと言いますか……ね?


 はい。話を戻しましょうか。

 私、循環器科の医者なんですよ。おわかりいただけます?いやね、外科手術も応急処置もできますし、銃創の処置も銃弾の摘出だってできますよ?軍医、ですから。


 アルフレッドが助けたダイチェラントからの移民の少年。彼がそのまま軍人となり、目覚しい成長を遂げたことは大変素晴らしいのです。素晴らしいのですが。

 何故でしょう、誰に似たのでしょう。兎にも角にも好戦的で、爆撃機に乗ると人が変わったかのように生き生きとした有様ありさまで。

 まさに爆撃機の申し子、とでも言わんばかりの、信じられない角度と速度での急降下爆撃を決行するのです。

 その彼があんまりにも無茶をするため生傷が絶えない故に、『死んでもらっては困る』と、元主治医だった私が補佐へと回されたわけです。いえいえ、やぶさかではないですよ、無愛想ですが根は良い子だという事は十分に承知しております。


 ただですね。如何せん、最近の彼は特に。

 元気が良すぎるのです。


 鷹は大空を制します。小鳥だって捕食対象です。

 彼の名には自由にその空に在る"雲"、そして"狼の主"を表すWolfrichウルフリッヒが。

 狼といえば赤ずきんちゃんを食べますよね、昔っからおとぎ話の中ではそれが定番です。

 でも今回ウチの分隊にやって来たRotkäppchen赤ずきんちゃんはね、違ったんですよ。


「なぁにメソメソ引っ込んでやがるんだ、表に出ろや」


 ……こう来ましたか、と。

 その身体を自分の血で真っ赤に染めた不破直伍長赤ずきんちゃんは、狼を陽の光の下へと引きずり出してしまったんです。


 狼はね、鷹はね、思い出しちゃったんですよ。

 その大地を、空を、縦横無尽に飛び回って獲物を狩る喜びを。

 誰かと一緒に空を飛ぶ愉しさを。

 ショットガン片手に戦闘機に乗る、狼も鷹をも恐れぬその赤ずきん……もとい、ツバメに出逢ってしまった事で。



 わかってますか、ルードルマン少尉。本日は午後の哨戒任務が我が分隊のメイン任務です。

 緊急出撃の警報サイレンも鳴っておりません。

 何より、今は朝の四時です。

 起床ラッパまでまだあと一時間半はございます。

 その手にある牛乳瓶と……出撃許可の書類? ん? ちょっと理解が追いつきません。私は今まだ夢の中なのですね、そうなんですね?

 えっ? 違う? ああ、わかりましたよ、飛行服着ればいいんでしょう。

 向かいの二段ベッドの上から転がり落ちて来たシュヴァルべフワ二等軍曹は、何故もう準備万端なのですか。

 えーっと、フワ曹長殿は何故この状況を微塵も疑問に思わない顔で、シュヴァルべの寝癖をかしてるのでしょうか?あとすみません、梳かすほどの長さ無いですよね、妹さんの御髪おぐしは。しかも貴方も既に準備万端ときた。


「準備はいいかガードナー、出撃だ!」

「おはようございますガードナー軍曹!」

「ガードナー軍曹、おはようございます! 少尉どのっ、今日はどちらまで飛ぶのです?」


 ああ、全員が全員、本当にまぁ生き生きとしてらっしゃる。

 まるで晴れ渡る大空に浮かんでくる朝日のようではないですか。朝日なんてまだ出てもいない時刻ですけども。


 無理を承知で言います。言わせてください。


 ……誰かこの、滅茶苦茶すぎる攻撃特化型もとい、攻撃力全振り分隊をなんとかしてください。


 


***



「わーっ、ガードナーさん。今日は一段とカタギじゃないって顔してるじゃないですかぁ」


 飛行部隊基地にある屋内訓練場、午後イチの中隊合同格闘訓練で隊員の救護係として待機しているガードナーの隣に、同じ小隊のパイロットであるエリク・シュペーア・ハートマン少尉が腰掛けた。

 いつもニコニコとした穏やかな表情を崩さないガードナーだが、今日はその目がまるで上半分が欠けた半月かのように据わっていて少々穏やかではない。医者にしては、その頰の大きな傷といいがっしりめの体格といい、確かにガードナーのルックスは若干そうとは見えない強面だ。穏やかな微笑みと物言いが、どれだけ普段の彼の雰囲気を緩和しているのかは言うに及ばない。


「……今日も朝は0400マルヨンマルマルから、元気に戦車隊の破壊へ出撃ですよ。そして戻ってくるなり「身体をほぐすぞ」などとのたまってからの格闘訓練参加。私だってそんじょそこらの同年代には負けませんがね……、三十代も後半に差し掛かろうとしている私の体力では、少々彼らのハイペースには身が持たないといいますか、」

「いやぁ、そこは四○四がやっぱちょっと異常だと思うんすよねー。誰も彼もがあのハイペース出撃じゃ調子崩しますって。自覚ないと思いますけど、着いてけてるガードナーさんも十分ヤバい方ですよぉ」


 ハハハ、とガードナーは困ったように力なく笑って返す。

 自分がようやく数年かけて慣れてきたこのハイペースな生活は、本当に辛かったら着いて来なくていいとすら実は直属の分隊長であるルードルマンには言われている。

 そこになんだかんだ零しながらも、意地でも着いていこうとする気持ちは、正直もはや親心に近い。ハートマンの言う通り、自分も大概ヤバい人種なのだろう。


「はい。いっつも俺達の心配ばかりしてくださってるでしょー。たまにはガードナーさんも肩の力抜いてください」

「ちょっ、こんな高価なもの……」

「気にしないでください、父がくれたものなんで。それに俺、煙草はやらないんでね」


 「内緒ですよー」とウインクしながら手渡されたのは、銀色の包み紙で包まれた小さなチョコレートと茶色のボックスに入った煙草だ。嗜好品は原則主義派の人間にとってもはや高級品の扱いである。


 飄々として若干失礼な物言いをしがちなこの若い少尉は、名家のお坊ちゃんでその上軍大学を首席で卒業という、いわば将来を約束された超エリートだ。遠い将来にはなるだろうが、彼がこの空軍部を率いる中核となることはまず間違いない。

 親の欲目……ではないと思いたいが、そこに自分の上官が加わるような人事が将来もし実現するのなら、きっとこの軍は大きく動くだろうとガードナーは思っている。


「じゃっ、あんまサボってるとバルクホーン中尉がうるさいんで俺戻りますね。少尉殿と小鳥ちゃんでしたら、俺が見とくんで」


 二人ともガードナーさんの心配してたんすよ、とフォローを欠かさないあたり、チャラそうに見えてその実この青年はそつがない。

 ふうとため息をつきながら、ガードナーは微笑んだ。


 煙草を吸わない息子に、父親がそれを送りつけたりするだろうか。

 用意をしたのは確かに彼の父なのだろうが、わざわざそう工面したのは誰なのかはお察しである。


(ハートマン少尉も、器用なんだか不器用なんだか……)


 口に出すと反論が真っ向から来そうだなとガードナーはそれを飲み込む。

 訓練の最中さなかに戻るその後ろ姿を見送った彼は、今しがた受け取ったばかりの煙草をボックスから一本取り出し咥えると、訓練場の外に出た。

 ポケットからライターを取り出し火を点ける。煙が一筋、風に舞った。


 酒も煙草もやらない歳下の上官に合わせ、滅多に口にしない久方ぶりの煙草の味は非常にうまかった——。

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