2−3 昼ノ光ト夜ノ闇、

 若さとは力である。

 そう思うと同時に、若さ故に自分の力を過信しすぎて独走した結果、破滅を招くこともある——。


 シルト・バルクホーンは久方ぶりの夢見の悪さに、吐き気すら催しながら目覚めた。


 目を開ければ、見慣れた天井、見慣れた隊舎の分隊部屋。

 中尉に昇任し、小隊長を拝命したものの、生活の基盤は分隊のそれと対して変化はない。変化があるとすれば、小隊長になった後に同分隊に着任してきた御曹司少尉の面倒を見るようになったことくらいか。


 どこを取ってもお綺麗なこの御曹司は、ちやほやされた世間知らずの甘ったれかと思いきや、やけに正義感が強くその上戦闘機の操縦に関しては天性の才能があるという、若干使いにくい部下でもあった。

 こういう若者が一番面倒くさい、正直に言えば最初はそう思って接していた。しかも名家のお坊ちゃん、付かず離れず当たり障りのない関係でいた方が自分のような立場の者からすれば絶対にいいことは間違いない。下手に機嫌を損ねでもすれば、こちらの首が飛びかねないからだ。


 なのに——。


 飄々とした態度のその部下は、生意気を言いつつもこちらに対してかどを立てるような事は一つもせず。いつのまにか正式に自分の隣を飛ぶようになり、今や『連合軍の矛と盾』なんて呼ばれる始末。

 自分に正直すぎて危なっかしい彼の初陣からフォローに回りっぱなしの自分の気苦労は、しばしば同じ小隊のガードナーと語り明かすことすらあるほどだ。


『独りで突っ走るな』


 よく言う小言は、じつ自戒の言葉でもある。



***



 遥か下に見える地上では、もはや聞き慣れた37mm機関砲の音と共に爆煙がいくつも上がっていた。

 今日も同小隊に所属するルードルマン少尉は、元気よく急降下からの爆撃を地上の戦車隊に喰らわせているようだ。その横にぴったりとくっつくようにくるくると旋回しながら飛ぶ、イエローのラインを走らせた一機のBf 109メルス。その動きは戦場を駆けているとは思えないほど、むしろ親鳥に寄り添う小鳥のような微笑ましさすら感じる。


(別に急降下爆撃なんてしなくても、あの人フツーに飛んでも凄いパイロットなんすけどねぇ)


 それは隊に配属されてからの一年間、事あるごとに同じ戦場を飛び続けてきたエリク・シュペーア・ハートマンから見た正直な感想である。

 まるで自分独りいれば十分だ、とでも言うようなその破壊的かつ周りの誰もがついていけないような戦法。それでいて戦果はきっちりと上げてくる上に、話しかけても全く愛想がない。そんなルードルマンが苦手だった事は誰の目から見ても明らかで、協調性がないだの独りよがりだの、結構な嫌味をぶつけた自覚もある。


 通称 "悪魔の契約者"と呼ばれる、メサイアウイルスから生還した数少ない特殊能力者。その能力の強さは一説によるとその人物の抱えた絶望の大きさと比例するという。


 それもまぁあながち間違ってはいないのではないか——。

 そうハートマンは思う。

 正直、有難い事に自分は恵まれている、何不自由ない家庭で育ち、ぶっちゃけて言えば生まれてこのかた大きな絶望なんて感じた事はない。だからか——。


(火花って、音と光で派手に見えるけど。正直そんなん賑やかしみたいなもんで、大した破壊力も防御力もないんすよねぇ)


 だから目に見えない努力は必死にした。とは言え、幼い頃から要領もよく、父のいる社交場でも大人の中でどうすれば相手の望む言動を取れるか、どうすれば相手が喜ぶのかも把握していた彼にとっては、首席をとるのなんて当たり前かのように見られていて。

 次男坊である自分は別に軍人になろうが家督の存続に何ら関わりもない、むしろ軍との結びつきが強くなると父には喜ばれた。だからこれでよかったのだと納得して選んだ入隊だ。


 エリクが長男でも素晴らしかったな——。

 坊ちゃんはこの家の誇りですよ——。

 エリクくんて素敵ね。


 そんな言葉はもう耳にタコができるほど聞いてきた。別に成績優秀だろうが容姿端麗だろうが、お家柄が良くて周りに人が集まろうが。

 皆が喜ぶ態度さえ取っていればいいのだ。


 それがひっくり返ったのは連合軍の第13師団飛行部隊、空第8中隊に入隊してからのことだ。軍大学にいた時から航空科でパイロットとして頭角を現していた自分がそこに配属されるのは当然とすら思っていた。

 もちろんどんな凄いパイロットが所属しているのかも聞いていたし、中でも中隊長のスティア・イッル・ユカライネン大尉はハートマンにとって憧れのパイロットでもあったのだ。


 初陣でも器用に立ち回り、相手の後ろを取って撃墜した。

 初めて撃ち落とす敵機の燃える炎と夕日が重なり、思わずその朱色に見とれてしまった。……そこを撃たれるとは。

 被弾したのは機銃砲が三発、幸いにもコクピットやエンジン部分への被弾は無く、あとは自分と敵機の間に飛び込んできたバルクホーン中尉によって防がれ、彼の指示の元で所属小隊に牽引される形で帰還した。


「独りで突っ走るな、小隊はチーム戦だぞ。それは相手も同じだ。今日お前が死なずに済んだのは、ここにいる全員のおかげだとしっかり胸に刻んどくように」


 帰還してすぐ、そう彼を諭したのも直属の上官であるバルクホーン中尉だった。

 その声には失望の色はなく、しかし明らかな彼の非を指摘するもの——。


(俺、そんな凄くないんだ)

(でも、)


「失望……しないんですか? 俺、首席でここにきたのに」


 あっけらかんとそう言うハートマンに、バルクホーンは若干渋い顔を返す。


「誰が大学出たてのひよっこに失望するか。生きて帰っただけで今日はもう十分及第点だ、撃たれ方は全く褒められたもんじゃないが」


「不満か?」そう問われた言葉に反射で首を横に振った。

 本音を言えば、ユカライネン大尉直属の小隊に配属されなかったことが悔しかった。どうしてこんな実直かつ派手さのない小隊長の元で、任務に当たらなければならないのかと。

 しかし違うのだ、ここにいる人達は。

 自分に過度な期待もしなければ、一度や二度失敗しようが失望することもない。それどころか自分よりも確実に実戦経験のある歴戦の戦士なのだ。


「じゃあ俺、まず貴方を超えなきゃっすね、バルクホーン中尉」


 思わず出た言葉に、目の前の上官が不意をつかれたような表情をする。


「御曹司と聞いていたが、そんなくだけた話し方もできるんだな」

「あーっ、そういうの正直嫌いだったんでやめます。なんか、ここなら俺が好き勝手発言しても許されそうだし」

「……とんだ開き直り方だな」

「どうとでも言ってください、とりあえず目下もっかの目標は貴方超えることなんで」

「ちょっとは言い方を考えろ、そんな通過点みたいに……。俺はこれでもお前の上官だぞ」

「ふふっ、大丈夫っす。数年後には俺が上官になってると思うんで」


 はぁーっ、と困ったように吐き出した盛大なため息を、隠しもしないその上官の態度がますます楽しい。


「俺、誰も失わないパイロットになりますね。俺ならできそうな気がしません?」

「ああ、是非ともそうしてくれ。そんで俺に楽させてくれるとありがたいな」


 もっとも、今日のあの戦果ではまだまだ遠い未来だろうがな——。

 そう諭されることすら、ハートマンにとっては新鮮だった。


 その後、能力の強さというよりは、その器用さと頭の回転の速さで一撃離脱ヒットアンドアウェイの戦法を確立して自分のものとしたハートマンは、宣言通り今のところ『誰も失わない戦争』をやっている。

 それが如何に凄いことなのか、ルードルマンや一度も被弾をしたことがない故に『無傷の守護者』と呼ばれるユカライネンを見ては、そこに必死に喰らいつこうとしているハートマン自身は知る由もない。





 『ハートマン、下は気にするな。シュヴァルべが着いてるし、フワ曹長も後方待機だ。ルードルマンが弾切れになっても問題はないだろう、とりあえずはこっちを叩け』

「了解っ——」


 バルクホーンの指示を聞いて、ハートマンは操縦桿を握り直した。

 上昇してジグザグ飛行を繰り返し、背後の敵機を振り切れば、斜め上には先ほど指示を飛ばしてきた上官の機体が見える。

 背後からの銃撃が届く前に宙返りをし、敵機の上へと出た。バルクホーンのフォローで幾つかの銃撃が弾かれたのを横目にみながらクスリと笑う。

 ジェット機は加速が速い分、躱して上に出てしまえば丁度いい塩梅に自分の真下にコクピットがやってくる——。

 その綺麗な唇で舌舐めずりをすると、ハートマンは照準を合わせて機銃砲のボタンを押した。


(まず、一機……)


 もうその燃え上がる翼の朱に見とれることはない。

 着弾を確認してすぐに舵をとりなおし、上昇。雲の中に入り、ジェット機のエンジン音を聞き分けながら上昇と旋回を繰り返す。それが真下を通過するタイミングで一気に降下し、機銃砲を撃ち続けた。


「バルクホーン中尉、着いてきてます?」

『今ので三機目だろ、あと一機いけるか?』

「お安い御用ですよー、っていうか」


 またですかぁ——。ハートマンはため息をつく。


 目線を下に向ければ、煙を上げながら落ちていく敵機の側についたバルクホーンの機体が見えた。


 背後から銃撃が来たのを察知し急いで旋回を繰り返す、直くらいのスピードで加速すれば機体がバラけるのはわかっているので回避行動のみに留める。


「しっつこいなーもう! ネチっこいのは女性にも嫌われますよーだ」


 目くらましとレーダー回避に、思い切り空中で火花を瞬かせた。

 上がる煙とバチバチッ! と連続する破裂音の中を斜めにターンし、進路を一瞬見失ったその機体の横っ腹に思い切り銃撃を浴びせかける。


 バァァアアアアン——!!!!


 通り抜けざまに、爆発音がする。

 自分がしているのは戦争だ、バルクホーン中尉のように優しくはない。先ほど見えた上官の姿を思い出し、わざとそのコクピットを狙い撃ちした自分の冷たさに一瞬心が凍りついたような思いがした。


(慣れろ、慣れろ。落とさなきゃコッチがやられる、俺は味方を誰も失わずに絶対生き残るんだ——)


 その機体にペイントされた黒い薔薇。

 そこに誓った二つの約束をそっと心の中で反芻する。


「バルクホーン中尉、上終わりました。合流しましょう」

『了解した、下の分隊にも伝える』


 その冷静な声音に少しだけ苛立ちを覚えながら、ハートマンは部隊に合流すべく高度を下げていった。


 

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