閑話
閑話 禿山ノ一夜、
どうしてこうなった……?
中学を卒業し、其々の思惑の元、晴れて入学した修羅の国は九州の一端に在るとある軍事訓練高校。
その武道場裏の壁に背中をべたりとつけ、追い詰められたような体勢のまま、
命の危険に叫び出しそうになる自分を必死に律すれば、目の前に立ちはだかる人物が鬼の形相で口を開く。
「貴様ら、俺の妹と同室だそうだな」
***
小さいな、とそう思った。
生まれ育った兵庫から特急列車を乗り継いで約五時間。右も左もわからぬその場所へ降り立った赫ノ助は、偶然目に止まった同じ色の軍帽と訓練高校の学生服……改札を出たロータリーで、舞い散る桜を眺めていたその人物に声をかけた。
「すみません。軍事訓練高校はどちらでしょうか?」
「あっちだが……」
声をかけられた人物が振り返り、駅向こうの田んぼ道を指した。
「あっちって……」
土地勘の無い赫ノ助にとって、田んぼ道はどれも同じにしか見えない。これはどうしたものか、と一旦苦笑いを返した。
それにしても、と赫ノ助は目の前の人物を改めてまじまじと
確か規定上は、日ノ元帝國軍の入隊身長制限は159センチメートル以上のはずだ。一応日ノ元の中では高めの177センチである赫ノ助も、同い年の男子でこんなに小さい奴はなかなか見たことがない。
その小さな人物はつり目気味の目でキュッと赫ノ助を見上げ口を開いた。
「何だ、新入生か? 入試で一度来たんじゃないのか?」
「いや、俺その特殊学生で……」
「じゃあ私と一緒だな」
「えっ?」と視線を合わせれば、ニカッとした笑顔を返される。
「本日より航空学科に配属の
名前は? と聞かれ、赫ノ助もそのタレ目がちな目を細めて差し出された手を握り返す。
「俺、新谷赫ノ助。陸上学科だよ、よろしく
軍事訓練高校は陸海空と後方支援の四つの学科があり、海上学科と航空学科の飛行場も備えているため、駅からはだいぶ離れた山の中にあった。
道すがら、不破直と名乗った小柄な人物にこれから入学する訓練校の諸々を聞く。高校は三年制のカリキュラムで構成された全寮制だ。身ひとつ、鞄ひとつでやって来た赫ノ助もそれはまた同じ。
「そういえば俺、寮の場所も部屋も何も知らされてないんだよね」
「私もだ、まあ入校式が終われば何かお達しがあるんじゃないか」
新入生を野宿させるわけにもいかんだろう、とまるで気にも留めてないようにそう言いながら、飄々と歩くその横顔を見る。声をかけた時に桜を眺めていた姿といい、言葉遣いは硬いが何だかコイツ軍人っぽくないな……そう赫ノ助は思った。
(まあ、それは俺にも言えることなんだけど——)
「ねえ不破くん、聞きたかったんだけど」
「なんだ?」
「特殊学生って言ってたよねさっき。気を悪くしたら申し訳ないんだけど……その、身長の規定って」
「特例措置だ、どう頑張っても153センチより大きくなれんかった」
なんだそんなことか、と首を傾げた直にさらりと返される。
「新谷……の、その髪の色も特例か?」
「あーっ、そうそう。俺ハーフなの」
直の言葉に赫ノ助も軍帽から出ていた自身の前髪を摘み、ホラと見せた。
春の陽の光に照らされたそれは、赤みがかった茶色。軍事訓練高校及び帝國軍規則内では、脱色や染髪、耳の隠れる長さ以上の長髪は禁止されていたが、赫ノ助の場合は生まれつきなのでそれに該当しない。
「染めてないし、色抜いてもないよ。ちゃんと学校にも許可とってる」
「じゃあ特例仲間だな」
よく見ると目の色も同じなんだな、綺麗だ。そう笑って隣を歩く人物のあまりの嫌味のなさっぷりに、赫ノ助は笑みを返すと肩の力をふぅと抜いた。
***
「入校初日に遅刻とは、いいご身分だな新入生!」
軍事訓練高校の正門をくぐってすぐ、二人に向けて怒号が飛んだ。
「遅刻!? えっ、でも入校式は11時からのはず、まだ10時ちょっと過ぎたくらいで」
「誰が貴様に口を開いていいと許可したァッ!?」
驚いて咄嗟に出た赫ノ助の反論は、先ほどの怒号の主に一蹴された。
校章をつけた大柄な人物が三人、こちらをじろりと睨み歩んで来る。どうやら風貌からして上級生のようだがこれは一体……。
(そういえば駅からここまでの道中、同じ学生服を着た奴は一人も見なかったけど……)
赫ノ助が思案している間に、先ほど怒号を飛ばして来たその真ん中の人物が、手にした竹刀で並んだ二人の軍帽を撥ね飛ばした。チャッと竹の擦れる尖った音を鳴らし、その竹刀が自分の肩に乗せられる。
「我が校の伝統ではァ! 新入生は
ウッと怯んだ赫ノ助の横で、睨みつけるような目をした直がふうと大きめに息を吐き出した。
「そんなん知りませんよ、事前に連絡も何も無かったから自分達はこの時間に来たとです。伝統なんぞ知ったこっちゃない。学徒とはいえ、映えある帝國軍人ともあろう御人が、着いたばかりで入校式も済ませとらん新入生にそのような文言で脅しとは……ちと粗暴が過ぎませんでしょうか?」
「口ごたえするか貴様ァ!」
後ろに控えるように立っていた別の人物がツカツカと直の方に歩み寄り、その胸ぐらを掴む。
「不破く……っ」
咄嗟に止めに入ろうとした赫ノ助のこめかみを、肩に置かれていた竹刀がピシャリと叩いた。
「チビの心配とは随分余裕だな! それと貴様、その軟弱な髪色はなんだ!? 規則もわからず、遊びにでも来たつもりかァ!?」
「いや、これは地毛で……」
「発言を許可した覚えはないぞ! おい、
「って、オイ! 何すんだ! やめろ!」
背は高めだが細身の赫ノ助はあっという間にもう一人に羽交い締めにされ、身動きが取れなくなってしまう。その頰にひたりと鋏が当てられた。
「怪我をしたくなければ大人しくしていろ、」
こいつは本気だ。ぐいとぞんざいに引っ張られた髪と鋏の感触に、赫ノ助は身体の芯が凍りつくような気分になった。
髪色もそうだが確かに自分は隣にいる直よりも、目の前の上級生よりも髪は長い。それだって正当な理由があってのことだ。しかしそれを口にしたところで彼らを調子づかせるだけであろう。
キラリと黒光るその鋭い刃に、思い出したくもない過去を呼び起こされた赫ノ助はうっと息を詰まらせる。息が——苦しい。
やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、
ぼくの髪が、目が、肌の色が違うからって
焼かないで、切り裂かないで——
ぼくはこの国で生まれたのに、お父さんを、お母さんを、
お願いだからかえして——
「おい、やめろよ」「もう我慢ならん、この外道が!!」
その冷たい感触の刃がシャキンと交わる前に、静かな低い声がした。
同時に真横から直のものであろう怒鳴り声と「ぐぼあぁあっ!!」という吐き散らすような声が聞こえ、胸ぐらを掴んでいた上級生が膝から崩れ落ちる。
その脚の間から小さな身体の反動を使って思い切り上級生の股間を蹴り上げた直は、勢いそのまま今度は赫ノ助を羽交い締めにしていた上級生に殴りかかって行った。
「貴様! 上級生に初日から反抗とは! 退学にされたいかッ!?」
顔面にその小さな身体からの渾身の一撃を喰らった上級生が、蹴りを返しながら叫び返す。
「やかましい! 暴力を暴力とせんがための軍事学校でこんな非道な行いが上等ならば、私は兵になんぞならんでいいわ!」
「このチビィ! 現に貴様の振るうその拳は暴力では、」
「辱められかけた友のための暴力だ! これが帝國の奮うべき芯の通った暴力だ!恥を知れこのゲス野郎が! 威厳を示す相手も方向も間違っとるわ!」
ぎゃあぎゃあわめき散らしながら、砂利の上をもつれ殴り合いになる両者を呆けた表情で見ていた赫ノ助は、ふと目の前に佇んでいた人物の方に視線を戻す。
「ねぇ……ありがとうなんだけど、その人オチてるよ……」
「んっ?おわっ、締めすぎたか」
鋏を手にした上級生を制止する形で、その手と首元を固めていた色黒の少年があちゃーと手を離した。口を開けたままのその身体がどさりと地面に倒れる。
「悪い、人に鋏を向けとったんが見えたし、お前が嫌がっとったんがわかったけんつい……」
自分でなんとかできたか? そう聞かれて、赫ノ助はいやいやと困ったように首を横に振る。
「助かったよ。どうかなるかと思った」
「なら良かった」
人の集まる気配を感じた二人は、依然罵声と土埃を上げながら乱闘する二人を止めに、ふうと長めの息を吐いて足を踏み出した。
初日から乱闘騒ぎを起こしたにも関わらず、不思議となんの処罰も与えられない事に赫ノ助と鮫島と名乗った色黒の少年は心底安心した。これで入校取り消しにでもなっていたら、今夜は野宿を決め込む羽目になっていたところだ。
「いやー、しかし奇遇だね。まさか同室だなんて」
「三人ともが寮の部屋を手配されてなかったとはなぁ」
「しかも其々、学科も違うんだもんな」
「その上全員特殊学生、これ完全に持て余されてない? 俺達……」
式も無事に終わり、上級生との接触を避けるかのように三人だけが教官に連れられ案内された寮の部屋。少ないが、一旦どさりと肩の荷を降ろすかのように全ての荷物をその場に下ろすと、三人は思いきり床に寝そべった。
「改めて、よろしく。俺、赫ノ助。古めかしいし、呼び辛いと思うから、
「不破……直だ、直でいい」
「俺、鮫島蒼一。やったら俺も蒼一と呼んでくれ」
三年間、お互い頑張ろうな。誰ともなしにそう呟き、笑う。
その後は指定された時刻通りに食事をとり、入浴、点呼、着替えを済ませ、波乱続きの一日が終わる。
……はずだった。
***
歯を磨きに行く、と洗面所へ向かった直より先に寮の部屋へ戻ると枕元に手紙が置いてあった。
『鮫島蒼一、新谷赫ノ助、以上二名——』
『本日、時刻2300、武道場裏ニ来ラレタシ』
イタズラか? と思いつつも、文の最後には帝國陸軍の判まで押してあり、無視できないだろうと判断した二人は。消灯後にこっそり部屋を抜け出し、この武道場裏に来る事になったのである。
そして場面は冒頭の有様へ戻る——。
「いや、待ってください。まず俺達すな……不破が女って事すら知らなくて」
「気づいてたか?」そう蒼一が耳打ちすれば、赫ノ助が小刻みに頭を横に振った。
「だって着替えてる時タンクトップだったし、」
「ァア? 着替えを見ただとォ!?」
「ちっ違っ、だって、ぺったんこだったしまさか女の子だなんて」
「だぁれがぺたんこだァアッ!?」
文字通り確実に火に油を注いでしまった赫ノ助の発言により、ゆらゆらと目の前に揺れる火の球の火力が増した。
ゲッ! 何正直に言ってるんだよこいつ馬鹿か! と目を見開いて横の赫ノ助を仰ぎ見た蒼一も、口には出していないもののぶっちゃけ同罪である。
「ひぃぃいっすいません! とにかく、気づかなかったんです! だって、むしろ俺より漢らしくてカッコいいくらいで」
「どう見ても可愛い女の子だろうが!」
「アッ! ハイ!」
「とても! 可愛らしい女性ですっ!」
「ァア!? 貴様今直を可愛いと言ったか!? そんな目でうちの妹を見たのかァ!?」
((理不尽……ッッ!!!))
「あっあの、不破軍曹、今日は自分妹さんに
「そうです! 自分達二人とも、今日は妹さんに助けられました! 感謝こそすれその恩人をどうこうしようだなんて、死んでも思いませんッ!!」
「っていうか、どうこうできそうなほど、妹さん弱くないですって……イッテェっ!」
もうお前は頼むから口を開かんでくれ! と蒼一がその背中を思いきりつねる。
二人を呼び出したのは帝國陸軍の
どうして不破なんて珍しい名字を忘れていたのか——。
帝國陸軍幹部、不破中将の長男。素手でB-29を叩き落としただの、2000対1の無人島でのゲリラ戦を突破しただの、その名を知らぬものはこの日ノ元の中に居ないのではないかと言うほどの"鬼軍曹"。
まさか、まさか今日同室になったばかりの。あの小さい直が。ちょっと古風で硬いが、漢らしい直が——。
((この人の妹だなんて思うわけないじゃんっっ!!!!))
地面に落ちた桜の花びらが、石ころが、轟々と炎を帯びて燃え上がり宙を飛ぶ。
「貴様らのデータは全て見させてもらった、十分に素質のある良い人材だ」
少し穏やかになったその声音に、二人は一瞬息をつく。
「だがそれと俺の妹との同室措置はなんの関係もない! わかっているだろうな、うちの可愛い可愛い妹に何かあろうもんなら」
「「誓ってそのようなことはいたしませんッ軍曹殿!!」」
つい先刻初めて習ったばかりの敬礼を、まさかこんなところで復習する事になろうとは思いもしなかった。
「俺としては可愛い妹の寝顔を、そんじょそこらの一兵に見られることすら許しがたい……」
言いながら、その握られた拳がぶるぶると震えている。
(マジでヤダこの人、頭おかしい……)
(いやもう今まさに、その寝顔すら一生見られなくなるかもしれない命の綱渡りの
その拳か炎が、自分達を殴りつけるのを覚悟した瞬間の事だ。
寮の方でガラスの割れる音がした。
「あれ、俺達の部屋じゃない?」
「なんだとっ!?」
「今って直しかおらんはずじゃ……」
考えるより先に赫ノ助の足が動いた。二人の呼ぶ声を後ろに聞きながら、全速力で音のした方へと走る。視界に入ってきた割れた窓ガラスに、その脚はさらに速まった。
「すなおっ!?」暗い室内に呼びかける。
部屋はシンとして何だか様子がおかしい。
「戻ってきたか、消灯時間過ぎても部屋におらんとは手間かけさせやがって……」
ガッと蹴られて壁にぶつかり、ようやく室内の様子が見てとれる。
返事がないのもこのためか。木刀を持ち、直の口を塞ぎ床に抑え込んでいたのは今朝の上級生達だ。
……私情でこんな時刻に
『辱められかけた友のための暴力だ! これが帝國の奮うべき芯の通った暴力だ!』
直の言葉が、頭の中で反芻した。
ふうと息を吐き、見下すように吐き捨て両手を広げる。
「アンタら、本当にクズだよ。人種って関係ないんだね、俺の友達……離してよ」
その手に灼熱の炎が浮き上がる——。
「かくっ! やめろ! 校舎内での能力の解放はご法度だッ!」
抑えられていた口を必死の抵抗で振りほどき、直が叫ぶ。
「黙れっ!」直の顔面が踏みつけられた。
「貴様らは勝手に部屋で乱闘し、問題を起こした新入生として明朝退学処分となる! 全員がだ!」
「やめろっ! その足を退かせ」
「やめて欲しくば貴様も大人しく殴られるんだな、ほら来いッ」
「くそやろう……」
苦々しく言い放ち、俯いて炎を緩めた赫ノ助の肩を誰かがポンと優しく叩く。
「貴様の誠意は十二分に受け取った、新谷赫ノ助」
それは誰よりも強く、まっすぐ、燃えるような温かな声。
「おいおい、帝國軍学徒のミジンコ諸君。どんな権限があってこんな時刻に可愛い下級生の部屋に押し入っているんだ?」
「アァ? 誰だきさっ……」
声が止まる——。
チラリとその部屋を一瞥した弘のこめかみに青筋が浮かんでいた。
「その足を退けてくれるか。俺の可愛い妹なんだが……」
「不破……軍曹?」「いもうと……えっ」
「発言は許可しとらん! コンマ一秒で足を退けんかァッ!!」
「ふわ、ぐんそ……ぶべあぁあッ」
「口を閉じろ! 舌を噛むぞこの下衆どもがぁ!!」
ごすっ、ごすっ、グキャっと異様な音が部屋に響く。
追いついた蒼一の真っ青な顔を見て、赫ノ助はそちらを敢えて見ないようにした。
「直、大丈夫?」
昼間よりも酷くなったその姿に、心が痛む。
差し伸べながらも、震え、躊躇した赫ノ助の手を直はがしっと掴んだ。
「平気だ! こんなもん。お前らが無事なら」
「いやいや、起き上がれとらんやん」
言いながら、直を挟む形でやってきた蒼一がよいしょっとその小さな身体を抱え起こす。
二人の肩を抱き寄せるように掴むと、直はニシシとその腫れた顔で笑った。
「大丈夫だ! だってお前らがちゃあんと助けにきてくれたからなっ! 兄上とも仲良くなったのか! 嬉しいぞ!」
その言葉に、二人の身体は一気に強張った。
「あー、えーっと、直ちゃん?」
「あの人、やっぱりお前のお兄さんなの?」
満面の笑みで二人をぎゅっと己の方へ寄せた直は、「そうだ!」と力強く頷き、物音のしなくなった中で仁王立ちしているその人物へと声高らかに告げた。
「
ケラケラと笑うその笑顔にホッと一息をつきながらも、この先の三年間を思うと急に酷い頭痛と猛烈な眠気が襲ってきた蒼一と赫ノ助は。まるで電池が切れた人形のように、その場にばたりと崩れ落ちた——。
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