【番外編】雪の弾丸は撃ち砕けない [中編]

 目を覚ますとスロは家のベッドに寝かされていた。焦点の合ってきた視線をずらせば、そこには母と村の医師の姿が見える。


「スロっ! スロ! 何があったの!?」

「おかあ…さん……?」


 鈍い痛みと顔に貼られたガーゼに、最後に残っている記憶が呼び覚まされ、言葉よりも先に大量の涙が溢れ出た。


「スロ!?」

「おとう、さんが。皆が、連邦が撃ってきたって……うっうぐっ」


 いくら大人顔負けの射撃の腕があっても、スロはまだ11歳の子供だ。こんな時ですらうまく状況を説明できずに泣きじゃくる自分が嫌になる。そのままゴホゴホと咳き込み出したスロを慌てて母が寝るように促す。


「酷い熱だ、寝ていなさい。……しかし、狩りに出た者は他に戻っていないし確かにスロのその傷は銃弾によるものだが」

「じゃあ、他の人達は……」

「みんな、もう、帰って……こない」


 母の言葉に精一杯息を吐いて答える。身体がまるで燃えるように熱い。


「おとうさん、僕を逃がすために、うっ…撃たれて。みんなや…軍に早く伝えろって」


 咄嗟に母は声を上げないように口を手で塞いだ。それでもスロの前で涙が溢れてくるのは止められなかった。


「今はしっかり気を持つんだ。とにかく村長や、スオミの軍に連絡をしないと……うっっ」

「……!?」


 部屋から一旦出ようとした医師が突然その膝をつく、「これ……はっ、げぼぉっ」信じられないというように目を見張って喉を押さえた医師の口からぼたぼたと血が溢れ、床に真っ赤な跡を残していく。


「きゃぁぁぁあああ!!」

「おか……、っぷ」


 突然の出来事に叫ぶ母に声をかけようとして、スロもまた自身の異変に戸惑う。

 熱い、熱い、身体が熱い、目の前が暗い。つぅーと口から流れ出たのは生温い血の味、肺が押しつぶされそうだ。


「スロ! アナタまでどうしたの! スロお願い!」


 叫びながら自分の身体を抱き上げた母に、「大丈夫だよ」と言おうとしてごぼりと血の塊を吐いたのがわかった。

 聞こえてる、聞こえてるんだよお母さん。僕の目に何も映っていなくても、僕の身体が動かなくても、お母さん、お母さん、眠れない、熱くて全然眠れないんだ——。




***



「遅かったか」


 村に到着した陸軍部隊の大隊長は、凍てついた目でその惨状に近い有様を見下ろしながらそう呟く。 


 ダァーンッと引き金を引いた音が遠くで聞こえるのを、スロは水底にいるような意識のまま聞いていた。


「その子供は置いていけ、どのみちもう助からん」


 数人の軍人が、ハユハ家のドアを開けそこに立っている。

 母は気丈にも彼らを睨み返した。


「嫌です。夫を亡くした私に、子供まで失えとおっしゃるのですか」

「見てわからんのか? そいつはもう立派なウイルスの感染源だ。それも今世界中で混乱の源となっている程の、な。医者の方は今しがた処分した、このままでは貴女も感染源との接触者として隔離対象となるが……」

「では私はここに残ります、何があっても最後までこの子と一緒です」


 フゥーッと白い息が吐き出される。

 それ以上、彼らはこの家の中には踏み込んでは来ない。まるで、スロのいるその空間との接触を拒むかのように。


「どちらにしろ、その子供を連れていくというのなら残留を迫られただろう……」


 飽き飽きとしたような、そんな表情だった。そのまま振り返り、背後にいる部下へ命令を下す。


「現時点をもって国境線の破棄が決定した。この村も連邦に明け渡す事になる。村の住人を即刻軍と共にヴィープリへ向かうように誘導しろ」

「……っ! どういう事ですか大隊長! そんな事全く聞いて……ぐあっ!!」


 割って入った兵が、大隊長に殴り飛ばされる。


「ヘグルント! 貴様はいつ上官に口出ししていい立場になった!? 貴様はこの村出身だというから道案内に連れてきただけだ。一切の権限はないのだぞ」


 ゴスッ、ゴスッと倒れた兵に重い蹴りを入れる音が響く。


「っしかし! 村を捨てろとは! ここに住まう者達に全てを捨てろというのと同じで……がぁっ」


 散々蹴りを喰らい、地面にくの字になった彼の顔面を大隊長は力一杯踏みつけた。


「国全体の人間と、村一つ、どちらを護るべきか考えろ!我々は軍だぞ」

「……」

「住民の移動が開始され次第、村に火を放て。何一つ連邦の糧となりそうな物は残してやるな」


 無情な言葉を吐き捨てるように言い残し、彼らは村の方々へと散っていく。

 残されたのは、大隊長と呼ばれた男に暴行を受け床に転がったままの兵のみだ。


「ヘグ……ルントさん?」


 頰に涙の跡を残しながら、スロの母ニナは倒れた兵に近づいた。

 倒れた兵……、ヘグルントは同じ村で育ち、夫エドヴァルドの後輩でもあった男だ。過去の兵役義務の際にエドヴァルドと共に徴兵され、そのままスオミ国防軍の所属になったと聞いていた。まさかこんな形で村に戻ってくるなんて。


「すみません、俺っ。兵隊になったのに……っ、何もできなくてっ」

「ううん、貴方の行動はすごく勇気がいったはずよ。ありがとう……そうよね、皆此処を数時間で追われるなんて。何もかも失くせと言っているようなものだわ」

「不可侵条約が、一方的に破棄されたんです……。国境付近でカルヤラから銃撃を受けたと…そんなの言い掛かりだ。まさか、まさかカルヤラを明け渡すなんて。それに、エドヴァルドさんは……」


 その言葉に首を振って答える。

 

「そん……な。ニナさん……、スロくんは恐らくもう長くは持ちません。メサイアというウイルスの症状です。特効薬もなく、て。だからせめて、貴女だけでもっ」

「今朝狩りに出て、戻ってきたのはスロだけ。だからお願い、村を失うというのなら私からこの子まで奪わないで」


 その視線の先には、命の灯火が消えようとしている我が子がいる。

 貴方は軍と一緒にどうか村の人達を。その言葉にヘグルントは血と泥で汚れた顔を歪ませた。


「どうしてこんなことに。この村も、カルヤラの民も、何も……何もこんな仕打ちを受けるようなことなんてしていないのに!」


 くそっ! と床を叩きながらじりじりと起き上がったヘグルントの血と涙を、ニナはそっと拭った。


「貴方みたいな人が軍にいれば、いつか。いつかきっと、変わる時が来るわ」


 その言葉にハッとしたようにヘグルントは身を起こす。


「待っていてください。陸軍にアルベルト・ユカライネンという大尉がいます。国境線の防衛任務で戦車隊を率いているはず……彼が間に合えばっ」

「ヘグルントさん!?」


 故郷が、カルヤラの地が少しでもいい、護られるのならば。

 ヘグルントは命令違反を承知で、一人国境線へと向かった。





 連邦の進軍は思いの外早く、国境線の一部を踏み越えた歩兵連隊は既にカルヤラの各地を蹂躙しつつあった。

 カルヤラ地峡の最も巨大な湖、ラドガとその周辺では燃料となり得る泥炭が採取されることでも知られている。また、豊かな自然の中で育まれる恵みはこの地峡に住む全ての人々の命の源であり、心の拠り所でもあった。

 そこを連邦は攻めてきたのだ。資源と、カルヤラの民の希望をへし折るために。


 その毒牙は、スロ達の住まう村へも間も無く届くことになる。



 住民の了承を得るまでの説得に、思いの外時間を要した。

 中にはこの村に残って最後まで抵抗すると断固として主張する者も少なくはなく、予想外の苦戦に大隊の指揮官は歯噛みする。

 殴り飛ばした部下一名はいつの間にか姿が見えない、しかしあのザマではいたとしても感情で足が鈍り使い物にならないだろう。村ひとつ、自分の命と比べたらなんだというのだ原住民が。

 大隊長はそれを気にも止めず、急ぎヴィープリへの後退を指揮していた。


 ソリも、冬の蓄えも、弓矢も薪も、とにかく全てが火にくべられた。

 手に負えない数の犬達は射殺されていく。あまりの惨たらしさに、村の人々は子供のいる家族だけは先に……と送り出していった。

 連邦に与えないため、その糧として利用されないためとはいえ、今現在奪われ消されているのは自国の兵の手によるものだ。もはや何を信じていいのかも、村の民達にはわからない——。


 足の鈍ったその村を、予想以上に進行の早かった連邦の歩兵部隊が襲った。






「イルマタルよ、大地の母スオミ・ネイトよ。どうか愛する我が子をお護りください……」


 銃弾の飛び交う音。誰かの囁き呼ぶような声に、スロの意識は呼び戻された。

 意識の混濁する中で、それでも必死に母の姿を探す。左目は、どうやら見えなくなっているようだ。熱に浮かされた状態で必死に指先を動かせば、それが何かに触れた。


「おかあ……さ」


 ニナは浅い呼吸でスロを庇うように倒れていた。

 いつの間にか投げ出されたように床に転がる自分の身体、火に包まれた部屋に気づいて一瞬意識が覚醒する。

(おかあさん……っ!!)

 必死に力を振り絞り、身体を捻って倒れた母に寄り添う。しかし、触れた頬の温もりは消えつつありその目にはもう何も映っていない。その唇は、もう自分の名を呼んでくれる事もない。

 べっとりとした母のものか自分のものかもわからない血の感触に、スロの中で何かがぷつんと切れた。

(あ、あ、あ、あ、あああああああああああ)

 パリンッと、銃弾が撃ち抜いた窓ガラスの破片がすぐそばに飛び散る。


 少し勢いの落ちた銃弾は、しかしそのまま真っ直ぐの軌道を描いて飛び続けることもできず。その空中でぱきりと凍りつき、ひとつカランという虚しい音を立てて墜ちた。

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