閑話 死ノ天使、

 ヴィープリの防衛線の塹壕は負傷者で溢れかえっていた。何とか機関砲を撃ち続け持ち堪えていたものの、すぐ側にあの嫌な機械音が近づいてくるのがわかる。

 負傷者を運び出したくとも、下手に塹壕から出ればその人数を増やしてしまうだけだ。


「この戦争こそが、貴方の最も憎むべき破壊行動と地上の汚染なのではないでしょう……かね」


 そう神に恨み言を呟く。

 物言わなくなった部下をここに置いていきたくないという気持ちが、ヘグルント大隊長をまだこの塹壕内に引き止めていた。そう簡単にへばっては、彼らが報われん。それはきっと、隣で同じく銃を撃ち続けている部下達にとっても同じはずだ。

 この国境を超えた向こうにあるカルヤラの地は、元々スオミの民族の住まう地だった。ウイルスの恐怖さえ届かないような辺境の地、争いも知らない民族の元に連邦はやってきた。


(あの一方的な虐殺と、住み慣れた愛する土地を奪われた痛みを我々は忘れていない)


 同胞達は失くした家族や仲間のために、あの地をもう一度取り戻そうと命を賭けた。その皆の無念を、仮にも大隊長である自分が捨てて退避などできない。

 きっと——。本心ではわかっている。連合軍は決してスオミだけのものではなく、上層部からすれば落としたくはない地域だが割ける人材も限られている場所。志願兵が多いのもそのせいだ。味方の偵察機が上空を飛ぶ音はしたが、そこからの援護射撃などはなかった。状況報告を優先させたのだろう。


(こういう時に、故郷の地で死ねたなら……で済まされる要員でもあるんだよな我々は)


 だからこそ、自分は決して屈したくはない。

 銃弾を撃ち尽くすと、近くに転がっていた背嚢に手を伸ばした。

 もうそこには、撃てる弾丸タマすら入っていなかった。


「大隊長! 負傷者で溢れかえって身動きが!」

「補給がやられました、もう弾薬もありません!」

「機関砲! 撃ち切ります! どうかご武運を!」


 部下達の叫びが聞こえてくる。

 手元にあるのは三八式歩兵銃と銃剣のみ、跳ね返った砂利や破片で血だらけになった手にその銃身を縛り付ける。……家族に会いたいのは自分だけではない。


「死にたくないものは止めはせん! そのまま退却しろ! 一分一秒でもこの場を長く持たせてやる! 覚悟のあるものは私に続け!」

「何を言いますか! 貴方だけに殿しんがりを務めていただくほど、我々だってヤワじゃないんです」

「覚悟なんて、志願したその日から持ってましたよ!」


 良い部下を持った。何なら自分の命よりも惜しいくらいだ。


「願わくば雪となってカルヤラの大地に降り、雪解け水としてラドガの湖に混ざりたいものだな」


「出るぞ!」そう短く叫ぶなり、塹壕からヘグルントは飛び出す。何名かの部下の叫び声が聞こえ、ついてきたのかと心の中で手を合わせた。


「あっ」


 息を吐くような声しか出せなかった。

 塹壕のすぐそば、人間の子供くらいの大きさの自律型致死兵器システムLAWSの銃口がまっすぐにこちらを向いていたのだ。まるでヘルグントが出てくるのを待っていたかのように、はたまた会話を聞いてここまできていたのか。


(せめて一撃……)

 ピュンーッ。

 部下を葬った音が聴こえた。

 目の前が暗くなる。繰り出す銃剣は最新機器にとっては玩具オモチャに等しい。そんなことはわかりきっていた——。






「よくぞ、耐えてくださいました」


 気を失ったヘグルント大隊長を抱え、陸第4中隊のトーマス・オールソン中尉が呟く。大隊長を狙った自律型致死兵器システムLAWSは発射のタイミングでその照準レーダーを彼が撃ち抜いていた。

 銃撃をこめかみに掠めた大隊長は気絶しているものの、この程度の怪我であれば助かる。そう判断し、今まさに塹壕を飛び出さんと残っていた兵に彼を預ける。


「早く、お逃げなさい」


 涼しげな顔に片眼鏡モノクルを掛けたその姿に兵達はいきり立つ。


「まだ闘えます!」「どうして今頃!」

「あんた達が常駐していればこんな…っ」

「逃げるなんてそんな言い方っ!」


 ピィィィィィーッと、自律型致死兵器システムLAWSの射撃音のそれよりも甲高い音が鳴り響いた。やけに片足だけ大きな銀色のブーツを履いたオールソンは、その足で地面を思いきり踏みしめる。


 瞬間、光が四方に飛び散った。近づいてきていた機械音が一切聞こえてこない事に気がついた兵達がざわつく。


「悔しさは十二分にわかります、どれだけ連隊長がゴネようが我々は一個中隊。司令部を確実に守らねばならない、故に国境線への常駐警備は歩兵連隊の貴方がたへ一任するしかない。それが軍です」

「わかってるさ! でもアンタ、その勲章、スウェディッシュの将校だろ! 前線にいる俺達の気持ちなんてわかるはずが、」


 言葉を遮るようにもう一度、彼が足で地面を力強く踏みつけると、再び光が飛び散り破裂音が響いた。


「無駄口を叩いている暇はありません」

「このっ……!!」


 何が起こっているのが、塹壕の中から見上げる兵からは見えない。言動は穏やかなのにイヤに威圧感を感じる。


「我々は魔法使いではない。死んだ者は生き返りません、怪我をすぐに塞ぐこともできません」


「だから、」もう一度、地面を踏みしめる音がした。

 その言葉を追いかけるように、今度は味方陣地側からまるでアーチのような弧を描いて雨嵐と弾丸が降ってくる。


「行ってください。大隊長もあなた方も助かります。息をしているものを見つけたら伝達を」


 塹壕に落ちる巨大な影に気づき、兵達が振り向く。


「トーマス、お前は言葉が下手すぎる。斥候せっこうに向かんな」

「申し訳ありません、」

「だがはらわたが煮えくり返りそうなくらいいかっているのは伝わった」


「グスタフ……ニルソン大尉だっ」装甲車から降りたった屈強な人物を見て、誰かが泣くような声をあげた。その声に牙を剥いたような笑みを見せグスタフは応える。


「あとは陸第4中隊に任せろ、地獄を見せてやる」

 

 それが反撃の合図だった。



***



『全隊に告ぐ! 国境線はなんとしてでも死守しろ、敵はぶっ潰せ! その他細かい指示はせんから安心して暴れちらかせ! ……最後に一つ、連邦側の大地がどうなろうが俺の始末書には全く関係ない! やれぇぇぇっ!』


 自律型致死兵器システムLAWSを大量のスクラップにしているうちに、どうやら対抗して連邦の戦車団が出てきたらしい。叫び声と叫び声が重なって装甲車内の無線がくわんくわんと変な音を立てる。


「おぅし! 俺達も行くぞ!!」

「あっ、ちょっオブゼン軍曹!」


 塹壕の中で要救助者に手を貸していた赫ノ助は、完全に出遅れる形になりその場に佇んだ。


 防衛線の本部のあるヴィープリから離れたラドガの湖に一番近いポイントに、オブゼン・トーデンダル軍曹率いる分隊は到着し作戦を遂行中で、装甲車二台と戦車二台の小隊を崩さないよう進んでいた。

 一通り自律型致死兵器システムLAWSを吹っ飛ばした時点で、赫ノ助は堪らず塹壕に飛び降り引き続き息のある者を探していたところである。到着した時点で、動ける兵達は本部の方へ撤退させていた。


「気にすんな、アレお前を置いてったわけじゃなくて、お人好しのお前の好きにさせたいってオッサン心だから」


 棒立ちで固まっていた赫ノ助を解凍するかのように、整備兵でもあるヨアキム・ゲショス伍長が戦車のハッチに手をかけながら声をかけてきた。


「衛生兵、来るまでそのままにしたくないんだろ。大丈夫、建前上はオブゼン軍曹が間違って・・・・アラヤ伍長を忘れてっちゃったってなるから」

「ですが……」


 自分の気持ちと分隊長の判断が正しいのか、決めかねている赫ノ助は言葉を濁す。


「お前、どっちかっていうと歩兵なんだろ、気が済んだら追いかけてこい」


 俺らが小隊崩すとブッ殺されっからな〜と冗談を言いながら、ハッチを閉めた戦車がそのまま連邦の国土へと進んでいく。この死体の山を見てもその声がけができる先輩伍長に、戦地のイカレ具合を改めて思い知らされたような気分だ。


 遠くでドォオオオオオンと地鳴りのような音がした。


(ニルソン大尉かな……)


 大地が割れるような音……という表現があるが、拳で大地を叩き割る中隊長がいるとは配属されてから知った。冗談じゃない、普通に組手をするだけで死んでしまう! と逃げ回ってから、赫ノ助の中隊での評価は"気の弱い奴"だ。


 ヒューヒューと規則的に響く呼吸音が聞こえ、まだ少し息のある兵を見つけ駆け寄る。上に折り重なった死体に(ごめんっ)と心の中で謝りながら乱暴に撥ね除けた。


「ごめん、痛いけど我慢して」


 裂傷部分からこれ以上血が流れ出ないように、一旦水筒の水で傷を洗い手をかざして傷口を焼く。皮膚の焦げる嫌な匂いがした。首を支えて水を飲ませてやると、渇いていた呼吸音が少し落ち着き赫ノ助はホッと胸を撫で下ろした。塹壕に寄りかからせ、衛生兵にわかりやすいように白い包帯を巻いておく。


 脚がちぎれて気の狂ったように叫ぶ兵もいた。さすがに泥と血でまみれた場所で、切れた脚を探すのは困難だ。同じように傷口を焼いて止血はしたものの、だんだんと弱くなっていくその声にあぁダメかもしれない、と静かに思う。

 物資の少ない原則主義派の国家、綺麗事だけで戦争はやっていけない。使える武器は例え死体が握っていようと回収される。癒着した部分は斬り落とされるか焼かれてしまう。できるだけ、家族の元へ綺麗な状態で帰してあげたい、その気持ちでガッチリと握り込んだ銃から何度ゆっくりゆっくりその指を解きほぐした事だろう。


「貴方は……天使ですか?」

「えっ?」

「最期に、祖国の湖のそばで、天使に会えるとは」


 脚がちぎれ息の弱くなった男が、そう赫ノ助の頰に手を伸ばしてきた。その手は、届く事なく堕ちていく。安らかな表情だった。


「天使……ねぇ」


 男の瞼を手で下ろす。茶色みがかった薄いヘーゼルの瞳は光の具合で金色にも見えるという。正直、赫ノ助は自分の目と髪の色が嫌いだったが。


「衛生隊、到着しました!」


 ハッとその声に振り向けば、塹壕を走って来る連合軍の隊服が見えた。ラドガの湖付近まで彼らが到着するのに、だいぶ時間を要した事だろう。その泥だらけの姿に敬礼をする。


「応急処置ができる限りの人達には包帯を巻いておきました。皆出血がひどいので早めに運んでください」

「ありがとうございます!」

「あのっ、貴方は?」

「あぁ、陸第4中隊なんだけど、装甲車に置いてかれちゃって。今から追い掛けるとこです」


 ヨアキム伍長の言い訳がどうやら今役に立った。

 いそいそと担架が拡げられ、他にも救護が必要な者を発見し呼ぶ声も響き渡る。その光景を横目に、赫ノ助は塹壕からえいと飛び出した。


(一人を助けたって、全員に手は届かないのに)


 最期に自分を天使だと呼んだ男は救われたのだろうか。

 その手に最期に握っていたのは十字架ではなくカルヤラの紋章だった。


(祖国……、そんなに大切なものなのかな)


 名誉や心の故郷のために闘うなんて、実はこれっぽっちも理解できない。

 だからまっすぐに、誰かを守るために闘える旧友達が実は少し羨ましい。


 ただ、残酷な世界が、戦争が嫌いだ。

 奪うだけの、理解の範疇を超えた存在が嫌いだ。

 向いていたから軍隊に入った、それだけだった。


 でもやっぱり。友達がもし傷つけられるのなら許さない。

 こんな自分でも、共にいてくれた数少ない友を。

 自分の生き方すら選ばせてもらえなかった友を。

 同じように迫害を受けながら、人を愛し愛された友を。

 そして救いなく、国のために命を失わなければならなかった人達の上に平然と成り立つ仮初めの神など……自分は信じない。


「俺、天使じゃないよ。それで貴方が救われたんなら、天使の皮でも被るけどさ」


 そうぼそりと呟いた。

 だって、今から自分がする事は"弔い合戦"という名の虐殺だ。

 神の名の下に人を殺していいのなら、人の名の下に神に楯突いたって文句はないだろう。



There's no GOD神なんていない. You justお前は只の infamous butcher忌まわしき無慈悲な虐殺者だ



 戦争に綺麗も汚ねーもねぇんだよ。

 うるわしい口上でさも正しいことのように述べられる、アンタの定めた禁忌とやらも気に食わない。

 その禁忌とやらで、俺は何もかも失くしたんだからな。


 パンと合掌するようなポーズを取り、両手を広げる。轟々とそこには燃える炎の塊が生まれた。それはやがて空に向けて大きく大きく、翼を広げたような形になる。


『 Flying free, okay baby? ……Kill Them All 』


 今は亡き父の国の言葉で、赫ノ助は空にその巨大な翼を放った。

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