閑話 あゝ、遠きスオミの空よ

「ヂーマミー豆腐が食いてえ」


 もう5月も末だというのに肌寒い、そんな北欧の空を見上げながら一人の青年が呟いた。


 連合軍第13師団の飛行基地内にある整備工場横を、紺色の帝國軍作業衣に身を包んだ三人がゆっくりと歩いている。

 先ほど声を上げ、口を開けたまま空を眺めているのは鮫島蒼一さめじまそういち水兵長。南の島育ちの日に焼けた肌と、綺麗に揃えられた五分刈りが、左右を歩く同期のそれとは異なりよく目立っていた。


「そうか、蒼一は徳之島の出身やったもんな。スオミの海は寒かろねー」

「つーかそもそも豆腐ってもんがこっちにはなさそうじゃね?」


 そう言ってくるのは軍事訓練高校時代の同期である不破ふわすなお新谷あらや赫ノ助かくのすけ。背の小さい西の方言を喋るのが直、背が高くいかにも女にモテそうな顔をしているのが赫ノ助だ。

 学科も配属先もそれぞれ違ったものの、クセの強い余り者同士だったからなのか何故か三年間寮の同室で過ごすことになった、もはや腐れ縁とも呼ぶべき存在である。


「あぁもう、二人とも。そんな現実的な話をしてるんじゃなくてなぁ、故郷の味が恋しいなーって浸っとるのよ。あ、でもさ。正直こっちの海の生き物は何も知らんから、俺楽しみなんよね」

「ふん、浸るでなしに取り返せばよかろ。蒼一ほどの海兵はなかなかおらん、海の奴らもすぐにお前を気にいるやろ。んで、珍しい奴がおったら教えてくれ」


 やれやれ……とかぶりを振って見れば、左を歩く直がそう言って不敵に笑って見上げてきた。こういう事を少しも疑わずに本気で言ってのけるのが、この小さな友人の良いところでもある。


「恋しいといえばさ、明後日から俺らきっとまた別々の部隊に配属されんだよなぁ。連合国共通語、俺あんま得意じゃねえし、陸軍にはやる事滅茶苦茶でヤバいと噂の連隊長もいるらしいしさ……」

「空軍にも化け物みたいなのが何人もおるち聞いた……弘兄ひろにいより恐ろしいのがおったら面白いやろな」


 ワクワクした表情でそう言う直に、うわっ…と若干引きながら二人は返す。


「弘先輩みたいなのが何人もいるとか信じたくねぇな……」

「心強いどころか逃げたくなりそうだなそれ……うわー陸どうなんだろ」

かくは適正的にも陸軍だろうしなぁ。俺なんて海軍でしか役たたねーし」

「丘に上がれば只のヒト、だもんな蒼一は」

「あーっ! ひでぇ言い草だがその通りすぎて何も言い返せねーっ」


 ケラケラと笑う姿は、数日後には過酷な戦況の中に放り込まれるとは思えないほどに少年じみている。

(確かに、こりゃ恋しくなるなー)と普段から茶化した態度を取りがちな赫ノ助も内心思った。




「そういや北欧の女のコってめっちゃ美人が多いんだって」

「まーた赫は、いっつもそればっかりやな」

「蒼一みたいに海が恋人! な熱血じゃないんですぅ、軍隊にいようが可愛いコとはお近づきになりたいじゃん?」

「なんだ赫、お前知らんのか? 蒼一には結婚を約束した珊瑚さんごちゃんというコが——」

「っおい、直やめろよ! 珊瑚ちゃんはそういうんじゃ……」

「はぁーっ? 何? そんなの俺聞いてない! いつから? 水くさいぞ蒼一」

「だから! 別にそういうんやないって……それに赫は陸の任務で本土にいる事が多かったし話すタイミングが……」

「いやいやそんなん手紙か電報でぱぱっと報告できたじゃん?どゆこと?」

「えっと……だからそのタイミングが」

「はー! もうなんウジウジしよんか、赫は女にモテるけん、あんま会わせたくないち言いよったろ!」

「あーそうなんだ! ひっでぇの! 俺の事なんだと思ってんのさー」


 むくれた顔でこちらを見る赫ノ助に、蒼一は口籠る。顔だけは抜群に良い代わりに些か気の抜けたこの友人が、自分の想い人を掻っ攫っていくなどとは本心では思ってはいない。言ってしまった自分も悪いが、そこは冗談として聞き流しといてくれよ……、と横にいる直に若干恨みがましい視線を送る。


「ま、でも。なんだかんだお前優しいし真面目だもんな。ちぇー、蒼一がイチ抜けかよ」

「イチ抜けって……そんな身も蓋もない」

「えーっ、まだなのお前? んじゃぁ、俺頑張っちゃうぞー?」

「珊瑚、ちゃんは今豪州に亡命中! いくらお前でも……やらんからな」

「本気に受け取るから、揶揄からかうのも程々にしとけよ赫」

「「お前が言うな、直」」


 流石にこれには二人とも同時に声が出た。ハッとして少し困ったような照れたような顔でこちらを見る蒼一に、赫ノ助は少し茶色みがかった目を細めてニシシと笑う。


「バァカ、何盛大に勘違いしちゃってんのサ。お前らが不安なく一緒に暮らせる世界になるように、俺陸に行っても頑張っちゃうんだから」


 あ、でも俺が先に美人のレディこっちで見つけちゃうかもねー。照れ隠しのようにそう言って伸びをする。


「ならウチも。蒼一の晴れ姿を一日も早く見るために気張っちゃる、空で」


 そう言い、グッと拳を握りしめて直が笑うと、蒼一はバシンと両脇の二人の背中を叩いた。今度は満面の笑みで。


「もう、お前らは。そういうとこ大好きよ、本当に」

「痛えよ! 宿舎に戻ったら詳しく話せよ。あと……そっちの部隊に可愛いコいたら紹介してな」

「赫、お前本当に締まらんやっちゃなー」


 こういう話になると、我関せずとばかりに揶揄い口調になる直に赫ノ助もここぞとばかりに反撃を開始する。


「あーっ、そう言うお前はどうなんだよ直? い人とかさぁ」


 面白いほどにむっと唇を尖らせて、直は声の主を見返した。


「そういうのは……なか。不破家の者として、帝國と民衆のために捧げた命だ」

「だーかーらァ、そう言うのが聞きたいんじゃないんだって俺は」


 少し困った顔で蒼一と顔を見合わせた後、くるりと身体を回して後ろへ抜けると、今度は直の隣へと赫ノ助が並ぶ。


「体面とか御家いえの事抜きにしてさ、数少ない友達でしょ俺達。それこそ直のちゃんとした本心って聞いときたいのよ、一応女のコでしょキミ」

「明後日からは連合軍としてバラバラの所属だけんなァ。帝國にいた時みたいにちょくちょく会えるわけじゃなかとよ直。こんな言い方やけど、赫もお前の事心配しちょっとよ?」


 そんな事言われてもなぁー、とますます唇を尖らせて斜め上を向く。

 友人の言葉にそうやって真面目に答えようとするところが、名を体現したように素直で良いところなのになぁと内心二人は思う。


「敵を墜とす事、生きる事、負けん事、飛ぶ事……それしか考えて生きて来とらん。まぁまずウチを女として接するやからはお前らと弘兄くらいやしな」


 ひろしというのは直の兄で、帝国軍の少尉でもある。二人もよく世話になっており、先輩と呼ぶほど慕っている頼もしい人物だ。そこまで考えを巡らせた後、あっと蒼一が声を上げる。


「直が嫁に行くとか言い出したら、それこそ弘先輩怒り狂うやろな……」

「うっわ、想像つく。辺り一面焼け野原を覚悟した方がいいかもしんない……」

「そんな馬鹿な! と言いたいが、弘兄だけんなぁ——」


 清廉潔白、質実剛健をそのまま形にしたような人物で、明るく実力もあり、隊の内外からも慕われ顔も悪くない。街の娘から文を貰っている場面もよく見かける。そんな直の兄だが一つだけ、小さな欠点とも言えるところがある。

 ……そう、もはや面倒見が良いを通り越して、他に歳下の弟妹がいないからか昔から異常な程に直を可愛がるのだ。勿論、軍の訓練や戦闘での贔屓は一切しないというのがまた弘らしいのだが。


 ちなみに訓練高校時代、直の男の子にしか見えない容姿のせいかこの三人が同室となった際には、消灯時間を過ぎてから蒼一と赫ノ助は一度こっそり現役の軍曹だった弘に呼び出され釘を刺されている。

 二人には全くその気はなかったのだが、誰に話すのも詮無い事なので、未だに二人だけの心の中にしまってある恐怖の思い出である。


「とりあえず俺を倒してからにしろ! とか言いそうじゃん、先輩」

「なにそれ、もうそれお父さんじゃん!」


 ぶっは! と直が思い切り噴き出した。


「父上でもあそこまではないぞ! そうやなぁー、惚れた腫れたは今んとこウチには一切わからんのやけど……」


 少なくとも弘兄よりカッコよくて強い奴じゃないとなっ! そう言って凄く良い笑顔で笑う旧友に、二人はまたもや同時に「そんな奴いるのかよ!?」とツッコミを入れるのであった。






「なんやアレは?」


 直が不思議そうに指差した先、前方からバタバタと焦ったように人が走ってくるのが見えた。


「どうした? 何かあったのか?」


 流暢な連合国共通語で蒼一が走ってきた男に声をかける。男はゼェゼェ息を切らしながら、すれ違い様に叫ぶ。


「敵襲! 爆撃機四機だ! 管制塔の通信が切られてる!!! 基地司令部に報告っ!君達は避難っ!」


 聞こえた瞬間、即座に反応した直が短く叫び返す。


「方角は!?」

「一時! 上空!」

「承知したッ!」


 言うなり突然背を低くし走り出した直を、慌てて二人が追う。


「おい! 直!」

「どうしたんだ! 避難を!」

「馬鹿野郎! さっきの奴、通信が切られていると言ったろう! 迎撃なんぞ間に合わん!」

「だからって! 俺らで何しろって……はぁあッ!?」


 直の走り込んだ先を見て赫ノ助が叫ぶ。そこは先程横を通ったばかりの航空整備工場だった。


「お前らは周辺の人間に連絡を! とりあえず警報サイレンでも鳴らしておいてもらえ!」


その勢いのまま突っ走り、「おい!借りるぞ!お前らは避難しろ!」の声と共に、そこで整備中だったであろう一機の戦闘機に直が飛び乗る。勿論、何も知らない整備士達は大混乱である。


「敵襲だ! 私が出る!」

「何を言ってるんだ! 君所属は!?」

「関係あるか、それに命令を待っていては間に合わん! 死にたくなければどかんか!」


「いや、キミ! それはまだ整備中で……」「弾薬も」「構わん! 少し丸いが浮けば問題ない!」と、こうなった直はもはや止まらない。止めにかかる整備士を蹴落とし、エンジンに手をかける。


「ヤベェっ!」

「おじさん、ごめんよっ!」


 まだ何か言いたげな整備士を、赫ノ助が抱えて後方へ飛び退る。


 刹那——。

 トタンで覆われた建物内の空気が、ビリビリと震撼した。


 ドゥルルン! という音と共にプロペラが回転し、機体が動き出す。運良くこの日は天気も良くシャッターは開けたままで、何処に翼をぶつけるでもなく周りの空気を熱と共に震わせながら、直を乗せた機体は一気に滑走路へと滑り出し、瞬く間に一時の方角上空へと消えていった。


「あーあ、行っちまったよ」


 腰を抜かした先程の整備士を抱えたまま、建物から出てきた赫ノ助は空を見上げて呟く。


「……嘘だ! ブルースチルがあんなに速く飛ぶなんてっっ」

「あービックリしたよね、うん。俺も最初はビビりましたもん。うちの帯電空砲みたいなパイロット、やばいでしょ」

「おい! 赫! 何のんびりしとるんや! 基地内の無線が繋がったらしいぞ! すぐに近隣の避難誘導を!」


 同じく泡を吹いて気絶している整備士と無線機を両脇に抱えて走ってきた蒼一が、そう叫ぶなり後ろからやってきた整備士にテキパキと指示を飛ばし始めた。


「アンタら……もしかして"日ノ元帝國"の軍人さんかい?」


 依然、赫ノ助の肩に担がれたままの整備士が恐る恐るといった口調で問いかけてきた。


「ああ、そうだけど?」

「はやく……、早くお仲間を援護しに行ってあげてくれ! あの機体は一度しまうとまだ車輪が出てこない状態なんだ。不時着しようとしても地面に激突してしまう……」

「うっわ……マジでぇ?」


思わず出てしまった母国語は、整備士には聞き取れなかったらしい。


「俺達、対戦車砲バズーカ魚雷トルペードなんだよね、簡単に言うと」



うーん、と考えた後、赫ノ助は後ろを振り返る。


「なぁ蒼一、お前戦闘機操縦できるっけ?」

「はァ? 何言ってんだ、できるわけねーだろ」


「だよねェ……」と独りごちる赫ノ助に、蒼一が「だから早くお前も手伝えよ」と急かす。


「とりあえず、直が不時着はあり得ないんだけどさ。弘先輩探さねーとマズいかも」

「何か言ったかー!?」


 遥か後方上空からは、まだ見えぬ爆撃機のエンジン音が近づいてきていた——。



 この後、二人が周辺の避難誘導を終わらせ、基地に警戒態勢が発動するまで約五分。基地内部の中隊執務室へ連絡兵が駆け込むまでプラス二分。


 その間に直の乗った戦闘機が連邦爆撃機に地獄を見せ、ユカライネンと弘が滑走路に飛び出すまで更に約五分——。







「なぁ、蒼一」「なんだ?」


 帰還した無茶苦茶な同期を医務室に放り込んだ後、肩についた煤汚れを払う蒼一をチラリと見、一通り思案した後で赫ノ助が口を開いた。


「直が嫁に行くとしたら、どんな奴だと思う?」


 はぁ? とかさっきの話かよとか言いながらも、隣を歩く真面目な同期も頭の中でひとしきりシュミレーションしてみたらしい。


「……とりあえず、大軍に単機突撃した挙句、壊滅させて笑って帰還するような奴……で、機体に魚雷括りつけて垂直急降下するか戦艦四隻くらいブチ抜いてくるような奴じゃね?」

「いねぇだろ、そんな化け物」

「だよなァ……」

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