第3話 契約と、素顔の欠片


 私とりんごポンチさんは映画鑑賞を再開した。

 さっきから思っていたが……音がすごくいい。


「音響……Boseですか? ああっ……渋沢さんの声がすばらしいですね」

「そうやBose Lifestyle 600 home。5.1ch……ベータの2chでも、この音響システムで聞けば最高や!」

「渋沢さんの声は重低音がすごいですよね! あーー、こんなに若い頃から声は変わらないんですね。いい音ってテンションあがりますよね」

「そうなんよ~~。それなのに尚人は何が違うのかわからん、結局2chや、要らんもの買うな、高すぎる……文句ばっかりや!!」


 りんごポンチさんは小さく首を振りながら言った。

 私は苦笑した。


 正直五島さんがいうことがまったく理解できないわけではないのだ。

 私からするとこの【血の絆・ファースト】は、もうずっと見たかったものでレア中のレアだ。

 でも世間一般の人たちがこれを好きかと問われたら、やっぱり小人数派であることは間違いないだろう。

 そしてこのBoseの音響システム……たぶん四十万円以上すると思う。高い!

 でもほらっ! この渋沢さんの声がまた最高に良い、役もカッコイイ、ああ見られて最高に嬉しい!!

 子役の高見さん、可愛い、演技がすごい!!

 私はもう震えながらりんごポンチさんの手を握った。


「……本当にありがとうございます、こんなレア映像を……目に焼き付けます」

「何言っとるんや、バイトにくるなら毎日流そ、もう私もたまらんわ」

「ほんとですか!!」

 

 ふたりでキャーキャー言いながら映画を見てしまう。

 りんごポンチさんは私の方に一歩寄って耳元で声を出す。


「めっちゃ元気出てきたから、今度小さなイベントあるんやろ? その新刊、ばあちゃんも書くわ」

「本当ですか!! ついにりんごポンチさんの映画紹介が本に!!」

「だるまちゃんの本に載せてくれる? ばあちゃん、本の作り方なんて全然わからんけど、だるまちゃん……あかん。我らちゃんと名前で話そうか、絵里香ちゃんが来てくれるなら、本書いてみたいし、イベントも出てみたいわ。高見さんの魅力、もっとたくさんの仲間と語り合うまで死ねんな!!」

「そうですよ!!」


 私はりんごポンチさん……じゃないおばあちゃんの手をクッと握った。

 おばあちゃんはずっとネットのブログに任俠映画紹介をUPしていて、ずっと本にしましょうよ! と言っていたんだけど「ええわ、よく分からんし」と言っていた。

 書いてくれるなら、私も任俠漫画の他にもう一冊、映画評論の本をがんばって出しちゃう!

 この超狭いジャンル、書き手が増えるのは何より楽しい!!

 キャイキャイしている私たちを静かに見ていた五島さんが横のソファーに座って口を開いた。


「問題なさそうなら、正式に契約の話をしよう」


 私はその言葉にぽかんと口を開けた。


「契約……? あの、そんなちゃんとした感じなんですか……? 私ここにきておばあちゃんと任俠映画の話とかして、本が書けたらそれで……」

「橘にはちゃんと店を手伝ってほしいんだ。俺は定時で帰れない日も多いし、ばあちゃんはとにかく俺のいうことを聞かずに詐欺に巻き込まれて、金を無駄使いしてる。何回言ってもダメだし、このマンションは最後の資産なのに、このままじゃ身ぐるみはがされる。心配なんだ。それなのにまっっっっっっったく俺の話を聞かない」


 五島さんはキッ……とおばあちゃんを睨んで言う。

 おばあちゃんは口を尖らせて、


「あ~~ほらね。もうすぐこうやって怒るんだ。人のことボケばばあ扱いして、やだやだ。もう推しにしか貢がないよ!!」


 と私にしがみついた。

 でも、資産と言ってるから、このお店と同じ敷地内にあるマンションが持ち物で、その家賃収入で賄っているのだろう。

 小学校も目の前で、駅から遠いけど立地は悪くないと思う。

 五島さんは会社では『怖いけど仕事は出来る敏腕企画』として有名だ。

 だから立地や条件がよいこの店を腐らせるのは我慢できないのだろう。

 私は顔を上げた。


「はい。私はリモート作業も可能だし、定時が基本です。だからお店には通えます」

「そうか、平日も手伝ってほしいが、実は今、ばあちゃんに休んでほしくて土日営業してないんだ。そこをメインに入ってほしい。ここら辺は酒屋がなくて帰宅帰りのサラリーマン目当てに酒を売りたいと思って資格は取った。夜二十二時まで営業するとして、時給千五百円……単純計算で八万以上出せると思う」

「そんなに?!」


 信じられない金額に大声が出てしまった。

 だってそんなの家賃になる!!

 おばあちゃんは嬉しそうに手を叩いた。


「絵里香ちゃん、実家出たかったんやろ? 丁度いいから、近くに住みなよ。うちのマンションは今いっぱいやから、ほら隣のマンション……ゴンちゃんの所ならオートロックだし、女の子も安心だ。なにより絵里香ちゃんが近くに住んでくれたら、本当に嬉しいわ~~~」


 そうなのだ。実はずっと実家暮らしで、家を出たいと思っていた。


「実は私、実家が都内なのでそこから会社に通えちゃうんです。でも同人誌を作ってることは再婚した奥さま……滝本さんには秘密にしてて。もう限界なんです……」


 私のお母さんは早くに亡くなり、お父さんは数年前に滝本さんという方と再婚した。

 優しい方だけど、任俠漫画を描いていることは言えなかった。

 だってそんなこと知ったら「素敵! どんな漫画なんですか?」って優しさで聞いてくれる人だ。

 そして気を使って反応を考えてしまうだろう。

 私が一番悲しいのは、全く興味がないのに、興味があるふりをされることだ。

   

 お父さんも私が任俠映画を好きで、漫画を描いていることをそれほど良いと思ってない。

 私は実家に居場所が無かった。


 だから一人暮らししたいとずっと思っていた。

 でも給料はそこまで良くないし、趣味の聖地巡礼はとにかくお金がかかる。

 同人誌制作もお金が必要で、一人暮らしには踏み切れなかった。

 でも八万円頂けるなら、迷いなく家を出られる。

 私は立ち上がって頭を下げた。


「すいませんが、働かせて頂けると、助かります」


 五島さんも私のほうを見て頭を下げた。


「こちらこそ頼む。契約しよう、橘」

「はい!!」


 いつの間にか横でビールを飲み始めたおばあちゃんは口元に泡をつけてほほ笑んだ。


「乾杯や~~~。あ、そういや、絵里香ちゃんは飲めないんだっけ?」

「そうなんです。飲むと気持ち悪くなるんですよね……」

「体質やろ。無理せんほうがいい。じゃあ尚人、お茶出してあげて」


 おばあちゃんはヒラヒラと手を動かして続ける。


「あと、お腹空いたからご飯作ってや。絵里香ちゃん、食べながら映画の続きみよ! 今日はボロネーゼやろ? 早く作ってや~~~」


 え? 五島さん料理もするの? 私がチラリと見ると五島さんはお茶を準備しながら


「橘は夜飯食ったのか。ボロネーゼは好きか?」


 と聞いてくれた。

 

「もちろん好きです! それに最近は引っ越ししたくて節約してて……一日二食にしてるので、嬉しいです」

「なんだそれは、ちゃんと食え。そして店を手伝ってくれ。わりと仕事が多いんだ」

「はい!!」


 そうして出てきた五島さん作のボロネーゼはめちゃくちゃ美味しくて拍手してしまった。

 あれ? 私最高のバイト先を見つけた気がする!


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