彼女はヤバいファンです(彼女はヤバいファンです)

「ヌ゛ッッ……!? こ、これは……!!」


【出たよ、アイドルが出しちゃいけない声】

【くるるん、これを一回生で聞いたらしいからなあ……】

【アイドルの定義壊れる~っ!!】


 ことん、と音を響かせながら机の上に置かれたアクリルスタンドを目にした祈里の口から、アイドル……というか、女性が出してはいけない声が飛び出す。

 そこそこに大きな胸を押さえ、深呼吸を繰り返して自分を落ち着かせた彼女は、ふぅと深く息を吐いた後で何事もなかったかのように配信を再開した。


「危なかったですね。興奮で心臓が爆発するところでした。こんなところでストックの心臓を使うわけにはいかなかったので、どうにかできてよかったです」


【ストックの心臓とかいうパワーワードに草が止まらない】

【なんだろう、この人って本当に俺と同じ人間なのかな……?】

【思考がぶっ飛び過ぎてて時折不安になる気持ちわかる。俺もソーナノ】


「さてさて、このアクスタはここに置いておいて……この状態でこのマグカップセットを置くと……う゛っっ!?」


 枢と芽衣のアクリルスタンドを向かい合わせるようにして置いた後、その前にそれぞれサイズ違いのマグカップとティースプーンを置く祈里。

 奇妙な呻きを上げた彼女はそのままカメラの画角から外れると、暫しの間、向かい合うくるめいの姿を壁として眺めた後でリスナーたちの前へと戻ってきた。


「……ふぅ、堪能しました。今、私のデスクの上では蛇道さんと芽衣ちゃんが楽し気に談笑しながらイチャつき、てぇてぇを生み出している……私はそれを見守る壁になりたい」


【このアイドルヤベえよ(断言)】

【いのりんもVtuberに負けず劣らずのヤバさを見せつけてくれるなあ……!】

【グッズでここまでの妄想を展開できるだなんて、いのりんは想像力豊かなんだね!】


 あまり表情が変わっていないようで、とても満ち足りた雰囲気の笑みを浮かべているようにも見える祈里の重度の妄想へとツッコミを放棄したリスナーたちがコメントを寄せる。

 もう彼女は止まらないと、誰もがそんな確信を抱く中、祈里は呼吸を荒げながらマフラータオルを取り出し、それに顔を埋めながら深呼吸を繰り返し始めた。


「す~っ……は~っ……! す~~っ……!! は~~~~っ……!!」


 Vtuberのイラストが描かれた二枚のタオルを顔に押し当て、深呼吸を繰り返すアイドル。

 文字にしても酷いが、その絵面はもっと酷い。正直、放送事故レベルだ。

 そんな映像がたっぷり数分間流れ続け、リスナーたちも流石に困惑し始めた頃、タオルから顔を離した祈里が無表情のまま口を開く。


「ふぅ……! くるめいのてぇてぇを直接吸引できるだなんて、このグッズは素晴らしいですね。くるめいがガンに効くようになった暁には、このタオルを各病院に常備するようにしましょう」


【絵面を見る限りは中毒性があるヤバい物にしか見えないんですが】

【この人ヤベえよ(戦慄)】

【なるほど……! いのりんはくるめいのてぇてぇを吸引してたのかぁ……!】

【傍から見るとヤバい奴でしかない定期】

【面白さと狂気のラインを反復横跳びし続けるな】


 二重の意味でを見せ続ける祈里へと、ついに我慢ができなくなったリスナーたちからのツッコミが飛ぶ。

 しかし、彼女は見事にそれをスルーすると深呼吸を繰り返し、この【くるめいスペシャルセット】のメインとでもいうべきグッズへと手を伸ばした。


「……さあ、いよいよメインイベントです。【くるめいスペシャルセット】最大の目玉、柳生しゃぼん先生描き下ろしの三枚のポスター……! 本来は買った人しか見れないようになっていたんですが、転売ヤーのせいで内容が知れ渡ってしまいましたからね。ですが、【CRE8】をはじめとした多くのVtuber事務所がそれを予期したカウンター作戦を発動してくれたお陰で彼らも涙目になっていることでしょう。ざまぁ!」


【そこには完全同意です! ざまぁ!!】

【この調子で転売ヤーは全滅してくれねえかなぁ……】

【くるめいのお陰でいのりんが感情豊かになっていく姿に涙が止まらない】


「ふぅ~……そんな話は脇に置いておきましょう。大事なのはここからです。あなたたちは歴史の目撃者となる、その心構えはできていますね? 替えの心臓も用意してありますよね? では、はじめましょうか……!!」


 深く息を吸い、吐く。自然と早くなる心臓の鼓動を無理矢理に落ち着ける。

 やろうとしていることはただのポスターの開示なのだが、それに見合わない緊張感を漂わせる祈里の必死の形相を映し出す画面を食い入るように見つめていたリスナーたちは、不意に動いた彼女が取り出した一枚目のポスターを目にすると共に響いたカエルの鳴き声のような声に思わず吹き出してしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る