零の自宅飯・有栖の夕食編

本日のメニュー・東坡肉

 時は現代、【CRE8】という事務所が所有する社員寮に入江有栖という女の子が住んでいました。

 ある雨の日、自宅の冷蔵庫の中身を確認した有栖ちゃんは、自身の分身である羊坂芽衣のSNSアカウントにこんな呟きを投稿します。


【家に白いご飯しかありません。おかずがないので今日は三食カップラーメンにしようと思います】


 自炊の習慣があまりない有栖ちゃんは、自宅に食材をあまりストックしていなかったのです。

 とある人物の影響で白米だけはちゃんと購入していた彼女ですが、主菜となる食べ物を用意していないというなんとも悲しい状況に陥っていました。


 でも安心してください! そんな時に頼れるとっておきのアイテム、カップラーメンだけはきちんと備蓄してあるのです!

 不健康極まりない食生活ですが、外は雨だし今から買い物に行くのも大変だもんね……という逃げの思考で朝昼晩全部をカップラーメンで済ませようとした有栖ちゃんですが、そんな彼女に対してファンからは心配のメッセージが届いています。


 【流石に三食カップラーメンはちょっと……】だとか、【せめて宅配サービスできちんとしたものを食べてほしい】だとかのコメントを見た優しい有栖ちゃんは、罪悪感にその小さな胸を痛めていました。

 確かに自分でもこの食生活はマズいよな……などと彼女がぼんやり考える中、とある人物が声を上げます。


【夜はお米を炊きなさい。おかずはこちらで用意します】


 非常に丁寧なメッセージでしたが、それはその送り主がとても怒っている証拠でした。

 なにせ、彼は有栖ちゃんに口を酸っぱくして食生活をきちんとするようにお説教し続けている人なのです。


 今までと比べると大分マシになった彼女ですが、それでもまだ一般人並みの食生活には届いていません。

 そんな有栖ちゃんの胃袋と健康を守るべく、彼女と同じ社員寮に住んでいるあの男が行動を開始しました。




――羊坂芽衣がSNSに呟きを投稿する一時間前


「いや~、遂に買っちゃったよ……!」


 自宅に届いた段ボール箱を開封していた零が、どこか上機嫌な声でそう呟く。

 やや大きめの箱の中に入っていた赤色の鍋を取り出した彼は、その説明書を取り出すと満足気に頷きながらそこに書いてある文字を読み上げた。


「時間がかかる料理もこれで安心! なんでもござれの圧力鍋! こういうキッチン用品を買うのは初めてかもな~!」


 阿久津零……娯楽にもファッションにも興味がない男である彼にも、たった一つだけ趣味と呼べるものがある。

 その名は料理、生きるために身に付けた技術であるそれは、零にとって数少ない楽しみを味わわせてくれる行いであった。


 包丁やフライパン等の普通の調理用品は普通に扱える彼だが、ちょっと凝った道具は使ったことがない。

 圧力鍋も扱ったことのない道具の一つであり、これがあれば料理のレパートリーが増えると知った彼は、ついつい通販サイトでポチってしまったというわけだ。


 割と質素かつ倹約に努める零にとっては、これでもそこそこ贅沢している方である。

 鍋と一緒に本日の料理用の食材も購入した彼は、キッチンに広げてあるそれを一つ一つ確認していった。


「中華系の調味料よ~し! ネギと生姜よ~し! チンゲン菜もよ~し! あとは、っと……!!」


 ドンッ、とまな板の上に取り出したるは巨大な豚のバラ肉。

 皮付きのブロック肉の表面に包丁を滑らせた零は、そこに生えている産毛を処理しながら楽しそうに鼻を鳴らしている。


 フライパンを熱しつつ、刈り取れなかった毛を火で炙って処理しつつ、既に沸かしてあった湯の中にバラ肉を放り込んだ彼は、腕まくりをしながら本日のメニューを宣言した。


東坡肉トンポーロー、作っちゃうぞ~! 肉のサイズがデカ過ぎた感はあるけど、有栖さんたちにお裾分けすれば大丈夫だろ!」




・東坡肉(トンポーロー)


一言で説明すれば中華風豚の角煮。

豚のバラ肉を長時間煮込んで作る料理だが、最近は圧力鍋を使った時短レシピが広まったお陰で(比較的)気軽に作れるようになった。


角煮との違いは使う調味料の他、東坡肉は煮込んだ後で蒸す工程が加わること。

また、使う豚肉も東坡肉の場合は皮付きのものが使用されることが多い。


箸で切れるくらいにまで柔らかく煮込んだ豚のバラ肉が口の中で蕩ける食感は至福の一言。

そのままおかずにしてもいいが、薄めに切って専用の包子パオズに挟んで食べるトンポーローまんも美味しい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る