3月13日のお話

前編

「うお~いおいおい! 坊や~! ママを助けてほしいっす~っ!」


「……人ん家の前で何やってるんですか、あなたは?」


 3月13日、午後3時。【CRE8】の社員寮では、自宅の前で号泣して自分に助けを求める梨子へと実に迷惑した様子の零が突っ込みを入れていた。

 唐突にやって来てこんな真似をするだなんて、本当にこの人は……という呆れを抱きながらもそれが加峰梨子という人間なのだから仕方がないと諦めた彼は、盛大にため息を吐いてから彼女に訪問の理由を問い質していく。


「で? 何を助けてほしいんですか? 言っておきますけど、締切破ったから薫子さんにブチギレられてるとかだったら庇えませんからね?」


「違うんすよ~! そういうんじゃなくて、プライベートの危機なんですって~!」


 おいおいと泣きじゃくりながら叫ぶ梨子の話を辛抱強く聞き続ける零。

 どうしてこんなに苦労しなくちゃならないんだと死んだ表情で自分のことを見つめる彼に対して、梨子はようやく本題に入る。


「ぐすん。坊やも知っての通り、明日は3月14日……ホワイトデーじゃないっすか」


「はあ、まあそうっすね。で?」


「自分、一か月前に色んな人からチョコレートを貰いまして……ホワイトデーには必ずお返しをするって約束したんすけど……」


「……そのお返しの用意ができてない、ってことですか?」


「だ、大正解……! うっかりすっかり忘れてて、もうどこにもいい感じの品物がなくって……このままじゃママが同期たちの間で恩知らずの社会不適合者だって言われちゃうっすよ~!!」


「むしろそれこそ大正解じゃないっすか。妥当な扱いなんですから、諦めてください」


「そう言わないで! 何とかママを助けて!! どうか、どうかお慈悲を……!」


 だばー、と涙を流して救いを求める情けない母親の姿に再びため息を吐いた零は、ボリボリと頭を掻きながら仕方がないなといった様子で梨子へと言った。


「はぁ~……わかりましたよ。俺がお返しに用意したお菓子の余りがあるんで、それを持って行ってください。ただし、後日でいいんでチョコをくれた人たちにそれ以外のお礼をしてくださいね?」


「坊や……! ありがとう、ありがとう……! お陰でママの体裁は保たれるっす……!!」


 本当にこの人は駄目だなと思いつつも、何だかんだで見捨てられない魅力があるのが梨子の厄介なところだ。

 この駄目母を相応に大切に想っている自分にも問題はあるような気がするが、そもそも助けられる状況にあるタイミングで救助を求めてくる彼女は何なのかと思いつつ、零は梨子を自宅に上げる。


 リビングに彼女を通し、キッチンに置いてあった段ボール箱を持ってきた零は、それを開くと中に入っているそこそこの量が残っているお菓子とラッピング用の袋を見せつけながら口を開いた。


「ほら、これだけあれば十分でしょう? 包装用の袋も使っていいですよ」


「わ~い! 助かった~!! 流石は坊や、頼りになるっすね~! ……にしても、どうしてこんなに大量のお菓子を?」


「……俺も今年のバレンタインは沢山の人たちからチョコを貰ったんで、しっかりとしたお返しがしたかったんですよ。だから、有名どころのお菓子を幾つか取り寄せて、その中で気に入った物を購入したんです。これはその余りですね」


「ほへぇ~、しっかりしてるっすね~。でも意外っすね? 坊やのことだからてっきり手作りでお返しをすると思ったんすけど……?」


「こう見えて俺、所属事務所で唯一の男性Vtuberなんで。ホワイトデー前はイベントでドタバタしてたから、手作りする余裕がなかったんですよ」


 ガサゴソと箱の中を漁り、お菓子を取り出していく零。

 そんな彼のことを見つめていた梨子は、先程までの涙をあっという間に乾かせたいやらしい笑みを浮かべながら、デリカシーのない質問を彼に投げかける。


「で? ぶっちゃけ坊や、どのくらいの人たちからチョコを貰ったんですか? 本命とかあったっすか?」


「……2期生のみんなと薫子さん、来栖先輩と陽彩さんからも貰いましたね。それと、スタッフさんたちからも少々。関わりがある中で俺にチョコをくれなかったのは加峰さんだけですよ」


「あひぃっ!? だ、だってほら! マンマからチョコを貰うだなんて、やっぱ息子としては恥ずかしいでしょう!? そういうデリケートな息子の心を読んだ自分の気遣いっていうか、なんていうか……」


「……本当は?」


「完全に忘れてましたごめんなさい。許して、許して……」


 正直に自分の罪を告白し、その場に土下座する梨子。

 そんな彼女を冷ややかな目で見つめていた零はもう何度目かわからないため息を吐いた後に取り出したお菓子を見せつけながら選択を迫る。


「さあ、好きなのを選んでください。値段的には同じくらいのグレードにしたんで、そこら辺は気にしなくていいですよ」


「ありがとう、坊や。本当にありがとう……! どれもこれも美味しそうで迷っちゃうっすね~!」


「……確認ですけど、お返し用に持って帰るんですよね? 加峰さんが食べる分ならあげませんよ?」


 イマイチ信用できない梨子へとジト目での視線を送る零であったが、彼女はというと並ぶお菓子からお返しの品を選ぶのに一生懸命でそんな息子からの視線に気が付いていないようだ。

 一つ、また一つと美味しそうなお菓子たちを物色していた梨子は、そこであることに気が付いて息子へと質問を投げかける。


「坊や、どうしてマシュマロがないんすか? クッキーとか飴とか色んな種類のお菓子があるのに、ポピュラーなマシュマロが無いのっておかしくない?」


「あ~、それっすか。いや、気にし過ぎかとも思ったんですけどね……」


 クッキーやキャンディ、他にも多種多様なお菓子が揃えられているのだが、どうしてだかマシュマロだけがお返しの品として用意されていないことを梨子は疑問に思ったようだ。

 それについて零に質問してみれば、彼は顔を顰めた後でそれについてこんな答えを返した。


「ホワイトデーのお返しって、お菓子の種類ごとに色んな意味があるんですよ。マシュマロの場合、お返しにするとって意味になっちゃうんで、止めておこうかなって」


「あ~、そういうの気にする人は気にしますもんね。配信で喋った時にリスナーさんが過敏に反応することもありますし、避けておくのが無難か……」


「似たような理由でチョコレートも止めました。チョコのお礼にチョコをお返しすると、って意味になっちゃうらしいんで」


 ホワイトデーのお返しの中には、ネガティブな意味を持つお菓子もある。

 そういったお菓子を避けたという息子の気遣いに感心した梨子は、続けてこんな質問を口にした。


「じゃあ、他のお菓子にも意味があるんすよね? できればそれを教えてもらいたいっす。ついでに誰にどのお菓子を上げるつもりなのかもママに教えて!」


「個人的な欲望が丸見えなんですけど、一発ぶん殴りましょうか?」


「あひぃ!? 止めて! ママを叩かないで! あの頃の優しい坊やに戻って……!!」


 ちょっと優しくするとすぐに調子に乗る母親をけん制しつつも何だかんだで彼女に世話を焼いてしまう零は、段ボール箱に入っていたお菓子の中から一番多く余っていたお菓子を指差しながらその意味を説明していった。

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