爆死
「くる……? なんだって?」
必死の形相を浮かべて叫ぶ部下の口から飛び出した、聞き覚えのない単語に首を傾げる中島。
そんな彼の声も耳に入っていない様子の界人は、顔を上げた先にある段ボールから見える大量の【くるめいスペシャルセット】を目にすると、高島の同居人であった男へと視線を向けた。
(そ、そうだ、こいつ……! こいつは、あの時コミフェスで会ったあの男だっ!!)
殴り合いの喧嘩のせいで顔にあざがあったり、腫れているせいでパッと見では気が付けなかったが、まじまじと観察すれば面影がある。
こいつは界人が参加したコミフェスで【くるめいスペシャルセット】を狙っていた男……あの趣味の悪い指輪を嵌めた、転売ヤーの1人だ。
口が開いている段ボールの中から顔を覗かせる大量の【くるめいスペシャルセット】を確認した界人は、一気に怒りを爆発させると激しい口調で男へと詰め寄る。
「お前っ、この段ボールに入ってるグッズはどこで手に入れた!? 何のためにこんなに数を揃えたんだ!?」
「か、買ったんだよ! ふ、普通に買って、マニアだから集めてて……」
「すぐにバレる嘘をつくな! お前ら、転売目的で限定グッズを買い集めてたんだろう!?」
「ひ、ひぃっ……!?」
鬼の形相で詰め寄る界人に恐れをなした男が、ガクガクと震えながら首を縦に振る。
やはり彼らは転売ヤーであったかと、多くの【CRE8】ファンだけでなく、枢と芽衣を苦しめている張本人たちを目の前にして更に怒りを滾らせる界人を、事情を飲み込めていない中島が窘めにかかった。
「待て、源田。何がどうなってるんだ? 俺にはもう、さっぱり意味がわからんぞ!」
「中島さん、こいつらは――っ!!」
上司の言葉に落ち着きを取り戻して事情の説明を行おうとする界人であったが、興奮気味の思考ではこの難解な状況をVtuberを知らないであろう中島に説明することは困難であるようだ。
どう言葉を選べば中島にも理解できるだろうか……と、沸騰している脳を冷静にしつつ考える界人であったが、それよりも早くに高島がヤケクソ気味に叫ぶと共に、全てを解説し始めた。
「ああ、もう……そこまでわかってんなら、事情は把握できただろ!? だからもう帰ってくれよ!」
「だから、わけがわからんって言ってるだろうが! お前らはこの段ボールで何をしようとしていたんだ!?」
「な、中島さん……転売屋って知ってますか?」
「うん? あ、ああ、それくらいなら、まあ……」
混沌を極めようとしているマンションの一室で、何とか冷静さを取り戻した界人が苛立ちを募らせていた中島へと声をかける。
そこから彼に男たちの正体と転売ヤーについて界人が解説すれば、中島も多少は状況を飲み込めるようになったようであった。
「なるほど。つまりこいつらは、希少性の高いグッズを集めてそれを高値で売り捌く商売をしていたってことか。話を聞く限り、はた迷惑な連中としか思えんな」
「ええ、そうなんですよ! ……ただ、それがどうしてこの喧嘩に繋がったのかは、俺にもわからなくって……」
男たちが転売ヤーであることはわかった。だが、それがどうしてここまで激しい殴り合いの喧嘩に発展したのかが界人にはわからない。
そんな彼に向け、床にへたり込んでいた指輪の男が、ぐっと唇を噛み締めてからか細い声で呻くようにしてその答えを述べる。
「……だよ」
「は? 今、なんて……?」
「暴落したんだよ、商品の値段が……! 俺たちがコミフェスで仕入れた商品のほぼ全ての再販が決まって、高額の転売に手を出す奴がいなくなっちまったんだよ!!」
「な、なんだってーっ!?」
男の言葉に今日最大のリアクションを見せた界人が、目にも止まらぬ動きでスマートフォンを取り出す。
そのまま、SNSでフォローしている【CRE8】の公式アカウントを表示した彼は、つい1時間前に投稿されていた【夏コミフェスに出品したグッズについて】というお知らせを確認すると、その内容を超えに出して読み上げていった。
「ご好評につき、夏コミフェスにて販売したグッズが再販決定……!? 詳しくは公式サイトを確認してください、だって!?」
にわかに信じ難いその報告に仰天しつつ、公式サイトにアクセスして詳しい情報を確認していく界人。
そうすれば、そこには彼が夏コミフェスで目にした【CRE8】所属Vtuberたちのグッズの情報が記載されており、どう考えても事前に用意してあったとしか思えないその迅速な動きっぷりに唖然としてしまった。
(まさか、夏コミフェスに参加していた企業は罠を張っていたのか? 最初から転売目的の客を嵌めるために再販の情報を規制していた……!?)
ブックマークしている他のVtuber事務所の公式サイトに飛んでも、【CRE8】と同じようにコミフェス終了から1日で準備したとは思えないクオリティの特設ページが用意されている。
どこもかしこも同じような対応をしていることを知った界人は改めて【CRE8】の再販ページを開くと、最も気になっている部分についての確認を始めた。
「あ、あった! あのポスターだっ!!」
ページをスクロールし、お目当ての品を発見した界人が大声を上げる。
彼の視線の先には【くるめいスペシャルセット】に封入されていたアクリルスタンドやキーホルダー、そしてあの3枚セットポスターの情報が記載された画面があり、多くのファンたちから渇望されていたくるめいのグッズもまた再販が決まっていることを理解した界人の胸に、じわじわと興奮が込み上げてきた。
しかし、大丈夫なのだろうか?
【くるめいスペシャルセット】は夏コミフェス限定の商品であるとSNSや公式サイト上で触れ回っていた以上、この再販に関して何らかの批判の声が上がるのではないだろうか?
……と、考えていた界人であったが、【CRE8】公式に寄せられていたとあるリプライを見て、その懸念は瞬時に払拭された。
【なるほど、考えたな。再販が決まったのはくるめいスペシャルセットに封入されていた各グッズであって、それをひとまとめにしたくるめいスペシャルセットは再販されてない。セットとして購入できたのは夏コミフェスだけなんだから、公式は嘘はついてないことになるな】
その方法があったか、ととんちじみた公式のやり方に界人が心の中で叫びを上げる。
このやり方ならば普通のファンは困らないし、むしろ欲しいグッズだけを個別で注文できるのだからお財布にも優しいこちらの方がありがたいと感じるはずだ。
逆に、夏コミフェスに参加してグッズを購入した面々からしてみてもこの程度のことでぎゃーぎゃー騒ぎ立てるつもりはないし、グッズ一式が封入されていた紙袋はコミフェスでしか手に入らない貴重な品なのだから、現地に行った分の価値は十分に得られている。
とどのつまり、コミフェス参加企業が一致団結して繰り出したこの戦略によって困るのは、再販が決まっているグッズをそうとも知らずに目の色を変えて買い漁った転売ヤーたちと、そんな彼らが出品する高額な転売品を購入してしまったごく一部のファンだけということで……その結果が、高島とその相棒との喧嘩に繋がったということだろう。
「読めてきたぞ。お前らはコミフェスで大量のグッズを購入し、それを転売して金稼ぎをしようとしたが、それら全部の再販が決まって目論見が崩れ去ったわけだ。残ったのは売れる見込みのないグッズだけ……それで、半狂乱になって仲間割れを起こしたんだな?」
界人に全てを見透かされた男たちががっくりと項垂れながら頷く。
だがしかし、数日前のSNSへの投稿で見せていたイキリ散らかしていた姿が嘘であるかのようなしょぼくれたその姿を見たとしても界人の心には彼らへの同情が1㎜も沸いてこない。
この段ボールの数から察するに、彼らは3日間に渡って散々転売用のグッズを買い漁ったのだろう。
単純な仕入れ値だけでも相当な金額になると思うが、そこに買い占めのために雇ったアルバイトや交通費、更には近隣の宿泊施設を使用していた場合はそのための費用もかかっているはずだ。
それらの費用を合算すれば、どう見積もっても7桁近い金額は使っているだろう。
いや、もしかしたら1年に2度しかないオタクたちの祭典を絶好の機会として見ていたであろう彼らは、界人が想像もできないくらいの費用をかけて買い占めに走ったかもしれない。
それが全部、パー。黒字を出すどころか、グッズを捌き切ることすら不可能という絶望的な状態になってしまった。
買い占めに使った金額はそのまままるっと負債になることは目に見えているし、この大量のグッズを保管し続けるのだって一苦労。廃棄することだって難しいだろう。
要するに、だ……彼らはもちろん、今回の夏コミフェスで金稼ぎを目論んだ多くの転売ヤーたちは、見事に大爆死したということだ。
そのことを内心ざまあみろと思いほくそ笑む界人の傍で、2人組の男たちが再び言い争いを始める。
「んだよ、これどうするんだよ!? あんなキツくてダルい目に遭ったのに、金を稼ぐどころか大赤字じゃねえか! お前、転売はチョロいって言ってたよな!?」
「うるっせーよ! 俺だってこんなことになるだなんて思ってもみなかったんだよ! これまでは簡単に馬鹿なオタク共から小遣い巻き上げられてたから、これで一山宛てられると思ったのに……!!」
「はぁ~……おい、源田。とりあえずこいつら、下に連れてくぞ。応援呼んで、別々の車で署に連れてく。頭を冷やさせないと、また殴り合いを始めるだろうからな」
「あ、はいっ! 了解です!」
おぼろげながらも状況を把握し始めた中島は、このままでは無限に繰り返されそうな男たちの争いを見ながら界人へとそう指示を飛ばした。
上司からの命令に敬礼で返した界人は、指輪の男の体を抑えると先に部屋を出ていく中島の背を追って自分もまたこの場を後にする。
その寸前、部屋に積み上げられた大量のグッズを見つめた彼は、神妙な表情を浮かべて振り返った後に警察官としての仕事を全うすべく、意識を切り替えたのであった。
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