通報
界人がコミフェスに参加してから3日が過ぎた。
休暇を終え、警察官としての仕事をこなす日々に戻った彼だが、その心の中には未だに晴れぬもやがかかっている。
最早解説するまでもないだろうが、その原因はもちろん転売ヤーたちの悪質な行いにあった。
コミフェス開催期間中に同人誌や限定グッズを買い漁った彼らは、それを数倍もの値段をつけてフリマサイトで高額転売している。
そういった報告は界人が参加した初日からあったが、コミフェスが終了した今、彼らの転売行為は目に余るものになっていた。
【くるめいスペシャルセット】をはじめとした、もう二度と手に入らないであろう限定グッズの値段は天井知らずで上がり続けており、なんと同グッズに10万を超える値をつける転売ヤーたちも現れ始めている。
同人誌の値段も桁が1つ増えるのは当たり前といった惨状で、多数のフリマサイトが転売ヤーたちの手によって半ば無法地帯となっている有様だ。
コミフェスという祭典が終わった今こそが、そこに参加できなかったカモたちから金を巻き上げる好機……転売ヤーたちはそう考えているということだろう。
実際、ファンたちからしてみれば彼らが出品している商品は喉から手が出るくらいに欲しい代物で、今こそ馬鹿みたいな高値がつけられているが、それが値下がりしてきたら誘惑に負けてしまう危険性だって十分に存在していた。
通常価格の2倍から3倍、あるいはもっと高い値段でグッズを売りつけ、利益を得る。
公式にとっても、ファンにとっても、お互いに不利益な結果しかもたらさない転売ヤーたちを許していいわけがない。
だがしかし、界人にはそんな転売ヤーたちを懲らしめる力はなく、せいぜいSNS上で彼らが出品する商品を買わないように訴え続けることしかできないというのが現状だ。
これはもう本当に仕方がないことであるということは理解しているが、やはり悔しいものは悔しい。
だけどやっぱり自分には何もできなくて……という葛藤を、界人はここ数日ずっと繰り返し続けていた。
「はぁ~~~~……」
大して仕事のない、暇なひと時。青色の吐息をこぼした界人がデスクへと突っ伏す。
警察官が暇を持て余すというのは本当にいいことではあるが、実は通報されていないだけで幾らでも世間には事件が起きているんだろうな、と転売の件からネガティブな妄想を繰り広げていた界人は、唐突にパシンと頭を叩かれてその痛みに呻いた。
「いでっ……!!」
「暇してそうだな、源田。ちょうどいい、俺と一緒に来い」
「あ、うっす!」
上司である中島に呼ばれ、彼と共に仕事場を出る界人。
運転役を務める界人は、助手席に座った中島に対して行き先を尋ねた。
「それで、どこに行くんですか?」
「ああ、そう遠くないマンションだ。住所はこれな」
「了解です……何か、通報が?」
「ああ、騒音被害……っていうか、多分喧嘩だな。通報者はそのマンションの住人なんだが、上の階でドタバタ物音がする上に罵声っぽい声も聞こえてくるんだと。どうやら暴れてるのは男みたいだし、大家よりも警察に連絡した方がいいと判断したみたいだな」
「へえ……まあ、夏ですしね。暑さでイライラしてるところにカチンときて、そのまま大喧嘩に発展するってこと、度々ありますし……」
向かうべきマンションの住所を確認した界人が、暑い夏の日差しを車内から見上げつつそう呟く。
ご近所トラブルだとか、喧嘩の発端というのは割とくだらないことだったりするのだが、その末に殴り合いにまで発展しては世話ないな……と考えながら、界人は警察官としてはた迷惑なマンション住人たちの仲裁に向かうためにパトカーを走らせていった。
「……ここか。騒いでる男どもが住んでる部屋は」
「みたいっすね」
それから十数分後、マンションに到着した界人たちは既に事情を聞いていた大家に案内され、喧嘩が起きていると思わしき部屋の前に立っていた。
一応、万が一に備えて大家は下がらせているが、ドアの前に立って中の様子を伺った界人は、油断できなさそうな状況に顔を顰める。
「言い争いの声が聞こえてますね。どうやらまだ、争ってる真っ最中みたいだ」
「だな。ったく、いい大人がどんだけの時間、怒鳴り合いを続けてるんだよ?」
玄関と扉を震わせるほどの声量で、何か言い争いをしているであろう男たちの声を耳にした界人は中島と顔を見合わせてその厄介さにうんざりとした表情を浮かべた。
表札に苗字が書かれている『高島』という苗字を確認した後、いつまでもこうしていてもしょうがないと判断した2人は、咳払いをした後で備え付けのインターホンを押し、室内の人間にコンタクトを取る。
ピンポーン……という、おなじみのチャイム音が鳴り、それを聞いたであろう中の男たちの怒鳴り声が途絶えた後、ややあって玄関の扉が開き、そこから住人と思わしき男が姿を現した。
「……どちら様ですか?」
「あなたが高島さん? すいませんね、我々は警察の者です。このマンションの住民にあなたの部屋からただ事じゃない物音がするという通報を受けましてね、注意と確認に来たんですよ」
いつも通り、上司である中島が事情を説明する隣で男を観察していた界人は、一目でわかるその異常さに警戒心を募らせていた。
左目には大きな青あざがあり、体の見える範囲だけでも結構な擦り傷や打撲の跡がある。
どうやら彼は自分たちがここに駆け付けるまでの間、相当に激しく暴れまわっていたようだ。
そうなると当然、警察官として界人たちには確認しなければならないことがある。喧嘩の原因とその相手がそれだ。
このまま注意だけで済ませて界人たちが帰った場合、部屋に戻った彼らが再び喧嘩を始める可能性だってある。
そうならないためにも仲裁に入る必要があるわけだが……それ以上に界人たちは、彼らが何らかの犯罪に手を染めている可能性も危惧していた。
(どう思う、源田? 何か臭わないか?)
(俺も怪しいと思います。ちょっとした弾みで起きた喧嘩で負うような怪我じゃない)
殴り合いの喧嘩というのは、人が思っているよりも心身ともに疲弊するものだ。
暴れまわるのだから当然体力も消費するが、それ以上に本気で怒り続けることというのは気力の疲弊が激しい。
それを少なくとも30分以上は続けているであろう彼らがそこまで荒れ狂った原因は何なのか?
界人と中島は、もしかしたらこの部屋の中で起きているのはただの喧嘩ではないのではないかという疑いを抱いていた。
例えば……この高島という男とその仲間が、自宅に女性を連れ込んで暴行を働こうとしている可能性もある。
女性は必死に抵抗し、それを押さえつけるために高島やその共犯者も激しく暴れまわって……という事件がこの部屋の中で起きているかもしれない。
これはあくまで可能性ではあるが、決して論外というわけでもないというのが恐ろしいところだ。
少なくとも、喧嘩の原因が何であるかを確認しなければ帰るわけにはいかない界人たちは、疲弊しているのか思ったよりも大人しい高島に向け、質問を投げかけた。
「高島さんね、我々も通報を受けて来てるわけですから、原因の究明をしなきゃいけないんですよ。その怪我の感じからしてもただ事じゃあなさそうだし、何があったのかを教えてくれませんか?」
「いや、その……ちょっとダチと喧嘩しちまって、それだけで……」
「その喧嘩の原因は何なんですかね? そこを確認して、解決したって確認しなくちゃ我々も帰れないんですよ。最悪の場合、あなたとそのお友達に署まで来てもらわなきゃいけなくなる。それを避けるためにも、詳しい事情を話してもらえませんか?」
「え、ええっと、その……」
……怪しい、物凄く怪しい。
喧嘩の原因を隠そうとしていることから考えても、これは夏の暑さに苛立ちを募らせた結果起きた事件というわけではなさそうだ……そう判断してからの界人の動きは素早かった。
「喧嘩のお相手は中にいるのかな? ちょっと話を聞かせてもらいたいんで、失礼しますよ」
「あっ、ちょっと……!」
喧嘩の相手から話を聞くという名目で家に上がる界人。
やや強引な行いではあるが、決して違法ではない。もしかしたら今、この部屋の中で何らかの犯罪が起きていたり、犯罪の証拠を隠滅しようとしている可能性がある以上、こうして家に乗り込んでの捜査は警察官に許された権利であるはずだ。
何か隠したいことがありそうな高島が背後から界人を止めようとするが、中島が上手くそれをブロックしてくれている。
彼に感謝しつつ、真っ直ぐに部屋を進んでいった彼は、突き当たりにあったドアを開き、リビングと思わしき部屋へと足を踏み入れた。
「えっ!? あっ、え……?」
「何だ、この部屋は……!?」
突如、扉を開いて部屋に入ってきた界人の姿を見て、そこで待機していた男が困惑の声を上げる。
高島同様に傷だらけの姿を見た界人は、彼が喧嘩の相手であることを一目で理解したわけだが……それがどうでもよくなるほどの異常さをこの部屋から感じた彼は、ぐるりと室内を見回してから小さく呻いた。
あまり広いとはいえない部屋の中には幾つもの段ボールが所狭しと積み上がっており、まるで引っ越しでもするのかと聞きたいくらいの様相を呈している。
生活感がまるでないのはもちろんだが、あまりにも多過ぎる段ボールの数とそれが積み上がっている光景に圧倒されていた界人であったが、自身のすぐ近くに転がっている段ボールから覗くある物を見て、驚きに目を見開き叫んだ。
「こっ、これはっ……!?」
「どうした、源田!? 何かあったのか!?」
界人の声を聞いた中島もまた部屋に踏み込み、それを追って高島もリビングへと戻ってくる。
元々、この部屋にいた男も含めた3名の人々から視線を浴びる界人は、フローリングの床に膝をつくと……証拠物件を拾い上げ、それを両手で掴みながら再び叫んだ。
「くるめいスペシャルセット、だと……!? 何故、これがここに!?」
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