She thinks about him


「はぁぁぁ……やっちゃったぁ。枢くんと気まずくなっちゃったなぁ……」


 湯船に浸かり、雨と風で冷え切った体を温めながらそんなことを呟いた有栖は、顔の半分を水面に沈めてぶくぶくと口から泡を吐いた。

 自分も多少は慌てていたとはいえ、急遽自分の部屋に押しかけることとなった女性が下着をぶちまけたりなんかしたら、零としても反応に困ってしまっただろうと思いつつ、大きな溜息を吐く有栖。


 顔を上げ、自分の家と違いのない天井を見上げた彼女は、温もりを得たことで段々と緊張感が解れていくことを感じながら、ぼそりとこんなことを口走った。


「やっぱり優しいな、零くん……私のために、お風呂まで用意してくれてるだなんて……」


 異性である自分を受け入れてくれたことはもちろん、自分の体が冷えていることを見越して風呂の準備までしてくれていた零の気遣いに、有栖は心の底から感謝していた。

 以前の炎上や誕生日配信の時もそうだが、何から何まで彼に甘えっぱなしになっている自分が不甲斐なく感じてしまうが、それと同時にこんな駄目な自分にも優しくしてくれる零のありがたみが心に染みてくる。


 いったい、自分は彼にいくつ借りを作るのだろうか……? と思いつつ、湯船から立ち上がった有栖がシャワーを浴び始めた。

 髪を洗い、体を綺麗にし、しっかりと泡を洗い流した彼女は、犬のようにぷるぷると頭を振って水気を飛ばすと、深く息を吐いて鏡を見やる。


 捲れ上がった前髪から覗く2つの瞳を見つめ、小さな自身の体を見つめ、あるんだかないんだかわからない薄い胸と可愛らしいへそを見つめ、更にその下にある体の部位を見つめた有栖は、先程とはまた違った意味合いで深く息を吐いた。


(貧相だなぁ。ホント、子供みたい……)


 よくて中学生、下手をすれば小学生とも見間違ってしまう風貌の自分に女性としての魅力を感じられない有栖は、悔しいんだか悲しいのだかわからない感情のままに心の中で嘆きを漏らす。

 こんな自分に欲情する男は変態しかいないだろうと、そんな風に思いながら持参したタオルで体を拭いていく有栖は、同時に一切の怪しい素振りを見せない零のことを思いながらこんなことを考えていた。


(やっぱり、零くんも私に邪なことをしようだなんて考えないよね。胸もお尻も小さいし、別段可愛くもないわけだし……)


 当初、有栖は零の部屋で一晩を明かすことを躊躇っていた。

 信頼している相手とはいえ、零も男性。何かの間違いが起きる可能性も否めないし、不安が何一つとして存在していないわけでもなかったからだ。


 だが、しかし……よくよく考えてみれば、自分には手を出したくなる魅力というものが皆無といえるほどに存在していないことに気が付いた彼女は、自身の思い上がりを恥じると共に零に対する不信感を抱いたことに罪悪感を抱いてしまった。


 アイドル級の美少女だったり、グラビアアイドルのような魅力的な肢体をしている女性が、男性に手を出されるかもしれないと考えるのは当然のことだろう。

 彼女たちは可愛かったり、女性的な魅力があるのだから、そう考えるのもおかしくはない。


 しかし、入江有栖という少女がそういった女性たちと比べてどうかと考えてみれば……明らかに、格下の存在としか言いようがないはずだ。

 暗くて弱気でじめじめとした性格をしているし、胸も尻もぺったんこのちんまりサイズ。顔だって可愛いとは思えないし、そんな自分が手を出されるかもと不安になるのは自意識過剰が過ぎる。

 そういった被害妄想で零を疑うというのは彼への不義理以外の何物でもないと、ここまで自分に良くしてくれている彼を自分の勝手な妄想で乏しめることなどあってはならないと、そう考えなおした有栖は、薫子の提案に従って彼の世話になることを決めた。


 純粋な親切心で手を差し伸べてくれた零には、同じ信用を以て応えるべきだと……どうせ自分のようなちんちくりんには彼も手を出さないはずだと、有栖は心の底からそう思い込んでいる。

 実際のところ、有栖は十分に美少女に分類される女性であるし、巨乳巨尻でないこともそれはそれで魅力となるわけなのだが……自分を卑下する考えが染みついてしまっている彼女の頭の中には、そんな考えは思い浮かんでいないようだ。


 先のトラブルも零に見苦しい物を見せてしまったという意味合いで羞恥を抱いており、下着を見た彼が興奮して自分になにかいやらしいことをする……といった展開をまるで想像していないことからも、無防備さが見え隠れしている。

 そもそも、信頼している相手とはいえ、男に促されるがままに逃げ場のない風呂に入る時点で無防備にもほどがあるのだが……といった話ではあるが、そういった突っ込みを入れると切りがなくなるので割愛しよう。

 そうやって、自分自身が零に何かをされるとは全く考えていない有栖は、零が用意してくれたバスタオルでしっかりと体を拭いた後で持参したパジャマを纏い、彼が待っているリビングへと戻っていった。


「お風呂、上がったよ。バスタオルも貸してくれてありがとう、ね……?」


 まだ水気が残っている髪を拭きながら零へと感謝を告げた有栖であったが、そこで違和感に気が付いた。

 こちらへと背を向けている零の雰囲気が、どことなくおかしい。どこがと聞かれるとはっきりと言語化することは出来ないが、彼が今、何か変だということだけは感じ取ることが出来た。


「れ、零くん? どうか、したの……?」


「……有栖さん」


「ひゃっ……!?」


 自分の呼びかけに応えてゆらりと振り向いた零が、こちらへと近付いてくる。

 その威圧感に、雰囲気に圧されて硬直した有栖の視線を浴びながら、彼女の小さな肩を両手で掴んで逃げられなくした零は、真剣そのものといった眼差しを有栖へと向けると、同じく彼の真剣な表情を目の当たりにして言葉を失った有栖に向け、絞り出すような声でこう言った。


「有栖さん……俺、もう……我慢出来ない……!!」

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