Trouble Terrible Happening


「お、お邪魔しま~す……」


「い、いらっしゃい。お待ちしてました……」


 午後7時52分。自分の部屋を訪れた有栖を玄関口で出迎えた零は、彼女とぎこちない挨拶をしていた。


 まさか、出会って1か月程度の異性と自宅で2人きりで夜を明かすことになるなんて……と、この状況に対する戸惑いを抱きつつも、トラブルに見舞われて不安になっているであろう有栖を気遣う彼は、努めて明るく振る舞うことで彼女を元気付けようとする。


「さ、災難だったね、家の窓が割れちゃうなんてさ。でも、有栖さんに怪我がなくてよかった」


「急にあんな電話してごめんね。零くんには助けてもらってばっかりで、足を向けて寝られないよ」


「気にしないで、困った時はお互い様だしさ……いつまでも玄関で立ち話するのもなんだし、取り合えず上がってよ」


「う、うん。それじゃあ、改めて……お邪魔します……!」


 緊張した面持ちを浮かべながら、靴を脱いで零の家へと上がる有栖。

 彼女の着ている服が若干雨に濡れていることや、唇や顔が薄っすらと青く染まっていることを目にした零は、少し前まで有栖が雨と風に晒される部屋の中にいたことを思い出し、彼女のことを痛々しく思った。


 一応、冷めた体を温めるために風呂を沸かしておいたのだが……女性に自分から風呂を勧めるというのは、なんともやりにくい。

 シャワー浴びておいでよ、だなんて台詞を口にした結果、有栖が妙な勘違いをしてしまっては困るし……と思いながら、話の中でどうにかして切り出せばいいかと考え直した零は、彼女をリビングへと案内すると手にしている荷物をちらりと目にしてから言った。


「荷物、適当な場所に置いていいよ」


「あ、ありがとう……えっと、じゃあ、この辺に……」


 小さな手提げ袋いっぱいに荷物を詰め込んだ有栖が、それを部屋の隅っこへと置く。

 何を持ってきたのかと疑問に思う零であったが、女性の荷物を詮索するだなんて不躾な真似はするべきではないというマナーはあったため、それを有栖へと尋ねることはしなかった。


「か、薫子さんへの連絡は私がしておくね。あと、歯ブラシとかを出しておきたいから、整理する時間をもらえるかな?」


「うん、わかった。緊張しないで、のんびりくつろいでよ。ご飯は食べた? 俺はまだだから、有栖さんの分も一緒に作ろうか?」


「う、ううん! 大丈夫! 自分用のご飯は用意してきたから、気にしないで!! そこまでお世話になるわけにはいかないから……」


 スマートフォンと、その充電器。歯ブラシやコップといったお泊りセットを手提げ袋から慌ただしく取り出しながら自分へと返事をする有栖の姿をぼーっと見つめ続ける零。

 本当に自分はこれからこの子と一緒にこの家で夜を過ごすのだろうか……と、現実を受け止めきれずにいる彼は、これは夢なんじゃないだろうかと自分の見ている現実を疑い始めたのだが――


「あっ、ひゃっ!?」


「っっ!?」


 突如として、甲高い悲鳴を耳にした零が急速に意識を現実へと引き戻され、驚きの声を上げる。

 悲鳴を上げた有栖に何か起きたのか? と彼女の身を案じた零であったが、今の彼女の姿とその周囲にある物を目撃した彼は、目を大きく見開いてその場で硬直してしまった。


 有栖の周囲には、彼女の荷物と思わしき品物が至る所に散らばっている。

 どうやら、奥にある物を引っ張り出そうとした際に、勢い余って中身が飛び出してしまったようだ。

 問題は、その中にあるとある物。恐らくは、有栖が最も見られたくなかった、非常にデリケートな品物である。


 はらりと、よりにもよって零の目に触れやすいところに落ちたそれは、彼と彼女の視線を一身に浴びてその存在を主張していた。

 穢れを知らぬ純白の身に可愛らしいリボンの飾りをつけ、更にはレースで彩られたそれを、2人は数秒の間見つめ続けている。


 薄い布で出来た、人体の最も恥ずべき部分を隠すためにある衣類。

 その名はパンティ……履いている瞬間を見られても、そうでなかったとしても、十分に恥ずかしい代物である。


「あ、あ、あ……っ!!」


「ご、ごめんっ! そ、そんなつもりは……」


 不意に冷静さを取り戻した有栖が猛スピードで床に落ちた自身の下着へと飛びつき、それを回収した。

 その動きと、真っ赤に染まった彼女の顔を目にした零は、自分がデリカシーのない態度を取ってしまったことに気が付き、大慌てで謝罪と弁明の言葉を口にする。


 白くもこもことしたパジャマと、同じく真っ白なレース付きのシャツと共に零にばっちりと目撃されてしまった下着を抱えた有栖は、深呼吸を行いながら必死に気持ちを落ち着かせると、か細い声で零へと言った。


「だ、大丈夫、だよ。私が荷物をぶちまけちゃったのが悪いんだし、零くんは気にしない、で……」


「あ、えっと、う、うん……そ、そうだ! お風呂、沸かしておいたんだ! 有栖さんも体が冷えてるだろうし、入ってくれば?」


「……うん、ありがとう。それじゃあ、お言葉に甘えて――」


 すっくと立ち上がり、パジャマや下着を抱えながら風呂場へと向かう有栖。

 その背を見送った後、ギギギと音が鳴りそうなくらいにぎこちない動きで首を捻った零は、自分自身の顔を両手で覆いながら羞恥とも苦悶ともつかない呻きを漏らした。


「なにやってんだよ、俺……!? もっとこう、デリカシーとか相手の気持ちとかを考えた言葉ってもんがあっただろうが……!!」


 女性が、自分の下着を、異性に見られたことに対する恥ずかしさを想像した零が、あまりにもあんまりな自分の対応を自ら叱責する。

 必死に取り繕っていたが、有栖も絶対に恥ずかしかっただろうなと思う彼であったが、同時に先程自分が目にしたあの白いレース付きの下着を身につけた彼女の姿を想像してしまったことで一気に羞恥心が爆発した零は、身悶えしながらその場に倒れ込んだ。


「だ、駄目だ、冷静になれ! 取り合えず落ち着け! 素数でも数えろ!!」


 再び、自分自身を叱責しながら心を落ち着けようとした零は、立ち上がりながら深く深呼吸をしつつ頭の中で素数を数えるという訳の分からない行動を取り始めた。

 無論、こんな精神状態でそんな意味不明な行動を取ったところで気持ちが落ち着くはずもなく、むしろ更に動揺を加速させてしまった彼が、どうにかして有栖が風呂から出るまでに冷静さを取り戻さねばと焦っていると――


「あん……?」


 顔を上げた先にある有栖の手提げ袋を目にした零が、そこから見えたある物を目にして冷え切った声を漏らす。

 じっとそれを凝視していく彼の顔から動揺が消え、段々と真剣そのものの表情を浮かべていった彼は、間もなくして何事もなかったかのように立ち上がると、自分がすべきことをするために行動を開始するのであった。

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