She comes home


『……取り合えず、ガラスの張替えと部屋の掃除に関しては業者を予約しておいたよ。ただ、やっぱり明日にならないと仕事は出来ないってさ』


「まあ、そりゃそうだろうな。この台風の中を突っ切って来るだなんて、自殺行為だもんなぁ……」


 30分後、スマートフォンでの通話越しに薫子と会話する零は、自身もまた窓の外の天気の荒れっぷりを見つめながらそんな感想を漏らした。

 カーテンを閉め、自分も注意しなければと警戒を強めた彼は、電話の向こうの叔母へと感謝の言葉を告げる。


「ありがとう、薫子さん。お陰で有栖さんを安心させられそうだ」


『お礼を言うのはこっちだよ。あんたから連絡を貰えたお陰で早めに動けたんだからね』


「俺も電話を受けた時はびっくりしたよ。まさか、有栖さんの家の窓が割れちまうだなんてなぁ……」


 そう薫子と話しながら、少し前に有栖からヘルプを受けた時のことを思い返す零。

 半泣きどころか9割は泣いていた彼女から「助けて」だなんて言われた時には、すわ押し込み強盗でも家にやって来たかと思って仰天したものだが……実際はそれよりも遥かに軽い被害で済んで本当によかった。


 さりとて、この暴風雨の中で家の窓が破壊され、しかも復旧は明日にならないと無理というのは、十分に危機的な状況だ。

 一旦は有栖を落ち着かせることは出来たが、ここから彼女をどうするべきか? まさか、このままリビングの窓が割れた危ない部屋で一晩を過ごさせるわけにもいかないだろうし……と、この後の有栖の処遇を薫子と話そうとした零であったが、そんな彼へと薫子から驚きの提案が繰り出される。


『零、あんたの部屋に有栖を泊めてやってくれないかい? 今夜だけでいいんだ、どうにか出来ない?』


「は……? はぁっ!? いや、ちょっ!? どうして俺なんすか!? 寮には【CRE8】の女性スタッフさんも住んでるんだし、その人たちにお願いすれば――」


『あんた、有栖が女性恐怖症だってことを忘れたわけじゃあないだろう? ほぼ初対面の女性スタッフとあの子が上手くやれると思うのかい?』


「うぐっ……!!」


 薫子からその事実を指摘された零が言葉に詰まらせ、目を白黒させる。

 無論、有栖が女性恐怖症だということを忘れていたわけではないが……それでも、男の自分と2人きりで一晩を明かすだなんてことをする理由としては、ちょっとばかしリスキーなのではないだろうか?


 零も有栖もまだ若い少年少女なのだし、間違いがあっては良くない。

 その辺のところを大人である薫子はどう思っているんだと思いつつ、やんわりとそれは止めておいた方が無難だと言おうとした零であったが、それよりも早くに叔母からの言葉の釘が飛んできた。


『そりゃあね、私だってあんまり褒められた案じゃあないってことはわかってるよ? でもね、この状況下で有栖が頼れるのはあんたしかいないってことをわかってやってもいいんじゃないかね?』


「う、ぐ……」


『有栖は私やマネージャーを差し置いて、真っ先にあんたに助けを求めたんだ。あの子はあんたのことを信用してるんだよ。零、あんたは、その信頼を裏切るような真似をするような男なのかい?』


「うぐぐぐ……」


 薫子の言う信頼を裏切る、という言葉には2つの意味がある。


 1つは、そのまま純粋に助けを求める有栖を無下に扱うということ。

 今も彼女が雨と風が吹き込む部屋の中で1人寂しく膝を抱えて怯えていることを理解しているというのに、これ以上は救いの手を差し伸べず放置しようというのか? という問いかけの意味が1つ。


 そしてもう1つの意味が、自分のことを純粋に頼ってくれている有栖と共に一晩を過ごすとして、その信頼を裏切って手を出そうとするのか? という警告じみた問いかけだ。

 自分に助けを求め、頼り、友人として信用している有栖の寝込みを襲い、彼女を

 そんなあくどいことをするような男なのかと、自分へと問いかけてくる薫子のキツい口調に言葉を失った零は、絞り出すようにして喉から声を発して答えを口にした。


「んなことは、ないけどさぁ……でも、倫理観とか、世間の目とかあるでしょう? 万が一のこともあり得るわけっすし……」


『あんたの言い分ももちろん理解出来るけどねぇ、とんだトラブルに巻き込まれて気が滅入ってる有栖にこれ以上負担を掛けたくないんだよ。私が駆けつけられりゃあいいんだが、この嵐じゃあ家を出ることも出来ない。私と有栖が信用出来る男なんて、あんた以外にはいないんだ。頼むよ、零。あんたを男と見込んでのお願いだ』


 自分を【CRE8】に招き入れてくれた恩人である薫子にそこまで言われては、零としてもこの話を断りにくくなってしまう。

 本来ならばなるべく避けなければならないシチュエーションではあるが、確かにこれは緊急事態だし、有栖の負担を思えば……と考えを巡らせた零は、大きな溜息の後に覚悟を決めた声で薫子へと言った。


「……わかりました。いいっすよ、有栖さんを泊めても。ただ、向こうが拒否ったら俺が他のスタッフさんの部屋に行って、有栖さんには俺の部屋で過ごしてもらうってことでいいですか?」


『ありがとう、零。有栖には私の方から連絡しておくよ。あの子が嫌がったら、あんたの出した案を実行するってことで。そうなった場合のあんたの受け入れ先もこっちで探しておくから、少し部屋で休んでてくれ』


「ああ、はい。そんじゃ、また後で……」


 プツン、という音と共に通話を切り、近くに椅子に深くまで座り込む零。

 なんだかとんでもない約束をしてしまったのではないかと今更ながらに後悔しつつ、約束してしまったのだから仕方がないと開き直った彼は、有栖がこの部屋に泊まる際に見苦しい部分がないようにと、元から整理整頓が行き届いている自分の部屋を掃除しつつ、彼女の受け入れ態勢を整えていく。


 数分後、薫子からの届いた『あんたと一緒で大丈夫だって』という短いメールの文面を目にした零は、ごくりと息を飲むとやがて訪れるであろう修羅場に対しての気持ちを作り始めるのであった。

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