第50話 やべぇ奴と女神の駆け引き

《side東堂歩》


 自然と呆れの声が零れる。


「──なあ」

「……なんだい……?」

「あんだけ啖呵切っておいて、十秒も掛からず全滅した気分はどうよ?」


 問う対象は足元で倒れ伏す女神パンドラ。もはやマトモに動くこともままならないのか、その声には力がない。


「あんな一大決戦みたいな空気出しておいてコレとか、肩透かしにもほどがあるんだが」

「……キミがデタラメすぎるのさ……」

「見苦しい言い訳をどうも……」


 ああ。本当に見苦しい以外の何ものでもない。それほどまでにコイツらは相手にならなかった。

 パンドラは軽くフェイントを交えながら三発ほどぶん殴ったら沈んだ。

 馬鹿娘たちは更に酷い。ただただ反応できない速度で動いて、順番に顎に一撃入れていって全員気絶させた。

 ヒナの件もあったので、最初から本気で潰しにいったというのは確かにあった。アーティファクトやらオーバーロードやら、使われると面倒な手段がコイツらには満載だろうから。

 ただそれにしてもよ。十秒未満はねぇだろ十秒未満は! お前ら明らかにフィクションならラスボス級の組織だろ!? 第二クールでようやく姿を見せるような奴らが十秒未満で全滅って気合い足んねぇだろうが! ほぼ全員秒殺だぞもうちょい気張れや!


「何が酷いって、少しは戦えます〜みたいな空気出してた馬鹿娘たちがほぼ棒立ちだったことだよ。恥ずかしくねぇのかコイツらは」

「……そう言ってあげないでほしいな。娘たちのほとんどは元は戦いを知らない普通の女の子だったんだ。才があったのはヒナとセロぐらいさ。……軍神以上の相手と戦って勝負になる訳がない。反応することさえ無理だろうさ」

「ハッ。酷い母親だな。勝てないと思っておきながら強敵に挑ませたのか」

「……逃がせてたなら逃がしてたさ。キミがそれを阻んだ癖に……」


 僅かに混ざる怨嗟の色。やはりあの馬鹿娘たちがコイツの逆鱗か。自分が一番重傷なのによくもまぁ……いや怪我の具合で酷いのはヒナか。ちょろっと応急処置を受けてたぐらいだしな。


「……まあ良いさ。キミが娘たちを殺す気がないのは分かっていた。そう考えればまだマシだと思える。下手に逃がして絶望させたら可哀想だもの」

「ほう? まるで犯罪者として拘束されるよりも、そっちのがキツいみたいな言い草だな。それとも何か? ここから逆転でもできるとでも?」

「……そのつもりだよ」

「へぇ……」


 マトモに動くこともままならない。それでもなおこの状況を打破してみせるとのたまうのかコイツは。

 思わず口の端が上がる。気付いたら動いていた。倒れ伏すパンドラの胸を踏み付けていた。


「グッ……カッ……!?」

「ここまで追い詰められて。俺の胸先三寸で死ぬような状況で。どうやったらそんな頭お花畑な言葉が吐けるのか分からんね。それともアレかい? まさかお前の手元にあるとかいう希望とやらにでも縋るつもりか?」

「……希望? ……ああ、ピトスの中身か。残念だけど、アレはこの状況では役に立たないね。……中身ごとキミに粉砕されて終わりだよ」

「なんだ。人類の希望もその程度か」


 パンドラの箱。日本でも有名な逸話の一つ。神々から与えられた厄災の詰まった箱を、目の前のコイツが興味本位で開けてしまい、中の厄災が世に出てしまったという話。

 解釈こそいくつかあるものの、箱の中にはナニカが残ったというのは共通する。

 ナニカは『希望』ってのが一般的な解釈だが、そこはこの際どうでもいい。重要なのは、神話に語られる『厄災』と同等の物がコイツの手元にあるということ。……それでも無理と持ち主本人から否定された訳だが。


「じゃあ余計に分かんねぇな。どうやって状況を打開する? その根拠の自信は何だ?」

「……私は戦女神ではない。だからこそ最初の段階で、軍神以上の強さを誇るキミを打倒するという選択肢は諦めた。瞬殺されてどう思っただって? 殺されなければ、こうして倒れてなおキミと言葉を交わせるなら狙い通りだ」

「……ほう? つまり言葉で、交渉でもって俺を引かせると?」

「そうだよ。古来より女神は男の運命を狂わせてきた。私もそれに倣い、キミの闘志を狂わせてみせる」


 ……狂わせる、ね。なるほどなるほど。悪くない言い回しだ。助かりたいとか、なんとかするとか、そんなありきたりな言葉じゃないところは気に入った。


「 いいだろう。少し興味が湧いた。チャンスをやるからやってみせろよ女神様。不快に感じた瞬間に心臓ごと踏み潰すが、それでもできるというのなら足掻いてみせろ」

「……ではありがたく」


 パンドラが小さく息を吐く。

 覚悟を決めるように。一世一代の大勝負に出る博徒の如き決意を顕に、ゆっくりと囀りはじめる。


「──キミは私の逸話を知っているかい?」

「お前の?」

「そうだ。神にとって逸話は力だ。語られた物語があれば、それは権能として神を構成するパーツとなる」

「それは知ってる」


 以前に時音ちゃんたちが語っていた。神とは世界に誕生した様々な概念に、個性やエピソードを追加されたことで誕生したと。


「科学が未熟だった時代、人は理解できないものを恐れ、少しでも理解できるようにと神話という形を与えた。そんなアミニズムを世界が利用したことで神は生まれた」

「そう。だからこそ神は逸話にあることは基本的に実行可能なんだ。やれるようになったんじゃない。。それだけ神にとって逸話は重要なんだ」

「なるほど」


 そういう意味では神ってのは随分と機械的だ。神話がプログラムのソースコードみたいなものか。


「大変に興味深い講義をどうも。で、それがどう交渉に繋がると?」

「私の、原初の女たるパンドラの逸話には『神々からあらゆる物を贈られた』というものがある。この逸話の権能によって、私はオリュンポスの神々から力を借り受けることが

「できた? ……ああ、時代の関係か」


 意味深な強調だったが、すぐに納得する。今の時代では神がいない。だから過去形と。


「違う」

「あ?」

「逆なんだよ。現代において、私はあらゆる神話の神々からその力を借り受けることができる」

「……はぁ?」


 いや何でだよ。神秘が薄れてんだろ現代は。何でコイツだけパワーアップしてんだよ。


「これは私も驚いたんだけどね。まず前提として、この世界にはすでに神そのものは存在しない」

「じゃあ何でお前はいるんだよ。地味に最初から気になってたんだが」

「私はかなりの例外でね。『泥から造られた原初の人間の女』という逸話があったから、人間の側面も持つんだよ。それが理由の一つ」

「神様産の原初の人なんて結構な神話に出てくると思うが」


 有名どころだとアダムとイヴとか。


「そうした者たちは滅びが語られてたりするだろ? それはつまり人間としての側面がことのほか強いのさ。逆に私は滅びが曖昧だったり旦那も神だったりとかで、人間だけど人間寄りじゃないんだよね。泥人形寄りというか」


 曰く、パンドラは人として定義されながらも、かなりの部分で人とは異なるのだと。

 不老不死ではないが不老ではある。人ではあるが権能が使えるなど色々と都合の良い適応の仕方をしているそうだ。


「そしてもう一つの理由。それは私がということ。科学の時代となった今、現代だからこそ生まれた概念が存在する。それが『神』の概念だ」

「……あー、はいはい。つまり科学じゃ証明できない、しかし実際に存在する概念としての神。個ではない漠然とした概念の方に、お前が当てはめられたと」


 科学の発達によって権能の大部分が科学のルールに侵食され、神々は零落し姿を消した。だが科学が全てではないことは、魔法なんてもんが存在する時点で明らか。物理法則が介入しない、未だにできてない領域は確かに存在している。

 コイツもその内の一つ。神という概念の端末なのか。


「そんな訳で、私は現代でも問題なく女神パンドラとしての力を行使できるし、なんならある面においては神話以上の権能を獲得している」

「……広義の意味での『神』だから神話の壁を超えられる。その上で神々から力を借り受けることができると」

「ついでに言うと、全ての神はもう自我がない。だから私の要請は拒否されず、実質権能が借り放題だったりする」

「めっちゃイカサマじゃねえか!」

「キミみたいなデタラメに言われたくないんだけど」

「あん?」


 サラッと暴言を吐かれたことで、思わず足に力がこもった。


「ゴッ……カッ……!?」

「テメェ。軽口叩ける立場かオイ。腹立ったら踏み潰すと警告したよな? 中断して心臓が泥かどうか確かめてもいいんだぞ?」


 普通に会話をしてるが、それはあくまで俺の慈悲が前提だ。勘違いして調子に乗るなんて、それはとてもよくないことだ。


「自分の立場を弁えろよ? 興味深い講義内容だからこそ、テメェの長々とした話にも付き合ってやってんだ。ジョーク混じりの雑談をする為じゃ断じてねぇ」

「……ゴホッ、失礼した。確かに今のはよくなかった。それに前置きも長くなりすぎた。そろそろ本題に入ろう」


 そう吐血とともに謝罪してから、パンドラは言葉を続ける。


「他の神々の権能を借り受けると結構色々できるんだ。出力は劣るけど借り受けた権能自体は行使できるし、元の神に縁ある神器、現代でいうところレリックを呼び寄せたりとかもね。あの時使ったアイギスもそうだし、私がさっき身に着けた宝帯もそう」

「宝帯?」


 そういやコイツ、さっきわざわざ剣をしまって、何故か帯を巻いてたな。


「これは女神アフロディーテの宝帯。キミと戦う直前に、アテナの権能を返上して代わりにアフロディーテの権能を借り受けたんだ」

「あー、魅了アイテムだっけか」


 そういや新しい神〇しの魔王様の権能にあったな。友愛の帯。


「……てことはアレか? まさかお前、美神の権能で俺のこと魅了しようとしたのか?」

「……それで済むならここまで苦労してないよ。この宝帯は最初からしっかり効果を発揮してる。大神ゼウスすら抗うことのできないはずなのに、全然効いてないじゃないかキミ」

「そりゃ良かった。まさか期待した交渉の内容がそれだったらどうしようかと。失望のあまり何をするか分からんかったよ」

「……別に求めるのなら差し出しても構わないけどね。それで話が済むのなら安上がりだ」

「泥人形が調子のんなや」

「カハッ……!?」


 別に人外は嫌いじゃないけどよ。敵である時点でそういう対象じゃねぇから。現状では何か喋るダッチワイフ、それも使用済みとかいう最悪アイテムっていう認識だからな俺。


「……っ、まあアレだよ。魅了の方は効果が出れば儲けもの程度だ。本当に重要なのはアフロディーテの交渉能力だからね」

「ほう?」

「アフロディーテは美の女神。男を手玉に取ることに関しては、ギリシャでも右に出る神はいない。それは単純な魅力だけじゃなく、男に対する所作や理解の深さくるものだ。トロイア戦争なんて最たるもので、アフロディーテだけがパリスの欲望を正確に刺激してみせた」

「ああ……」


 パンドラが例に挙げたのは、これまた有名な逸話だ。

 端的に言ってしまえば、女神たちによるミスコン。その審判役を与えられたパリスというトロイアの王子に、女神はそれぞれ買収を仕掛けたというエピソード。

 世界を支配する力を約束したヘラ。戦場における無敗を約束したアテナ。そして世界で最も美しい女を与えると約束したアフロディーテ。


「三女神の中で、唯一アフロディーテだけがパリス王子の若さを見抜いてみせた。その逸話が元になった権能か」

「その通り! アフロディーテ由来の男に対する理解力、そして大地母神であるパンドラの『与える権能』! この二つを駆使して、私はキミに交渉を持ち掛ける!」

「……やっとここまで来たか。長ぇんだよ前置きが」

「そう言ってくれるな。キミが違和感を覚えたら殺されてしまうのだろう? ならしっかりと説明を重ねる必要があることは理解してほしい」

「はぁ……」


 いや、うん。内容自体は中々のものだったから別に退屈ではなかっんだけども。


「で、自信満々に何を語る? お前らみたいな厄介な相手を見逃すリスク、なにより俺の煮えくり返った腸を鎮められるほどのメリットは何だ?」


 断言しておくが、俺はそこまで安い人間じゃない。自他ともに認める非常識な外道だ。だからこそ不愉快という感情には殊更に拘るぞ。


「まず前提条件として、私は個人が望むであろう大抵のモノは与えられる。これでも神代から存在しているからね。人脈やら財やらは豊富なんだ」

「オイオイオイ。まさかここまで引っ張って金で済まそうなんてつもりじゃないよな?」

「……っぐ、まさか。そんな単純なもので満足する俗物なら、アフロディーテの宝帯でとっくに私の言いなりだ」


 どうやら違うようなので足の力を抜く。いやー、良かった良かった。これで単純な買収だったらマジで切れるところだった。

 金は大好きだけど、賠償金とかはぶっちゃけ大嫌いなんだよな。報復は自分の手で満足するまでやりたい派です。


「アフロディーテの権能が言っている。キミはもっと複雑だ。欲望に忠実な人間ではあるが、だからと言って望みのものを全て素直に受け取る訳ではない。明確な線引きがキミの中で為されていて、それに反するものは断固として手を出さない」


 ……当たっているな。


「これを考慮した上で、私の与える権能が主張している。何を与えてはダメなのか、何を与えれば良いのかを」

「だから前置きが長い。語りたがりかテメェ」

「金銭や物品などはキミは欲していない。その気になれば容易く手に入るから。つまりキミに与えるべきは、単純な力では手に入らないもの。そしてキミが最も興味を引かれているのは、すでにこれまでの会話で察しはついている!」

「さっさと結論!」


 コイツ本当にもう全部無視して踏み潰してやろうかしら!?


「私の人脈には当然ながらメディアや出版業界も存在する! それもハリウッドを筆頭に世界各地。そこには当然日本も含まれている!」

「……」

「私が手を回せば日本のサブカルチャーは更なる発展を迎えるだろう! 私の持てる資金に人脈を駆使し、キミの望む作品を全て支援しようじゃないか!!」

「…………」


 ………………。

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