第17話 バケモノ

《side小森時音》


「東堂さん……!?」


 悲鳴のような叫びが当たりに木霊する。こんな風に大声を出せば、普段のあの人なら茶化しながら返事をするだろう。

 ……でも今は何も返ってこなかった。羽根のようにふわふわとした軽口も、人を小馬鹿にしたような煽りも飛んでこなかった。



 ─クチャッ、クッチャッ。



 代わりに聞こえてきたのは生々しく不快な咀嚼音。発生源は歪な人型のイクリプスと、それに咥えられている人間だったもの、東堂さんの下半身。


「そんな……」


 絶望的な光景だ。上半身は完全にイクリプスの口の中。あれではまず間違いなく生きてはいまい。いや即死だ。なにせ下級のイクリプスですら肉食獣に匹敵、また凌駕する力を持つ。そして目の前のイクリプスは、



「擬態型……!」


 正式名称、TYPE.SHAPESHIFTER。Aランクに分類される上級イクリプスだ。その身に宿す力は下級イクリプスとは比べものにならない。

 他のイクリプスに擬態する能力を持ち、それでいて素の力は他の上級イクリプスと同様に戦闘機に匹敵するという恐ろしい存在。下級イクリプスと知らされて派遣された戦姫、特に下位の戦姫の多くが不意を打たれて擬態型に殺されている。

 今回だってそうだ。本当だったら私はあの擬態型に殺されていた。そうなっていないのは、東堂さんが身を呈して私を助けてくれたからに他ならない。



 ──先程の光景がフラッシュバックする。



 真剣な表情で私を突き飛ばし、代わりにイクリプスと対峙した東堂さんの姿が。イクリプスの捕食行動に呆気に取られ、抵抗する間もなく食べられてしまった東堂さんの姿が。


「……っ、そ……!」


 少し前の自分を殴り殺してしまいたい。何故あんな風に油断した。残心を忘れた。東堂さんから『やらかしそう』なんて忠告だってされてたのに! しかもそのツケを払ったのは東堂さんだ! 擬態型がどれ程に危険な存在かも知らないで、私を救う為だけに命を賭けた東堂さんだ!

 あの人は確かに非常識は人ではあったけど、元は私たちが守るべき一般人で、まだ所属してないまもない新人。ああもあっさり食べられたのだって、擬態型の姿を知らなかったからだろう。それさえ知っていれば、あの東堂さんが簡単にやられる訳がない。その知識はこれから学ぶ予定だったんだ。そんなまっさらな新人を盾にさせたんだ!!

 私のせいで東堂さんが命を落とした。不甲斐なさ怒りで頭の中がグチャグチャになる。知り合いを失った喪失感で視界が滲む。


「……せめて……!」


 私の実力じゃ上級イクリプスには敵わない。一矢報いることだって難しい。でもせめて、せめてもの償いとして、東堂さんの遺体、それが無理でも遺品ぐらいは取り返さなければ。


『駄目よ時音ちゃん。擬態型が東堂君の捕食に夢中になってる今がチャンスよ。すぐに撤退して』


 そんな私の決意は、神崎さんによって否定された。

 ……今、何て言った? 神崎さんは東堂さんの遺体を囮に、私が逃げる為の餌にしろと言ったの?

 信じられない。信じたくない。普段の神崎さんを知っているが故に、そんな非情な指示を理解することを心が拒絶する。


「……どういう、ことですか……?」

『どうもこうもないわ。相手は上級イクリプス。時音ちゃんじゃ逃げ切ることすら難しい。だからさっさと逃げるの』


 当然のように言い切る神崎さんに、怒りが込み上げる。何をこの人は当たり前のように……!


「そういうことを……!」

『大声を出すな、時音君。イクリプスの注意を引くようなことをするんじゃない』


 神崎さんに反論しようとしたら、今度は源内さんに止められた。


『時音君の気持ちも良く分かるが、今は耐えるんだ。既に環君がそちらに向かっている。歩の仇は彼女が取る。だから君は逃げるんだ』


 諭すような言葉だ。私に対する心配が多分に含まれているのは分かる。でもそうじゃない。そうじゃないんだ。だってこの人たちは、東堂さんの死体を利用することを何ら躊躇っていない……!


「東堂さんは、私を守って死んだんですよ……?」

『ああそうだ。現場職員としても、一人の男としても、実に立派な最後だった』

「……じゃあ何で、そんな人の遺体を餌にしろと言えるんですか……?」


 あの人の死を利用し、遺体を辱めるようなことをしろって言えるんですか……? あの人は、私を守って死んだんですよ!? それなのにそんな仕打ち、あんまりしゃないですか!!

 涙で視界が滲む。怒りで声が震える。できる訳がない。そんな惨いこと、できる訳がないじゃないですか……!!

 もう良い。命令なんて知ったことじゃない。何がなんでも、私は東堂さんの遺体を取り返す。これ以上化け物に、あの人の身体を穢させない!


『──時音君。怒りで我を忘れるな。もしキミが死ねば、歩の死は本当に無駄になってしまう』

『アナタがするのはやけっぱちで命を捨てることじゃない。生き残ること。それが東堂君の死に報いる唯一の選択肢よ』


 しかし、正論という名の冷水によって、私の一歩が踏み出されることはなかった。

 僅かに戻った理性が、嫌でも大人たちの言葉を理解してしまう。暴れだそうとしていた激情が、どんどん理性の鎖で縛られていく。


「生きる……」

『ああそうだ。アイツはキミを生かす為にその身を投げ打ったんだ。それなのにキミが死んでしまえば、アイツだって浮かばれない。……悔しい気持ちがあるのも分かる。怒りだって分かる。それは我々も同じだ。新人が、仲間が死んだんだ。でもだからこそ、その死を無駄にしないでくれ。どうか今は堪えて逃げてくれ……!』


 静かで、それでいて本気の頼み。だからこそ、源内さんの言葉は私の心に響く。


『アナタは戦姫よ。数少ない人類の守護者。だからこそ、無駄死にだけはしちゃいけないの。それをさせない為に私たちはいて、全力で戦姫たちを支えるの。東堂君だってそう。彼は使命をまっとうした。アナタが短慮を起こすことは、何より東堂君の死を貶めることになる。……だから次は時音ちゃんが使命をまっとうする番よ。なんとしてでも生き残って、この先数多のイクリプスを倒しなさい。そうすることで、東堂君は戦姫を救った英雄になる。彼が天国で胸を張れるように、アナタが頑張るのよ』


 淡々とした正論。相変わらず理路整然とした、それでいて確かな優しさを感じさせる言葉。だからこそ、神崎さんの言葉は私の理性を刺激する。


「……分かりました」

『……済まない、時音君』

『ありがとう、時音ちゃん』


 そして一度冷静になったしまえば、もう短慮なんて起こせそうになかった。短慮はあの人の死を貶めると言われたら確かにその通りだ。ここまで東堂さんに迷惑を掛けたのに、これ以上の迷惑なんて掛けられない。

 勿論、未だに東堂さんの遺体を利用することに抵抗はある。罪悪感だってある。でも多分、あの人ならきっとこう言う。



 ──死体なんて御大層なもんじゃねえから。それもう物だろ。情緒なんて抜きにすりゃただ生ゴミだって。



 あまりにもふてぶてしく、倫理をどこかにほっぽり出したかのような発言。イメージでしかないれけど、破天荒なあの人なら言いかねない。まあ悪い人ではないので状況次第では情緒も尊重しそうだが、少なくとも自分の遺体については実にドライな扱いをするであろうことはなんとなく分かる。

 そう思うと、僅かに気が軽くなった。遺体を餌にされたら露骨に顔を顰めて『えー……』とは言うだろうが、逆にそれだけで済ませてしまうのが東堂さんという人だ。


「……ゴメンなさい。そしてありがとうございました」


 もう目にすることのない光景を、私の中の罪として魂に刻見つけながら、最後に私は東堂さんへと頭を下げた。


「……撤退します……!」


 そして心の中に湧き上がってくるあらゆる感情を振り切って、その場から静かに離れていく。

 滲む視界を何度も拭って、気付かれないよう擬態型に細心の注意を向ける。未だにイクリプスはその場から動かず、上半身裸になった東堂さんが擬態型の口をこじ開け──


「………………は?」


 ……待って。待って! 何か今変な描写が脳内に入った!というかとんでもない光景が目に入ったんですが!?


「流石に気の所為ですよね!?」

『時音ちゃん!?』

『急にどうした!?』


 慌てて振り向く。隠密行動もへったくれもない暴挙に神崎さんと源内さんが慌てているが、残念ながらそんな場合じゃない。兎にも角にも、今の有り得ない『幻覚』を確認しなければ……!!

 そうして振り返った先では、


「気持ち悪いわぁぁぁぁぁ!!!!」


 服以外無傷の東堂さんが擬態型を思いっきり地面に叩き付けていた。

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