魔王筆頭の今
かつて魔王軍筆頭とも言われたエリン
何年か前に死んだと言われていた男は今、森で遭難していた。
「…………馬鹿だった」
最強とも言える彼を苦しめていたのは自分の驕りという精神面だった。
どうせ小さい森だろうと高を括って、魔法で地形を把握することも風で空に跳ぶ魔力が無くなるまで自分の置かれている状況を把握できていなかった。
「本当に死ぬ……」
今までは植物を食べて飢えを凌いでいたが、すでにそんなものでは耐えられないほどまでに身体の機能は低下した。
何よりも殺気も抑えることが出来ず、もうしばらく他の生き物を見ていない。
「…………!」
だからこそエリンは瞬時に臨戦態勢を取った。
間違いなく風ではなく生き物が動く音。
腰から調理用のナイフを抜き、集中と視界の情報に全神経を傾ける。
ここのチャンスを逃せば間違いなく飢えで死ぬ。そんな状況でなら間違いなく生命の限界に挑戦できた。
確実に着実に何かが彼の方へと近づいてくる。
「……一匹と……あと遠くから二匹くらいか……」
彼は標的を一匹の方に定める。
残り二匹は一匹を仕留めてからでもいいだろう。
3……2……1……
タイミングを合わせて、一気に飛び掛かる。
左手で獲物の掴みやすい場所を掴む。
獲物はとっさのことに反応出来ず、そのまま彼に引き倒された。
「……はっ……はぁ……」
獲物から恐怖から来る吐息が漏れる。
首にナイフを当てて、後は押し込むだけというところで彼の思考がそれを止めた。
「……人間?」
しかも子供の女だ。
力で勝てないことは分かっているのだろう。少女は抵抗することなく、少しずつ言葉を紡ぎ出す。
「……盗賊の方ですか?……この場で殺しなさい」
幼い見た目には似合わない強気の目に、もっと恐ろしいものと戦ってきたはずのエリンですら警戒を解けないほどだった。
ただ何か勘違いをしていることだけは理解したエリンは拘束を解く。
「よく分からないけど盗賊ではないから目の前から消えてくれ……」
彼の落胆はすさまじかった。当然、こんな子供を食べる気になれず彼にとって目の前にいる少女というのは毒でしかなかった。
しかし彼女の方は一切動こうとしない。
「早く消えてくれ」
仕方なく彼の方からおぼつかない足取りで移動しようとするが、少女に腕を掴まれてその足が止まる。
「離してくれ」
「お願いします……助けてください」
「俺今戦えるほどの気力がないんだ。他を当たってくれ」
エリンは大方、人攫いに合いそこから逃げ出してきたのだろうと推測した。
しかしそれが正解かどうかなど関係なく、今の彼には人助けをする力なんて残っていなかった。
そもそも初めて会ったような少女に命を張れるほど、彼の自己評価は低くなかった。
「だったら……ここに私を連れてきた人から拝借したパンと少しだけ水があります」
「……!」
少女が大事そうに出したパンに、思わず彼の手が彼女の手を掴んでしまう。
「……何をすればいい?」
「現金な人は嫌いじゃないです」
少女はパンと水を渡す。
「今、私を盗賊が探しています。盗賊たちにバレるのも時間の問題です。だから盗賊たちを追い払ってください」
パンと水を味わう余裕もなく食べ終わったエリンは、再びナイフを構える。
「後ろに隠れてろ。本調子じゃないんだ。庇いながらは戦えない」
先ほど聞いた足音通り、二人の男が草むらから姿を現す。
「こんなところに居たのか~」
「一人くらい逃がしても別にいいんだけど、お前はそこそこ高く売れそうだからな~」
下衆らしい気持ち悪い笑みを浮かべて、後ろの方に隠れていた少女を目を細めて見る。
エリンはそんな少女の方を見る男の視線を腕で隠す。
「なんだよお前?」
「悪いけど諦めてくれないか?」
俺は手に持っていたナイフを見せびらかすようにして構える。
「お前がなんで庇っているのか知らないけど嫌だね。なんならどうだい?腕に自信がありそうだしこのまま闇市まで監視してもらえないか?お礼はその子がしてくれるよ」
「……食べ物のお礼だから軽くビビらせる程度にしようと思ったが、やっぱり変更だ」
その場にいた盗賊、そして少女は身体を強張らせた。
盗賊たちは長年の経験からくる殺気に驚いた。
「……腹立つなぁ……心底お前みたいなのは嫌いだよ」
「奇遇だな。俺はお前みたいな『人間』が心の底から嫌いだよ」
エリンが手のひらを向けると、そこから炎が現れる。
「《エンシェント・フィア》」
「魔法……」
幼い少女にも魔法に触れる機会は度々あった。
例えば鍛冶やガラス工芸といったものや、料理や演出と多岐にわたる。魔法とはそういったものなのだ。
だがそこにあるのは、彼女の常識の枠外、まさに物理法則を超えていた。
「炎くらいでビビるかよ!」
一人の盗賊が果敢に突撃してくる。
「これくらいでビビられたら俺だってビビるんだよ」
減らず口を叩きながらも、彼の炎は勝手に盗賊の方に狙いを定める。
「あっちぃ!」
盗賊に絡みついた炎はより威力を増しながら渦を巻く。
「ひぃっ!」
男は地面を転げまわって情けない声を上げる。そんな男の横でエリンは淡々ともう一人にナイフを向ける。
「そっちの方も来るか?」
もう一人の盗賊は、完全に腰を抜かしてその場に座り込んでしまっている。
「終わりだな」
エリンがそう呟いたその瞬間、何故か遠くの方に湖が映った。
先ほどまでなかったはず、そして森にあるはずのない異物に、この場の人間全ての視線が湖に集まった。
盗賊が炎に巻かれて叫んでいるちょうどそのタイミングで湖が現れたのだ。
炎に巻かれた盗賊は湖の方に走り出していった。
「おい!待ってくれよ!」
腰を抜かしていた方もしばらく四つん這いになりながらも、必死に片方の盗賊の方を追いかけて行った。
「これでいいのか?」
「あ、ありがとうございます……」
一瞬の出来事に少女は聞きたいことは山ほどあったはずなのに、感謝の言葉くらいしか出てこなかった。
だが安心した少女は盗賊が逃げて行った方を見る。
すでに盗賊たちの姿はなく、奥に続く暗い森が続いているだけだった。
「……え、森?」
そこで少女は異常な違和感に気付いてしまった。
「湖ありませんでしたか……?」
「幻覚魔法だよ。炎なんて燃費の悪いことこの体力で出来るかよ」
エリンはあの炎も少女たちが見た湖すらも幻覚だったと言う。
「今頃、永遠に着かない湖にダッシュ中だろうよ」
エリンは見た目相応の笑いを零す。
傍から見れば可愛らしい一面を見せるエリンにあどけなさを少女は感じてしまった。
だがこの少女には恐怖の材料にしかならなかった。
「あなたは一体何者なんですか……?」
「ちょっと頭の悪い旅人」
そう言ったエリンに対して、少女は必死に首を振る。
「だって……だってそんなオーラ……絶対に人間じゃない」
「……魔法の素質結構あるんだな」
時折、人の生命力を見ることが出来る人間が生まれる。そんな人間たちは総じて天才と呼ばれる魔法使いになる。
この少女もそんな人間の一人だった。
そしてそんな彼女の目には、彼の力は明らかに異質な存在に写っていた。
「じゃあ人間以外って言ったらどうする?」
エリンが声のトーンをかなり下げて聞く。
仮にエリンが魔物だとしたら、すでに少女の命なんてあってないようなものだ。
「……すみません、ただの知的好奇心だったので聞き流してください」
「その知的好奇心ならいくら命があっても足りないな」
「すみません……」
それ以来、しばらく黙ってしまった少女を見てイライラしたエリンは言葉を切り出す。
「それで何が目的?」
ようやくエリンの方から本題を切り出す。
「そうなんです!私と一緒に捕まってる子たちを助けてください」
「ごめん、嫌」
エリンはさっさと歩き出す。
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