第6話 ベレー帽の依頼人

「ごめんください……」

 猫背気味な小柄な男が、キョロキョロと店内を見渡して入ってきた。

「あら、お客さん?」

「うわっ」

 事務所からひょいと顔だけ覗かせたマスターに、男はびくっとする。

「あ、あの……ここで依頼ができると聞きまして……」

「あら、のお客さん。珍しいわね」

 マスターが男を奥の部屋に招き入れ、男は促されるままに、おどおどした様子で椅子に座った。


 薄緑のベレー帽からは栗色の髪が外側にはみ出ていて、目には丸い縁の眼鏡をかけている。まるで売れない画家のような出で立ちのその男は、叶田伸治かのたしんじと名乗った。


「民事訴訟を専門とした弁護人をやっておりまして……この喫茶店のことは知り合いから伺いまして……」

「本日はどのようなご依頼で?」マスターが叶田の向かいに腰かけ、手帳を開く。

「実は……私が勤務する弁護事務所に、脅迫の文書が届きまして……」叶田はベストの胸ポケットから用紙を取り出した。

 その紙には、印刷された文字で先月の訴訟の結果に対する不満が綴られ、最後に弁護事務所を破壊する旨が書かれていた。


怨恨えんこんですか」

 京也は叶田の前に熱々の入れたての珈琲を置き、その紙を受け取る。

「はい……職業上、恨みを買うのは致し方ありません。しかし以前にもこのような文書を受け取り、放置しまして……そしたら、秘書が原因不明の不慮の事故にあい……あ、美味しい」珈琲を啜りながら叶田は云った。「ですが、その事故が脅迫が原因だという法的根拠のある証拠が何もなく……警察は動いてはくれませんでした」

「それで僕たちに頼ることにしたと」

「はい」

「この脅迫状が本当なら、犯人は今夜、叶田さんのことを狙うそうね」マスターは京也から受け取ったメモ用紙を手帳の中に閉じると、叶田に向かって微笑んだ。

「この件は私たち異能警察ビター・コップスにお任せください」


✧ ✧ ✧ ✧ ✧ 


 日が沈む頃。京也と夏目、木騎の三人は弁護士事務所が所在する高層ビルの前に立っていた。そこから叶田に案内され、それぞれの配置につく。

 京也は護衛ごえいとして叶田と別フロアに待機し、夏目と木騎は叶田の執務室で犯人を待ち伏せする計画だ。


「犯人は本当にここに現れるのかねぇ」木騎は客用ソファに腰かけて部屋を見渡した。「しかし立派な部屋だな」


 広い室内は隅々までほこりひとつなく清潔に保たれており、本棚には法に関する分厚い書物が無機質に並べられ、威圧感を放っていた。


「ここも書物が多いな……」夏目は部屋の奥へと進んでいく。

「なあ、今回の依頼についてどう思う」木騎が少し伸び始めたひげを撫でながら夏目に訊く。

「妙だ」

「おお!やっぱりお前もそう思うか」

「……脅迫状にはなんの要求も書かれていない。過ぎた判決を取り消せるわけでもない。犯人がわざわざ脅迫文を送りつけた目的が明らかじゃない」

「俺もしゃくだがよう、光警が動かないのも納得しちまう。ただのいたずらな気がするんだよなあ。気弱そうな弁護士をちょっと驚かしてやろうっつう類のな」

「恐怖心を煽るための工作―――だとしても、犯罪に変わりはないが」

「……ふむ。確かに」

 取り敢えず待つか、と居心地の良いソファから離れる気のない木騎は欠伸あくびを押し殺しながら云う。

 夏目は窓際に近づき、高層階から見える街並みの美しい景色を眺めた。


 この街の入り組んだ路地や地形など殆どのことは熟知しているつもりだが、高い場所から見下ろす景色は何度見ても、その美しさにはっとさせられる。

 夜景はいいものだなと思った。


 ふと窓に反射したデスクに目が留まる。

 高級そうな木目の卓上には写真立てが置かれ、笑顔の少女と少年、母親と父親らしき人たちの写真が収まっていた。

「家族写真か」

 そういえば京也と出会ったのもこの子供たちくらいの年齢の時だったな、と思い出す。

 その横に目を向けると、隅に置かれた名札が目に入り、固まる。


 これは……

 夏目は先ほどの写真立てを手に取り、もう一度よく見る。その家族写真の誰も、叶田に似ていない。

 まるでだ。

「木騎さんっ―――」夏目が危険を察知し、それを伝えようと振り返る―――が遅かった。

 破裂音と共に、一気に白い煙が部屋に立ち込める。

「くそ、催眠ガスか……」


 そして一瞬にして視界は完全に真っ白になった。

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