第7話 苦めの珈琲


「ところで、叶田かのたさん。ささやかな疑問なんですが」と京也きょうやは隣に座る叶田に振り向く。

 二人は弁護事務所の重要顧客専用に設けられた応接室にいた。


「どなたから僕たちのことを聞いたんですか?」

「学生の頃の古い友人です。たまたま酒場で偶然出会いまして……」

「古い友人ですか、いい響きですね。お役人勤めの方ですか」

「い、いえ。民間企業に……」

「それは興味深いです。僕たちのこの仕事はあまり大々的に宣伝していないので―――そのご友人は、一体どうやって知ったのでしょうか」

「情報に敏感な奴なので、どこかから噂を拾ったのだと思います……」

 叶田は滲んだ汗をハンカチで拭いがら応えた。

「成程。確かにルゥドの参謀はとてつもなく情報に敏感そうですね」

「ええその通りで―――」

 叶田の表情が固まった。そして目を丸くして、微笑む京也をみた。

「なっ……」

「やはりこの組織の名はご存じですね。叶田さん、貴方の狙いは僕たちですか」

 吸い込まれそうなほど透き通った瞳に直視され、叶田の顔は一層強張る。

「……っははは。全部お見通しということですか」

 眼鏡を外し、叶田はゆっくりと顔を上げた。それは小心者の男の顔ではなかった。丸まっていた背筋が真っすぐ伸び、伏目がちだった瞳に光が宿る。その口元には薄い笑みすら浮かび上がっていた。


「いえ、分からないことが一つあります。こんな大がかりな芝居を打ってまで、僕らを狙う理由はなんなのか」

「簡単ですよ」叶田は笑う。「目障りだからです」

 すると背後に黒い闇の渦が唸るような音をたてて空中に現れた。「ルゥドの瓦解がかいを図る凡策なんて、通用しません……愚かな判断です」

 そう呟くと、黒い渦が京也をめがけて弾丸のように放たれた。


 京也はタイミング良くしゃがみ込み、間一髪でそれを回避する。

「ルゥドの瓦解……?」

「私の異能力―――『暗黒弾ホロー』はあらゆるものを闇の中に吸い込み、あたかたもなく消滅させる。もろに受ければ、ひとたまりもないでしょう」叶田の背後から、新たに黒い渦が形成されていく。

「……なにか誤解をされているようですね」

 放たれる黒弾をかろうじて避けながら、京也は云う。

「とぼけても無駄ですよ。喫茶処に身を隠した異能者集団が、同じ異能者集団である我々ルゥドを脅威に感じるのは当然ですから。我々に敵うと過信した自分たちの愚かさを知るが良い!」

 叶田の叫びとともに、空中に生成された暗黒弾が京也に向かって次々と飛んでいく。「ビターについては徹底的に調べさせてもらいましたよ。もちろん、全員の異能についても。だから知っているんです―――」

 叶田はゆっくりと京也に近づく。

「あなたの異能は戦闘向きではない。つまり今、あなたは悲しいほどに非力だ!」


 京也は机を盾にするも、物理的なものはすべて無造作に投げ放たれる渦に飲み込まれ、残る破片が床に散らばるだけだった。

 気付くと、叶田によって意図的に部屋の隅に追い込まれていた。


「はははっ。あっけない……やはりたかがカフェ店員から成る警察もどき!」

 叶田の愉快そうな笑い声がとどろく。そして右手から黒い渦が形成される。

「弱者は強者によって常に隅に追いやられ、気まぐれにいとも簡単に消される存在。そう、あなたは今、この美しい世界の現実を味わうのです」

 叶田は京也の目前に迫った。

「それが美しい世界?」

 京也の言葉には明らかな軽蔑の色が顕れていた。

「勿論ですよ!この上なく単純明快な階級構造です。世界に文句を云うのはいつだって弱者だ」

 叶田の口元から笑みがこぼれ、声となって溢れ出す。

「非力な弱者がいけないんです!」

 

 しかしその笑い声がぴたりと止んだ。


「お……ごほっ」

 息を詰まらせるような音をたて、叶田は喉を抑えたまま床に膝つく。と同時に、放たれた黒弾は京也に当たる直前に煙のように霞んで消えた。


「非力……ね」

 京也はふっと笑う。「貴方の云うように、僕は力勝負は得意としない。だから貴方と正面から戦おうなんて思っちゃいませんよ」

 京也はゆっくりと立ち上がった。

「貴方は僕のことを非力と云いましたが、力とはなんでしょう。相手を打ちのめす力、もしくは現状を打破する力?―――だとしたら、心外です。戦闘力だけが力じゃありませんから」

 床に伏せた状態の叶田は、京也を見上げた。


先刻さきほど、うちの事務所で貴方は美味しそうに召し上がれていましたけど。あれ、僕が淹れた珈琲なんですよ」

 京也はポケットから小さな錠剤を取り出した。「これを少々、隠し味に含んだ特製の」

「莫迦な……な、ぜ」叶田は呼吸を必死に肺に送り込み苦しそうに云う。

「なぜ分かったか、ですか?確かに、僕は貴方に一度も触れていないから異能は使っていない。でも使うまでもありません」京也は肩をすくめた。


ビター僕等を甘くみないでもらいたい」

「そ……んな……」

 叶田は顔を歪めたまま、意識を失った。


 その様子を確認した京也は叶田の横に転がる眼鏡をみつめて云う。

「その伊達だて眼鏡は、なかなか似合ってましたけどね」


✧ ✧ ✧ ✧ ✧ 


「残念だったな。こうみえても鍛えてるんでな」

 木騎は部屋の真ん中で、ガハハハッと笑いながら腕を組んで立っていた。「俺たちゃこういったたぐいの毒ガスへの対策も身についている。小一時間くらい息を止めるくらいことなんて、造作もねぇ」

 

 木騎の周りには十人ほどの大男が床に転がっていた。

 睡眠ガスで眠った夏目と木騎を襲うため、数分前にこの部屋に勢いよく突入した者たちだ。しかし二人は催眠ガスにかかるどころか、かすり傷さえ負っていない。むしろ返り討ちに合い、突入した者たちは痛みに悶えている。

 

「それはアンタだけの特殊芸だ。俺は目の前の空間をひたすら切断することによって防いだだけ」

 懐に短刀をしまいながら夏目が云った。

「お、そうだっけか?お前もやるなぁ、さすがマスターも惚れ込んだ剣術使いだ」と木騎はまた声を立てて笑った。「で、こいつら誰だ?」

「……知らん」

 

 すると背後から足音が聞こえた。

 木騎と夏目は身構える。しかし開いた扉から顔を出した見覚えのある顔に警戒を解く。

「夏目、木騎さん。無事でしたか」

 京也は床に転がる者たちを一瞥すると、大して驚きもせず上手く避けながら部屋に入った。

「京也、一体どうなってる」

 夏目の問いに京也は真剣な表情を向けた。

「おそらく彼らは全員ルゥドの一員だ。偽の情報で踊らされたのだろうね、何者かによって。詳しいことは戻ってから話すとしよう、もうすぐ光警こうけいが来る」


✧ ✧ ✧ ✧ ✧ 


「一応念のため来てみれば……見事にやられとるな」


 ビルの屋上から、警察に連行される叶田かのたを見下ろす女性が呟いた。

 腰まである長い黒髪が夜風ではためき、華奢きゃしゃな体型がビルの外壁に影を落とす。

 女性は手を持ち上げると、スッと空中を切るように素早く下ろした。すると切った先の空間が揺らぎ、巨大なカラスが現れた。


「世話のやける部下じゃのう……助けてやれ」

 カラスは命じられるまま、隕石のように叶田たちに向かって急降下した。


✧ ✧ ✧ ✧ ✧ 


 真夜中。

 この街で最も美しく危険な場所といわれるルゥドの高層ビルの廊下で、二人の人間の影が月明かりに映し出される。


「うーん、やっぱりバレてしまったかぁ。ルゥド一の働き者で愛社精神に溢れた叶田くんには適役だと思ったのだけど」

 紫色に輝く腕輪リングを付けた銀髪の青年―――平城へいじょう 緘人かんとが口を開いた。


 闇の中でも明々と輝きを放つその腕輪を持つ者は、それに散りばめられた宝石の名を借りて『紫水晶アメシスト』と呼ばれる。それを身に着けることはすなわち、組織の幹部であることを意味する。


「わしの部下をおぬしの暇つぶしの道具に使うのはよせ」

 同じく紫水晶アメシストの女性―――夜羽ようば マコトは緘人をたしなめるように云った。気の強さをよく表わすアーモンド形の黒々とした目をじろりと動かす。


「でも面白くな〜い?喫茶の人たちに迫真の演技を披露する叶田くんの姿……ぷぷっ」

「……おぬし、いつか彼奴あやつの能力で体中穴が開くぞ」

「それはちょっと嫌だなぁ。でも人って刺激を受けるたびに生きるって実感するからさ、僕は叶田くんに最高の楽しみを与えてあげたつもりなんだけど」

 緘人は愉快そうに片目を閉じた。「そういう意味では、案外あの黒弾を受けるのも悪くないかも」

「彼奴が目覚めたら一度経験すればよい……で、叶田が飲まされた薬については何か分かったのか」

「ああ、ルゥドうちの優秀な調査部に依れば、例の薬の配合を少しいじったものらしいね」

「誰がそんなこと」

「さぁ……心当たりは一人しかいないかな」緘人は黒い手袋から抜けた人差し指を口元に当て、微笑を浮かべた。


✧ ✧ ✧ ✧ ✧ 


「いい香りだ」


 忙しない週が終わりを迎える土曜の昼間。

 京也は行きつけの珈琲豆専門店で新しく入荷したという豆を前に嬉しそうに微笑んでいた。


 店内は芳醇ほうじゅんな香りに満たされ、珈琲好きにはたまらない癒しの空間だ。

 京也は手にした瓶から豆を一粒取り出し、口に入れた。苦味とアロマのバランスが絶妙だと唸る。


「店長、これお願い」

「はいよ。やっぱり京ちゃん気に入ると思ったよ」人の好さそうな恰幅の良い店長が返事をする。

 珈琲よりも肉をさばきそうな雰囲気を醸し出しているが、これでも珈琲界では知らぬ者のいない、『バリスタのゼウス』という異名を持つ男である。


「喫茶のみんなは元気にしてるかい?」

「いつも通りだよ。先日も木騎さん特製のアスパラ鍋を囲って食べたんだけど、静雫が途中で食べすぎてね」

「ははっ、そうかい。しかし京ちゃんも相変わらず好きだねーアスパラガス」

「なんか独特な味がクセになるんだよね」京也は照れくさそうに微笑むと、店長も懐かしそうに目を細めた。

「そういえばあいつの分までよく食べていたな」

「あのプラモデル莫迦は好き嫌いの激しい性格だからね。他にも色々と代わりに食べた記憶があるよ」

「懐かしいなー。最近元気にしてるかな?」

「相変わらずだと思うよ」

 京也は何かを思い出したように、ふっと笑った。

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