第5話 常に真剣勝負


「やはり木騎さんの作る鍋は最高ですね」

「だろっ。これは絶対うまいと思ったんだよ」


 京也はほっとした表情で出汁をすすり、木騎は得意げに笑いながら鍋に大量の白く細長いアスパラガスを追加した。


 その隣でマスターはふやけた野菜にふーっと息をかけかぶり付く。

「なんだか白ワインが合いそうね~」

「マスター、そんなに酒が好きなら喫茶店カフェじゃなく酒場バーを開いたら」箸でアスパラガスを突く静雫しずくが提案する。

「そうね~、でも小さいころの夢が喫茶店の店長だったからな~。なんか夢に忠実でありたいというか、内装を変えるのが面倒というか」

「後者の理由だろ」無言で咀嚼そしゃくしていた夏目なつめが遠慮なく指摘する。


 『喫茶びたー』は本日は臨時休業。

 延期となった鍋パーティーを昼間から開催し、休暇ムードが香りと共に外に溢れそうなほど漂っている。


 一方、加賀谷グループが実施していた闇競売ブラック・オークション―――大手製薬企業の悪行が公になり、世間は大騒ぎとなっている。

 しかしどこにも、グツグツと煮える鍋をのんびりと囲む者たちが暗躍したことについては報道されていない。

 それは『喫茶びたー』が苦めの珈琲が売りの喫茶店である一方で、秘密裏に裏社会の様々な依頼を引き受ける極秘の警察組織『ビター』でもあるからだ。


「ほら静雫、沢山食べろよ!大きくならんぞ!」

「うるさいなぁ。やわらかすぎて箸でつまみにくいんだよ……」


 取ってやろう、と皿を勝手にかっさらい張り切る木騎に静雫は仕方なく託すと、ふと思いだしたように口を開いた。

「そういえば結局、加賀谷の事件でルゥドが受け取ったあの紙切れってなんだったんだ」

 加賀谷の面会相手だったコウをここまで連れ込み、ルゥドについての情報と引き換えに渡した紙切れのことだ。

 ああ、あれはね、と京也は箸を動かしながら云う。

「契約書。ルゥドが大量の薬物原料を加賀谷グループに渡す見返りとして、加賀谷は企業資産の一部を譲渡する内容だったよ」

「いかにも怪しげな……って、それルゥドが犯罪に関わった証拠になったんじゃねぇか?」そう云いながら木騎の手に力がこもり、挟まれたアスパラガスはへにゃりと潰れた。

「それが残念ながら、証拠品としては不十分なんです。薬物や原料名は伏せてありましたし、従来のルゥドのやり方だと約束した大部分の資産は既に受け取っていたと思います。つまり、そこに記載された資産は大した額じゃなかった」

 京也はアスパラガスを器用につまみながら続ける。「加賀谷の方も、闇商社と取引をしていた、なんて拘束中にわざわざ罪を重くするようなことは云わないでしょうし。これではルゥドはなんとでも言い逃れができてしまうので、僕たちにとっては本当にただの紙切れ同然です」

「さすがは表じゃ優良企業として通ってるだけあって、ルゥドも抜け目ないよな」静雫は皮肉を込めて感心する。


「……ただ、ひとつ面白いことを発見しまして」手品師のようにいつの間にか京也の指には箸ではなく、一枚の封筒が挟まれていた。

「その紙きれが入っていた封筒―――夏目が気を失った加賀谷から奪ったものですが。これが紋章入りなんです」

「へ~、どれどれ」マスターが封筒を受け取る。よく見ると、針葉樹の葉の模様が描かれた赤い封蝋ふうろうが施されていた。「見たことないわね。ルゥドのでもないし、加賀谷グループのでもない」

「別組織か」夏目が小さく呟く。

「ご名答」京也はそれに頷いた。「恐らくこの封蝋は別組織のシンボルマーク―――そもそも、今回の事件は四年前に禁止された薬物を加賀谷グループがまた創り出そうとしたことがきっかけにある。しかし今になって製造を再開するのは、正直かなり不自然です」

「そうか?警察と世間が薬のことを忘れた頃に売り出そうってことじゃないのか」木騎は首を傾げる。

「四年経っても堂々とは売り出せませんよ。売るとしたら、ルゥド等を介した裏社会に向けてでしょうが――」

 京也は真剣な表情で語り始めた。「だとしたら、こんな長い期間も待つ必要はない。そして優秀な研究員ばかりを揃えた大企業が、ほぼ完成しかけた薬に四年も費やさないといけなかったとも考えにくい」

「その間に薬の製造法が流出してしまうリスクもあるわね」マスターが口元に手を添えて考え込む。

「その通りです。つまり普通ならもっと前から『サファケート』は製造され、に売りに出されていたはずなんです」

「加賀谷が製造の再開を思いついたのは、つい最近のことだった、というわけかよ」

「はい。おそらく一度製造から手を引いた加賀谷に、もう一度着手するよう促した者がいるかと」

「それが、この封蝋ふうろうの模様をシンボルとした組織である可能性が高いってわけね」やれやれ、と首を振ってマスターは云った。

「でも加賀谷がその封筒で渡すつもりだったのなら、その謎の組織の一員としてルゥドと取引をしたということかしら」

「ふぉひはほ……」静雫は自分の皿に大量に盛られたアスパラガスを口に入れたまま驚きを表す。

「どこの組織なんだ」と夏目が訊くと、京也は微笑んだ。

「ちょうど調査してもらった結果が届く頃だよ」


 チリリン、と鈴が鳴って扉が開く音がした。

「お届け物ですー」


✧ ✧ ✧ ✧ ✧ 


 京也は受け取った分厚い封筒を開け、中から細かい字が印刷された紙束を取り出した。差出人は、「光警視庁捜査一課」と記されている。


 表社会の悪人を捕らえる「光警こうけい」と裏社会の番人として目を光らせる「ビター」は、光と闇の警察と隠喩される二つの組織。


 形式的には互いに協力体制にあるが、その異端ぶりから光警の中にはビターをよく思わない者も多い。

 そのため面倒を避けるためにも滅多なことがない限りは、協働しないようにしている。しかし今回のように鑑識や情報提供などが必要な場合は、ビターから光警に頼ることもある。


「あ、メモだ」静雫が封筒から落ちた小さい紙を拾い上げる。「……⁉」

 そこには呪いのような字で、京也について悪魔だの心がないなどといった罵詈雑言が並べられていた。

「なんだよこれ……」

 京也は肩をすくめた。

「この前映遡えいさくさんの将棋の相手をして、僕が手を抜かなかったことにまだ拗ねているのかな」


 大月 映遡おおつき えいさく。光警の捜査一課長で、ビターと光警の連絡は殆どこの男を介して行われる。無類の珈琲好きで、光警の人間にしては珍しく喫茶びたーに足繁く通う常連客でもある。


「勝敗は?」

「これで通算九八対〇」

「……」

 静雫は心の中で映遡を気の毒に思った。


「さて、光警の情報によると」机に置いた書類から目を上げて、京也は云う。「あの封蝋――加賀谷と関連のある組織の紋章は、欧州の国際犯罪組織『ニードル』のものと一致したらしい」

「ニードル……奴らは確か、欧州警察によって消滅したと聞いたが」

 夏目の言葉にマスターが頷く。

「そうよ、ちょうど十年前かしら。ニードルの頭首と幹部を欧州警察が取り押さえて、彼ら全員に死罪が云い渡された。組織はそれで解体したと聞いているわ」

「その残党がまた結束して新たなボスでも君臨したか」木騎が顔をしかめる。「そいつらが加賀谷と組んで、一体なにを企んでいるんだ?」

 部屋に沈黙が降りた。


「十年前か……」

 小さな声でそう呟いた京也の声を、隣にいた夏目だけが聞き取った。その藤色の瞳に微かだが、激しく燃えるような感情を読み取る。


 しかし彼に何かを問いかける前に、奥からまた鈴の音と扉のゆっくり開く音がした。

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