第4話 喫茶店の人質

「人質と云っても、残念ながら入ったばかりの最下級構成員と引き換えでは、闇の商社さんは何も寄こしてくれないだろうね」

 京也は目の前の少女に困った笑顔を浮かべた。


 そこは『喫茶びたー』の裏に併設された彼らの事務所だった。

 椅子にデスク、その上に書類やパソコンが並び、一見してみれば普通のオフィスと変わらない広い部屋。ドアを抜けた先があのレトロなカフェとは思えないような造りに、コウは違和感を覚えた。部屋の奥には夏目が壁にもたれ、その横には静雫と木騎が立っていた。


 結局あの後も両腕を縛られたままの状態では逃げられず、ここまで連れて来られたのだ。


 いや、逃げようと思えば逃げられたのかもしれない。

 加賀谷との取引任務が失敗となり、組織に戻るのが怖くなってそのまま敵についていったようなものだと自分で自覚する。

 加賀谷はあの後意識を取り戻したが、夏目に拘束されたまま警察に証拠品とともに引き渡され、今頃は綿密な取調べを受けているところだろう。


「あんた達は、なんなの」

 コウは向かいに座る、昨日までは喫茶店員として疑わなかった青年に問う。

 カフェで働く爽やかな姿とはまるで別人のように、その瞳は新月の夜のように計り知れない何かが隠されているようだった。

 京也はそうだな、と云うと少し前屈みの姿勢で話し始めた。

「裏の警察、闇の警察、黒の警察……この喫茶の愛称から単純に『ビター』とも呼ばれるかな。まあ名前は色々とあるけど、つまりは一般の警察だけでは手に負えない事件を専門としている」


 コウは目を見開いた。

 ルゥドにとっても脅威である、裏社会の警察―――その存在は、組織に入ったばかりの自分でも知っていた。驚異的な異能の力でこれまで数多の犯罪者を牢に放り込んできたという噂だ。

 まさかこんなカフェ店員として身を隠していたとは……。


「私をどうする気」コウは咬みつきそうな勢いでじろりと京也を睨む。

「そうだね……君の上司と取引が成立しないなら、君個人と取引するしかないようだ」カフェで接客するときと変わらない微笑を浮かべながら京也は答えた。

「君に訊きたいことは三つある。まずは君の今回の仕事についてだ。誰に何のために指示されたことだったのか。次に、君の知る限りでの組織のこれからの動向。そして――」

 自分の置かれた状況と京也の発した言葉に、皮肉を込めてコウは薄く笑う。

「ルゥドの掟を知らないの?組織の内情を話す者に、命はない」

 睨みを利かせたつもりだったが、改めて直視するとその藤色の瞳に飲み込まれそうだった。 

「ああ、知ってるさ。君が加賀谷から欲しかったものが、これだということもね」そう云うと京也は懐から、一枚の紙切れを取り出した。

「……!それは……」

「今訊いたことを話してくれたら、君に渡すよ。そうすれば君は任務を果たしたことになるし、組織からも疑われずに済むだろう」


 京也が手にしたその紙は、コウが任務を遂げるには欠かせないものだった。

 彼の云う通り、その紙さえ手に入れば取引は成立しなかったとしても、任務は成功したといえるもの。 

 コウは真意を確かめるように京也の顔をみつめた。口元は笑みを浮かべているが、瞳は揺るぎがなく真実を語っているように見える。

 必死に考える。


 この状況は、あまりに不利だ。

 あの凄まじい波を操る少年と、とてつもない速さで銃を真っ二つに捌いた青年、そして爆弾を誰にも怪しまれずに仕掛けた男……彼等が全員、自分が妙な動きをしないか目を光らせている。

 それに目の前の青年も甘く見てはならないのだろう。この場で条件をのむか、朽ち果てる他に選択肢はなさそうだ。


 その部屋にいた者の視線は重く、コウの返答を待ち構えていることがひしひしと伝わった。壁に掛けてある時計の秒針も判断を促すかのように大きく響く。

「……分かった」

 コウは小さな溜息とともに口を開いた。


 今回の仕事は、ある薬物の原料を加賀谷に届け、それと引き換えにその紙を受け取ることだった。

 政府によって数年前に製造を禁止された、極めて危険性が高いが需要のある薬。それを再び世に出そうと加賀谷は目論んでいた。


 その薬は一時的にだが、人間の能力を何倍にも増幅させる効能を持つといわれている。まだ実験段階なためその有効性を知る者は少ない。しかしある者は鷹の目よりも優れる視力を、ある者は虎よりも速い足を手に入れたという話だ。

 そんな魔法のような薬を芸術家やアスリートのみならず、多くの陰謀を企む人が欲しがるのはいうまでもない。そして完成すれば加賀谷にとっても金なる木となることが約束されるものだった。


 コウの話を静かに聞いていた京也がそこで口を挟んだ。

「その薬物の名は、『サファケート』だね」

 コウは頷く。『窒息サファケート』―――副作用として窒息死に至る場合もあることから、その名を付けられたと云われている。

「んな厄介なものが出回ったのか」頭を掻きながら木騎は云う。

「みたいですね」京也は頷く。「恐らく加賀谷は元々隠し持っていた原料でいくつかの実験を成功させ、既にサファケートは何人かの手に渡った。そしてその効果は覿面てきめんだった。効果を確認した人々の噂により、需要が一気に拡大し、加賀谷グループは生産を増やすために材料の備蓄を闇の商社であるルゥドに依頼した……といったところかな」

 京也は確認を取るようにコウを真っすぐ見た。

 コウはまた仕方なく頷く。

 加賀谷に渡すはずだったものは、正確に云えば原料の隠し場所の在処ありかを示す文書だった。

 その文書には、既にトラックで運び込まれ、大量の原料が積まれた隠し倉庫の場所が示されている。つまり京也の云う通り、加賀谷は大規模な生産を行う準備をしていたのだろう。


「しかしよう、奴らはなぜこのタイミングであんな趣味の悪い闇競売ブラック・オークションなんて開催しやがったんだ?大事な実験の前にこんな危険を犯す必要があったのか」

 木騎の言葉に京也は頷く。

「恐らく原料を大量に購入するための、手っ取り早い資金調達でしょう。加賀谷グループという国内最大規模の製薬企業にとっては、薬の治験者という名目で人を集めるのは容易ですし―――現に静雫もそうして接近し、見事にわざと捕まった」


 京也の言葉にコウは先ほどの様子を思い出してうつむいた。

 あの会場の裏には、その少年以外にも何人もの子供が捕えられていたはずだ。組織ルゥドは、闇競売ブラック・オークションの存在を知っていたのだろうか。

 だが考えても仕方ない、と頭を振る。

「私が知っているのは、それだけ。だから二つ目の質問にも答えることはできない」


 嘘ではなかった。今回の任務の発案者は恐らくルゥドの参謀―――非常に頭が切れるが、掴みどころのない人物だという噂だけは聞いたことがある。しかしそれ以外は依然として謎に包まれていた。

 組織の大方の任務はその人が計画と人選をし、部下を介して指示が出される。今回も例外ではなく、直接本人から指示が下されたわけではない。その声も、姿も、その意図も知らない。

 つまりルゥドのこれからの動向に関する二つ目の質問には、組織に加入したばかりのコウに答えられるはずがなかった。


 しかしその返答は予想していたようで、京也はやっぱりそうかと苦笑いし、それ以上は追求しなかった。

「じゃあ最後の質問に移ろうか―――君の異能ちからは?」


✧ ✧ ✧ ✧ ✧ 


「正直に答えてくれて感謝するよ」

 京也はコウを縛る布を解き、約束していた紙を渡した。

「……嘘だと疑わないの」紙を受け取るも、警戒したまま云う。

 実際、自分の異能に関してコウは本当のことを答えるべきか迷った。

「ああ、確かにね。でもたった今君の手に触れて嘘がないことが分かったよ」

「どういうこと」

「実は僕、思考が読めるんだ」自分の頭を指先で軽く叩いて笑った。「まぁちょっと特殊な伝わり方だけどね」

「えっ」

 コウは驚きと不信感を滲ませながら、京也を睨んだ。

「じゃあなぜ私にわざわざ質問した」

「誘導だよ。質問でもしないと君は僕が知りたかった多くのことを偶然思い浮かべたりしないだろうからね」

 ではなぜ続きを自分で読まずに、私にすべてを話させた?

 嘘をついていたら私を処分するつもりだったのか。それとも――――


 コウは記憶の中で限られた京也の映像を呼び起こした。

 葱のお使いを頼まれ、嫌な顔せず颯爽と立ちゆく姿。

 首に短刀を突きつけられた自分を助けたときの振る舞い。

 闇競売ブラック・オークションの実態を話すときの、険しい表情。

 

 コウは周りを見て、手元の紙を見た。


 ここに居る全員が納得いくような形で、これを私に渡すためか。


✧ ✧ ✧ ✧ ✧ 


「なあ、なんで逃がしたんだよ。ルゥドの捕虜として縛り付けたまま置いとけばよかったじゃん。いい飾りになったよ」

 静雫はとがめるように京也に云う。

「静雫にはもう少し生き物への優しさというものを知ってほしいな……」

 パソコンから視線を上げると、京也は肩をすくめた。

「彼女は僕の質問にすべて正直に答えてくれたし、それに悪辣競売ブラック・オークションの実態を知って少なからず心を痛めていたよ」

「真っすぐな子は、京也好きそうだもんね」マスターがくすくすと笑いながら部屋にやってきた。

「マスターはまたすぐそういう…って、まさかずっと盗み聞きしてたんですか」

「ふふ」

 楽しそうに笑うマスターに京也は溜息をつく。


「しかし厄介な能力だな」

 夏目が眉をひそめて云った。「敵として放っておいていいのか」

「確かに、彼女の異能は上手く使いこなせば相当な脅威になる」

 京也は声を落とす。「彼女がその気になれば、人一人の歩んできただろうからね」

「げっ、やっぱりどこかに閉じ込めておくべきだったんじゃ……」静雫が少しこわばった表情を浮かべた。

「まぁ当分は心配ないよ。あの子は自分の異能を嫌っているようだし、それでは力を上手く使いこなせないからね。それに、万が一の時は―――」

 京也はふっと微笑んだ。

「僕がなんとかする」


✧ ✧ ✧ ✧ ✧ 


 喫茶店を去り、コウは坂を下って港湾沿いの広い道をゆっくりと歩いていた。


「人の思考を読む能力か……羨ましい」


 それに比べて私ができることは、「触れた人の記憶を奪う」こと。


 裏社会の中枢を担うルゥドには、知られてはならない秘密が山ほどある。それらが万一外部に漏れてしまった場合の対処法として役立つと異能を買われ、組織に加入した。

 だがこの力は、記憶を奪える対象が触れた相手のみ。つまり複数人相手では意味を成さない。

 先ほどのカフェでもそうだった。組織の情報を京也の記憶から奪うくらいなら出来ただろう。しかし奪っている間に他の人にやられてしまうと思ったら、何もできなかった。


 そして何より、これを使うことには抵抗があった。

 人の記憶を奪うことは、その人の大切なものを奪うことになる。


 こんな能力ちから、別に望んで得たわけじゃない。


 港に目を向けると涼しい潮風が吹き、コウの頬をやさしく撫でた。それはほんの少しだけ、しょっぱい味がした。

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