第3話 予期した嵐

 迷うこともなく、薄暗い階段を降りると四人は屋敷の地下室に到着した。

 重厚な扉をくぐり抜けるとそこには多くの客で満ち溢れ、活気に沸く空間があった。中央には照明を集中させた円形のステージ。そしてそれを囲むように客席が扇形に並ぶ。


 京也きょうやはコウを降ろし、こっちだと云って扉近くの客が少ない場所へと誘導した。腕を縛られたままのコウは仕方なく従い、夏目なつめ加賀谷かがやを負ぶったまま無言でそのあとをついていった。


「百万!二百万!はいそこの燕尾えんびのご主人は三百万ですね!」

 背の低い男がステージ脇で忙しなくハンマーを叩きながら愉快そうに叫んでいる。

 その男のすぐ横、大勢の客が注目するステージの上には、幼い少年が座っていた。黒い布で目隠しをされ、手足を縛られた状態で動かないでいる。

 コウは見開いた目でその光景を目にすると、全身から冷たい汗が流れるのを感じた。

「これは一体……?」

「静かに」京也はひそめた声で云う。「表向きは只のパーティだ。でもそれは名だたる富裕層の集まりを正当化するための華やかな演出に過ぎない。その実態は、加賀谷かがやグループのネットワークを最大限に生かした悪辣あくらつ闇競売ブラック・オークションだ」京也は整った顔をわずかにしかめ、夏目の背中に目をやった。加賀谷グループの代表はまだ意識を失ったままだ。

ブラック……」コウの無意識に震える声が漏れた。

 組織の命令でこの場所へ来たため、加賀谷グループが潔白クリーンな企業でないことはコウも分かっていた。だがその実態を想像もしなかった。この闇競売の存在は今初めて知ったのだ。


 瞬く間にステージ脇の男が口に出す価格が上がっていく。

 周りを見渡すと、誰もが幼い少年を値踏みするねっとりとした視線を向けていた。

 ―――気持ち悪い。

 ただならぬ嫌悪感がコウの体を支配していった。

「二千万!高い値段がつきました!これは坊やもさぞ可愛がられることでしょうなぁ」お道化た口調で男はハンマーを叩き、客の歓声を誘う。

「あの子を助け―――」

 しかしコウが言葉を放つと同時に、会場の照明が一瞬で落ちる。

「問題ない」

 ざわつく客席の中で、夏目が静かに呟いた。「本当のパーティは、これからだ」


 次の瞬間―――獣の咆哮ほうこうのような音が響き渡った。


 司会の男の表情が一転して恐怖に引きつる。彼の頭上に何処からともなく大きな波が現れたからだ。

「わ、わ、わ―――」男は叫び声を上げるよりも先にその巨大な波に一気に飲み込まれた。

「……!」

 何が起こっているのか理解できぬまま、コウは突如として出現した波をただ茫然と見つめた。大波はステージを破壊し、逃げ狂う客も、備品も、すべてを大蛇のように飲み込んでいき―――会場を数秒のうちに大洪水の場にさせた。

 治まる気配もない波は荒れ狂い続け、扉付近にいた京也たちをも飲み込もうとする。

「に、逃げないと……」

 しかし腕時計を見つめていた京也は微笑んだ。

「大丈夫。予定通りだ」


 すると爆発音が響いた。


 天井と壁が砕け、その衝撃で波が進路を変える。京也はコウを抱きかかえ、加賀谷を負ぶる夏目と共に崩れた壁の穴から屋敷の外へと飛び出した。

 直後、波は爆発の勢いで上に噴出し、天井を突き破る。そして大粒の雨となって瓦礫とともに落ちていった。


 ―――もう時期嵐が来るそうなんでね

 嵐が吹き荒れるような光景をみつめ、コウは老人の言葉を思い出す。

 まさか……こうなることを知っていて……


 雨が止むと、そこに残されたのは屋敷の残骸ざんがいと溺れかけて咽返むせかえる客の姿だった。高級な衣服はひどく古びた雑巾と化し、つい先ほどまでにやけていた顔ぶれは苦しみで歪んでいた。司会をやっていた男も水を大量に飲み込んだせいか、気絶していた。


 コウもようやく京也の腕から解放される。大雨のせいでずぶ濡れになっていたが、降ってきた瓦礫がれきは京也が避けてくれたので傷は受けていない。

 目に入った水を拭い、周りを見渡す。競売オークションにかけられていた先ほどの少年の無事が気になっていた。


「あの子なら大丈夫だよ、ちゃんとここにいる」

 すると微笑む京也の後ろから、ひょっこりと十歳そこらの男の子が顔を出した。まつ毛が長く、水晶玉のように澄んだ瞳は女の子に間違えそうなくらいだ。

「大丈夫もなにも……あの水獣を起こしたのは、僕だし」少年は声変わりのしていない声で得意げに云う。

「え」

 理解の追い付かないコウに、少年は両手を差し出す。すると小さな手から、水が零れ、やがて噴水のように溢れだした。

静雫しずくは水を創造し、操ることのできる異能者なんだ」にっこりと京也は説明する。

「そっ。今回は僕がおとりになって悪い奴らを懲らしめる役を引き受けてあげたわけ。まぁ殺さないように加減しないといけなかったから少し苦労したよ」静雫は肩をすくめた。「あの司会の男なんか、波の中で八つ裂きにしてしまうところだった」

「静雫、まさかとは思うけど僕たちのことも飲み込もうとしなかったかい?」京也は笑顔のまま静雫に問いかける。

「まさかだよ、ふふふ。まさか」静雫は悪そうな笑みを浮かべた。

 するとどこからか、野太い声が響いた。

「おーい、お前ら無事かー!」

 満面の笑みを浮かべた大柄な男が右手をぶんぶんと振りながら、小走りにやってきた。

 あ……喫茶の料理長シェフだ―――とコウはその人物を思い出す。

木騎このきさん、お陰様で。タイミングばっちりでしたよ」京也は男に向かって云う。

「そうかそうか。いやぁどういたしまして。つっても、お前さんの指示通りに爆弾を仕掛けただけだけどな」ガハハハッと笑いながら、木騎は近くにいた静雫の背中を勢いよく叩いた。

 静雫はとてつもなく迷惑そうにしているが、お構いなしのようだ。

「あれ、こりゃ若いぺっぴんさんだな」

 コウに気付き、木騎は目を丸くした。「だが俺にはちょいと若すぎるかな、な?」笑いながら、静雫の背中をまた叩く。

「ねぇ、痛いってば」静雫は殺意のこもった眼で睨むが、木騎は全く気にする様子もない。

 こんな子供があの波を……?

 信じられない様子でコウは静雫をじっと見つめた。その視線に気づき、不快そうに静雫はコウを指さす。

「ていうかこの人誰?」

「……途中で助けた僕らの人質、かな」京也は少し考えてから云った。

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