第28話 抑えていた感情

 久留野の後を追った木騎と静雫は、廊下の向こうで彼女が仮眠室に入るところを目撃する。


「久留野さん」

 木騎がそう呼び掛けて中に入ると、久留野は小さなカプセル状の薬剤らしきものを口に入れようとしていた。

 咄嗟とっさに木騎の脳裏に先日の機関銃を乱射した男の姿がよみがえる。

 そして京也の言葉が浮かんだ。

 ―――この事件は……長期戦になりそうですね

「お、おいやめろ!!」

 木騎はそう叫び、久留野に向かって飛びついた。

「え……?」

 驚いた久留野は手に持っていたカプセルを落とす。その隙に静雫は素早く水獣を繰り出し、久留野の服の袖を壁に打ち付け固定する。


 木騎は床に落ちたそれを拾うと、安堵したように大きな溜息をつき、固まる久留野に向かって云い放った。

「あんたはさ、すげぇよ。あんな音楽……俺には百年かかってもできそうにねぇ」

 木騎はへへっと笑い、手にしたカプセルを見た。「だから、こんなもんに頼る必要はねぇよ」

 先日の東雄の顔が脳裏にちらつく。こいつの代償はあまりにデカすぎる―――心まで奪われちまうんだからな。


 久留野は身動きの取れないまま、無言で木騎をみつめた。何かを云おうと口を開くが、その視線がその背後に移る。


「木騎さん、そのくらいにしてあげてください」

 振り向くと、京也が立っていた。

「京也……?お前、夏目が探しに行ったんだぞ」

「ええ、面倒だったのできました」

「うわ……」静雫は今頃館内を必死に探しているであろう夏目を不憫ふびんに思った。

 なんか今日の京也、やけに機嫌悪いな。


 それより、と京也はいつもの調子で云い、木騎たちに近づく。

「久留野さんは何も間違っていることはしていませんよ。これはただの頭痛薬です」

「え」

 木騎は手にした薬を凝視する。

 確かにどこかで見たことあるような……

「うぇお?マジで⁇」

 驚きすぎて変な声が出てしまった木騎に、久留野はこくりと頷いた。

「少し疲れていたので……」と少し申し訳なさそうに云った。


 普段風邪や熱とは無縁の木騎は、薬の特徴など気に留めたこともなかった。せいぜい静雫が風邪をひいて看病したときに見たくらいだ。

 莫迦は風邪引かないと云うもんな、と静雫は感心して思う。


「なんだ――……うわっ⁉」

 静雫が水獣を解くと、木騎はすぐさま静雫の頭を押しつけ、二人でお辞儀をする姿勢になった。

「す、すまん‼」

「いえ、あの何か……事情があるのですよね」

「や、その……お前さんのステージ上での演奏がさっきと違ったものだから……」

「気付かれましたか」

「え?じゃ、じゃあやっぱり薬なのか」

「……」

「木騎さんの仰る通り、久留野さんは薬などに頼る必要はありませんよ」と京也が口をはさむ。

 久留野はわずかに驚きの表情を浮かべて京也をみた。

「『集中力を極限状態にする異能』。ただし、かなりの身体的負荷となるから使える時間に限度がある……でしたよね」

「さすが京也くん。凄まじい記憶力ね」と久留野は困ったように笑った。

「小さい頃に云われたことは記憶に残りやすいですから」

 木騎と静雫は話についていけず、眉間にしわを寄せて互いを見た。

「お、おい。京也どういうことだ」と静雫が問う。

「彼女は僕たちと同じ異能力者だ」

「ええ。この能力を使えば、どんな状態でも全力の力が発揮できるようになるんです」

 久留野は自分の手元を見て微笑んだ。

「な……そんなことしなくても、そのままで十分―――」

 しかし木騎は久留野の悲しそうな笑顔を見て口を閉ざす。


「この月下夜想交響楽団に入団することは、私の幼い頃からの夢でした」

 その瞳は、遠い過去を見ていた。

「夢を叶えるために、ずっと頑張ってきたんです。恋も友情も、家族との時間も惜しくなかった―――だからこの楽団に入れることが決まった時は、報われた気がしたんです。これまですべてを音楽に打ち込んできた私の選択は間違っていなかったって……心から思えた」

「じゃあ尚更、なんで」

 しかし静雫が云い終わる前に、久留野の奥から絞り出すような声が響いた。

「だからです……」

 久留野はベッドシーツを握りしめていた。

「もしかしたら失敗してしまうかもしれない。ずっと憧れだった楽団の、光介さんの顔に泥を塗ってしまうかもしれない。そう考えれば考えるほど緊張して……練習でいくら完璧にこなしても、本番では上手く音を出す自信がなくなってしまった……」


 世界最高峰の交響楽団。

 自分よりも経験のある者たちのいる楽団でソロを担当することになり、相当なプレッシャーだったのだろう。そのことが久留野の苦しそうな表情から伝わり、木騎と静雫はかける言葉を失った。


 しかしそんな二人とは別に、珍しく冷たさを含む声が京也から発せられた。

「でもそれでは、なんの解決にもなっていませんね」

「どういうこと?」

「……あの人は貴方が奏でた音に魅せられたはずだ」

「でもそれは、ステージ上では出せないかもしれないから……」彼女のシーツを握りしめたままの手は、微かに震えていた。

「久留野さん」

 京也は久留野の傍に寄り、声をひそめた。「『自分の限界を決めるには、ちょっと早すぎるんじゃない』ですか?」

 驚きの表情を浮かべる久留野に京也は柔らかい表情を向けていた。

「昔、貴方が僕にかけてくれた言葉です。失敗を見据えるなんて、らしくもないですよ」 

 久留野は数秒の間、じっと京也をみつめた。そしてふふっと笑った。

「本当に……記憶力いいね」


 その表情に、京也は何かを察し口を開こうとする。しかし背後から低い声が響いた。

「そういうことだったのか。久留野くん」

「光介さん!」

「君には少々荷が重すぎたようだね」

「すみません……私――」

「だがそのような真似で簡単に得た音など、心揺さぶるものは何もない。悪いが、君には今日中に出て行ってもらう」

「そんなっ……」

「待ってください。彼女はただ、あなたの求める演奏に近づけようとして―――」

 しかし京也の言葉を光介は遮る。

「偽りの演奏が素晴らしいというのか」

「それは……」

「どうした。云いたいことがあるならはっきりと云いなさい」

 云い淀む京也に、光介は黄金の瞳を鋭く光らせた。

「……僕は、貴方のそうやって人の気持ちを考えないところが……理解できない」

 京也は藤色の瞳で力強く抗おうとする。

「貴方はいつも……そうやって自分が正しいと決めつけている」

「そうだ。私は自分の思う道を進んで、これまでも成果を収めてきた。お前にはまだ分からない」

「っ……何が成果だ!」


 京也は抑えていたものが一気に破裂したように叫んだ。


「母さんのことだって……楽団に母さんの名前まで付けて―――でも結局貴方にとっては、楽団の方が大切だったんだ!それで母さんの最期も見届けないまま……」

 京也は父親から視線を逸らす。だが光介は何もいわず、ただ静かに京也をじっとみつめていた。


「なあ、京也……」

 静雫が呼びかけると、京也はぐっと拳を握りしめ扉へ向かった。

「……今は一人にしてくれ」

 そう短く云うと、部屋を出ていった。

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