第14話 感情を圧し殺す

『加賀谷グループはルゥド商事とは長い付き合いです。ニードルは……我々が持つルゥドの情報と引き換えに、あの薬サファケートの製造に必要な極秘の研究施設と初期費用を用意すると云ってワタシに接近した』

 インカム越しの加賀谷の声が少し暗みを帯びる。

『しかしルゥドはこの街の裏社会の均衡を保つ存在。ニードルのその目的を果たすことには勿論反対でした……しかし薬を完成させるためには、彼等の協力はなんとしても必要だった。だからワタシはルゥドと接触する際に、気付かれないようあの紋章つきの封筒で危険を知らせることを思いついた』

「だが俺たちの介入によってそれができなかった、という訳か」夏目が呟いた。

「ニードルが資金を用意してくれるなら、なんで闇競売ブラック・オークションを開催したんだ」

 かつて自ら囮となった静雫が怒りを込めて云った。

『それは……想像よりも初期費用がかさんだうえ、需要が急激に拡大したから……ニードルからこれ以上の援助を受けないためにも至急に資金が必要だったんですよ。ワタシもどこの馬の骨だか分からない犯罪組織にこれ以上関わるつもりはなかった』


「は?」

 加賀谷のはっきりとした声に、静雫は顔をしかめた。

「お前のやったことは犯罪そのものだろ。人の命を救うとほざいていた大手製薬企業の元社長が、聞いてあきれるな」

『あ、あの薬は、弱者を強者に生まれ変わらせることのできる魔法のようなものです』

 加賀谷は夢を語るような響きを持った声で云う。

『生まれつき体が弱い者も、障碍のある者も、みんな救われるかもしれない可能性を秘めている。将来的に多くの者が救われるためにはこれくらいの―――』

「―――犠牲は仕方ない、とでも云いたいのか」静雫が加賀谷の言葉をイラつきを抑えずに遮った。「自分の探求心を満たすためだけにしては、大した大義だな。あの日、ステージで売り出された殆どは身寄りのない孤児だった。つまりそいつらは、お前の救いの対象から外れてるってことか?」

『それは……』

「救う命をただ傲慢に選んで、それで救世主気取りかよ!!」

 静雫の怒声に、周りにいた親子連れが一斉にモモンガの着ぐるみを怯えた表情でみた。


 言葉を失った加賀谷に代わり、インカムが京也に切り替わる。

『静雫。感情的になるのは分かるが、今は時間があまりない』

「……悪い。続けてくれ」

『静雫が目撃した日に殺された男についてだが、彼の衣服には爆薬の匂いがついていたと云っていたね。あれはまさに、彼が爆弾の製造現場にいたからだよ』

「爆弾?だが彼奴あいつは確か繊維会社の……」

『そうだ。光警に調べてもらった情報によると、その男の正体は、夜羽マコトが云うようにルゥドと取引のある繊維会社の社長だった。だが彼には秘密があった』

「秘密?」

『彼にはある黒い噂が立っていたんだ―――十年前に欧州での一斉検挙を逃れ、日本国内に逃れたニードルの残党を匿ったんじゃないか、というね。結局のところは証拠不十分で疑惑にとどまったらしいけども』

「じゃあその疑惑が本当だったとしたら……」

『繊維会社がニードルに加担していると考えるなら、組織の知識を使えば爆弾くらい簡単につくれるだろうね。しかも繊維の特殊な性質を活用した高度な爆弾も製造可能となる。それを使ってルゥドを一発で仕留めるには、どう動くと思う』

「本部を爆発する、とかか?」

「ルゥドのセキュリティを突破するのは難しい」と夏目は首を振る。

『企業を崩壊させるには、建物や人といった目視できるもの以外にも有効なものがある。一度失うと修復には時間がかかる、損害を与えるに効果的なものだ』

 京也は無意識に声を低めて云った。そして少しの沈黙のあと、また口を開く。


『信用だよ』


「そうか」

 夏目がはっとした表情を浮かべた。「ルゥドは商社として様々な企業から仕入れた物を顧客企業に売っている。もしその繊維会社から購入した繊維を別の企業に売り、その繊維が爆発したら―――」

『ああ、ルゥドの品質管理能力が問われるだろう。しかも数百人の死者が出るような事件が起これば、取引先各社からの信用は一気に底に堕ちる。つまり信用というビジネスの中核を失い、ルゥドは会社として機能不全になる』

 京也の珍しく真剣な声が静雫と夏目の耳元で重々しく響いた。だがすぐさまいつもの口調に戻る。『しかしまぁ……ルゥドを本気で潰そうと目論んでいるニードルによって僕たちビターがルゥド潰しの濡れ衣を着せられるなんて、酷いものだよ』

「あ、あの偽弁護士の件もニードルが仕組んだのか」と静雫が驚きを表す。

『恐らく、加賀谷から目を逸らせるための時間稼ぎだろう』

「しかし何のためにルゥドを……」

『説明は後にしよう。取り敢えず今はそいつらを捕まえることが優先だ』

「あ、ああそうだな。それでその繊維爆弾ってのは一体どこに、」

『そこらじゅうにある』

 京也の言葉に、夏目と静雫は固まる。会場内にあるのは、子供向け玩具と新作のぬいぐるみだけだ。


「―――まさか」

 夏目の思わんとしていることを悟り京也は頷く。

『そこに展示されているぬいぐるみ―――それらはすべて、特別な爆発性のある繊維で作られている』

「そんなことが―――」

 可能なのか?

 夏目は棚に並べてあるぬいぐるみを見て言葉を失う。その数は数百もあり、一個ずつ解除するには時間が到底足りない。


 リリスが先ほど抱いていたクマも、爆弾だというのか。

 振り返って大勢の客を見渡すと、爆弾が入っているであろう購入袋を手にした者は既に多くいる。

 ようやくリリスとばあやの姿を見つける。幸いにもリリスの手元にはなにもない。だが、もしこの中にいる客の一人が誤ってぬいぐるみを落としたら……どうなる?


 ペンギン伯爵が自分の方を向いていると気づいたリリスは、純粋な笑顔で嬉しそうに手を振った。

 一刻も早くこの場から遠ざけなければ……


「京也……リリスが会場にいる」

「分かってる。だが僕が云うまでそこで待機してくれ」

「待機……?爆弾がすぐそこに―――」


 途端、ステージから軽快な音楽が流れ、司会役の女性が現れた。

 上品なスーツに包まれた司会はそのひっ迫した状況など知るよしもなく、明るい声で進行する。そしてステージ中央に移動すると、布で覆われたテーブルに手をかけた。


「本日ご来場いただいた皆さんの中から、抽選でこの豪華賞品を差し上げます!」

 司会者が布をひくと、そこには巨大なクマのぬいぐるみが現れた。

「おい、まさかあれも……」

 静雫と夏目の顔が強張る。


「お手元の端末に記された番号をご確認くださいねー!それではラッキーな当選者を発表致します!」

 会場から高揚感を仰ぐ効果音が流れ、客席が期待で少しざわつき始める。

「―――312番の方、おめでとうございます!」

 拍手とともに、当選者がステージへといそいそと上がる。


「……!」

 夏目は息をのんだ。

 静雫も同じ光景をみて、言葉を失う。

 リリスがステージに上がってきたからだ。

「リリス……!」

 夏目は叫びに似た声でステージに向かうが、静雫が必死で止めに入る。

「ま、まて。今動くと犯人にばれて逃げられる可能性がある」

「だがリリスがっ……!」

 リリスが先ほど手にしたぬいぐるみの二倍はある巨大なクマが、司会の女性から差し出される。

 夏目は静雫の押しのけ進もうとするが、インカム越しの京也の声が耳に届く。

『夏目、リリスちゃんは大丈夫だ。絶対に傷つけさせない』

「そんなこと……信じろというのか……!」

『ああ。僕を信じてくれ。今はなにもせずに待つんだ』

「っ……」

 ステージ上には、リリスが巨大な爆弾を抱えている。まだこの世界のことを何も知らない、純粋で小さな、たった一人の妹だ。


 夏目は目を伏せ、歯を食いしばった。

 ―――そんなことは、あいつだって知っているはずだ。


「……分かった。お前を、信じる」


 夏目が落ち着いたのをみると静雫はほっと胸をなでおろし、京也に問う。

「で、僕たちはどうやってその爆発を阻止すればいい?」

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