第23話「天使の囁きは水音を添えて」

 結局、敵の偵察から24時間が経過したものの、フォカヌポウ提督が危惧していた敵の攻勢は起こらなかった。しかし、2つの出来事が起きた。


 1つ目、敵に増援艦隊が現れたこと。恒星アンティータムを挟んで俺たちとは反対方向のワープベルトに、敵1個艦隊が出現した。……わかったのはそこまでだ。何せガス雲で遠方が見通せない以上、ワープに伴う重力波の観測で「何隻の艦が来たか」しかわからない。どこに向かったのかはわからない上、そもそもこの星系に元からいる艦隊も、依然としてどこに隠れているのかわかっていないのだ。


 そして2つ目、味方にも増援艦隊が現れた――ただし、本隊とは離れた位置に。アンティータム星系は複数の星系からワープしてくることが可能だが(ゆえに戦略的な価値が高いのだが)、出発地点となる星系が違えばアンティータム星系上で出現する位置も変わる。


 つまり本隊とは離れた位置に現れた艦隊は、俺たちとは違う航路でこのアンティータム星系に至ったことになる。明らかに、艦隊の集結計画に齟齬がある。

 さらに悪いことに、この増援の艦隊――第三艦隊と第五艦隊は、公転周期の問題で第四惑星「ポーター」の近くに現れてしまった。もしポーターの陰に敵艦隊が隠れていた場合、各個撃破されかねない。


 これを見たフォカヌポウ提督は即座に命令を下した。


「表現の自由戦士艦隊、最大戦速! 目標、宇宙要塞『ニコデムス』!」


 第三・第五艦隊を救援する航路上には、恒星アンティータムの最外周を公転する宇宙要塞「ニコデムス」が障害として立ち塞がっていた。もちろん宇宙空間は三次元であるから、上下左右に迂回してゆくことも可能ではあるが――「ニコデムス」から、一条の光線が発射された。それは表現の自由戦士隊の先頭を進む軽巡航艦の正面装甲をほんのりと焼き溶かした。


「あれを横っ腹に喰らいたくはないな……だが正面装甲を貫くほどではない。各艦、怯まず前進せよ!」


 レーザーは効率の悪い兵器で、宇宙艦の正面装甲を貫通するほどの威力はないくせに、1射ごとにレーザー発振体の交換が必要なので連射が効かず、従って弾数にも限りがある。しかし「光速で飛んでくる」こと、そして「側面装甲なら貫通しうる」ことは十分な脅威となる。要塞を迂回しようとすれば、横っ腹にレーザーを食らった艦が何隻も沈むことになるだろう。


 フォカヌポウ提督の判断を事後承認するような形で、ブリントン少将も第一・第二・第四艦隊を追従させた。


 ――こうして、後に「アンティータムの戦い」と呼ばれる戦闘はなし崩し的に幕を開けた。



 表現の自由戦士艦隊を先頭に、連邦軍本隊は宇宙要塞「ニコデムス」へと迫る。艦隊と要塞の間には薄いガス雲が立ち込め、不気味な雰囲気だ。時たま飛んでくるレーザーが艦を小破させるが、進撃を止めるには至らない。そして俺たちウォリアー隊は既に発艦し、慣性で艦隊の周囲を飛んでいる状態だ。


 そろそろ艦隊の主砲が、有効射程圏内に「ニコデムス」を捉える――そう思った時、「ニコデムス」から敵ウォリアー隊が発進してきた。まっすぐこちらに向かってくる。


『よっしゃ、行くぞお前らァ!』


 ウォリアー大隊長が、敵先鋒を迎撃しようと部隊を展開した。だがその瞬間、敵ウォリアー隊が散開した。少数の部隊のみが表現の自由戦士隊のウォリアーを相手取り、残りは全て後方の第二艦隊の方へと殺到したのだ。その数、48機。


「あれっ……」

((マズい、第二艦隊は昨日いちばん展開が遅かった艦隊だ!))

「練度が低いところを集中攻撃ってことぉ?」

((メスガキ、一瞬身体返せ!))


 インナーメスガキが機体を安定させてから、俺は身体の操縦権を取り戻した。そして大隊長へと連絡を入れる。


「大隊長殿、第二艦隊の救援に行く許可を! 俺の『フザール』なら間に合います!」

『宜しい、任せた! こちらもB中隊に正面を任せ、A中隊を向かわせる。先に行け!』

「了解! ……すまんジェシカ、先に行く!」

『はい、ご武運を!』


 俺がインナーメスガキに身体を預けると同時、インナーメスガキは他機の追従を許さぬ速度で「フザール」を加速させた。視界の先では、第二艦隊のウォリアー隊が防戦一方に追い込まれていた。まさか自分たちのところに敵が来るとは思っていなかったかのような混乱っぷりだ。


((くそっ、練度が低いってこういうレベルかよ……!))

「まさか味方がくそざこだとは思わなかったなぁ」


 そう言いながら、インナーメスガキはカチャカチャと手のひらサイズの機材をいじっていた。


((なあ、それマジで使うの?))

「そのために買ったんだし、今が使い時でしょ? 流石にあたしも、48機を正面からひとりでどうにか出来るとは思ってないよぉ」


 ――インナーメスガキがいじっているのは、バイノーラルマイクだった。ネオアキハバラでせがまれて買ったものだ。何に使うのか、あまりにもおぞましい想像しか出来なかったので考えるのをやめていたのだが……昨日の彼女の行動と照らし合わせると、その想像は正しかったのだと確信せざるを得ない。


 インナーメスガキは通信機をいじり、昨日手に入れた帝国軍の通信暗号を使って通信傍受を試みている。


「この周波数はダメ……こっちも……あっ、これまだ生きてる♡ ばかだなぁ、暗号と周波数を戦闘のたび変えないなんて♡ ざーこ♡ よわよわ通信コンプライアンス♡ そんなおばかさんたちにはぁ……脳みそに直接オシオキしなきゃだよね♡」


 そう言うや、インナーメスガキは生きている周波数と通信を確立したまま、バイノーラルマイクの右耳を……舐めた!


『へへっ、大将の言った通りだァ! こいつら弱いぜ……んひぃっ!?』


 第二艦隊を襲っていた帝国軍ウォリアーのうち、12機――つまり1個小隊全機が、右耳に手を当てて身体を跳ねさせた。


 インナーメスガキはニヤリと笑い、そのまま息を吹きかけた。


「ふー♡ ふー♡」

『ああん気持ち良ッ……違う!! だ、誰だ変な通信送ってきてるのは!?』

「れろぉ……♡」

『お、俺じゃな……あひぃ♡』


 この周波数を使用しているのであろう敵小隊は大混乱に陥った! そう、これこそ俺が危惧していたおぞましい作戦……「戦場でASMR大作戦」だ!


 ウォリアーは地上戦を考慮し、頭部左右の聴音センサーとパイロットのヘッドセットが連動している。つまり左右どちらから音が聞こえてきたか弁別出来るのだ。これを逆手に取ってバイノーラルで通信を送れば、パイロットのヘッドセットにリアルタイムASMRを流し込むことが可能というわけだ。


((グワーッ! やめろ! せめてループバックはやめろ!!))


 インナーメスガキは輪をかけて最悪なことに、マイクの設定をループバック――自分がマイクに吹き込んだ音を、自分のヘッドセットに返す――にしていた。つまり俺の耳には、俺自身がマイクに息を吹きかけたり舐めたりする音が返ってきているのだ。20代男性の吐息とリッキング音が!!


「やめて欲しいのぉ? レロレロ……」

((やめろーッ!!))

『やめろあひぃいいん!?』

「その割には悦んでない、おじさんたちぃ? あ、そろそろ左耳が寂しくなってきたかな?」


 インナーメスガキはバイノーラルマイクの左耳に小指を挿入、ゴリゴリとかき回した。他人に耳をいじられる快感と、20代男性の裏声ウィスパーボイスが敵パイロットと俺を襲う!


((グワーッ!? グワーッ!?))

『左耳ぎもぢいいいい! 右耳ぎもぢわるいいいい!!』


 敵ウォリアー小隊は、全機両耳を押さえたまま悶ている。これは大きな隙だ。第二艦隊のウォリアー隊が態勢を持ち直し、反撃に出た。インナーメスガキはそれを確認するやバイノーラルマイクを太腿の間に挟み、自身もウォリアーの操縦を再開した。無防備な敵機の背部装甲にマシンガンを叩き込み撃破。


「まずは1つ♡」


 そう言いながらもバイノーラルマイクを太腿で小刻みに擦り上げる。20代男性の筋肉質な太腿に両耳を挟まれた感覚が、敵パイロットと俺を襲う!


((アババババババ))

『あっ、これパイロットスーツが擦れる音だぁ……』

「正解♡」

『アバーッ!』


 何かを悟って放心していた敵機を振動剣で斬り裂き撃破。……やがて敵小隊は小隊通信を切断してASMR攻撃を遮断したのか、動きに精彩を取り戻した。しかし大勢は既に第二艦隊ウォリアー隊優位に傾いており、しかもそこにジェシカと、それに続く表現の自由艦隊のウォリアー隊が到着したことで決定的になった。


『あれっ、なんか敵がバラバラに逃げてる!? 待って私の戦果―!』

『こらアビー少尉、突出するな!』


 ……そんな通信も聞こえてくる。


「どうする? 危うい感じだけど」

((……さりげなくフォローしてやってくれ……俺はもう色々と限界だ……))

「ウケるー♡ 了解♡」


 インナーメスガキは突出するアビー少尉の周囲をさりげなく飛び回り、彼女を狙おうとする敵をブロックしてやった。その姿はウィングのついた「フザール」の造形も相まり、守護天使のようだった。……俺にとってはゲロボ*を撒き散らす悪魔か何かにしか、思えなかったが。


*ゲロみたいに汚い声の意

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