第二十六話「七草」


 センタル島行きの船に乗っている俺たちがホールでビュッフェ形式の夕食を取っている時に起きた喧嘩騒ぎ。それ自体は仲間のウキーレが仲裁、という名の喧嘩両成敗、をやってくれたので無事解決したのだが、俺はその際にある違和感を覚えたので、仲間にも何も告げず、一人でホールを抜け出した。目的のものはすぐに見つかったが、俺は様子を見るために、静かにその後を追った。

 目の前を歩いているのは女だ。船のスタッフが着用する制服を着ていて長い髪はポニーテールにまとめられている。彼女はつい先程までホールで乗客の案内や足りなくなった料理の手配など普通にスタッフとして働いていた。働きぶりも良かったし、不審な点など無かった、あの瞬間までは。

 俺は彼女のすぐ後ろを付いて歩いていた。だが彼女はそれに全く気付いた様子がなくデッキに出て行った。すでに周りは暗くなってきていて夕食時ということもあり他の人間の姿はなかった。彼女はきょろきょろと周囲に誰もいないことを確認すると(真後ろに俺は居たのだが)懐から小さな板のようなものを取り出し、一人で話し始めた。

 あれ、これって、ひょっとして……。


「はい、はい、順調です。観察対象に気付かれた様子はありません。はい、では任務を継続します」


 携帯電話! 目の前の女は明らかに離れた相手と会話をしていた。魔道具らしいけど、やっていることは完全に携帯電話だ。へえ、この世界にもあったんだな、携帯電話。

 女は電話を切ると仕事場に戻るつもりなのか振り返った。

 そろそろ接触しておくか。

 俺はスキル「黒猫」を解除した。


「え……、ひっ、やああああああああああ!」


 いや、声でかいって。

 女も叫んでから自分で「しまった」と思ったのか、慌てて俺の手をつかんで走り出した。


「お、おい、どこに……」

「いいから来なさい!」


 船の中の一室に俺は連れ込まれた。どうやらクルースタッフが使っている部屋の一つのようだ。女は「はあはあ」と息を切らし、無理やり引っ張られた俺もちょっと息が切れた。


「あ、あなた、ミケル・ジーベンね? 今どこから現れたの? 急に目の前に現れたから叫んじゃったじゃないの!」


 なるほど、やっぱり俺のことは知っているか。


「いいんですか? 俺の名前を知っていることをぺらぺら喋っちゃて」


 彼女はまた「しまった!」という顔をした。あー、この娘、ドジっ子ってやつだわ。


「それで、君は何者? 敵意は感じないから闇の女神の信徒とかじゃないとは思うけど。ひょっとすると神殿が聖女候補者を監視するために送り込んだ諜報員とか?」

「なっ、なぜ、それを!」


 いや、わかりやすいわー。こんなんで仕事になるのか、この諜報員?


「まあ、俺たちに何かしらの監視は付いているんだろうなあと思っていましたから。聖女候補は次の聖女になるかもしれない存在。普通に考えれば神殿から警護の人間を派遣して身の安全を確保するのが筋でしょ? それなのにそうしていないのは央神殿に行くまでの旅自体が聖女候補の人柄や実力を見る試験になっているからじゃないですか? そう考えるとそれを密かに見守る試験官みたいな存在が居るってことは想像がつきますよね?」

「……あなた、いったい何者?」

「ミケル・ジーベンです。知っているんでしょう?」

「先程の術も変よ。あなたの称号は『猫』でしょ? 姿を消すような魔術が使えるとは思えないけど。それとも神器の力?」


 ほお、やはり神器のことも知っているのか。


「さっき使ったのは『黒猫』というスキルです。夜限定ですが、姿も気配も消すことが出来ます。アーティオンの街を出てから思い付いてやってみたら出来るようになったスキルなので今回が初披露です」


 ヒントになったのはアーティオンの遺跡の魔獣「インビジブルバット」だった。彼らの姿を消す能力を自分も使えないかと考えていて思い付いたのが「闇夜に烏、雪に鷺 《さぎ》」ということわざだった。「判別しづらい、見つけることが難しい」ことを例えた言葉だが、俺は「闇夜に黒猫でも見えづらいよな」と思った。そうしたらスキル「黒猫」が使えるようになったのだ。


「……あなたの称号、なんかめちゃくちゃね」

「俺もそう思います。ところであなたは? 俺のスキルの秘密を教えたんだから教えてくださいよ。正体のわからない人に付きまとわれるのは嫌なので」

「その前に、あなたが自分たちに監視が付いていると確信していたのはわかったわ。でも、なぜ、それが私だとわかったの? 自分で言うのもなんだけど船のスタッフとして疑われるような行動はしていなかったと思うんだけど」

「さっきホールで起きた喧嘩、あれはあなたの部下か何かが意図的に起こした狂言ですよね?」

「はっ? なぜわかったの!」

「喧嘩の理由が稚拙ちせつすぎた、というのもあるけど、やっぱり身のこなしかな? あの二人の動き、かなり戦い慣れしている人間のものでしたからね。それをたやすく返り討ちにしたうちのウキーレもすごいけど。そしてあの喧嘩が始まった時にあの会場で唯一驚いていなかった人間が居ました。それがあなただ」


 そう、それが俺の感じた違和感だった。


「そんな! 私はちゃんと驚いた……」

「うん、確かに驚いた演技をしていたね。でも、驚いていたのは表情だけだった。あなたから出ている魔力は全く変化せず平常時のままでしたよ」

「魔力? 私はそんなもの出してなんて……」

「どんな人間でも常に弱い魔力が身体から出ています。いざという時にすぐ対処できるようにっていう生存本能なんでしょうね。そして感情が強く動くとそれに合わせてその魔力も変化するんですよ」

「……魔術を使う時の強い魔力は確かに目に見えるけど、あなたにはそんな弱い魔力も見えるというの?」

「『猫の目』ってスキルでね。最初は暗いところでも見えるって能力だったけど、使っているうちに弱い魔力も見えるようになって、いろいろ試してみたらそれで相手の感情がわかるようになったんですよ」


 猫が何もない空間をじっと見つめている、そんな場面に心当たりがある方は居ないだろうか? あのイメージで猫の目のスキルを使ってみたら出来るようになったのだ。


「ホント、規格外ね。さすがは聖女候補の従者と言えばいいのかしら?」

「ありがとうございます。それで、さっきのあれも試験だったんですよね?」

「聖女候補と従者たちがトラブルにどう対応するのかを見る試験ね」

「なるほどね。次の聖女を決める戦いは神殿に着く前から始まっているってわけだ。ところであなたのことは教えてもらえるんですか?」


 彼女はちょっと迷っている感じだった。俺も正直、何か教えてもらえるとは期待はしていなかった。諜報員がぺらぺら自分のことを教えるとは思えなかった。


「……まあ、いいわ。あなたたちは合格しそうだし」


 え、いいの?


「私の名はノーザ。央神殿の諜報部の中でも聖女様に関する仕事を受け持っている『七草』の一人よ」


 七草? まさか、それって七草粥ななくさがゆで有名なやつ?


「あの、ひょっとして他にもセリさんとかナズナさんとかいらっしゃいます?」

「なっ、なななな、なんでそれをー!」


 あ、やっぱり。この世界って完全に俺の前世の世界、しかも日本の影響を受けているよなあ。過去に俺の他にも日本から転生した奴が居たのかも。


「あ、あなた、どこかの国の諜報員だったりする? 私が調べた情報ではケットスの街の近くにある森の村で育ったはずだけど」

「それで合ってますよ。俺は七草というものについて本で読んだ知識があっただけです」

「七草について書かれた本? そんなものがあるわけないじゃない。神殿関係者でもごく一部の者しか存在を知らされていないのよ?」


 え、つまり、それって?


「えーと、あの、七草の由来は知っていますよね?」

「由来? 七草は大昔から聖女様関連の諜報部隊の名前よ。この世界に存在しない架空の植物の名前だと言われているわ。それ以外に何があるって言うの?」


 そうか、七草という言葉自体は俺の前世の日本から伝わっているけど、由来となる七草粥の存在は知らない感じか。


「まあ、そういうことならそれでいいんじゃないですかね? じゃあ俺はこれで」


 俺はそう言って部屋を出た。後ろからノーザさんの「ちょっと待て! 七草の由来って何よー!」という声が聞こえていたが無視した。

 いや、神殿関係者のごく一部しか知らない名前を大声で叫んでいいのか……。




 ノーザと別れた俺はホールに戻った。突然姿を消した俺のことをセーラたちは探していたらしくかなり心配させてしまった。

 そんな中で驚きの発言をしたのはウキーレだった。


「さっき喧嘩してた奴ら、あれ、素人じゃなかったよ。それに喧嘩も嘘だろうね。演技してたから。私は自分が役者だから他人の演技には敏感なんだよ。なんであんなことしたんだろ? ミケル君が急にどこか行ったのも関係あるの?」


 おお、さすがだな。俺はウキーレに感心しながらセーラたちに何があったのか説明した。


「へえ、聖女候補者の監視ね。大きな組織になるとやっぱり表だけじゃないのね」


 ウキーレはそう言ったがモルチュはなんか怒っていた。


「監視するなんて信用してないって感じでなんか嫌だな。乙女には秘密が多いんだからね? ね、セーラちゃん?」


 そう振られたセーラは苦笑いだった。


「私は別に大丈夫だよ。それが聖女になるために必要なことなら」


 まあ、セーラならそう言うと思ってたよ。

 その後、俺たちは改めて夕食を楽しんだ。するとそこに世界的商人ショーニー家のお嬢様カレン一行がやってきた。カレンの後ろに執事のメレディス、その後ろに「闘王」ガオル、一級冒険者アデレードというメンバーだ。とにかく目立つ面々なのでホールに居た人たちからも注目を浴びていた。


「お、おい、あれって闘王ガオルじゃないか?」

「え、じゃあ後ろの女性は雷姫アデレードかよ」

「待てよ、ガオルって今はショーニー商会の護衛なんだよな。じゃあ、あの先頭の女性はカレンお嬢様か! うおおお、こんなところで会えるなんて!」


 おお、盛り上がっている。アデレードさんは雷術師って言っていたけど「雷姫」なんて二つ名を持っているのか。さすがは一級冒険者だな。

 カレンは早速俺たちを見つけたようでツカツカとこちらに向かってきた。


「あら、セーラさんたちもいらっしゃったのね。奇遇ね」


 いや、船の客はみんなここでご飯を食べるので奇遇でも何でもないんだが……。

 するとこちらをじっと見ていたガオルが不思議そうに首を傾げながらこう言った。


「そちらのウキーレ殿だったかな? 何か戦闘をした後のような印象を受けるが何かあったのか?」


 おお! さすがは特級冒険者! そんなことがわかっちゃうのか!


「ええ、先程ちょっと喧嘩騒ぎがありまして、その仲裁を。ガオル様にはお見通しなのですね」

「体温や呼吸、魔力の残滓などを見ればある程度はな」


 なるほど、俺のスキル「猫の目」に似た能力を持っているらしい。称号「闘王」の力の一つなんだろうな。


「喧嘩騒ぎ? ああ、あなたたちも『試練』を受けたようね」


 あれ、ひょっとして……。


「聖女候補者は央神殿の諜報員に監視されているわ。そしてその人柄や危機対応力を見るために『試練』を与えられるのよ。知らなかった?」


 やはりカレンお嬢様は諜報員による監視について知っていたようだ。

 すると後ろに居た執事のメレディスがやれやれといった感じで片手で頭を押さえていた。


「お嬢様、それはショーニー商会が苦労して調べ上げた極秘情報ですよ。ライバルとなる方にほいほい教えてしまうとは……」

「いいのよ。こそこそ自分だけ有利になって勝っても嬉しくないわ」


 どうやらカレンお嬢様は駆け引きみたいなことは好きじゃないようだ。商人の娘としてそれでいいのかと思わないでもないが。

 そんなこんなで船での一日目が終わった。




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