第十話「ネズミの王」


 うごめくネズミの集まりがまるで巨大な王座のようになり、そこに座ったゲスリは高笑いをしていた。


「はははははははっ! こいつは気分がいい! こそこそせずに最初からこうしてしまえばよかったわい!」


 そうか、門が鎖で封鎖されたままになっていたのにゲスリはどうやって中に入ったのかと思ったら、ああやって大量のネズミで自分の身体を持ち上げたのか。


「おい、おまえ! この街の守備隊長じゃなかったのかよ!」


 門に向かって逃げながら振り返ってそう叫んだのはウルンだった。


「ああ、そうだぞ。これからも守ってやるさ。わしの忠実な部下になると約束した者だけな!」


 ゲスリの眼は血走っていて、もはや正気とは思えなかった。街の兵士を束ねる守備隊長という立場を与えられているというのにそれを捨ててわざわざこんなことをやる意味があるだろうか?

 何か、おかしい。

 門には相変わらず太い鎖が巻き付いている。先程のように一人一人塀を乗り越えている暇などない。俺はスキルを発動させた。


「猫爪斬にゃ!」


 振り抜いた短剣から五つの斬撃が飛ぶ。鉄で出来た鎖と門扉が斜めに切り裂かれ崩れ落ちた。


「ひゅー、やるな、ミケルさん! ……ん、『にゃ』?」


 ウルンが感心したようにそう言った。意外と余裕がありそうだ。「にゃ」についてはスルーしてほしい……。

 門の外には先程の轟音を聞いたのか街の人が集まってきていて、みんな、屋敷の方に見えるネズミの山をぽかんとした様子で見上げていた。


「な、なんだよ、ありゃ」

「魔獣? 街の中に? 守備隊は何をしているの!」

「おい、あれ、ゲスリ守備隊長じゃないか? 何やってんだ?」


 騒ぎはどんどん大きくなっていた。

 まずいな。人が多くなってきた。このままあんなやつを街に出したらどんな被害が出るかわからない。

 俺は覚悟を決めた。


「セーラ! ウルンさん! モルチュさん! この屋敷の敷地内でこいつを食い止める! いいな?」

「うん」「おう!」「いいわよ」


 それぞれの肯定の返事が即答で返ってきた。聞くまでもなかったか。ウルンとモルチュは冒険者だもんな。こういう時に逃げ出すという選択肢は選ばないだろう。


「私が先制攻撃させてもらうわ。子人族を差し置いて『ネズミの王』を名乗ったことを後悔させてあげなくちゃ」


 ウルンの頭の上で静かな怒りを燃やしている様子のモルチュがそう言った。

 子人族と言えば自然魔術系の称号を持つ者が多いと聞くが彼女もそうなんだろうか?

 そういえばウルンとモルチュの称号は聞いてなかったな。


「行くわよ、ウルン」

「おお、任せろ」


 ウルンが駆け出す。速い! 俺も足には自信があるが、瞬間的な速さでは負けているかもしれない。屋敷の庭にそびえるネズミの山に一気に近づいたウルンの頭の上でモルチュが叫んだ。


「氷槍乱舞!」


 何も無かった空中に突然小さな氷の塊が現れた。それを中心にピキピキという音を立てて先端が尖った長い氷柱が形成されていく。一本だけではなく何本もだ。それは時間差をつけてネズミの山に向かって次々と発射された。

 おー、かっこいいな! 「氷術師」ってやつか!

 自然魔術系の称号の中でも使い手が少ないと聞いたことがある。モルチュってすごい奴だったんだな。

 氷の槍が命中したネズミの山の中から「チュウゥゥゥ!」という悲鳴が幾つか聞こえてきた。しかし山の形は全くと言っていいほど崩れなかった。


「やっぱりネズミの部分に攻撃してもらちが明かないわね。それならこれでどう?」


 モルチュがまた氷の槍を放つ。先程と違うのはその行く先がネズミの山ではなくゲスリだということだ。何かを操る能力者と戦う時は能力者本人を叩く、基本中の基本だろう。

 しかしその目論見は上手くいかなかった。ゲスリに氷の槍が当たると思った瞬間、ネズミの山が形を変えてゲスリの前にせり出してきて代わりに攻撃を受け止めて主を守ったのだ。


「マジかよ! ただの大量のネズミの寄せ集めかと思ったらあんな細かい指示が出せるのか!」


 驚愕するウルンに対してゲスリは持っていたサーベルを向けた。するとネズミの山から数十匹のネズミが離れて彼に襲い掛かった。


「うわ! 気持ち悪っ! 俺は『格闘家』なんだ! こんな小さい奴ら、相手に出来ないって!」


 へえ、ウルンは格闘家なのか。武器を持っていないと思ったら素手で戦うタイプなんだな。でも、それだと確かに的が小さい大量の相手と戦うのは苦手としているだろうな。


「もう、役に立たないわね! 吹雪の盾!」


 モルチュがそう叫ぶとウルンの周りに激しく渦巻く吹雪が起きた。雪混じりの小さな竜巻みたいな感じだ。二人に向かって突っ込んでいたネズミたちはなすすべなく次々と凍り付いていった。

 二人だけではちょっと大変そうだ。俺はセーラの方を向いた。


「俺は加勢してくる。セーラはここに居てくれ。もし誰かが怪我したら力を使ってほしい」

「うん、わかった。気を付けてね、ミケル君」

「おう」


 俺はスキル「猫の足」を使って跳ぶようにウルンたちの元に駆け寄った。そして間髪入れずに放った。


「猫爪斬にゃー!」


 ネズミの山を五本の爪痕が切り裂く。ネズミの断末魔と共に山からぼたぼたと力尽きたネズミが落下した。しかし山の大きさはあまり変わったように見えなかった。まさかと思ってネズミ山の奥に目をやると、なんと、どこからか次々とネズミが走ってきて山の中に加わっていた。

 おいおい、この街、どれだけネズミが居るんだよ?

 これではきりがない。こうなったら森の主を倒した俺の奥の手「窮鼠猫を嚙む」をぶつけるか。でもそれをやるとおそらくゲスリを殺してしまう。街の守備隊長でありながらこんな事件を起こしたあいつは生かしたまま捕まえてこの街の法で裁かなければならない。

 それにあいつは間違いなく「リレドラ」の名を口にした。あいつ自身が闇の女神の信徒なのかはわからないが、あの女のことを知っているなら情報を吐かせたい。

 そうなると魔法の長靴「マナ」の力を借りるしかないか。ただ、そうなると集まってきた街の人間たちにマホの力を見られてしまう。出来ればそれは避けたいけど……。

 仕方ない。マナを隠してもここでこいつを倒せなければ意味がない。俺はマナを呼んだ。

 マナ! 出てきて力を貸してくれ!

 ……あれ? 出てこない。俺の靴と入れ替わって出てくるはずなのに。

 マナ! どうした? この前みたいに力を……。

 俺が心の中でそう願うとマナからようやく返事の感情が返ってきた。言葉にするとこうなる。

 やだ。眠い。

 ……え? 嘘だろ? おまえ、寝るの? 長靴なのに? 神器なのに?

 どうしよう? 俺はまさかの事態に頭を抱えた。


「ちょっと! ミケルさん! 何、頭を抱えているんですか! 戦闘中ですよ!」


 ウルンがこちらに向かって来ていたネズミを回し蹴りで薙ぎ払いながらそう叫んだ。

 はい、ごもっともです。

 でも魔法の長靴が当てにならないとするとやはり窮鼠猫を噛むしかないか。ネズミ相手に猫が窮鼠猫を噛むってのもややこしい話だが。


「ミケル君」


 そんなことを考えているといつのまにか近くに来ていたセーラが俺に声を掛けてきた。


「せ、セーラ? 危ないだろ! おまえは冒険者じゃないんだから離れた場所で……」

「聞いて! 試したいことがあるの。あの人が持っている剣に付いている魔獣石、あれから闇の力を感じるの」

「闇の力? あっ……」


 そういえばあれはリレドラからもらったって言っていたな。彼女は闇の女神の信徒。あの魔獣石にはその力の一部が宿っているのかもしれない。


「そんなことがわかるのか?」

「うん。たぶん私が『聖女候補』の称号を持っているからだと思う」


 俺とセーラが話している間もウルンたちはこちらに向かってくるネズミたちを蹴散らし続けてくれていた。


「ゲスリ本人からはどうだ?」

「感じない。ゲスリさんの力は私たちと同じ光の女神の称号の力だと思う」

「あんなのと自分が同じだとは思いたくないけどな……。それで?」

「私の力をあの魔獣石にぶつければ何とかなると思う。そんな予感がするの」


 闇の女神の信徒の力を宿す魔獣石に光の女神の聖女の力をぶつけるか。確かに何か起きそうだ。


「試してみる価値はあるな。……よし! ウルンさん! モルチュさん! 一瞬で良い! ネズミたちの動きを止められないか?」


 俺がそう言うとモルチュがウルンの頭の上で小さな手を上げた。


「私の残りの魔力を全部使えばいけると思うわ。でももちろん一度しか出来ないわよ?」

「一度でもチャンスがあれば充分だ!」


 俺がそう叫ぶとモルチュはふっと笑った。


「私たちの他にも冒険好きのバカがいるなんてね、ウルン」

「ああ、そうだな。どうする? 出来るだけ近づいた方がいいか?」

「そうね。じゃあ行けるところまで行ってちょうだい。……ゴー!」


 モルチュの合図を受けてウルンが飛び出す。消えた。今までで一番速い動きだった。一瞬でネズミの山の目の前に現れた二人に驚き、ゲスリはネズミに指示をする間もなかった。


「全て、凍り付け! 大氷結!」


 これまで以上にモルチュの身体から魔力が溢れ出す。それは冷気に変わりネズミの山を襲った。みるみるネズミ山が凍り付いて氷の山に変わっていく。

 おお、すごい! あれ、これ、もう俺たちの出番はないんじゃないか?

 一瞬そう思ったが念のため俺はセーラをお姫様抱っこした。セーラの顔がみるみる赤くなる。いや、俺だって結構恥ずかしい。でも一緒に素早く移動するとなるとこれが一番効率がいい。俺は「猫の足」を使ってウルンたちと同じ場所まで一気に跳んだ。


「くそ! こんなもの! おい、ネズミども! ぶち壊せ!」


 慌てたゲスリがサーベルを掲げて命令すると凍ったネズミ山の表面にビシッと亀裂が入った。氷の中でネズミたちが暴れている。モルチュの技で凍り付いたのは残念ながら表面だけだったらしい。

 やはり俺とセーラのコンビは必要だったようだ。

 俺の腕の中でセーラが目をつぶった。ちょっとドキッとする。彼女の身体から魔力が溢れ出した。すごい。淀みを一切感じない澄んだ魔力だ。これが聖女候補の魔力か。


「あるべき所に戻れ。『聖光』!」


 セーラの右手から光が放たれた。攻撃といった感じはしない。むしろ優しく身体を包み込んでくれているような暖かい光だった。しかしゲスリの持つサーベルの魔獣石はその光に激しく反応した。黒い魔力が漏れ出て意思を持つかのようにのたうち回っていた。もはや、それは魔獣の瘴気に似ている気がした。


「なっ、なんだ、これは! う、うわあ!」


 バリンという大きな音と共に魔獣石が砕けた。それと同時にゲスリを支えていたネズミ山に変化が起きた。山は形を保てず崩れ出してパニックになったネズミたちが四方八方に逃げ出し始めた。その一方で逃げずにその場に留まったネズミたちも居た。そいつらが何をしたかというと……。


「ぎゃあああああああ! 痛い! 痛い! 助けてくれえええええ!」


 自分たちの身体の上に落ちてきたゲスリを洗脳の解けたネズミたちは怒りと共に一斉にかじり出したのだ。

 セーラが「きゃっ」と悲鳴を上げて手で顔を覆った。

 数分後、全身傷だらけで命からがらネズミの群れから這い出してきたのは、服がボロボロ、半裸になったゲスリだった。




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