第六話「それぞれの出発」


 センタル島の央神殿か。遠いんだろうな。セーラの夢が叶うかもしれないというのは嬉しいけど、もし彼女が本当に聖女になってしまったら俺なんかが気軽に会える存在では無くなってしまうだろう。

 寂しいな。

 前世の恋人で、今は幼なじみ。

 俺にとってはずっと特別な存在だから。


「あの、ミケル様、聞いておられますか?」

「……えっ、はい、聞いてますよ。えっと、セーラが聖女候補になったから央神殿に行くんですよね。セーラ、俺、見送りに行くよ。日付が決まったら教えてくれよな」


 俺がそう言うとセーラは「えっ」みたいな顔をした。


「あの、ミケル様、あなたも行くのですよ?」


 サイオンさんが何を言っているのか一瞬わからなかった。


「……え? 俺?」

「そうです」

「あの、俺は聖女にはなれないと思います。男ですし」

「え、あ、いやいや、それはもちろんわかってます! ミケル様には従者に……、ああ、ちょっと結論を急ぎすぎましたかな? 出来るだけわかりやすく順序立てて説明しますので」

「あ、はい、お願いします……」


 あれ? やらかした?

 セーラが央神殿に行っちゃうと聞いて完全に上の空だった。

 従者?


「まず聖女候補者は一人ではないのです。セーラ様は何人か居る聖女候補者の一人になったにすぎません」


 え、そうなの?


「セーラ様が『聖女候補』の称号に目覚められたのと同時期に世界の各地で同じように『聖女候補』の称号を得た方が確認されています。もちろんその方々も央神殿へ招へいされているのです」


 なるほど。聖女候補になったから聖女になれるわけではなく、何人かの候補者の中から次の聖女が選ばれるってことか。


「現聖女アンドレア様が聖女になったのはもう五十年以上前ですからね。お二人がご存じないのも無理はありませんな」


 隣で御爺様がうんうんと頷いていた。御爺様くらいの年齢の人なら前回聖女が変わった時のことを覚えているんだろうな。


「まず聖女候補者は央神殿まで行っていただきますが、旅立ちの際に最低一人『従者』を選んで連れていくことになっております。これは聖女候補者の義務ですので、従者はいらない、一人で行く、ということはできません」


 なるほど。ひょっとするとこれは初代聖女カトリサ様の伝説をなぞらえているのかな? 彼女は後に勇者と呼ばれることになった従者ヒューゴや十二支たちと共に旅をして闇の女神や悪魔を倒したと言われている。聖女と従者はセットというか、切っても切れない関係にあるものだ。候補の段階から優れた従者が居ることが聖女になるための条件になっている、あり得る話だな。


「通常、誰を従者にするか、それは聖女候補者に任せられています。ただ、セーラ様の場合、異例というか、なんというか」


 そう言うとサイオンさんは俺を見た。


「セーラ様の従者はミケル様で、と央神殿から要請が出ているのです。聖女候補の件に関係なくミケル様には神器の件で央神殿に出向いていただく必要がありましたし、セーラ様とミケル様はこどもの頃からのご友人であると聞いております。問題はないでしょう?」


 もちろん問題はないどころか望むところだ。

 ただ、俺にはいくつか気掛かりなことがあった。


「あの、サイオンさん、そもそも神器って俺なんかが個人で持っていてもいいんでしょうか? 神殿、たぶん央神殿が管理すべきものなんでしょう? だったら俺が直接持って行かなくてもサイオンさんにお渡しするとかじゃダメなんですか?」

「それについては央神殿からこのような話が来ています。『神器は神器自身が認めた者しか所持することはできない』と。つまりその魔法の長靴を持つことが出来るのは現状ミケルさんだけということです」


 なんと! それなら俺が持って行くしかないわけだ。


「その点についてはわかりました。ただ、闇の女神の信徒がこの魔法の長靴のことを狙っていたことは知っていますよね? あの女、リレドラがあれであきらめるとは思えません。きっとまた魔法の長靴を狙って襲ってくるでしょう。つまり俺と一緒に居るとセーラが危ないんじゃないかと思うんです。俺が央神殿に行くのは良いんですが、セーラの従者という形じゃないとダメなんでしょうか? セーラには他の人に付いて行ってもらって俺は俺で別行動の方が良くないですか?」


 もちろん一緒に行きたい気持ちはある。でも自分のせいでセーラを危険な目に会わせたくない。


「ミケル様が心配されるのは当然のことです。そのことは央神殿でも意見が分かれたそうですから」

「え、そうなんですか?」

「はい。神官の中にはミケルさんが言ったような主張をなされた方もいらっしゃったと聞いております。しかし現聖女であるアンドレア様がお二人にはぜひ一緒に来ていただきたいとおっしゃられたようでして」

「聖女様が?」

「はい」


 光の女神の信徒にとって聖女の言葉は絶対だ。でもなぜアンドレア様は俺とセーラを一緒に行動させたがっているのだろう? ひょっとすると聖女と神器の組み合わせが宗教的に外せないってことなんだろうか? 神器とは初代聖女カトリサの従者だった勇者ヒューゴが光の女神サンエトリアから授かったもの。サンエトリア教にとっては教えの元となる神話が事実であったことを証明するものになるはずだ。聖女候補と神器の所持者が同じ時期同じ場所に現れた。アンドレア様はこれを偶然とは思っていないということだろう。

 聖女になるための試練っていうのがどういうものなのかわからないけど、神器を持つ俺が従者として付いていけばセーラがかなり有利になるのかもしれない。


「わかりました。俺、セーラの従者になります」


 俺がそう言うと彼女はちょっと驚いた顔をした。


「ミケル君、いいの?」


 申し訳なさそうにそう言う彼女。急に聖女候補なんて称号を貰ってしまった自分の方が大変だろうに。自分のことより他人の心配、彼女は前世からそういう人だった。


「いいよ。二人で旅をした方が楽しそうじゃん」


 これは本音だった。

 俺がこの世界に来た意味。それを知るためにはいつかもっと広い世界に旅立つ必要があるだろうと思っていた。ギルドに登録して冒険者になったのもそのためだ。

 でもその時はセーラも連れていきたい、ずっとそう思っていたのだ。


「ふふ、ミケル君らしいね。わかった。じゃあ、お願いするね。ミケル君、私の従者になってください!」

「え、あ、うん、任せとけ!」


 私の従者になって、って、なんかプロポーズっぽくて恥ずかしいな。ちょっと天然なセーラは全く意識していないようで、ちょっと慌てた俺を不思議そうに見ていた。




 俺とセーラの出発の日は一週間後に決まった。

 それに対して周りの反応は様々だった。

 例えば御爺様は俺が聖女候補の従者になるということを大層喜んでくれた。猫人族といえば十二支に乗り遅れた逸話のせいで肩身が狭い思いをしてきた歴史があるため、汚名返上、名誉挽回の大チャンスだと思っているのだろう。

 神殿の人たちはやはりセーラとの別れを寂しがっていた。母親代わりのクリスチナ院長と姉のような存在であるリンダさんはもちろんだが、セーラのことを姉のように慕っている孤児院のこどもたちは彼女と離れたくないと言って毎日のように駄々をこねていた。

 あと、この街を離れるということで俺はギルドにも挨拶に行ったのだが、ギルド長のジョーさんは俺が「猫」の称号を得たことを知ると腹を抱えて笑い転げ、次に俺が神器の持ち主になったことを知るとピタッと笑いが止まり「はっ?」みたいな顔で固まっていた。

 ギルドの受付のギャメツさんはすごく悲しんでくれたが、俺と会えなくなることよりも魔獣の素材を定期的に売りに来る常連が居なくなることがショックだったようで、猫人族の戦士たちにその仕事の引継ぎを頼んでおいたと俺が言うとわかりやすくほっとしていた。現金な人だ。

 猫人族の村のみんなはもちろん俺との別れを寂しがってくれたが、それ以上に俺が森の主を倒したことにお祭り騒ぎだった。何しろ十年前の戦いでは俺の両親を含めて多くの被害が出たし、昔からずっとこの村の猫人族は森の主の存在に怯える生活を送ってきたのだ。もちろん森にはまだ多くの危険な魔獣が居るが、出会ったらすぐに死を覚悟しなければならない理不尽な存在が居なくなったわけで、村にとって歴史的な出来事になった。ルロとジェイクが「ミケルの木像を作ってこの偉業を後世に伝えよう」なんて話していたが、え、いや、さすがに冗談だよな?

 反応として変わっていたのは次兄のジーロ兄様である。彼は俺の五歳上で、もちろんだいぶ前に称号を得ている。「学者」というもので猫人族がこの称号を得るのはかなり珍しいらしい。この称号を得ると記憶力が上がり閃きや発想に優れるようになるらしいが、こどもの頃から頭が良かったジーロ兄様にぴったりの称号だと思う。そんな彼は俺が「猫」の称号を得たと知るとかなり興味を引かれたようだった。ほとんどの人間は俺の称号が「猫」だと知ると笑ったのだが、ジーロ兄様は笑うどころか、「猫」の称号で何が出来るか、称号を得る前と得た後で身体的に違いはあるのか、など根掘り葉掘り質問してきた。「猫爪斬」という技については猫が引っ掻くイメージの技だということで納得したようだったが、森の主を倒した「窮鼠猫を嚙む」については説明しても全く通じなかった。そもそもこっちの世界には「窮鼠猫を噛む」ということわざが無いようなのだ。ひょっとすると前世の向こうの世界の記憶を持つ俺以外の人間が「猫」の称号を得ても「窮鼠猫を噛む」という技は使えないのかもしれない。俺が今後「猫」の称号を使うにあたって、このことは頭に置いておかなければならないな。

 そしてもう一人、意外な反応をした人が居た。

 レオ兄様だ。

 結論から言うと彼は置き手紙を残して失踪した。

 思い返してみるとレオ兄様の様子はおかしかったと思う。自分が気を失っている間に俺が森の主を倒したと聞かされても最初は信じていなかったが、実際に森の主の死骸を見て、さらに俺が「魔法の長靴」の所持者になったことを知ると、他の人と同じように驚いていたが、その後はどこか上の空というか、口数が少なかったと思う。森の主にやられたダメージやショックが残っているのだと思っていたけど、今思えば違っていたのかもしれない。

 レオ兄様は十年前に両親を殺されてからずっと森の主を親の仇と見ていた。冒険者になってわずか十年で三級冒険者まで上り詰めたのもいつか森の主を倒すという目標があって血がにじむような努力をしてきたからだろう。しかし今回の戦いで彼はその宿敵に手も足も出ないまま、なすすべなく敗れてしまい、しかも冒険者になったばかりの弟がそれを倒してしまったわけだ。もちろん俺にとっても親の仇だったわけで、兄弟が力を合わせて敵討ちをしたと思えば良い話なのかもしれないが、レオ兄様からすると恨みを向けていた相手が突然居なくなり心の整理が付かなくなってしまったのかもしれない。

 置き手紙には、今回の件で自分の未熟さを痛感したこと、もっと強くなりたいと思ったこと、このままここで冒険者を続けていても限界を感じること、だから修行の旅を決意したこと、そんなことが書いてあった。

 中でもレオ兄様の本気さを感じたのは最後に「次期長老には弟のジーロを推薦したい」と書いてあったことだ。

 猫人族にとって「長老」という役職は村の代表を意味する。レオ兄様は若いながら強さとリーダーシップを兼ね備えていて次期長老候補と言われていた。それをジーロ兄様に譲るということは村に帰ってくるつもりはないと言っているのと同じだった。それだけの覚悟を持って出ていったということだろう。

 猫人族の村はもちろん大騒ぎになった。次期長老候補と期待されていた者が消えたのだから当然だろう。兄様と同世代の仲間たちは相談もなく出ていったことに怒っていたし、兄様を慕っていた村の若い女性たちの中には泣いている者もいた。

 御爺様はかんかんに怒るだろうなと思っていたが、置き手紙を見た後、意外なほど冷静に静かな口調で「レオ・ジーベンは死んだものと思え」と村人たちにお触れを出した。それがかえって御爺様の怒りの深刻さを感じた。期待していただけに裏切られたという思いだったのかもしれない。うちの両親の世代の村人たちは「まあまあ、マダナイ様、レオ君も若いから、いつか戻ってくるだろうし、次の長老についてはその時に決めればいいではないですか」と御爺様をなだめてくれていたので、時間が解決してくれるのを期待するしかないか。




 そして俺とセーラがケットスの街を旅立つ日が来た。御爺様、ジーロ兄様、ルロなど猫人族の村のみんなはわざわざケットスの街まで見送りに来てくれていた。

 ジーロ兄様はレオ兄様が居なくなったことに今でもショックを受けているようだったが、それを隠して、村のことは任せてくれ、と笑顔で言ってくれた。

 神殿の人たちはやはりセーラとの別れが悲しいようだ。泣いている人も多かった。

 最初の目的地はケットスの街から西に向かったところにあるファスティアという大きな街だ。

 道は整備されているが歩いていくとなると数日掛かってしまう。

 そこで俺たちが利用するのは午人族の馬車だ。

 十二支である午人族は馬の獣人族で前世の言葉で説明するならケンタウロスといえばわかりやすいだろう。馬の胴体から人間の上半身が生えている感じだ。

 午人族の馬車と聞くとケンタウロスが馬車を引っ張っている絵を思い浮かべるかもしれないが、そうではなく、馬車を引っ張っているのはあくまで普通の馬だ。午人族はその飼い主であり、馬車に先立って馬と同じスピードで走って先導するのである。前世の世界にあったような人族の御者ぎょしゃが乗る馬車もあるにはあるが、午人族の馬車の方が安全性も速度も上なので、この世界で馬車というと午人族の馬車であることが多い。

 馬車に乗り込んだ俺とセーラにみんなが手を振ってくれる。

 月並みな言葉かもしれないが、俺たちの旅は始まったばかりだ。






 ~レオ・ジーベン~


 とある森の中。すでに辺りは闇に包まれていて時折遠くの方から得体のしれない獣の声が聞こえてきていた。たき火。炎が座っている男の顔を照らし出している。表情は険しく薄茶色の猫耳がどんな音も聞き逃すまいとピクピク動いていた。たき火には彼が先程仕留めたばかりの野兎の肉が焼かれていて香ばしい匂いが周辺に漂っていた。

 彼は考えていた。あの日、聞こえてきた声のことを。


 森の主に負けて気を失い、意識を取り戻してみると、森の主はすでに倒されていて、しかもそれを倒したのはまさかの冒険者になったばかりの末の弟だった。

 両親のかたきである森の主を倒すために冒険者になった。わずか十年で三級冒険者まで上り詰め、周囲から称賛されたし、それなりに自信もあった。しかし森の主には全く通用せず、かすり傷をつけるので精一杯だった。

 三級冒険者になれたことは誇ってもいいことだ。ほとんどの冒険者は一生かけてもそこまでたどり着けないのだから。しかし同時に三級になってから自分と二級冒険者との間に大きな壁があることを感じていた。自分はいつになったらあのレベルに到達できるのか検討すらつかなかった。

 弟、ミケルの快挙に猫人族の村もケットスの街も盛り上がっていた。

 その中で自分の心だけが無表情だった。

 そして声が聞こえてきた。

 そいつはまるで古くからの友人のようにくだけた口調で心に話し掛けてきた。



 見てたよ~。残念だったね。弟ちゃんに手柄を持って行かれちゃって。

 黙れ。

 いいの? 今のままで。

 何がだ? いや、その前に、おまえは誰だ?

 このままだと君は負け犬のまま人生を送ることになるよ? いや、負け猫か。あはは。

 うるさい! 貴様は何だ? 人の心に話し掛けてくるな!

 僕はね、「ささやきし者」だよ。

 ささやきし者? それって七不思議の……。

 ああ、この世界に七つある不思議ってやつ? まあ、そんなことを言う人間もいるね。世界の謎が七つだけとは思えないけどねえ。

 いたずら好きの妖精だとか、人をたぶらかせる悪霊だとか、いろいろ言われているが、どうなんだ?

 僕はね、「理解者」だよ。

 理解者?

 僕は困った人の味方なんだ。困っている人を見るとほっとけない。その人を理解してあげて迷いを断ち切ってあげて背中をそっと押してあげる、そういう存在さ。

 俺が困っている? 何を勘違い……。

 君は旅立つべきだ。そうだな、東なんてどうだろう?

 旅だと? 俺はこの村の長老にならなければならないんだ。

 君が? 森の主にかすり傷しか付けられない君が? 三級冒険者が限界の君が?

 う、うるさい! うるさい! うるさい!

 君はもっと強くなれるよ。旅に出れば。

 なっ……、それは……、本当か?

 僕は何百年何千年何万年も君たち人間を見てきた。だからわかるよ。君は強くなれる。そういう運命にある。

 強く……、俺が……。

 君はもう自分のために生きていいんだよ。両親のかたきはもういない。強くなりたくないの? あの弟よりも。

 なりたい! もっと強く! 誰よりも強く!

 そうでしょ? それでいい。さあ、行こう。



 その後のことはよく覚えていなかった。気が付いたら彼は猫人族の村を飛び出していた。

 目的地の無い旅。強さだけを求める旅。

 自分がどこに向かうのか、たどり着く場所はどこなのか、彼が始めた旅の行方は彼自身にもわからなかった。




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