第二話「二人の女神」


 俺は冒険者ギルドから出た後、近くの広場に並んでいる屋台で揚げパンや串焼きなどを大量に買ってから神殿に向かった。


 神殿、どこの街にも必ずひとつは存在する施設だ。神殿と聞くと石造りの巨大な建造物を思い浮かべるかもしれないが、自分が元居た世界の感覚だと「教会」みたいなものだと言った方がわかりやすいかもしれない。

 この神殿で信仰の対象となっているのは世界を創造した光の女神サンエトリア様だ。そしてこの世界ではサンエトリア教徒が大部分を占めている。そのため神殿は俺たち「光の女神の信徒」にとって無くてはならないものであり、こどもの頃から通い続けている馴染み深い場所である。


 ケットスの街はそれほど大きい街ではないため、そこにある神殿も決して大きなものではない。それでも正門から入ると神殿の入り口に向かって十人くらいの列が出来ていた。純粋にサンエトリア様に祈りを捧げに来た人、願掛けに来た人、願いが叶ったことに対するお礼に来た人、理由は様々だろうが、皆、熱心な信徒であることに変わりはない。

 俺はその列には並ばず脇の細い通路に入った。その道は神殿に併設された四角い建物へと続いている。そこが神殿が運営している孤児院だった。建物に近づくにつれてこども特有の甲高い声が聞こえてきた。


 今日もあいつらは元気が有り余っているようだな。


 そんなことを考えていると孤児院の入り口から黒いワンピースを着た女性が出てきた。ちなみに神殿関係者は黒い服装をしていることが多いのだが、それは光である女神様の教えを反射させずに逃さず受け止めるという意味らしい。


「あら、ミケル君。こんにちは」


 ニコッと笑ったのは、この孤児院出身で、今は神殿の手伝いや孤児院の先生のような役をしているリンダさんだ。セーラにとってはお姉ちゃんのような存在だが、こどもの頃からここに通っている俺にとっても姉のような存在と言える。実は彼女はレオ兄のことが好きらしいので意外と本当に将来は俺の姉になるんじゃないかと思っていたりする。


「こんにちは、リンダさん。セーラたちは?」

「勉強が終わって休憩中よ。私はこれから神殿の手伝いに行くけどね。みんな、そろそろミケル君が来るんじゃないかって噂してたみたいよ」

「そうなんだ。じゃあ、お邪魔します」

「どうぞ。じゃあ、またね」


 リンダさんを見送ってから俺は孤児院の中に入った。ワイワイと騒がしくしていたこどもたちが一斉にこちらを振り返る。一瞬、間があってわあっと歓声が上がった。


「ミケル兄ちゃんだ!」

「わあ、ミケルお兄ちゃん、来てくれたの!」


 小さい子はまだ三、四歳くらい、大きい子でも十歳ちょっと、その全員が俺の元に駆け寄ってきた。


「ねえねえ、お土産ある?」


 ずうずうしくそう言ったのはガキ大将的なポジションに居るコーディーだった。確か十二歳だったと思う。人族のこどもの割に身体が大きく、ケンカになれば相手が年上だろうと構わず向かっていく気の強さが困ったところだが、それでいて小さい子にはとても優しい兄貴分だ。


「おう、買ってきたぜ、コーディー。ほら、みんなに分けてやってくれ」


 そう言って俺は持っていた紙袋を彼に手渡した。中には屋台で買ってきた物が入っている。ここには何年も通ってきているからこどもたちの食の好みもばっちりわかっていた。ケンカにならないように分けられる物を買ってきたつもりだ。歓声と共にこどもたちはコーディーのところに群がり、紙袋の中を覗き込んで大はしゃぎしていた。


「ミケル君、いらっしゃい」


 こどもたちとは違う落ち着きのある声。優しく、それでいて芯はしっかりしている、そんな性格が声にも表れていると思う。出会ったあの時も可愛らしい少女だったが、今やそこに大人っぽさも加わって可憐という言葉がぴったりの女性に成長していた。今日も黒いワンピースが似合っている。


「やあ、セーラ。君の分もあるから食べてくれよ」

「うん、いつもありがとう。あの、ひょっとして今日も魔獣を狩ってきたの?」

「ああ、スピアボアが居てさ。牙が立派だったからいつもより高く売れたんだ」

「そうなんだ。すごいね、ミケル君、私と同い年なのに。成人前なのにもう冒険者と同じことをしているんだね。でも、前も言ったけど、本当に危ないことしてない? いつもこどもたちに差し入れしてくれるのはありがたいけど、無理はしないでね?」


 そう言った彼女は本当に心配そうだった。俺だから心配してくれるのかな、と自惚れたことを思いながら、俺は笑った。


「大丈夫だよ。魔獣を狩るのは冒険者を目指している俺にとって修行みたいなものだし。無理はしてないよ。自分の実力はわかっているから勝てないような相手とは戦わない」

「ホント? 約束だよ?」

「ああ、約束するよ」


 そんな会話をしながら俺は以前にもこんなことがあったような気がすると思っていた。


 以前、と言っても、それは前世の話だ。




 俺、猫人族のミケル・ジーベンは生まれ変わる前、前世では日本人「山根光士郎」だった。東北の都会とも田舎とも言えない普通の町で生まれ育ち、地元の小中高に通い、隣県の大学に進学した、自分で言うのもなんだが、どこにでも居る一般人で、波乱万丈とはかけ離れた人生を送っていたと思う。そんな自分に突然運命の出会いが訪れた。


 相手の名は浦部都子、俺にとっては初めての恋人だった。


 彼女と出会ったのは大学に入り、ボランティアサークルに加入した時だ。彼女もサークルに入ったばかり、同い年だったが、何度か話をしているうちにお互いが猫好きであることが発覚した。実家がペットを飼えない環境だったり、そのため猫カフェに通い詰めたり、猫動画を見るのが日課だったり、何かと共通点が多く意気投合したのだ。最初は猫好きの同士、友達として「浦部さん」と呼んでいたが、いつの間にか「みやこ」と呼ぶようになり、大学を卒業して社会人になり同棲を始めた頃には「みゃーこ」なんて呼んでいた。

 二人で住み始めたのはもちろんペット可の部屋で、里親を探している猫を引き取りたいという意見が一致して二人で色々と調べていた。


 そう、そこまでは覚えている。


 そして次に気が付いたら俺は猫耳と尻尾が生えた5歳のミケル・ジーベンになっていたというわけだ。猫を引き取るどころか自分の一部が猫になってしまった。

 もし自分に起きたことがネットでよく見掛けた「転生」というやつならば、事故か病気で死んで神様におまえが死んだのはミスだったと言われて異世界で生まれ変わることになったり、または、魔王を倒すために異世界の人間を勇者として召喚する秘術が行われて、その勇者が自分、と思いきや俺は巻き込まれただけでした、とか、そういう感じになると思うのだが、自分にはそういう経緯の部分が全く記憶に残っていなかった。少なくとも自分がここに居る以上、日本人の山根光士郎はもうあっちの世界に居ないのだろう。


 そして今、目の前にいるセーラ・インレット、彼女は間違いなく、みゃーこ、浦部都子の生まれ変わりだ。金髪、青い目、姿だけ見れば、黒髪の和風美人だった前世の彼女に似ても似つかない。でもわかる。雰囲気? 性格? 魂? うまく説明できないけれど、セーラとみゃーこは同じものを感じさせるのだ。心配性ですぐ俺に約束をさせたがる、そんなところもそっくりだ。


 あの日、前世の記憶を取り戻してから俺は何度も彼女も自分のように前世のことを思い出してくれないだろうかと願い、それとなくアプローチを続けていた。

 結果だけ言おう。この十年の俺の苦労は全く実っていない。

 俺が光士郎としての記憶を取り戻したのは、あの時、誰かに名前を呼ばれたからだと思う。だから俺も間違ったふりをしてセーラのことを「みゃーこ」と呼んでみたこともある。その結果は、というと、彼女は他の女の子と自分が間違われたと勘違いして不機嫌になっただけだった。思い切って前世というものについて聞いたり、前世の二人の思い出をおとぎ話のように話してみたり、他にもいろいろ試してみたけど全部ダメだった。だから俺はもう自然に任せることにした。無理に何かをしなくても彼女は「みゃーこ」としての記憶、そして光士郎のことを思い出してくれる、そう信じて待つことにした。


 あの時、俺の前世の名前を呼んだ者。


 あれが何者だったのか今でもわからない。でもひょっとしたらあれは女神様だったのではないだろうか。そして俺と彼女を引き合わせたのも。偶然なわけはない。きっと俺とセーラの出会いには何か意味がある、そんな気がしていた。




「ミケル君?」

「……え? ああ、何でもないよ」


 セーラを俺の顔をじっと見ていた。おっと、いけない。前世の記憶のせいか、つい考え事にふけってしまうのは自分の悪い癖だ。ばつが悪い思いをしていると助け舟を出してくれたのはセーラの元に駆け寄ってきた女の子だった。


「セーラお姉ちゃん! 創世の女神様のお話して!」


 マチルダ。確か、今年で五歳になる女の子だ。おかっぱ頭が可愛い。こどもたちの中でも特にセーラに懐いていていつもべったりくっついている印象がある。そういえば女神様の神話が大好きなんだよな。俺たち光の女神の信徒が親から最初に聞かされるおとぎ話のようなもので、この世界で知らない人間は居ないと言っても過言ではないくらい有名なお話だ。マチルダはなぜかこの話が大のお気に入りで、すでに自分でも暗唱して話せるくらい覚えているのにいまだにセーラの声で聞きたがる。まあ、セーラの声は優しくて聞き心地が良いからわからないでもないけど。


「また聞きたいの? じゃあ、みんなも集まって。おやつを食べながらでいいから聞いてね」


 創世の神話は神殿にとっても重要な意味があるものだ。

 セーラはこどもたちを座らせると話を始めた。





 昔々この世界には何もありませんでした。空も地面も海も生き物も本当に何もなかったのです。

 そんな世界にある日突然「光」が生まれました。

 光には意思がありました。そしてこの世界には自分以外に何もないことに気付き「寂しい」と思ったのです。

 光はまず自分と似た存在、それでいて自分とは正反対の存在として「闇」を生み出しました。もちろん闇にも意思があり、二人は会話を始めました。

 そして光と闇は思いました。私たちは二人になった。それでもまだ寂しいと。

 しかし二人にはもう自分たちと同じ存在を生み出すほどの力が残っていませんでした。だから二人は自分たちより小さな存在を作ることにしました。

 こうして大地が生まれ空が生まれ海が生まれました。でも彼らには意思がありませんでした。

 二人は思いました。もっと小さくてもいい。自分たちのように意思のある存在を作ろうと。

 光は人族を作りました。闇は動物と植物を作りました。それから二人で一緒に獣人族を作りました。

 こうして世界は出来たのです。

 やがて人族と獣人族は言葉を使うようになりました。そして自分たちを作ってくれた創造主たる光と闇を崇め始めました。

 光と闇はその思いに応えて人と同じような姿をとるようになり、光の女神サンエトリア、闇の女神ダスハムラと呼ばれるようになったのです。

 皆が仲良く暮らす平和な時代が続きました。しかし長い時の中で闇の女神ダスハムラはこんなことを思うようになりました。

 なぜ自分は光ではないのだろう、と。

 自分はサンエトリアとは正反対の存在として生まれた。

 だから何もかも彼女とは違う。

 光である彼女はいつも明るい所に居る。自分はいつも暗い所。

 優しさの象徴である彼女はいつもたくさんの者たちに慕われている。でも生きるためには厳しさも必要だ。それを象徴する自分に向けられているのは「畏敬」に近い感情。

 まだこの世界が二人だけだった時に話し合ったはずだ。寂しいと。そして世界は変わった。でも自分は寂しいままだ。

 そう、それは嫉妬という感情でした。

 そしてついに闇の女神ダスハムラは自らを生んだ光の女神サンエトリアに戦いを挑んだのです。自分が光になるために。

 光の女神に作られた人族はそのほとんどが光の女神の側に付きました。闇の女神に作られた動物たちはそのほとんどが闇の女神の側に付きました。二人によって作られた獣人族たちはどちらにも付くことができず、戦いには参加せずに事態を見守ることにしました。

 長い長い戦いが続きました。決着が付かないまま時間だけが過ぎていきました。

 そんな、ある日、世界に新たな変化が起きました。

 神同士の戦いの影響か、この世界に五人の悪魔という存在が生まれてしまったのです。

 悪魔は光にも闇にも味方せず自分の手下として魔獣という存在を生み出して世に解き放ちました。

 こうして光と闇と悪魔の三つ巴の戦いが始まったのです。

 光の女神サンエトリアは考えました。このままでは世界が壊れてしまう、と。

 彼女はまず自分と似た波長を持っていた少女に自分の代理人としての「聖女」の名と力を与えました。

 さらに人族と獣人族たちに「称号」という、不思議な能力を授けたのです。

 光の女神は戦いを終わらせるために、ずっと中立を保っていた獣人族に人族と力を合わせて戦ってほしいと声を掛けました。

 彼らにとっては闇の女神も生みの親であり大事な存在であることはわかっていました。そのため戦う覚悟が出来たものだけが聖女の元に集まってほしいと頼んだのです。

 聖女の元に集まったのは十二の獣人族でした。

 そして聖女と仲間たちは激しい戦いの末に闇の女神と悪魔たちを倒して封印することに成功したのです。

 戦いの後、力を使い果たした光の女神は世界を聖女たちに頼んで眠りにつきました。

 その後、聖女カトリサは自分の従者として力を尽くしてくれた人族の勇者ヒューゴと結ばれ、聖女と共に戦った十二の獣人族は尊敬の念を込めて「十二支」と呼ばれるようになり、今の世界の礎が作られたのです。




 セーラの話が終わると自然と拍手が起きた。こどもたちにとっては何度も聞いている話だろうに、それでもみんな楽しかったという顔をしていた。彼女の声や話し方にそれだけ人を引き付けるものがあるという証拠だろう。

 この世界の成り立ちを教える神話。他にもこの世界には神話や伝説がたくさんあるが、それを知って俺は確信したことがある。


 この世界は俺やセーラが居た前世の世界と深い関わりがある。


 これについては絶対に間違いないと思う。例えば創世の神話に登場した十二支と呼ばれている獣人族。これは自分が前世で知っていた、あの干支の十二支と同じなのだ。

 子人族・丑人族・寅人族・卯人族・辰人族・巳人族・午人族・未人族・申人族・酉人族・戌人族・亥人族、つまり、ネズミ・ウシ・トラ・ウサギ・ドラゴン・ヘビ・ウマ・ヒツジ・サル・トリ・イヌ・イノシシの獣人たちだ。

 俺は猫の獣人だし、他にもこの世界にはいろいろな動物の獣人族が存在する中で、十二支という名称と種類が俺が居た前世の世界と偶然同じになったとは思えない。

 また、これは正直あまり言いたくないが、十二支と猫人族の話も前世の干支の話に似ていたりする。

 俺が知る前世の干支の話では神様が動物たちに「元日の朝に挨拶に来るように、先着十二番目までが一年を象徴する存在にしてやろう」と言って、猫はネズミに騙されて正月の二日に行ってしまい十二支になれず、それ以来、猫は鼠を追い掛けるようになった、というエピソードがあるわけだが、実は猫人族の先祖も聖女の元に遅れて行ってしまい、もう聖女たちは出発した後で戦いに参加できなかったという逸話があったりする。

 ただし、こちらの猫は鼠に騙されたわけではなく、聖女の所に行くかどうか迷っているうちに普通に遅刻しただけらしい。

 この話のせいで猫人族は未だにこの世界で「優柔不断で決断力がない種族」というマイナスイメージを持たれることがあるのだ。

 中立を言い訳にしてただ見ていただけの奴らより行っただけでもずっと勇気があるだろ、と思ってしまうのは自分が猫人族に生まれたからだろうか?


 こんな感じでこの世界には前世の世界の影響があちこちに見られる。


 この世界と向こうの世界の関係、俺やセーラがこっちに来た理由。

 セーラと一緒に居れば、それがいつかわかる日が来るんじゃないか。そんな気がするのだ。


 こどもたちに優しい笑顔を向けるセーラを見ていて俺はふとあることを思い出した。


「セーラ」

「え、何?」

「昔、話してくれた夢って今でも同じ?」

「夢って、大人になったら何になりたいかって教えっこした時のやつ?」

「うん」

「同じだよ。私、聖女様になりたい。聖女になってこの世界のみんなを幸せにしたい。今でもそう思っているよ」


 彼女はそう言って真っすぐ俺の目を見た。

 俺も、彼女も、もうこどもじゃない。だから今はわかっているはずだ。聖女になるという夢がどれだけ夢物語で困難なことなのか。でも彼女はそれをわかった上で今でも真剣に夢を見ている。

 神話に登場する聖女だが、現代の今でも存在している。サンエトリア教のトップ、この時代にたった一人だけの存在、それが聖女様だ。本来は選ばれし者が運良くなれるものであって目指してなれるようなものじゃないのだ。

 でも俺は決めていた。本当に、セーラが、彼女が聖女になりたいというのなら全力で支えてやる。

 そう、長靴をはいた猫が主人を助けたように、俺は幼なじみを聖女にする。

 どこかで見ているかもしれない女神様に俺はそう誓った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る