第一話「十年後」


「おう、ミケル。今日もセーラちゃんのところか?」


 村から出ていく俺に聞き覚えのある声が飛んできた。そうか、今日の見張りはルロか。顔だけじゃなく声までニヤニヤしていやがる。いつものことだ。慣れているとはいえちょっとうんざりする。次にどんな言葉が来るかわかるからだ。


「今日こそ求婚するんだよな? 男らしくどーんとやってこいよ?」


 十年、もう十年だ。俺とセーラが出会った、再会した、あの日以来、ルロの奴は俺がセーラに会いに行くと言うとすぐにこうやっておちょくってくるのだ。よく飽きないなと思う。


「ちょっと孤児院に差し入れでもしようと思っただけだよ」


「それはセーラちゃんに会うための口実だろ? おい、ミケル、人生の先輩として言っておくぞ。セーラちゃんは今やケットスの街でも評判の美少女だ。確かにおまえは彼女と仲が良い。他の男たちと比べたら一歩、いや、三歩くらいはリードしていると言っていいだろう。だけど、それに甘えて優柔不断な態度を取っていると思わぬ伏兵ってやつがやってくるんだ。だから早めに求婚して婚約しちまえ。おまえら、もうすぐ成人なんだし全然早くなんてないぞ?」


「それ、ルロの実体験だよね? 結婚を考えていた彼女をよそから来た冒険者に取られたって」


「なっ、なー、なぜ、それを!」


「レオ兄様に聞いた。二人は幼なじみだもんね」


「あ、あいつ、こどもに変なことを教えやがってー!」


 恥ずかしさと怒りで顔を真っ赤にしたルロを見て俺は上手く仕返しできたなと笑った。


「じゃあ行ってくるね、ルロ」

「おう、気を付けてな」


 ルロに手を振りながら村を出て、まずは道なりに歩いていく。そういえば、十年前、レオ兄様がセーラを街まで送っていったのがこの道だ。道といっても自分の記憶にある現代日本のような舗装されたものではなく土の地面を踏み固めただけのものだが、それでも草だらけの森の中よりはずっと歩きやすくなっている。元々は猫人族が使っていた獣道に毛が生えた程度の道だったらしいが、ケットスの街との交流が活発になってきたため人族も歩きやすいように整備されたらしい。ただひとつ難点は森に棲む獣や魔獣の生息地を避けるように作られているため道なりに進むとかなり遠回りになってしまうということだ。

 そこで俺はある程度歩いたところで道から逸れて森の中に入った。ここからはケットスの街に向かって一直線に森を突っ切るのが最短距離なのだ。それに俺は森に用事があった。

 まず俺はその辺の樹に向かって走り出した。幹を蹴って上にジャンプをして太い枝に飛び乗り、そこからその勢いのまま別の樹に飛び移り、間髪入れず、さらに次の樹に向かって飛んだ。そうやって次々と樹から樹に飛び移って森を進んでいく。我ながらすごいことをしていると思う。まるで忍者だな。前世の自分では考えられない身体能力だ。生来の猫人族の身体とこの十年間の鍛錬の賜物だろう。

 ぴょんぴょんと樹上を進みながら俺はずっと下を気にしていた。途中、鹿の群れを見つけたりもしたが、今日考えている獲物はこいつらじゃない。たぶんこの辺に……。

 居た!

 俺は目の前に見えた長い枝に向かって跳躍し、それを両手でつかむと鉄棒の要領でくるっと回転して勢いを殺して枝の上に着地した。そっと下の様子を窺うと相手はまだこちらの存在に気付いていないようだった。

 よし、いける。

 俺は腰に付けている二本のナイフのうち右の一本を取り出した。鉄製の何の変哲もない既製品だが、いざという時にも頼りになる愛用の品だ。御爺様の「自分の命を懸ける道具は自分で手入れしろ」という教えを守っていたので普段から手入れを怠ったことはなかった。

 獲物が自分の真下に近づいてくる。チャンスは一瞬。その瞬間のために集中して観察する。猪。でかい。小柄な自分の身長を軽く越える大きさだろう。それだけでも驚異的だが、そいつは身体の表面に黒い気のようなものを宿していた。

 瘴気。魔獣の証だ。

 魔獣。それは普通の動物とは違う存在だ。攻撃的で身体能力が異常に高く、中には不思議な力を使うものもいて、古来より人間社会に大きな損害を与え続けてきた。

 やつの名はスピアボア。口から生えた牙は通常の猪とは違い、真っすぐ槍のように鋭く尖っていた。一度走り出すと細い樹など押し倒すくらいの突進力があり、繁殖力も強いため、毎年のように犠牲者を出している魔獣だった。

 ……今だ!

 俺は枝からすっと飛び降りた。狙うは太い首の付け根。手にしたナイフに力を込める。

 魔力。それをナイフに流す。瘴気に対抗し得る、この世界の人間がみんな持っている力だ。すっと何の抵抗もなく太い首にナイフが刺さる。同時に俺はスピアボアの背中に着地した。やつは一瞬ぴくっと反応したが、すぐに白目をむいて地響きと共に横倒しになった。

 ふう、上手くいったな。

 手際よく魔獣を仕留められて俺はほっとした。こいつは魔獣の中では弱い方だ。一流の冒険者を目指している自分にとって、てこずってなどいられない相手だった。

 俺は討伐の証として槍状の二本の牙を切り落とし、さらに額に付いている小さな赤い石をえぐり出した。魔獣石だ。魔獣の瘴気を生み出しているものと言われていて魔獣の種類によって色や大きさは変わる。魔道具と呼ばれる魔術を再現する道具に欠かせないものなので高く売れるのだ。肉の部分についてだが、残念ながら魔獣は食べてもあまり美味しくない。たぶん瘴気の影響なんだろう。毒があるというわけではないが、我慢してこれを食べるくらいなら普通の猪を探して捕った方がいい。皮については需要がある。魔獣の皮は強くて丈夫だからだ。でも一人で解体するとなるとかなり面倒だ。だから俺は牙と魔獣石以外の大部分をここに放置していくことにした。これから血の匂いを嗅ぎつけてやってくるであろう野生動物たちの御馳走になるだろう。ここは人が暮らす場所から離れているし大丈夫だと判断した。

 俺はナイフをしまうと背負っていた革袋を下ろした。実はこれもスピアボアの皮で作られたものだ。牙と魔獣石を入れてもう一度背負い、樹上の移動を再開する。

 それから体感時間にして三十分ほどだろうか。森の終わりが近づいてくると向こうにケットスの街がはっきりと見え始めた。道だ。樹から飛び降りる。街が近いこともあり、道には幾人かの往来する人たちの姿があった。ここからは走っていくのは危険だな。俺はゆっくり街に向かって歩き始めた。

 ケットスの街。石造りの大きな壁に囲まれていて街の入り口には鉄の鎧を着込んだ兵士が二人いた。街に入ろうとする人間を一人一人止めて怪しい人間ではないか怪しいものを持っていないかチェックしているのだ。列に並んで待っていると自分の番がやってきた。二人は俺を見るとニヤッと笑った。


「おう、ミケル。今日もセーラちゃんのところか?」

「やあ、ミケル坊。どうせ今日も神殿だろ? ホント、おまえら、仲いいなあ」


 見覚えのある顔の二人。この十年間ケットスの街にはちょくちょく通っているから門番の兵士たちともすっかり顔なじみになっているわけだが、それにしても、こいつらと言いルロと言い、門の見張りをやっているやつは俺とセーラのことをからかう習性でもあるのだろうか?


「はいはい、兵士が無駄口叩いていていいの? 早く手荷物検査してよ」

「おう、じゃあ失礼するぞ。革袋の中はスピアボアの牙と魔獣石だな。ナイフ二本はいつものやつ、と。他は無しだな。よし、通っていいぞ」

「ありがとう」


 背の高い方の兵士が許可をくれたので俺は無事街に入ることができた。




 ヒワン大陸ヒワン国の東側にあるイースタ領の街ケットス。森林地帯に接していて林業や狩りを生業として生活している人たちが多い街である。人族、ケモノ耳も尻尾も生えていない前世の自分のような人たち、が住民の大多数を占めるが、今の自分のような、いわゆる「獣人族」もたくさん暮らしていて、いつも賑やかな場所だ。

 街の大通りを歩いていると時折声を掛けられる。道の両側に並ぶ店の人たちだ。食料品店のおばちゃん、仕立て屋のお姉さん、武具屋のおっちゃん、みんな、こどもの頃からの顔なじみ。みんなに軽くあいさつをしながら俺はようやく目的の場所に到着した。

 ギルド。正式名称は「冒険者ギルド」だ。自分が元居た世界のファンタジー小説でおなじみの場所だが、ほぼあのイメージ通りと言っていいだろう。かつて世界がもっと混沌に包まれていた頃は今ではおとぎ話として語られるような「冒険」がたくさん存在したそうだ。それに挑戦した、血の気の多い冒険者たちを管理するための組織としてギルドが作られ、今では魔獣退治から街の面倒事の解決までひっきりなしに依頼が集まる場所になり、その依頼を受けて生計を立てる者が「冒険者」と呼ばれているわけだ。

 ギルドに入ると右手には依頼の書かれた紙がびっしり貼られた掲示板があり、まっすぐ奥に行くと冒険者として登録したり、依頼を受けるための受付が見えた。

 そして俺が今日用事があるのは入って左側の区画だった。革袋を下ろし、牙と魔獣石を取り出していると聞き慣れた声が飛んできた。


「おっ、スピアボアの牙ね? あら、なかなかのサイズじゃない」


 目がキラーンと光ったのはこのギルドの職員の一人、ギャメツさんだ。黒髪ロング、見た目は可憐な人族の女性だが、自他ともに認めるお金大好き人間で、ギルドに富をもたらしてくれる魔獣の素材を見る目は確かな人だ。彼女が座っているここは「素材買取所」で依頼とは関係なしに魔獣を倒して手に入れた素材を買い取ってくれる場所だった。冒険者として登録できるのは満十五歳、成人になってからなのだが、この素材買取所は年齢に関係なく利用できるため俺は度々ここの世話になっていた。


「このサイズなら銀貨四枚出せるわ。魔獣石は、うん、まあ、普通かな? 合わせて、そうねえ、銀貨七枚でどう?」


 スピアボアの牙は魔力を通すことで鉄以上の強度にすることもできるので武器に使える素材として重宝されていた。ただ、大きさにもよるが平均すれば銀貨二枚くらいが普通だと思う。


「いいんですか? そんなに」

「ミケル君は常連さんだからね。依頼とは別に魔獣の素材を定期的に納めてくれる人材って意外と貴重なのよ。それに、君、もうすぐ成人でしょ? きっとお兄さんみたいに期待の新人冒険者になるのは間違いないし。今後もよろしくってことで」


 そう、上の兄様、レオ・ジーベンは十年前のあの出来事のすぐ後に冒険者になり、今やケットスの町では数少ない三級冒険者として活躍していた。そのせいもあって俺も期待されているのだろう。


「そう言ってもらえるの嬉しいけど兄様は兄様だし。俺が冒険者になったからって同じように活躍できるかはわからないよ?」


 俺がそう言うと後ろから野太い声が聞こえてきた。


「いや、おまえならレオを超えるかもしれないぜ? まあ、『称号』次第だろうがな」


 振り返るとそこには予想通りの人物がいた。ジョー・ネビル、このケットスの街のギルド長その人だ。白髪交じりの黒髪短髪、短いあごひげ、身体中に見える傷跡が歴戦の勇士であることを証明していた。今は冒険者を引退しているが、現役中は二級冒険者だったらしい。レオ兄様の弟であり、もう何年もここに通っている俺はこの人ともすっかり顔なじみだった。


 そして、そう、「称号」か……。


 何を隠そう俺が今一番関心のあるものだ。何しろこれひとつで今後の人生が大きく左右されるかもしれないのだから。

 称号、それは魔獣の居る世界で人が生き残るために神が人類に与えたと言われているものである。人族でも獣人族でもこの世界で暮らす者は満十五歳の大人になると、ある日、突然、頭の中に「言葉」が浮かぶ。

 御爺様の場合は「炎術師」だったそうだ。レオ兄様は「剣士」、ギルド長は「大剣士」らしい。頭に浮かんだその言葉は「称号」と呼ばれていて自分が何者かを表している。そしてそれはただの肩書きではなく、それを獲得すると魔力を使ってその称号にちなんだ様々な能力を使うことができるようになるのだ。本来、魔力は身体強化と武器にまとわせて攻撃力を上げるというような使い方しかできないので、称号を得れば魔力の使い道が増えて大幅にパワーアップできるということだ。俺が元居た世界で遊んでいたロールプレイングゲームでいうところの「クラス」とか「ジョブ」が近い感じだろうか。一般的にわかりやすい言葉で言い換えれば「職業」なわけだが、あくまでこれは神から与えられた得意分野みたいなもので、例えば「剣士」の称号を持つ者がパン屋さんになっていけないわけではないし、逆に戦闘向きじゃない称号を持ちながら冒険者をやっている人も居たりするので称号イコールその仕事になるとは限らない。

 だけど冒険者、それも一流の冒険者になるためには戦闘向きの強い称号が必須と言っていい。運良く強い称号を持てた者がそれに慢心せず努力を積み重ねて初めて一流の冒険者になることができるわけだ。自分がどんな称号を得られるかはその時になってみないとわからないので、これはもう運次第と言わざるを得ないのだ。もうすぐ成人を迎える、大人になった自分はどんな称号を授かるのか、俺は今からドキドキワクワクしてしまっていた。


「ジョーさん、俺、どんな称号もらえるかな?」

「んー、心配か? まあ、おまえさんならどんな称号でも使いこなせるさ」


 そういってギルド長は俺の頭をわしゃわしゃ撫でた。正直言うと少々痛かったが、俺の心配をかき消してくれるような優しさが感じられたので悪い気はしなかった。


「お、そういや、今日は素材の換金だけか? セーラちゃんの所は?」

「あ、そうだった! じゃあ、ジョーさん、ギャメツさん、もう行くね」


 俺は銀貨を受け取ると二人に手を振ってギルドを後にした。



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