最終話

 探偵社内には重苦しい空気が流れる。

「すみません!! 僕のせいで」

「私のせい」

「…………」

「いや、敦たちは悪くないよ、妾達のせいだ」

「でも、僕らがついていたのに」

「いや、妾達が読み間違えちまったせいだ。太宰の様子が可笑しかったから太宰が会う前に捕まえようと敦達に太宰を任せたんだが、まさか狙いが太宰だったなんて考えが甘かった」

「え、僕ら二人だけなのはおかしいとは思ってたんですがそんな理由が」「お前らに云ったら太宰にもばれると云わなかったんだが……」

 与謝野により怪我を直してもらった敦と鏡花が福沢の前に並ぶ。太宰が拐われたと云う知らせを聞いて飛んで戻ってきたのだった。敦の言葉に他の調査員達も頭を下げ悔いているのを見ながら激しい激昂を抑える。それを向ける相手が彼らでないことは知っている。こんなことをしている場合ではないことも。

「太宰を探すのが先だ」

 抑えながらも怒りのこもった低い声が出るのに全員が真剣な目をする。激昂しているのは福沢だけでなく全員なのだ。

「マフィアの方も今探しているとのことです」

「そうか」

 国木田の言葉に頷く。浚われたときに芥川もいたのだ。事情を聴き一時協力体制となってマフィアも太宰を浚った相手を探していた。

「それでそいつの資料は」

 福沢と共に帰ってきた乱歩がとう。用意していたものをすぐに事務員の一人が差し出した。

「あ、はいこれですが」

 受け取った乱歩はじっと資料を見つめる。全員が乱歩を見つめ彼の指示に一つですぐに動けるよう構えるのに、見つめる先の乱歩の目は徐々に大きく見開いていた。

「……」

 普段は糸目の目がまあるく見開かれて固まる。滅多にない姿に嫌な予感が背筋に走った。

「乱歩さん」

 誰かが問いかけるのに乱歩の目がぐるんと敦を向く。

「ねえ、浚われる前太宰の様子に変だったって云っていたけどどんな風に変だったの」

「え?」

 驚き今なんでそんなことをと戸惑うのに早くと促す声がする。

「どう云うって……何となく何かに怯えているような感じだったか」

「後何か妙に頑なでしたよね」

「そういえば僕も少し様子が変だなと思いました。なんか落ち着かないと云うか何処と無く怯えているような様子が」

 敦の言葉にそうかと低い声で返し、今度は福沢の方を見る。その目は鋭い。

「社長。こないだ町でマフィアと戦闘になったとき迎えに行っていたよね」「ああ、そうだが……」

「その時この人いなかった」

 乱歩から差し出される書類。それは先程乱歩が受け取ったもので乗っているのは太宰を浚った男の写真。それをなぜと思いながらも受け取った福沢はその目を大きく見開いた。記憶が思い出される

「いた。確か太宰の近くに……」

 口にしながらまさかと福沢は思った。あの日太宰が何かに怯えている風だったのはマフィアではなくこの男だったのではないか。だとしたら考えがまわるのにそうと乱歩が口にする。その音には今まで聞いたほどのないほどの怒りが宿っていた。

「どういうことですか。その男、太宰さんとなにか関係が」

 怯えながら敦が問いかけるのにぎろりと緑の目が睨み付ける。ぎりぎりとはを噛み締めながら言葉が落とされる。


「……父親だ」


 絞り出される声に全員の時が止まった。えっと音がこぼされるのに鋭い目が命令を下す。

「こいつは太宰の父親だ。急げ。急がないと太宰が殺される」


 *********


 男には怖いものなど何もなかった。

 この世で男の異能以上に怖いものなどありはしない。男の異能であればどんな相手であろうがやれる。男はそう思っていた。実際男に殺せない相手などおらず依頼されるままに多くの相手を殺してきた。男は最強だった。

 そんな男はある時、自分が死んだ後のことを考えた。今こそ男の名前が死神として彼方此方で恐れられているが男が死んでしまえばその名はただの記憶となり恐れられなくなる。いつしか忘れられるようになるだろう。

 男はそれを酷く不快に思った。

 自分の異能ほど恐いもの等この世にはない。人は永遠に自分の名前を恐れ続けるべきだと。

 だから男は一度仕事をやめ、辺境の地までへとやって来た。そこに隠れ家を立て男は女を浚った。浚った女をおかし、男は子供を産ませようとした。異能者から産まれた子供の中にはまれにその異能者と同じ異能を持つ子供が産まれる事がある。男は自分と同じ異能を持つ子供が産まれることを望んだのだった。

 その子供に自分の技、すべてを教え込み、次の自分に仕立てあげるために。そしてその子供も全く同じ異能を持つ子供を作り、その子供に技術を伝えていけば永遠に自分の名前が恐れられることになる。

 男の歪んだ考え。

 その考えの元、何人者女が連れ浚われ、犯され、何人者赤子が産まれ殺された。男と同じ異能を持つ子供は中々作られず男は焦った。このままでは己の名前が失われる時がくる。そんなことはあってはならないのだと男はさらに多くの女を浚った。

 そんなある日、一人の子供が産まれた。

 その子供は男と同じ異能を持っていなかった。

 だがその子供の存在が男を大きく揺さぶることとなった。

 その子供に男の異能は全く聞かなかったのだ。子供の持つ異能は異能をなかったことにしてしまう異能。自身の異能を最強だと信じて疑わなかった男の自信をそれは根こそぎ奪い去った。

 その子供が生まれた日から男は如何に子供を殺すかを考えるようになった。女を浚って自分の子供を産ませるのを止め、何かに取り憑かれたように子供を殺すことだけを考えた。自分の手で殺そうと思えば産まれたばかりの子供を簡単に殺せる。でもそれでは自分の異能が最強だという証明にはならない。

 自分の異能だけで赤子を殺さなければならなかった。子供を生かしながら何年も男は子供を殺す方法だけを考え続けそれを試し続けた。

 七年間、子供は男の元に囚われ続け、男は子供を殺そうとし続けた。

 その子供こそ、太宰治であった。



「まさか、お前が生きていたとはな。あの日やっと死んだと思っていたのに」

 憎しみを込めた目が太宰を見、殺意を込めた声が太宰に届く。男の声が聞こえてくるのに太宰もまさかあの日生きていたとは思わなかったと心の中で返した。

 暗く窓もない部屋。

 あるのはたった一つの鉄の扉だけ。冷たく固い床。漂う嫌な臭い。

 あの頃に戻ったかのような、全てあの頃そのままの部屋に太宰は昔を思い出していた。

 この冷たく血の臭いが充満した部屋に閉じ込められ、毎日パンひとつを与えられ、男が疲れるまで何時間も殺意を向けられ、異能という刃を振るわれ続けた。そんな日々。

 何故生きてるのか。何のために生きているのか。それすらも分からなかった。

 ただ毎日のように殺されかけ、死ねという言葉を浴びせ続けられる。

 そんな日々の最後はとても苦しいものだった。

 男の編み出した方法。水の壁に閉じ込められ酸素を奪われる。逃げ出せないようにぶつけられる水の球は異能で消せても触れる一瞬の衝撃だけは消せない。吹き飛ばされ続け逃げ出すこともできない。

 やがて息が出来なくなり、苦しみに悶えて意識を失った。

 男はそんな太宰を見て死んだと思った。そしてすぐにその場から離れたのだろう。太宰がその後、目を覚ますとも思わず。

 目を覚ました太宰が見たのは開け放された扉。その扉から外に出た。


 嘗ての事を思い出しながら太宰は今の現状を見る。四方から打ち込まれる水の球。そして太宰を取り囲む水の壁。隙間なく覆われたそれは酸素を奪っていく。あの時の事が頭の中に過る。

 違うのは足元に転がる何か。もわもわと煙が立ち上がっていくのを水の球を浴びせられながら見つめる。良くない匂いが鼻を掠める。毒だとすぐに気付いた。

「今度こそお前は死ぬ! 俺が、俺の異能こそが最強なんだ」

 男の声が聞こえるのにそれはどうだろうと思った。幼い頃の太宰はこの男こそ全てだと思っていたが、今は違う。色んな人を見て色んな人と関わってきて最強だとは思わない。とは云え。

 太宰を殺すと云う一点においてはこの男程のものはいないだろう。ずっと太宰を殺すことだけを考え続けてきたのだから。

 これは死ぬなと冷静に太宰は判断をくだす。

 なすがままに水の球を打ち付けられる。毒を吸い込んでしまったせいかもう既に体には力が入らない。

 息苦しく肺が痛い。身体中が悲鳴をあげるように痛く何も考えられない。


 死ぬ。

 かつてここで死にぞこなった子供が今度こそここで死ぬ。それはある意味当たり前のように思えてそれで良いやと思いながら何故か太宰の喉は叫んでいた。体の痛みに喉の痛みが加わるほどに叫んでいた。

 頭に浮かぶ幾つもの影。


 その時、太宰は気付く。私は今助けを求めているのだと。まだ彼らのもとにいたいのだと。



 乱歩が突き止めた男のアジトは横濱から少し離れた山の中にあった。山の中にある小さな小屋。そしてその下に作られた地下室。そこに太宰は閉じ込められている。その場所に向かったのは探偵社調査員全員であり福沢もまた共に来ていた。

 地下室にはいれば太宰の悲鳴が轟いていた。隙間から聞こえてくる死ねという言葉。

 それを聞くと共に全員が走り出していた。

 男の姿が見える。扉の向こうに向かって異能を使い続ける男は背後に迫る福沢らには気付かない。水で覆われ見えない向こうから太宰の悲鳴が聞こえ続ける。

 気づかぬ男に後ろから襲いかかる。全員の拳が降り注いだ。

 男が気絶してその異能が溶けていく。太宰の姿が見えた。傷付いたその体が床に吸い込まれるように倒れていく。倒れていく体に福沢の手が触れた。打ち付けられようとしていた体を福沢が抱き止め抱き締める。

「太宰!」

「太宰さん!」

 名を叫べばうっすらと太宰が目を開けた。

「しゃ、」

 安心したように太宰が笑みを浮かべる。云おうとした言葉は途中で途切れ聞こえなかった。みんなが覗き込んだときには安らかな顔で眠りについていた。


 *********


 ぱちりと目を開けた。暗い部屋。目に写るのは天井。暖かなベッドに横になっているのに気づいて太宰は起き上がった。ぐらりと頭が揺れ痛んだが、それでもベッドからでて彼は歩いた。医務室をでて誰もいないことを確認し給湯室へとはいる。椅子を運び戸を開ける。ちょっとした調味料が並ぶのにその中の一つを手にする。蓋を開け指に取って舌で舐めた。

 ただそれだけの動作に長く時間をかけた。一つ一つの動きの間で止まり震えてしまいながら最後の動作までたどり着く。舌に乗ったざらざらとしたもの。それと同時に広がりだす甘い味。

 知らず太宰は甘いと呟いていた。

 その表情は驚愕に見開いており、次第に泣き出しそうに歪む。何かを口にして美味しいと思うことを感情があることを知ったのは十歳の時だった。この世には甘いだとかしょっぱいだとか辛いだとか云う言葉があって食べ物には味と云うものがある。その味を感じて美味しいだとか人は思ったりするのだと知識として知った。だが太宰はそれを知識として知っても実際に感じることはなかった。何を食べてもすべて同じでなんの味も感じない。

 味と云うものがなんなのか太宰は初めから知らなかった。

 それなのに太宰は今、甘いと感じた。

 太宰は今までの記憶を思い出していた。閉じ込められていた頃の記憶だけではなく、太宰が自分から薬を飲んで忘れた。今までのすべての記憶も。

 それらを思い出した今もまた甘いと感じることができた。

 もう一回舐める。甘い味が広がると共に太宰は探偵社のみんなの事を思い出す。幼くなった太宰を見捨てることなく優しくしてくれ、色んな事を教えてくれた彼ら。彼らの手は暖かかった。彼らの笑みは優しかった。

 ああと太宰の口から音が漏れる。

 産まれてからずっといきる意味が分からなかった。何度も繰り返された死ねと云う言葉。あの世界からでたあとは多くのものは太宰を気味悪く思い避けた。人じゃないと云われた数はどれ程であっただろうか。父に否定され、誰かに否定され自分ですら見つけられなかった自分のいきる理由。

 だから太宰は一度で良い。たった一人でも良いそれでもいいから


「私誰かに愛されたかったんだ」


 生きても良いよと許されたかった。生きてほしいと願われたかった。

 太宰の目から涙が溢れた。小さな手が顔を覆う。嗚咽を漏らし膝から崩れ落ちていくのにぱちりと部屋の明かりがついた。

 驚いた太宰が振り向く。

 そこにはいつの間にか探偵社員全員がたっていた。

「ホントお前はバカだね」

 目を見開いた太宰を前に乱歩が口にする。

「太宰さんのバカ! 僕らずっと太宰さんが好きに決まっているじゃないですか!」

「小僧の云う通りだ、この大馬鹿者が!! 出なければ貴様のような唐変木遠の昔に海に放り捨てておるわ!!」

「私は貴方のこと大好き」

「僕もナオミも太宰さんのこと大好きです」

「そうですわ。とても大好きですわ」

「僕も太宰さんのこと大好きですよ。当たり前じゃないですか」

「そうだね。当たり前に妾だってあんたのこと好きだよ、太宰」

 口々に云われる言葉に太宰の口がぱかりと開いて肩が震えた。みんなを代表するように福沢が太宰の前に立った。

「太宰」

 太宰の名を呼ぶ。響きは柔らかく優しい。

「我らはずっとお前を愛している。お前が小さくなるずっと前からちゃんとお前のことを愛していた」

 ひくりと太宰の喉から音が出た。塞き止められていた涙がぼろぼろと流れ落ちていく。

「だって、だって……」

 震えた声が落ちる。

 産まれたときから否定されてきた。誰も彼も太宰を認めてくれなかった。だから分からなかったのだ。だから太宰にはどうしたって思えなかったのだ。自身を愛してくれる人がいるだなんて信じられずにいたのだ。

 泣きじゃくる太宰に福沢がその両腕を差し出した。何かを云われるよりも早く差し出された両腕のなかに太宰は飛び込んでいく。

 暖かい胸が太宰を迎え、そのたくましい腕に抱き抱えられる。涙や鼻水で着物が汚れるのに離れようとした太宰を福沢の手が胸元に押し付ける。抑えようとした涙がこぼれた。子供のように泣きじゃくる太宰のもとにみんなが集まり、次々と太宰の頭を撫でていく。

 優しい手が幾つも降り注ぐ。


  *********


「何か、恥ずかしいです」

 もう私記憶戻っているんですよ。

 電気の消えた部屋の中、福沢と乱歩に挟まれた太宰は頬を染めながら訴える。しかしながら返ってくるのは軽いものだ。

「大丈夫。記憶思い出したっていても姿は子供のまんまなんだから。気にすることはないよ。

 それに自業自得なんだから元に戻るまでは子供扱いされるといいよ。それとと薬どこから盗んできたのか云うつもりになった」

 乱歩の言葉に途中まではでもなんて不満げにしていた太宰。だが最後の言葉にうっとして黙りこむ。乱歩から逃げるように福沢に身を寄せた。ぎゅっと抱き込まれて頭を撫でられるのに文句を云っていたはずなのに嬉しそうであった。


 記憶が戻ったその日はもう遅いと云うことで医務室の床に布団を敷いて全員一緒に眠りについた。朝になって目覚めると太宰が飲んだ薬は何なのか取り調べが行われたが適当なところから盗んだから覚えていない。解毒剤などはないと太宰は話したのだった。半分は本当で半分は嘘だ。解毒剤がないのは確かだが盗んだ組織がどこであるかは覚えている。その組織を捕まえるなり薬を盗み出すなりしたら手にはいった薬で解毒剤を作れるだろう。それぐらいの宛なら太宰でなくとも探偵社ならある。きっと一ヶ月もしないうちにできるだろう。

 だから太宰はいいたくなかった。

 記憶を思い出した後も子供扱いされるのは少し恥ずかしいが、でもまともな子供時代を送ってこなかった太宰にはどれもこれもが新鮮で温かく手離してしまうのは少し、いや、かなり寂しかったのだ。

 今だって親子のように川の時で眠る状況は恥ずかしいと思うのだけど、左右から感じる温もりは心地よいのだ。

 福沢にベッタリと張り付いていれば後ろに乱歩がくついてくる。逃げたのは自分だがくっついてくる体温に口許は緩む。

「まあ、暫くはお前の好きなようにしたらいいよ。付き合ってあげるから。ねえ、福沢さん」

「ああ、そうだな。今暫くはこの姿でいるといいだろう。それでお前が甘えられると云うのなら。だが、太宰。ひとつだけ覚えておいてくれ。どんな姿であれ、私たちはお前に甘えてくれていいと思っている」

 きょとりと太宰の目が瞬いた。福沢を見上げ、そして乱歩を見、暫くしてからその顔に笑みが浮かぶ。福沢の元に幼い体が引っ付いていくのにさらに三人の距離は近くなった。







後書き

今まで見てくださりありがとうございました。

また何かしら連載していければいいと思いますので、よければ読みたい福沢さんと太宰さんの絡みで見たいお話あれば教えてください

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Happiness どらっぐ わたちょ @asatakyona

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る