第8話


「だ、太宰君!!」

 聞こえてきた声に太宰は振り向いた。聞き覚えのない声ではあったが呼ばれた名は自分のものであったから。振り向いて太宰はしまったと思う。見えたのは明らかに変質者だったのだ。汚れた黒い髪に着崩れたボロの白衣。無精髭。それだけでも十分なのに変質者の赤い目はぎらぎらと血走り体全体がわなわなと震えている。極めつけばぐにょぐにょと動くいやらしい手。太宰の足が一歩後ろに下がった。

 警戒するのに変質者は近付いてくる。

「太宰君!! 本当に太宰君なんだね!!」

 男があげる嬉々とした声。ぞわりと背が粟立つ。身体中に鳥肌がたつ。もう一歩下がってしまった。

「あーー、可愛いーー!! 何でそんな姿してるんだい! 良いなあ!! 昔のことを思い出すよ。可愛い可愛い!! えーー、お持ち帰りしたい!! お持ち帰りして良いかい!!」

 逃げ出しそうになりながらも昔と云う単語に太宰は反応する。探偵社の誰も昔のことは教えてくれない。自分が本当はこんな小さな子供でないことに気付きその話をしてるのにそれでも誰一人正しい太宰の話をしてくれない。お前は気にしなくても良いのだとそれだけを良い、どうして己がこんな姿になったのか知りたいのに、どんな自分だったのか知りたいのに教えてくれない。

 少し怪しいがこの人ならその知りたいことを教えてくれるのでは。そう考えて立ち止まってしまう。

「おじさん」

 太宰が口を開くのに変質者である男が叫んだ可愛いと。顔面の崩れた変な顔をするのにやっぱりやめようかなと思いながら太宰は問いを続ける。

「おじさんは僕のこと知ってるの?」

 おやと可愛いを連呼していた男の声がやむ。ふむと顎に手をあてる仕草をする男に向かって太宰は思った。この人見た目はあんなんだけど、考えるのは早い人だと。逃げ道を決めとかないと。そう考える前で男の顔がだらしなく歪む。

「私は君のお父さんだよ」

 絶対違う。それが太宰が一瞬で思ったことだった。

「ほら、パパって呼んでみてごらん」

 にこにこの男が笑うのに太宰は首を振った。呼びたくないと本能的に思う。

「そんなことは云わずにパパって」

 首を振って後ろに足を動かす。男が笑顔を浮かべながら近付いてくる。手を伸ばされるのにどうしようと思った時、リンタロウと太宰にとっては救いの神が現れた。ハっと男の視線が声の聞こえた方をむく。あ、エリスちゃんと男が声をあげる。その好きに太宰は走った。ここにいてくださいよと云う敦の言葉を思い出し悪いとは考えたものの今はそんな事を云っている場合ではなかった。

 男が逃げる太宰に向かって待ってよと叫ぶ。



「太宰さん!!」

「太宰!」

 太宰が探偵社に戻るとそこは阿鼻叫喚の渦であった。いなくなった太宰を探してくれたのかみんな汗だくで必死の形相をしていて、太宰が中に入ると一瞬動きを止めてから全員が飛びかかってきたのだった。

「太宰さん!!何処行ってたんですか! 探したんですよ」

 一頻り揉みくちゃにされた後、太宰は椅子に座らされ全員に囲まれる。調査員だけでなくみんないる。福沢も恐い顔をして睨んでいた。

「だって」

 さしもの太宰もこの雰囲気には圧されたものの自分は悪くないと思っているので声を出す。

「変な人に声をかけられたんだもん」

「変な人」

 剣呑になった声が揃う。ぴくりと太宰の肩が震えた。

「うん。白衣着た変なおじさん」

「白衣」

 福沢と与謝野がその言葉に反応し眉を寄せる。

「うん。僕の名前を呼んできたから知り合いかなって思って話しかけてみたんだけど……。そのあと僕のお父さんだとか云い出して。パパって呼んでて迫ってきたから。金髪の女の子がリンタロウってその人を呼びに来た隙に走って逃げたの。でも道が分からなくなっちゃって帰るの遅くなっちゃった。

 ごめんなさい」

 部屋の中が静まり返り殺意らしきものが漂い出すのに太宰は肩を竦めた。

「太宰。そのおと、いや変質者はリンタロウと呼ばれたのだな」

 福沢から抑えられないオーラが漏れ出すのに後ろに逃げ出しそうになりながら太宰は頷いた。知り合いだったのかなと思うところに着信音が鳴り響く。福沢にじっと目線が集まる。鳴っているのは福沢の懐でであった。福沢は緩慢な動きで取り出す。ぴっという音。もと云う声が聞こえた瞬間に壁に向かって投げつけた。

 ごんという激しい音にミシリという音が響く。ぱらぱらと何かが落ちていき、携帯は微塵も動かない。突き刺さってしまっている。

 びっしりと固まってしまった太宰に目を向ける。怯えた目を向けてくるのにゆっくりとその頭を撫でた。

「いいか、太宰。今後名前を呼ばれても知らぬ声なら絶対に振り向くな。すぐに私達の誰かに連絡をしなさい。後今日あった変質者を見掛けても連絡してこい。良いか変質者には近付くな。出来る限り遠くに行き私達が迎えに行くまで隠れていなさい。分かったな」

 真剣な眼差し。周りを見れば全員同じ目をしていて太宰はこくりと頷いた。それにほっとした笑みを浮かべ太宰を抱き締めようと沢山の手が伸びた。


*********


 太宰はきょとんと首を傾けながら箸を口元に持ってきた。掴んだものを食べながら、んーと深く首を傾け両隣を見る。何だか今日はやたらと距離が近い気がしていた。いつもなら太宰の正面にいる筈の福沢が右隣にいるし、それに両隣とも肩が当たりそうなほどの距離に座っている。

 何でだろうと首を傾けるのに今日の客人である与謝野が声を掛けてきた。

「太宰。今日は大丈夫だったかい」

 心配げに見上げてくるのにもきゅもきゅと食べていたものを飲み込みうんと頷く。

「うん。怖かったけどもう平気だよ」

 ほっとした吐息が聞いてきた与謝野だけでなく福沢からも聞こえてくるのにああ、だからかと納得した。がしがしと髪をかき大袈裟なため息をつく与謝野を見上げながら聞きたかったことを口にした。

「たく。あの男も何考えてんだかね。パパだなんて今まで呼ばれたこともないくせに」

「ねえ、僕とあの人ってどんな関係なの」

「関係ない」

 両隣から間髪いれずに返ってくる答え。それにちょっと眉を寄せる

「名前知ってたよ」

「知ってるだけだ」

「……昔のとか云ってたけど」

「あの男の狂云だから気にしなくてもいいよ」

 問いかけを口にしても凄い勢いでそれぞれ切り捨てられる。あんな男のことなど気にする必要はないと云われるのにむくっと頬が膨れた。じっとじとめでそれぞれ見つめるが涼しい顔をして食べている。これ食べるかなどと口元に運んでくる始末だ。

「…………本当にお父さんなの」

 そんな二人なのでつい絶対あり得ないだろうなと思っていたことを口にしてしまった。

「違う。絶対にない」

 今まで以上に激しい否定の声が入るのにそうだろうとは思いながらも納得のいかない目で見上げる。

「本当だぞ」

 困ったようにしながら福沢が云うのにそれは分かるけど唇を尖らせて太宰は呟く。

「じゃあ、僕のお父さんって誰なの? 子供には親がいるんでしょ。僕の親はどんな人なの」

 こんなこと云っても無意味だろうと云うことは太宰には分かってる。それでもあの男に父親だよと云われたときからずっと気にかかっていた。

「それは……」

 口ごもる福沢を見上げる。反対側の与謝野もみると彼女も困ったようにしていた。

「知りたいのか」

 暫くして問い掛けられたのに悩む。気にかかってはいる。父親だと云われたときに絶対違うと感じた。その前にほんの少しだけ得たいの知れない何かを感じ取った。自分のなかでぞわりと蠢くような何か。その一瞬背筋が粟立って体中に鳥肌がたった。それがなぜなのか知りたい気持ちがある。でも、

「んーー、あんまり。でもなんか……。少し、うーん、分かんないや。パパって云われてなんかモヤモヤしたの」

「そうか」

 一生懸命自分の中の何かと向き合って言葉を紡いだ。気になるような、でも、よく分からない気持ち。太宰が唇を尖らし今までに見せたことないほど不安げな顔をするのにどう返して云いか分からず福沢は淡白な返ししかできなかった。太宰は不安げに机の上を見つめ、福沢はどうしてあげればいいのかと太宰を見つめる。奇妙な空間をどうしてやれば良いのかと眺めていた与謝野なあっと、声をあげた。名案が浮かんだのだ。

「社長でいいんじゃないかい。父親」

 彼女が口にしたのに二人が驚きの声をあげる。

「へ?」

「おい」

 目を見開く二人を見つめて彼女はうんうんと頷く。半分思い付きで口にしたことではあるもの実際考えてみるとこれ以上ないほどの名案と思えたのだ。

「良いじゃないか。もうずっと一緒の家に住んでいるんだ。もう半分家族みたいなものだろう」

 福沢に向けて問いかければむっと固まる。福沢とてそんな風に思っていたのがよく伝わる動きだった。それでも戸惑うのか福沢はだがと躊躇いの言葉を口に出すがその前に太宰が声をあげていた。

「いいの?」

 躊躇いながらでも僅かな期待をのせて両方に声をかけるのに否定しようとしていた福沢も固まる。

「……だって、僕子供じゃないよ」

「いいんだよ。どうせ福沢さんも乱歩さんしか子供いないんだしね」

「でも……」

「どうせ父親なんて知らないんだ。それなら好きなやつを親にしちまえばいいよ。親ってのは育っててくれる人のことさ。

 太宰は嫌なのかい。社長が親なの」

 ぶんぶんと首を振って福沢を見つめる。

「……いいの?」

 その目に写る期待。

「……私はいいが」

 期待を裏切ることもできず、また福沢にとっても悪くない提案だったのもありほんの数秒考え込んだ後、答えた。ほんのりと口角をあげるのに喜びで太宰の顔が赤く染まる

「良かったじゃないか。太宰。これで社長があんたの親だよ」

「………お父さん?」

 与謝野の言葉に嬉しそうに力強く首を振った太宰はその姿のまま数秒かたまった。どうしたのかと見つめる中、嬉しそうに一言呟く。浮かべていた微笑みが崩れるのをにやにやと与謝野が見ていた。


 *********


「太宰君!」

「太宰さん!!」

「太宰!!」

 聞こえてきた声に探偵社にいた全員の顔が歪んだ。

「帰れ!」

 思わず敦は叫んだ。鏡花は異能を発動させる。国木田や賢治も攻撃準備を整え、谷崎と与謝野、さらに事務員たちも太宰を事務所の奥へと隠していた。太宰だけが何が起きているのか理解できず目を瞬かせる。

「ちょ、何なんだいこれは。太宰君に会いに来たんだから太宰君を出して欲しいんだけど」

「てめぇら太宰を出しやがれ!!」

「太宰さん太宰さん」

 喧しい声が己の名を何度も呼ぶのに興味を抱いたのか太宰はぴょっこりと顔を出そうとする。囲む周りがそれを押し込める。

「駄目です。太宰さん」

「変な人に浚われちまうよ」

「でも」

 太宰が見つめようとする先では今だ太宰太宰と喚き続ける変人たち。それに応戦するように調査員たちが声をあげ帰れと怒鳴る。聞こえてくる喧しい声。聞こえてくる声のなかから一度だけ聞いたことのある声が聞こえるのに気付いた。

「こないだの変な人来てるの??」

「ああ、だから動いちゃ駄目だよ」

「うん」

 頷いた太宰にホッとして事務員たちは太宰をさらに奥に隠していく。ぎゅうぎゅうにつめるその場所は明らかに不自然でやって来た者達の視線はそこに集まるものの調査員達が立ちはだかって安易には立ち寄れないようになっていた。

 探偵社とマフィア。攻防が続くのに開いたままの扉から低い声が聞こえた。

「何をしている」

 きんという甲高い音が響く。声とほぼ同時であった。先頭にいた森のすぐ近くで突然現れた金髪の少女とそして福沢がそれぞれの武器を交じ合わせていた。社長と喜びに満ちた声が探偵者からはで、マフィアからは嫌がる声が出た。げっという顔を真っ先に狙われた森がする。

「出掛けていたんじゃなかったんですか」

「嫌な予感がしたから帰ってきた。何をしている」

 問い掛けていたのに返ってきた声。ちっと舌打ちがマフィアから落ちた。福沢がいないときを狙ってきたのがわかりますます探偵社の視線は強くなる。

「子供に会いに来ただけなんですから邪魔をしないでいただきたいですね」

「貴殿の子などここにはおらん」

「いいえ、います。太宰くんが幼くなっているのはもう知っているんですからね」

「太宰はお前の子じゃない」

「子供ですよ幼い頃から私が育てたんですから!」

「知らん」

 激しい攻撃の合間、続けられる言葉の掛け合い。その中に聞こえてくる言葉に太宰は人垣のなかでむくぅと頬を膨らませた。

「僕。あんな人知らないもん。あんな人の子供じゃない」

「そうだねぇ、あ、そうだ。太宰」

 拗ねた太宰の頬をもちもちしながら与謝野のはニヤリと笑みを浮かべた。何だろうと見上げてくる太宰にこそこそと吹き込む。周りで聞いていた事務員たちがそれぞれの表情で与謝野を見た。面白そうと云うものだったり、本気でやらせるんですかと云うものだったり様々だ。

「それやればいいの?」

「ああ、面白いのがみられるよ」

 太宰が問いかけるのに笑みを浮かべる与謝野。

「??」

 何が面白いのか全く分からないけれど与謝野が云うならそうなのだろうと太宰はすくっと立ち上がった。首を傾けながらも人垣のなかから出ていく。とことこと騒ぎのなかに向かっていた。

「え? 太宰さん!!」

「太宰、なんでそんなところに!」

「太宰! てめぇ、このくそ鯖なんでそんな姿になってやがんだよ!!」

「太宰さん!!」

 太宰に気付いた幾人かが呼び掛けてくる。全く見知らぬ相手が声をかけてくるのに誰だろうと思いながら太宰は目的の場所。福沢のすぐ傍まで来ていた。太宰君と奇妙な顔をして森が呼ぶのを無視して福沢を見つめる。

「太宰、ここはあぶ「お父さん!!」

 下がれと云おうとした福沢とは反対の行動を太宰は取った。叫んだ言葉と共に福沢に飛びついっていたのだ。小さな体が飛び掛かってくる。咄嗟に刀を床に突き立てて両腕で幼い体を受け止めた。腕のなかでいまだに?を浮かべ続ける太宰と目が合う。ぎゅとすり寄ってくる太宰。奇妙なほどに静かな瞬間だった。


 一拍遅れて、

「はぁああああ」

叫び声が聞こえた。抱えていた片手を離して刀を握る。きんという音をたてて顔の直前まで近付いてきていたメスを凪ぎ払った。鋭い目が驚き血走った目をする相手を睨み付ける。

「太宰にあったたらどうするきだ」

「私があてる筈ないでしょ。それよりなんで貴方が太宰君にお父さんなんて呼ばれてるだい! 太宰君の父親は私だからね」

 ここは譲れないとばかりに怒鳴る森を福沢は分かりにくいが勝ち誇った顔で見つめた。片手で太宰をしっかりと抱えあげる。ぎゅっと力を込めるのに太宰もさらに近づいてきた。

「先日そうなった」

「先日なったんだよ。太宰も喜んでる。ねぇ」

「うん」

 福沢の声にあわせるように与謝野が訪ねてくるのに太宰は大きく首を縦に振る。

「騙されてる。私が君のパパなんだよ!!」

 必死な形相になって森が叫ぶのにことりとわざとらしく太宰は首を傾けて見せた。

「お父さんは福沢さんだよ」

 愛らしいまでの姿で口にするのにマフィアも探偵社も固まる。太宰だとその場にいる全員が思った。

「ねぇ、お父さん」

 大きな目で見上げてくる姿はほぼ演技。太宰の名残を強く見せる。だけど僅かに覗くきらきらと期待した目は確かなものだった。そうだなと頷いて片手で太宰の頭を撫でる。

 半目の目が福沢たちを見ていた。

「やるよ」

「はい」

「了解」

 ぞくりとするほど冷えきった声が森からでるのに固まっていたマフィアはやる気を取り戻す。

「やるぞ」

「分かりました」

 太宰を抱えた福沢が声を出すのに探偵社もまた太宰を守るため戦闘体制を整えた。


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