第6話


「……めでたしめでたし」

 ぱたんと閉じた本。本から顔をあげて国木田が覗き込むとすやすやと布団の上、太宰が寝息をたてている。眠ったなと声が掛かるのに慌ててはいと答える。

「すまなかったな。太宰の我が儘に付き合って貰って。与謝野やナオミに教えてもらったらしいんだが、私がやるとどうにも怖いと云われてしまって」

 まあ、確かになと福沢の話を聞きながら国木田は納得してしまう。師であり上司でもある福沢を尊敬しあまり悪く云いたくはないのだけど、それでも本を子供に読み聞かせるには向いてないと思ってしまう。低い声は普段からして威圧感が強い。その声で読み上げられても恐いだけだろう。とはいえ国木田も国木田で何度も固いもっと柔らかく読んでよと云われていたので似たようなものではあろうが。

「大変だっただろう」

「いえ、そんなことは……」

「無理はいい。お前はどうにもこの太宰にはまだ慣れていないだろう」

 ぴくりと国木田の動きが固まった。いえ、と云いにくい言葉を出すのに無理はするなと返ってくる。

「お前は太宰と一番近かったからな。受け入れられないのも仕方ない」

 福沢の言葉にギィリリと唇を噛み締めてしまう。受け入れているつもりではある。だけどそれができていないのも分かっていた。へらへらと笑う顔が浮かぶ。国木田がずっと見てきたものだ。それが作られたものであることは気付いていた。

「お前の気持ちは私にも分かる。社の長としてそれなりに太宰の事を見ていたつもりだったが、だが今の太宰と暮らすようになって何も見えていなかったことに気付いた」

 他のものたちもそうだろう。だからこそ色々と皆世話を焼く。聞こえてくる言葉を聞きながらかつて太宰と過ごした日々を思い出す。云いように扱われては怒鳴るばかりだった日々。能力を認めていたからこそあの性格はどうにかならないものかとずっと考えていた。どうにかまともに更正させてやろうと意気込んだいた時もあった。だけど今の太宰を見ていると思う。必要だったのはそんなものではなかったのではないかと。もっと別のものだったのではと。

「俺は此奴の相棒として乱歩さんを覗いた探偵社の中では此奴の事を一番理解しているつもりでした。ですがそんな事はなかった。大切な事を見えていなかった。だから相棒として太宰に何をしてやれるのだろうかとずっと考えていますが、答えはでません」

「私もそうだ。多分皆そうだろう。今は精一杯太宰に愛情を注ぐことを考えているがだけどこれが正解なのか分かっていない。記憶を思い出したとき太宰がどう思うのか正直恐い。だが今はこの子に穏やかに過ごしてもらいたいと願うから兎に角今できることをしたい。お前もそうしていけばいい。色々考えてしまうがそれでも分からないのだから、今できることをやるしかないだろう」

 福沢の手が眠っている太宰の頭を撫でるのを見つめる。その手にすり寄りふふと口許を綻ばせる姿は幼く穏やかで太宰だとはとても思えない。太宰が太宰から離れていく度、思うことがある。本当は太宰も……。

「お前は少し考えすぎなところがある。そう色んな事を考え背負い込むな」

「はい」

 国木田を見ていた福沢の目が太宰に移った。その頭を撫でながらもう少しここにいようかと声にしてきた。幼い寝顔みながら福沢のほんのり口許が緩む。そうですねと答えた国木田の口許も緩んだ。



 ガバッと国木田が起き上がるともう既に日が沈む時刻であった。昨夜福沢と話した後からの記憶がどうにも曖昧で知らぬ間に寝入ってしまっていたようだった。福沢がかけてくれたのだろう布団が体には掛けられていた。

 起きたかと云う声に隣を見る。そこには畳の上横になっている福沢の姿と笑顔を浮かべている太宰の姿。

「すまないな。よく眠っていたもので昨夜はそのままにしてしまった」

「いえ、社長は何を……」

「私も二人を見ていたらすぐに寝入ってしまってな。起きたものの」

 福沢が太宰を見る。クスクスと笑う太宰は朝から大変楽しそうだった。こんなに上機嫌なのはこの姿になってからも滅多に見たことがない

「僕知ってるよ。こないだ見たの。こう云うの川の字って云うんでしょう。家族がするの何だか家族みたいで楽しいな」

 ん、とその言葉に固まってしまう。数秒考え込んで国木田はもう一度横になる。太宰がまた眠るのと聞いてきたのにもう少しだけなと答えた。


*********


「お邪魔します」

 福沢の家、谷崎とナオミが挨拶をすると太宰がたったと駆け寄ってきた。ぎゅと足元に抱きつくのを不思議に思い見つめながら、福沢は何時ものように居間の方に彼らを案内する。

「適当に座っていてくれ」

 福沢が厨に行こうとするのにあと二人の声が重なる。んと振り向いた福沢に谷崎とナオミは笑みをみせた。その足元で太宰が隠れながら福沢を見ている。

「それなんですが」

「今日は私たちも夕食作るのお手伝いいたしますわ」

 云われた言葉に目を見開く。最所こそみなから何度も云われてきた言葉であるが折角太宰のために来てくれているのだからと何度も断り今では誰も云わなくなっていた言葉である。

「いや、太宰の」

 相手をしてやってくれと云おうとしたのが止まる。分かってますけどと谷崎が口にした為だ。ではと云おうとしたとき谷崎が太宰を見つめる。足元で隠れている太宰の背を小さくだが押した。

「その太宰さんの頼みなんです」

「太宰の」

 驚き繰り返す福沢にええとナオミが答えた。谷崎と同じように太宰の背を押し促す。

「福沢さんのお手伝いをしたいって……」

 ねぇと二人に笑いかけられるとぴくりと太宰の肩が震える。そして大きな目が福沢を見つめる。じっとみつめ、二人の足もとから顔を覗かせて恐る恐る口を開く。

「お手伝いしたいから一緒にしてて頼んだの。駄目」

 不安そうに問い掛けてくる目を見つめる。少し目を見開いて恐ろしい顔になっているが否定するような様子はなかった。

「いや、そう云うことなら一緒に作ろうか」

 やったと小さく跳び跳ねたのに三人の口元が弛む。


「あ、此方だいたい出来ましたよ」

「此方もですわ」

 ああ、ありがとうと二人にお礼を云ったところぎゅと福沢の裾を掴む何かがあった。視線を下に落とすと小さなボールを太宰が差し出してくる。終わったよと小さな口が開くのに持っていたお玉から手を離して太宰の頭を撫でる。

「ありがとう」

 微かに微笑みを作りながら礼を云うと太宰はへっへと笑う。味見をして良いかと問いかけると太宰はきょとんと目を瞬いた。味見と繰り返してくる。

「一口食べてもよいかと云うことだ」

 駄目か。福沢が聞くのにぶるりと首を横に振った。ボールをぐいと差し出してくる。何処か迷うような目。福沢が新しい箸を取り出して一口口に含む。口の中で咀嚼する姿を太宰の大きな目が見上げる。

「ん、旨いな」

「ほんと?」

「ああ。とても旨い」

「良かった」

 ふわりと口元が安心したように綻ぶ。それにもう一度福沢が太宰の頭を撫でると僅かに固まった後すりりと擦りよせってきた。褒めてというように見上げてくるのにさらに数度撫でる。それを見ていた谷崎とナオミが僕らにも味見させてくださいと声をかけた。

「うん」

 今度は二人の方に向いて差し出されるボール。その中からそれぞれ一口づつ口に含むと美味しいと太宰に笑いかけた。

「とても美味しいですよ」

「さすが、太宰さんですわ。今後もお手伝いできますわね」

 ナオミの言葉に僕頑張るよと太宰はやる気を見せる。明日もお手伝いするねと声をかけてくるのに頼むと答えながらああ、そうだと声をあげる。

「太宰も味見をするか?」

「いいですわね。どうぞ、私のも味見してみてください」

「僕のもどうぞ」

 賛同し三人から差し出されるのに太宰は少し目を見開いて驚いたように見つめた。でもとその口元が奇妙に歪む。不安げな眼差しが三人を見た。

「ぼ、く、味分からないよ?」

 弱々しい声が出るのに三人がそんなことを気にしなくて良いと声をかける。

「一口食べてみろ」

 あーんと福沢が箸を口許に寄せるのにじっと太宰はそれを見つめる。良いのと問いかける声。勿論と答えるのにほんのりと頬が赤く染まる。躊躇いがちに小さく開いた口がぱっくりと食べる。もきゅもきゅと噛み締める太宰は味を分かろうと必死に噛んでいるようだったが結局分からずに顔をあげた。

「味……分からないけど……でも美味しい気がする」

 唇を尖らせた顔がふにゃと笑う。思わず手に持っていたものを落としそうになりながら三人は太宰に笑いかけた。


    *********


 どよんと死んだように倒れ伏す周りを太宰の幼い目が見つめた。きょとんと傾けられた首。目が瞬く。

「みんな、どうしたの??」

 幼い声が聞こえるのに机に沈みこんだ影が振り返る。あ、太宰さんと敦が声をあげるもののそれ以外は何も云わなかった。じっと見つめてくるだけの目。

「大丈夫?」

 不安げな太宰が呟くのに幾つかの立ち上がる音が響く。

「太宰!!」

「太宰さん!!」

 何人かが太宰の名を呼んで沈んだ。はぁとため息が彼方此方から聞こえてくるのに太宰の肩が跳ね、目線がさ迷う。さらに深く首が傾げられるのに見かねた事務員が間に入った。

「太宰さん、ちょっと向こうに行きましょうか。みなさん、今は大変ですから……」

「何かあったの?」

「いえ、何かあった訳じゃないんですが…、仕事が」

「お仕事?」

 太宰の幼い目が机の上で死にかけている調査員たちを見つめた。それからぐるりと慌ただしく動く事務員たちの方に向く。じっと固まり考えるそぶりをした。褪赭の目が大きく見開いて探偵社内を写す。あっと云う声と共に瞳が輝きそれからうんうんと頷いた。

「僕もお仕事するよ」

「へっ??」

「みんながしてるように調査とかしたら良いんでしょ」

「え、いえ、そんな」

「人が足りないんでしょ?? 僕がやればみんな楽になるよ。ね!!」

 明るい声が事務員に向き、それから調査員達を見た。覇気のない目が呆然とみる。彼らの前に積みあがる。

 紙紙紙

 溜まりに溜まった仕事に押し潰されかけていた調査員達。それにむけてにこにこと太宰は笑う。何をしたら良いと太宰の声が聞いた。国木田の指がその辺にある資料に伸びかけてからはっと我に帰って立ち上がる。

「お前は何を云っているんだ! 子供に仕事などさせるはずかないだろ!!」

「そうですよ、太宰さん!!  大丈夫ですから!! 気にしないでください」

「僕らまだまだやれますから」

「元気ですよ!!」

 国木田に続き起き上がった彼らは太宰に声を掛けると共にそれぞれの仕事を手に取る。そしてやろうとするのだけど……数分後には萎れた野菜のように机に戻っていた。

「僕、やるよ。これとか僕でもできるよ!!」

 一連の動きをみていた太宰がぷうと頬を膨らませる。その手にはいつの間にか一枚の書類が握られていた。ほらと差し出してくるのに嫌々と首を振る。

「駄目ですよ。危ないですから」

「大丈夫だよ。僕出来るから」

 キラキラとした目が敦を見つめた。ねえとうるうるとした目で見上げられるのにうっと敦は口許を抑える。かわいいと呻いて机の上に突っ伏すのにいいでしょと笑顔で太宰は追撃をかけた。こらこらと周りが敦を奥に下がらせる。

「駄目だ」

「僕らは大丈夫ですので、心配しないでくださいね」

「大丈夫」

 むぅと太宰の口許が歪む。良いもんと呟いてぱたぱたと音をたてて事務所を出ていてしまった。えと追いかける視線。何処に行くんだと首を傾けるのに馬鹿だね~~と事態を静観していた名探偵が声を出した。

「太宰に仕事させたくないなら今のは止めなくちゃ。社長が許可出したらお前らじゃ止められないんだから」

「えってことは太宰さん社長のところに」

「それ以外あの扉開けて行けるところあるの」

「……ないですね」

 驚きの声をあげるのに呆れた目を向ける乱歩。太宰が出ていた方向を見る。突然の出来事で気づくのに遅れたがその扉は社長室のものだった。

「でも、社長が許可しますか?」

 いくら太宰さんとは云え幼いですしと賢治が疑問を漏らすが乱歩はそれにするに決まってるんじゃんと云う。

「社長は社長だからね。今の状態じゃ探偵社が回りきらないことは分かってるんだ。負担を減らすためにも仕方なく太宰に許可を出すだろう。まあ、必ず一人では行動させないようにすると思うけど。敦や国木田辺りが着くようになるんじゃないか」

「成る程」

「……後、」

 ああー、確かにと納得し社長が決めるならと仕方なく思い始めていた調査員達に落ちる声。全くといいたげにため息をつく乱歩。

「後?」

「……」

 首を傾けた周りにじっと目を社長室に向ける。何で一人で向かわせたのさ。とぶつくさと呟く。

「社長も今の太宰には甘いんだからな」

 一瞬、全員固まった。調査員が話す傍ら世話しなく動いていた事務員すらも固まった。社長室の扉を見て、そしてバッと敦を振り替える。見つめ目を見開いてがたりと盛大な音を立てて立ち上がる。

「もう遅いよ」

 乱歩の言葉が無慈悲に落ちた。


 

「谷崎君、国木田君行くよ!」

 明るくあげられた声にはぁと国木田はため息をついた。何で俺がとぶつくさ呟くのに仕方ないですよと苦笑を浮かべた谷崎が慰めた。

「何と云っても乱歩さんの人選ですからね」

「そうなんだが、何故俺達なんだ。敦や鏡花の方が太宰と仲がいいだろう」

「さあ? それに何があっても三人で帰ってくるまでは連絡してくるなって云うのも不思議ですよね」

 国木田の疑問に谷崎も首を傾ける。確かに国木田の云う通りで……。だがこの人選をしたのは乱歩だ。社長から許可をもぎ取ってきた太宰がさあ、仕事に行こうとしたのを引き留めてわざわざ谷崎と国木田を指名した。敦や鏡花が行きたがっていたがそれには強く否定の言葉を口にしていた。一体何でだろうと考えるものの乱歩の読めていることが谷崎に分かるはずもなくまた国木田も同じだった。ため息をつきながら何かあるのだろうとくちにする。

「谷崎、太宰からは目を離さないようにしろよ」

「はい」

 兎に角気を引き閉めていこうと二人が決めた所に前を行っていた太宰が二人を呼んだ。

「国木田くーーん! 谷崎君!」

 大きく手を振って二人を呼ぶ太宰。

「分かっている!!」

「今行きますよ」


 歩きながら国木田は確認のため声をかける。ふふーんと自慢げな顔で太宰は国木田を見上げた。

「太宰、仕事が何か分かっているな」

「分かっているよ。最近⚪️⚪️ビルにいると云う不審者の情報を集めることでしょ。ヤバイやつなら捕まえるの」

 どう当たってるでしょ。褒めても良いよと云うような目が見上げてくるのにそうだと淡白に頷く。むくっと膨れかける太宰の頭を谷崎が撫でた。その様子を見ながらもっと何かやってやるべきだったかと思いながらも国木田は必要事項を述べることに専念する。

「その通りだ。だがお前がやるのは情報集めだけだ。まずは聞き込みからするぞ」

「はーーい」

 明るい声が答えるのに本当に大丈夫だろうかと一抹の不安が国木田のなかに沸いた。


「どうでしたか」

「いや、詳しい情報は何も分からなかったな。そちらはどうだった」

 谷崎に太宰。国木田と二手に別れて情報収集を開始して一時間ちょっと。一旦合流して集まった情報を照らし合わせるが目ぼしい情報はどちらも得られていなかった。はぁと谷崎はため息をつき。国木田は髪を掻き毟る。

「くそ。今度はもう少し別の方向から聞いてみるか……ん? 太宰はどうした?」

 もう一回情報収集に行こうと云おうとしたとき国木田は違和感に気づいた。キョロキョロと辺りを見回して谷崎に声をかける。

「え、太宰さんならそこに……、て、あれ? 太宰さん!!」

「あの唐変木どこ行った!!」

 大人しく太宰が座っていた筈のベンチに谷崎は目を向けるがそこには太宰の姿は影も形も見当たらなかった。国木田と合流する前、した後も確かにそこにいたはずなのに。

 ぎょっと目を見開いて辺りを探すが何処にも太宰の影は見付からない。

「太宰さん!!」

「太宰!!」

 大声で何度呼んでも出てくることもなかった。さぁと二人の顔が青ざめる。

「僕、あっち探してきますね」

「ああ、頼む」

 それぞれ逆方向にと駆け出す二人。太宰の名を懸命に呼んでいるが出てくることはなかった。

 そして数十分後。ぜぇはぁと荒い息が二人の間に落ちる。 

「見つかったか」

「駄目です。何処にもいません」

 息も整わない間にも確認しあう二人。ボタボタと大量の汗が流れ落ちていた。

「くそ、あの唐変木め、子供になっても迷惑かけおって」

「社に連絡など」

 悪態をつくがその顔は心配しているのがありありと分かる顔。谷崎も焦っておりかなり顔色が悪い。おたおたとしながら提案するのにそうだなと良いかけてから国木田は固まる。社を出る前に乱歩に云われた台詞を思い出す。

「……いや、駄目だ。乱歩さんは三人で帰ってくるまで連絡してくるなと云ったんだ。つまりこうなることを予測していたということ。それで連絡してくるなと告げられたのだ。何か理由があるんだろう。

 もう一度探すぞ」

 国木田の話に既に携帯を手に取っていた谷崎はポケットに戻す。探偵社に連絡して早く見つけたい思いであったが乱歩の言葉には逆らえないものがある。はいと返事をし兎に角探そうともう一度かけようとした。

「今度は俺は「あ、居た!! 国木田君、谷崎君!!」

 それぞれ反対方向に行こうとしたとき能天気な声が響く。一瞬国木田の眉がピックリと寄ったそれは探していた者の声に違いなかった。ばぁと声のした方を向く

「太宰!!」

「太宰さん!!」

 そこには手をあげて駆け寄ってくる太宰の姿。見たところ怪我は無さそうな所にホッと二人は胸を撫で下ろした。

「何処行っていたんだ、お前は!!」

 二人のもとにたどり着いた太宰に国木田の怒号が降りかかる。キョトンとした顔をするもののそこには悪怯れる様子は一切見えなかった。

「何処って聞き込みだよ。ほら、教えてもらった情報をまとめたんだけど、どう!」

 むしろ自慢げな様子で何処からか取り出した手帳を見せてくる。きゅと国木田の眉が寄った。

「聞き込みだと」

 太宰が広げた手帳を手に取る。そこにはびっしりと文字が書き込まれていてぺらぺらとページをめくる。

「凄い。こんなに……」

 国木田の後ろから覗き込んだ感嘆の声をあげた。国木田たちが手に入れられなかった情報が手帳にはびっしりと刻まれていた。

「こんなのどうやって」

 谷崎が驚いた様子で聞くのに太宰は胸を張った。これで僕も仕事できるって分かったでしょと嬉しそうに云うのにそうですねと云いかけた谷崎。だがその前に太宰の頭の上で鈍い音が響いた。

「じゃない!」

「いた!」

 音と共に国木田の怒鳴り声。そして少しして太宰の悲鳴。太宰の頭の上には大きな拳骨ができており目を白黒させて国木田を見上げる。何が起きているのか分からないと云う顔をするのに国木田は盛大なため息をつく。それからぎゅっと視線を鋭くした。

「心配したんだぞ。聞き込みするのはいいが、俺達の傍からは離れるな。お前は子供なんだからな。何かあったらどうする。」

 国木田の言葉に太宰は首を傾けた。心配と小さな口が音にするのにそう心配だと国木田も繰り返す。太宰に飲まれかけていた谷崎もそうですよと口にする。心配したんですから一人で何処か行っちゃ駄目ですと国木田と同じことを云う。子供なんですからと云われるのにまた目を白黒させながらもこくりと、太宰は頷いた。

「ごめんなさい」

「はあ、もういい」

  まだ微妙に反省しきれていない様子を見せながらも謝る太宰にまあ仕方ないかと国木田は息を吐く。太宰のことはのんびり見守っていくしかないと与謝野等にも云われている。それはこう云う所もなのだろうと一先ずはこれぐらいでおいておくことにした。

「一度帰りましょうか」

 太宰さんは見つかったし、情報もある程度手に入りましたから一旦帰ってからこのあとどうするか決めましょう。そう谷崎が口にするのにえっと太宰は目を瞬いた。でもと口にする。

「その人たち今日何かするっていう話だからその情報を取って帰った方がいいんじゃないの」

 えっと云う顔をする国木田と谷崎。急いで太宰の手帳をめくるがそのようなことが確かにかいてあった。とは云えこれ以上幼い太宰を歩かせるのもと思い谷崎はそれはまた後でしますからと云おうとした。キラキラとした声が遮る。

「大丈夫!! 僕知っていそうな人見つけているから」



「ほら、あの人だよ」

 押しきられて太宰が云うがままについてきてしまった二人は指差された相手にげっと顔を歪めた。背鰭を来てはいるもののどう見ても柄の悪そうな男。さらにその回りにはチンピラじみた奴等が何人も控えている。あの人にお話聞くんだと太宰が告げるのに一瞬何を云われているのか理解できなくなった。

「あ、あの人って」

 谷崎が焦ったような声をあげる。だが太宰がそれに気づくことはなかった。にこっと笑って男たちのもとに向かっていく。

「二人は此所にいてね」

 静かにしててねと云うことだろうかしぃと指を立てるのにえぇと二人は顔を歪めた。どうすればと考え込む傍で太宰はもう既に男たちの近く。

「ねえ、お兄さん」

 可愛らしい笑みを浮かべて話し掛けていた。まずいとやっと思い体が動く。

「おい、待って」

「待ってください!」

 声をかけようとするがちょっとだけ振り返った太宰がまたしぃと指をたてる。あ、連れかと男が云うのにううんと太宰は首を振った。知らない人といつもより数段幼い声が云う。ねぇ、それよりお兄さん。僕お兄さんにお願いしたいことがあるの。ここじゃ、なんだから向こうで。男の手を引いて太宰が人気のないほうに行こうとする。何をしようとしているのか分からず二人はぱちぱちと目を瞬いた。顔を見合わせる。

「どうします」

「……取り敢えず様子を見よう」

 太宰たちが向かった方向にこそこそと向かう。一体そこで何をするつもりなのかと覗き込んだ。男たちに向き合った太宰は教えてほしいことがあるのと口にする。〇〇ビルの裏手に最近いる悪い人たちのことなんだけどねお兄さんたちなら何か知ってるでしょ。なっと国木田の口は大きく開き、谷崎もええと目を限界まで見開いた。そんな堂々と思う二人。はぁ、何で俺たちがそんなことお前なんかに教えなくちゃいけないんだと男が云うのに太宰が微笑んだ。

 ぞくりと背が震えた。恐怖とはまた違ったが恐ろしく思ったのは確かだった。太宰が浮かべた笑みは最初の頃何度か見せた美しい笑みだった。教えてくれるなら僕なんでもするよ。幼い声が男たちに向けて告げる。僕を好きなようにしてくれて良いよ。抱いても良い、殴っても良い。望むなら殺しも盗みも何でもやるよ。その代わり僕のお願い聞いてほしいな。

 にっこりと美しく笑いながら服の釦を外していくのに最初は驚愕し少し引いていた男たちの目が怪しい色を見せるようになった。男の一人の手が動く。

 触れそうになるのにハッとし空気に飲まれていた体が動く。

「谷崎!」

「はい!」

 ほぼ叫ぶと同時だった。大股で太宰と男たちの側まで近付き触れようとしていた一人を蹴飛ばす。騒然とし何だてめぇらはと無駄な口を叩こうとした男たちを国木田は全員地面の上に転がせていた。谷崎は肩までずり下がっていた太宰の服を着直させる。

「え?」

 ぽっかんと口を開いた太宰からその一言が落ちた。何が起きたのか分からないとその大きな目は周りとそして谷崎に国木田を見上げる。首を傾け何でと小さく呟くのに再び国木田の怒声が落ちた。

「何をしているんだ、この馬鹿は!!」

 前のよりもずっと激しいそれに太宰の肩がぴっくりと震える。大きな目が理解できないとばかりにぐるぐる回った。

「だ、だって、こうしたら何でも教えてくれるよ」

 少し早口になりながら太宰は告げる。だからと続けようとしたのを遮って国木田の怒鳴り声は続く。

「教えてくれるからと云ってこんな方法を取っていいと思うな!!」

「だ、……だって、」

 びくびくと体が震え、上手く声の出せなくなった口でそれでも反論しようと太宰は目を回す。何とか声に出そうとするのにその前にあっと声をあげた谷崎によってさらに肩が跳ね上がった。

「もしかしてさっきのも……」

「な、お前!」

 恐ろしい形相で国木田が太宰を見つめるのにぶるぶると震える体。あ、あれは……と逃げ道を探すように太宰の目が泳いだ。

「太宰」

 真剣な表情で見つめてくる目。口を閉ざしながら閉ざしきれずに声を出した。

「少しだけだもん」

 悪いことはなにもしてないもんと云いたげに太宰は云う。当然落ちたのは怒号だ。

「この馬鹿が!!」

「太宰さん!!」

 今度は国木田ばかりか谷崎までも大声をあげて怒鳴っている。太宰の目がゆらゆらと揺れた。泣き出しそうになりながらだってを繰り返すのにはぁと怒りがこもったため息が落ちる。太宰の手を国木田が強く握った。

「兎に角一度帰るぞ。いいな」

 強い力で引っ張られるのに逃げ出したくなりながら逃げ出す場所が太宰にはなかった。



「おかえりなさ、ってどうしたんですか」

 国木田たちの帰りにぱぁと明るい顔をした敦がすぐに驚いた声をあげる。それは今にも怒鳴りそうな表情をした国木田と反対に今にも泣き出しそうな顔をした太宰を見てのことだった。二人の後ろにいる谷崎も普段からは信じられないほど怒った様子をしていて探偵社内に緊張が走る。これはただ事ではないと誰もが感じ取った。

「どうしたこうしたもない。太宰のやつが」

「太宰さんが」

 語気を荒く国木田は声にしたが敦の顔を見て言葉を止める。ついさっき見てきたことを口にして良いのか悩んでしまった。よくよく見てみれば社内にはまだ鏡花や賢治もいる。彼らに太宰がしたこと、しようとしたことも含めて話すのは不味いのではないか。いや、しかし、考えたくはないがこれがもし。

 ぐるぐると色んな事が回る。どうすれば良いのかと社内を見渡した国木田は乱歩と目があった。じっと目で太宰を見つめていた乱歩は国木田と目が合うと嫌そうに口を開く。

「そいつが特別じゃないよ普通に太宰が今でも取ってる方法だ」

 乱歩の言葉に国木田と同じように悩んでいた谷崎も固まる。まさかと口を動かす彼らにえ、何がですかと状況がわかっていない周りが聞いた。

「実は」

 これは年齢とか気にしている場合ではない。全員に伝え今後、気にしていかなければいけないことだと認識し国木田は今日起きたことを話し出した。


「太宰さん! 何てことするんですか! もっと自分を大事にしてください!!」

「自分を大事にして!!」

「何てことしてんだい、あんたは。そんなことしてどんなことになるのかちゃんとわかってるのかい」

 国木田の話が終わり一斉に怒鳴られるのに太宰はびくりと体を震わせた。不満そうだったその顔に泣き出しそうが加わる。目に一杯の涙がたまった。怒鳴らなかった周りも全員がじっと厳しい目で見つめてくるのにぷるぷると手の先までもが震えた。

 だってと云おうとしてそれさえも強い目で封殺されるのにぐにゅりと口元が歪む。俯いてだってともう一度声にしたら太宰さんと厳しい声が聞こえて……。

 耐えられなくなった太宰は逃げるように走り出していた。音をたてて扉を開けて外に出ていく。あっと声がし、自分の名前を呼ぶのに聞こえぬふりして階段をかけ降りた。



 何処をどう走ったかなど覚えておらぬ。ただ感情のままに走った太宰は何かにつまづいて転けてその時やっと足を止めた。じくじくと膝が痛むのに溢れかけていた涙が一筋だけ溢れた。道中だというのにぎゅっと膝を抱えて座り込んでしまう。膝に顔を擦り付けるのに背後でざりと人の気配がした。思わず息を潜めるのに太宰と見知った声が呼び掛けてくる。あげそうになった顔を押し付ける。

「太宰」

 また声が名前を呼んだ。太宰の肩にぽんと優しく手がのる。大きくてごつこつとした手が誰のものなのか太宰はすでに覚えてしまった。横からちらりと見上げれば銀灰の目と目が合う。

「…………」

「ほら、帰ろう」

 ぎゅと隠れる太宰に向けられる声。手が差し出されるのに膝のなかで唇を尖らせた。

「……」

 いやいやと首を振った。力のない振り。細く背が揺れるのをぽんぽんと優しい手が叩いた。静かな声が語りかけてくる。

「みんなお前のことが心配だから怒ったのだ。お前のことが大切だからお前がしていたようなことをしてほしくないと思う」

 心配しているだけなのだと告げてくるのに太宰の口許はますますとがる。

「なんで」

 横の隙間から大きな目が見上げてくる。涙が溢れかけた目はそれでも不満を訴えていた。

「だって当たり前のことでしょ。抱かれたら何でもくれるよ。望まれることをするとご飯も暖かいものも情報だって何でもくれるよ。欲しいなら何かをしないと」

 そうしないと何にも得られないよ。なのに何でと問いかけてくる幼い声に福沢は胸を痛ませその小さな頭を撫でる。随分と共に暮らして安心を覚えてくれるようになったはずだけれどそれでも一度幼い心に根付いた事は簡単には消えてくれない。

「そんな必要はない」

 言葉にはするもののそれがどれ程通じてくれるのか分からない。欠片ほどしか通じないのかもしれない。

「少なくとも今はそんな風に自分を道具にする必要はない」

 それでもその少しを積み重ねていくことが大切なのだと言葉を紡ぐ。

「?」

 不思議そうな目が福沢を見上げる。何を云っているのだろう。分からないと見つめてこられるのにどう云えば分かってもらえるかを考える。

「苦しいだろう。そう云う思いをしてほしくないのだ」

 出来る限り柔らかな音になるように意識して声にする。見上げてくる目が下を向く。尖らせていた唇がいつの間にかふにゃりと歪んでいた。

「分かんないよ。ただ必要なだけだもん」

 必要だからやるだけだもん。そう云うのにそれをしたいと思っているわけではないのだろうと福沢は問う。さ迷った目。ゆっくりと頷く。

「なら、しなくていい。もうするな」

「……」

 少しだけ強くなりながら口にすると迷うような目がどうしてと問いかけてくる。

「お前に幸せになってほしいからだ。みんなお前に幸せになってほしいんだ。だからしないでほしい。お前にはまだ分からないのかもしれないが、お前が傷付く姿をみたくないんだ」

 大きく見開いた目が瞬きを繰り返してじっと福沢を見つめる。

「僕傷ついてるの?」

 痛くなんてないよと問いかけてくる幼い声にそれでもと福沢は云った。

「私には傷付いているように見える」

 見上げていた顔が歪んでまた膝のなかに隠れてしまう。太宰と呼び掛ければ見上げてくる目は泣き出しそうだ。もうしないでくれと福沢がすがるように声をかけるのにゆっくりとその首が縦に振られた。

「うん」

 頷いた小さな体を抱き寄せて福沢は立ち上がる。自然だっこされる形になった太宰は福沢を見上げる。

「歩けるよ」

 小さな声が遠慮するよう告げるのに良いからと口にする。膝も怪我をしたのだろう。後で手当てしよう。そう云って小さく口の端で微笑めば太宰は少し嬉しそうな顔をした。


「ごめんなさい」

 福沢と共に帰った探偵社で太宰はみんなに向けて謝罪の言葉をおとした。おずおずとではあるものの心配させてと付け加えるのに今度はみんなの顔が泣き出しそうに歪んだ。

「でも僕ら太宰さんが心配なんです。太宰さんに傷ついてほしくなくて」

「今後はあんなことしちゃ駄目だよ。もっと別の方法で役に立ってくれたら良いから」

「あまり心配はさせるな」

 優しく声をかけられるのに一つ一つこくりと頷いた。


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